2010/5/14

会長講演を読んで  
昨日に続いて、顕正新聞第1170号から話題を拾いたい。

日本の行く手に二つの大氷山

四月度総幹部会の会長講演はこの見出しに尽きるだろう。では、二つの大氷山とは何かであるが、一つには国家破産のこと、そしてもう一つが他国侵逼のことである。これらは以前から主張していることであり、今さら新鮮味などありはしないと思うムキもあるかもしれないが、浅井先生のうまいところは毎回必ず最新の情報を盛り込むことである。ゆえに、記事をていねいに読んでいくと、へえ、そうなのか、という具合に納得させられてしまうのだ。先生を無二の師匠と仰ぐ熱心な活動会員であれば、なおのことであろう。

前にも書いたことだが、わたくしは国家破産を期待するわけではないけれども、もしそれが現実化したならば、それはそれで構わないと思っている。どうやら顕正会も同じ考えのようだ。
いや、より正確に言えば、国家破産は他国侵逼の前触れ・先難に過ぎないという認識なので、回避不能と考えているわけだろう。いわば広宣流布に至る過程で、どうしても通らなければいけない関所のようなものなのだろう。その意味で顕正会員たちは覚悟を決めているわけだ。
問題はもう一つの他国侵逼のほうである。浅井先生は中国の動きを事細かに説明して、いずれ中国が日本を攻めてくると主張するわけである。わたくしはここがよくわからないのだ。

具体的にはどのようなシナリオであるか、それが見えてこないのだ。他国侵逼の恐怖が全日本人に大聖人への帰依を促すわけなのだろう、それを言っているのはわかるのだが、具体的には他国侵逼があるのか、それとも直前で回避することができるのか、そうしたことがまったく見えてこないのである。
映画やドラマなどでは時限爆弾をあと何秒というギリギリのところで止める話がよく出てくる。いかにも感動的であるが、それはお話の世界だからであって、とてもじゃないが現実的とは言えないだろう。とりわけ他国侵逼の場合はひじょうにわかり難いと思う。
わたくしのように普段、テレビも新聞も見ないような人であれば、もし他国侵逼が直前で回避されたとしても、そのまま何も知らずにいることだろう。その意味では、現実に中国軍が本土上陸を遂げるくらいでないと、まったくインパクトがないことになる。

しかし、ここで次の問題が生じるのだ。

もし中国軍が日本に上陸したとして、この段階からどのようにして逆転するのか、である。いわゆる「神風」をどうやって吹かせるか、なのだ。鎌倉時代における蒙古襲来の時には、暴風雨によって侵略を断念させるを得なかったとされている。では、現代において、それは何なのか、である。まさかそのような自然現象ないし超自然現象を期待しているわけではあるまい。

俗に言う「カミカゼ」だが、もちろん顕正会ではそのような表現はしない。ずばり大聖人の御守護と言っている。しかし、わたくしにはその具体的な姿がまったく見えてこない。

熱心な活動会員たちは浅井先生のご見識を大絶賛する。確かに冒頭でも記したように、先生は最新の時事問題に敏感であり、それらを講演に巧みに盛り込んでいて、それなりに面白い話に仕上がっていると思う。わたくしが言いたいのは、それと大聖人の仏法の距離である。つまり、時事問題を論じている分にはきわめて現実的であるが、それがどういうわけか大聖人の仏法を論ずる段になると、途端に非現実的になってしまうのだ。ここが問題だと思う。

話が逆戻りして恐縮だが、浅井先生は次のごとく言う。

 問題は、この国家破産が起こるか起こらないかではない。それがいつなのか、ということだけであります。

つまり、先生としては国家破産を序分としてその先の他国侵逼を正宗分とする手前、国家破産を不可避であるとしたいわけなのだろう。

わたくしはあえて言いたい。正気の沙汰ではないと。

国家破産とは国力の大幅な減退に他ならないわけで、まさに先生の主張するごとく、その先には他国侵逼が待ち構えていることだろう。これは愚鈍なわたくしにもわかることだ。
であれば、その他国侵逼を回避するためには、さしあたって国家破産を回避する必要がある。もはや手遅れ、などと言ってはならない。手遅れだろうがなかろうが、最善を尽くすのが筋である。
わたくしの思うに、顕正会が取るべき道は国家破産を回避するための方策を提言することではないか、今の顕正会の実力では何を言っても影響力はないけれども、それが現段階での最善の行為のはずなのだ。

繰り返し言う。「あと十二年」ではない、「いま」なのだ。国家破産を回避するための努力をせずして、将来の他国侵逼にどうして役に立つことができようか。一丈の堀を越えられぬ者がそれ以上の堀を越えられるわけがないのだ。

先生は以前、客観情勢がその必要を迫るならば・・・と言っていたはずである。この意味からしても、国家破産の時に何もせずして他国侵逼の時に立ち上がろうでは筋が通らないことだ。

2010/5/16  13:55

投稿者:のび太

nabeさん、ご返事ありがとうございます。

nabeさんの信仰姿勢はよく判りました。

ストイックな程の姿勢には敬意を表します。

今回お尋ねしたかったことは、自宅に御本尊さまが御安置されていない信仰と御安置をされて朝夕、勤行・唱題に励める違いをお尋ねしたかったのです。
私は、外泊でもしないかぎり御本尊さまに会わない日はありません。ですから、顕○会員のように遥拝勤行と唱題で御本仏の境地を感得できるのか不思議でなりません。その辺をお伺いしたかったのです。

2010/5/16  8:26

投稿者:nabe
のび太さん 
 わが宗派における感得とは仏果を得ることにほかならないものと思います。
 顕正会に限らず、日興上人以来の血脈に浴さない限り成仏は不可能である。それが当門家の教義です。
 蓋し、日蓮正宗の信徒になったからといって、必ず成仏が可能ではない。それはあまりにも未熟である。
 なぜならばそこには真剣な修行が必ず必要だからです。
 そういう意味からいえば、私が臨終において題目を唱えられるか否かは全くわかりません。
 ともすれば過大な評価を得てしまっているやにも思えますが、あくまでも法華講の末席にいるだけの人間です。
 「いるだけ」ですし、「この体たらくではいけない」と思いますが、なかなか難しいものです。

http://heartland.geocities.jp/kamijo2057/index.html

2010/5/15  19:50

投稿者:のび太
お久しぶりです。

nabe氏のコメントの中で「大聖人を無二の仏様と信じる心を磨くことが最も大事なのだと思います。」
まったくその通りです。
それでふと浮かんだ御文が一生成仏抄です。
『譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。』

nabe氏にお伺いします。顕○会時代の遥拝勤行と唱題で日蓮大聖人を御本仏と感得できるのでしょうか?
厳虎氏の観念論的な信仰はどうもこの辺にあるように思うのですが…率直な感想をお願いします。

2010/5/15  8:37

投稿者:nabe
 どっちでも良いでしょう。
 浅井に関してすべてのコメントに整合性を求めるのは意味がありません。
 それなら昭和40年代に来るはずだった食糧難が来なかったこと一つとっても十分。
 やはりインパクトがあったのは昭和57年の「あと25年」であり、これが外れた以上は、後はどうでも良い話です。
 いつも預言を外す老いぼれがまたぞろ当たらぬ預言を繰り返しているのを一々追いかけることは意味がないでしょう。
 この繰り返し以外にありえない、と見切ったのですから、私は最近の顕正新聞を一々チェックしません。 
 そんなことより、純粋に本宗教学を学ぶ中にたくさんの貴重なことがあります。
 某御尊師の本に「日興上人が佐渡で見た大聖人の姿を語り、熱原の法華講衆は大聖人を仏様と信じた」(趣意)と見つけた時は本当に驚きました。
 理屈などではなく、これこそ信仰だと思ったからです。
 「決意」「使命」「仏勅」とかいう言葉を格好良く使う必要なんかありません。
 大聖人を無二の仏様と信じる心を磨くことが最も大事なのだと思います。

http://heartland.geocities.jp/kamijo2057/index.html

2010/5/14  13:06

投稿者:茶寮
>これらは以前から主張していることであり、今さら新鮮味などありはしないと思う

これは違うと思います。


私は、この講演を読んで、非常に違和感を覚えました。

平成14には下記のような講演をしていました。

この三毒渦まく日本に、いま刻々と二大氷山が近づきつつある。そして国家財政の破綻も巨大地震の発生も時期を同じくし"早ければ二〇〇二年、遅くとも二〇〇五年"ということは、容易なことではない。この二大氷山の到来こそ、恐るべき他国侵逼の予兆に他ならない。
http://sakuragawa.qee.jp/b/m/b9nent.html

二大氷山とは国家破産と巨大地震であったはず。

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