2009/11/13

麗しき兄弟愛  
ヤレヤレ、である。

やぶからぼうに、何の話だかわからない人もいると思うが、先日来の拙ブログをご覧になればよくわかることだろう。ようは山門手前氏のコメントに対して、わたくしは不服を感じ、その旨を前回の記事に書いた。それに対してさっそく、山門手前氏より回答が寄せられた。それが正直なところ、あまりにもオソマツなものだから、嘆息したわけである。それがヤレヤレの意味だ。

しかし、この際だから徹底的に追求してみようと思う。

ご回答いたします。

顕正会を擁護する発言は、全て「悪」です。
理由は多数ありますが、割愛させていただきます。


ヒドイものである。冒頭に、ご回答いたします、などと大仰に書いておきながら、その二行後に、理由は多数あるが割愛する、と書いている。これでは議論にならないだろう。顕正会を擁護する発言はすべて悪であるという。顕正会に限らず他人を悪と断ずる以上は、それ相応の理由を述べる必要があるはずだ。理由はたくさんあるわけだろう、だったら代表的なものをいくつか書いておくのが筋である。その上で、他にも理由はたくさんあるが割愛する、とするのならば問題はないけれども、一つも開示せずに割愛するとはナニゴトかと言いたい。

そもそもが前回のわたくしの疑問に答えていない。顕正会批判はすべて善意であるという、さすがにそれはオカシイのではないか、と問うたのだ。
あるいは間接的に答えたのだろうか?
上掲のごとく、顕正会擁護はすべて悪としている。ならば、その逆であるところの顕正会批判はすべて善である、という理屈を言っているのかもしれない。しかし、わたくしはそれをあらかじめ予想して、フェイクによる宗門批判を取り上げたのだ。すなわちフェイクは宗門批判もするが顕正会批判もする、するとフェイクは善なのか悪なのか、いったいどちらなのか、という問題が生じるわけである。この問いに山門手前氏は答えていない。
こちらの問い方がヘタなのだろうか、それとも氏の読解力に問題があるのだろうか?

又、それが学会によるものでも同じです。
当然ながら学会が顕正会を擁護する事はありません。


ほとんど意味不明である。こうした文章を綴るところからすると、失礼ながら氏の思考力に問題がありそうである。

何度も書いていますが顕正会は、存在自体が悪です。

これが山門手前氏の持論なのだろう。

顕正会の存在自体が悪である以上、顕正会擁護もまた悪である。こういう理屈なのだと思われる。
しかし、何度も同じことを言わせるものではない。わたくしは、顕正会批判をすべて善であるとするのはさすがにオカシイだろう、と言っているのだ。むしろ低レベルの悪意に満ちた批判を展開しているようでは、かえって顕正会を利することにもなりかねない。それをずっと言い続けているのである。
そもそもが顕正会の存在自体を悪であると断ずることはよほどの覚悟が必要である。日本国憲法の精神に基づくならば、そう易々と他人を悪人呼ばわりすることはできないだろう。いわゆる信教の自由を踏みにじる行為である。ゆえに、顕正会を悪と断ずる場合は、純粋に教義上の問題として論ずる必要があると思うが、いかがだろうか?
はたして山門手前氏にそれが可能なのかどうか、そこが問われるところである。

調査不足です。学会側は、証拠を入手しています。

これはフェイクが浅井先生の過去の遊興などをあたかも知っているごとく書いていることに対して、わたくしがそれはハッタリだろうと書いたことを言っているわけである。

山門手前氏はまたしても墓穴を掘ったようだ。

調査不足というのは、わたくしに対する言葉だろう。何を気取っているのかと思う。わたくしは調査などしていない。常識的に考えて、フェイクの連中が先生の過去を知っているわけがないので、ハッタリだろうと書いたのだ。
ところが一方の山門手前氏は、驚くべきことに彼らが証拠を入手していることを知っているのである。なぜ知っているのか、彼らとグルなのか、もし違うとするならば、いったいどのような調査によってそれを知り得たのか、ぜひとも回答を願いたいものである。

あくまで個人的な観点ですが、学会は全く念頭にありません。(以下省略)

これ以上は無意味なので省略するが、上掲もまた見当違いの甚だしい文章である。
わたくしとて、創価学会にはさしたる関心を持たない。別に創価学会のことを論じようとしているわけではないのだ。
前回の拙稿をよく読むがいい。わたくしは山門手前氏の矛盾を指摘するために創価学会を引き合いに出したまでである。
まさに、それ以上でも以下でもないのだ。

さて、ややこしい話だが、山門入り口氏からもコメントが寄せられている。一部を紹介しよう。

そんな昔を知ってる人が普通いないとは、言い切れないですよ。

確かに断言できるかと問われれば躊躇せざるを得ないところだ。もしかしたら証言者が出てくるかもしれないので、その可能性を否定するつもりはない。
ただ、たとえばの話だが、わたくしは浅井先生を二十年以上前から知っている。昨日今日、顕正会に入ってきた人とはわけが違うのだ。しかし、いったい浅井先生の何を知っているかと言えば、何も知らないに等しいのだ。
これでわかるだろう、仮に大昔から知っていたという人がいたとしても、一から十まで知っているわけではないのだ。先生に遊び友達みたいなのがいれば、かなり貴重な証言を得られるだろうが、表面的な付き合い程度であれば、フェイクの書いているようなことまでは知らないと考えるのが普通である。

以下は省略するが、独自の取材ないし独自の調査をしている山門入り口氏には、いろいろな方面から多大の期待が寄せられていることだろう。わたくしも期待している一人である。

2009/11/13  22:35

投稿者:ニシケン

>ヤレヤレ、である。

巌虎さん、お二人方の日記、コメントを読んだ感想です。
巌虎さんの日記やその他顕正会員、元顕正会員、更に学会も含めて投稿された物が「善意」か「悪意」か、などの議論するのはナンセンスですよ。

巌虎さんは「独白」を貫いておられる。違いますか?
受け取る側は「御自由に」が「独白」ではないのですか?

喩え「悪意」は無くとも読む側は悪意と感じられる事もあります。
元顕正会員が顕正会を非難する。「救いたい」の「善意」の想いであっても顕正会員は「悪意」と受け取る。
こんな事を議論しても意味ないでしょう。

山門手前さんが仰る。
>顕正会に「独自の教儀」があるのでしょうか?日蓮正宗の教義に準ずるとしているのではないのでしょうか?そして、浅井に都合の良い部分だけを改竄しているに過ぎません。

私も同じ考えです。
会則にも、「日蓮正宗の教義を元に」と書かれています。
教義を盗んでいるのです。
大御本尊様に遥拝・・・これも盗んでいるのと同じと思います。他人の家の宝です。
顕正会は「阿漕(あこぎ)」な団体です。
顕正会を諌めて「悪意」と受け取るのは顕正会員だけです。

2009/11/13  14:56

投稿者:山門手前
>顕正会の存在自体を悪であると断ずることはよほどの覚悟が必要である。日本国憲法の精神に基づくならば、そう易々と他人を悪人呼ばわりすることはできないだろう。いわゆる信教の自由を踏みにじる行為である。ゆえに、顕正会を悪と断ずる場合は、純粋に教義上の問題として論ずる必要があると思うが、いかがだろうか?

見当違いも甚だしいですね?顕正会に「独自の教儀」があるのでしょうか?日蓮正宗の教義に準ずるとしているのではないのでしょうか?そして、浅井に都合の良い部分だけを改竄しているに過ぎません。
従って、顕正会の教儀など論ずる必要もないのです。
全て「盗作」ですからね!例えば、幸福の科学等のように独自の教儀で布教するなら純粋に教義上の問題として論ずる必要があると思いますが、顕正会は正宗の教儀を勝手に浅井の都合の良いように湾曲しているに過ぎません。

顕正会が他宗派のように解釈の違いで「分派」した団体ならいざしらず、破門になって怨念だけで「勝手連」的に別途宗教法人格を取得し尚且つ教儀は日蓮正宗に依存するとしているのですから「盗んだ」と評されても仕方ないでしょう?

更に、顕正会は単なる浅井の「事業」であって宗教活動ではないのですから(証拠あり)宗教法人と名乗る事が詐欺に近い事です。


>そんな昔を知ってる人が普通いないとは、言い切れないですよ。

塔中の高齢の信徒には、妙信講時代から浅井の行動を見ている方はいらっしゃいますよ。もうすぐ90歳になられますが、未だに現役で頑張っておられます。自分たちの周りだけで判断していると厳虎さんのような判断にしかならないでしょうが、視野狭窄とでも言っておきます。


http://maglog.jp/renmen/

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