2010/5/9

「正義にめざめて」消滅の謎  
今回の一件はほぼこれで落着であろうと思う。

昨夜の山門入り口氏のコメントについて言わせてもらえば、接続詞がデタラメだということだ。これでは伝えたいことが正確に伝わらない。たとえ内容的に優れていたとしても、台無しになってしまう。そこを考えるべきだろう。

ところで、今朝のnabe氏のコメントには、重要な証言が含まれている。

わたくしは前回、顕正会を脱会したとしても直ちに新聞の郵送が止まることはない、そのようなケースはきわめて異例のことであろう、という意味を書いた。
しかし、nabe氏によって、それが覆された格好である。氏は他の講中のことは知らないと断りつつも、脱会即新聞打ち切りは枚挙に暇がない、と言うのだ。
この点、わたくしの主張に間違いがあったことを、いちおうは認めたい。ともかく、憶測というか、勝手な思い込みで書いている部分が少なくない、それが拙稿の正体であることが暴露された格好だ。
その上で、あえて言わせてもらえば、本部首脳にとってはnabe氏の存在も、その影響力の大きさからして看過できないのだろう。ゆえに自ずと過剰に反応してしまう傾向にあるのだろう。常識的に途中で勝手に新聞の購読を打ち切ることなどできっこないことであるが、そうした正常な判断を失うほどの過剰な反応ぶりは、まさに本部首脳の余裕のなさを示しているのだと思う。

さて、久しぶりに顕正新聞の話題に移ろう。

第1169号の一面には、三月二十一日の日曜勤行における会長指導が掲載されている。これはけっこう評価できる内容だと思う。以下、思いっきり端折るが、意味はじゅうぶん通じるはずである。

 ここでいう「心の病」とは、今日でいう鬱病などの精神科で扱う病気のことではない。三毒等の心から起こる病です。

(中略)

 病気というのは、身体だけには限らない。経済苦も、家庭不和も病のうち。また国家にとって自界反逆・他国侵逼は重病です。

ひじょうにうまいと思った。おそらく、人によっては浅井流法門(?)の臭みを感じるところだろう、わたくしもそれを感じないわけではないが、しかし、これが間違いであるとは言えないはずである。なまじっか反論しようものならば、かえって恥をかくことになる。なぜならば、これは御書の大意をよくつかんだ上で、解釈・敷衍しているからだ。

御書の名前を書き忘れた。これは、病によりて道心はおこり候か、で有名な妙心尼御前御返事を中心として、その他の病に関連する御書をいくつか織り交ぜた上での指導である。

代表決意 11

新講演集の感激 4

体験発表 6


さて、上記は今号の登壇記事を項目別に数えたものである。これがようやく本日のタイトルに結び付くことになる。

いわゆる「正義にめざめて」の記事がゼロである。いったい、これはいかなる理由であろうか? たまたまなのか?

しかし、そうではないのだ。

学会で罰の連続 鉛のように重い体!

池田讃嘆・功徳なし

「正本堂崩壊」のビデオ見て放心状態


これは前掲の体験発表のうち三つから、見出しなどをピックアップしたものである。つまり、実質的には「正義にめざめて」に分類されてもおかしくない記事が体験発表に紛れ込んでいたわけだ。当然、編集部としては意図的に紛れ込ませたわけだろう。その理由が気になるところだが、実際にはさしたる意味はないのかもしれない。

今回はこんなところだ。内容的にはさして興味が湧かなかった。強いてあげれば、女子部の班長で博士号を取得した人がいる。写真を見る限り、かなり若い。博士号など簡単に取れるものではないだろう。これには素直に感心した。

2010/5/9  22:04

投稿者:水無月
4月総幹で浅井会長は「今の皇太子夫妻においては“公”より“私”が優先し、皇室そのものが変質する恐れがある」として、次期皇位継承者を明確に批判しましたが、これこそ傲慢。
そこら辺の女性週刊誌が「売らんがため」として皇室記事を書くのと同レベル、むしろ「勧誘せんがため」に皇室を使うあたりは節操もない感じですね。
浅井会長の「仏法史観」とやらも他の「自由史観」の模倣みたいですし、さかのぼれば「国立戒壇」も田中智学のパクリですからね。
この発言、のちに顕正会に災いを招かなければいいのですが。
皇室批判の前に本尊疑惑にキチンと説明できなければ脱会者は増える一方ですよ。浅井サン。
なんだか場当たりでモノ言って追い込まれるどっかの首相みたい。

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