2010/6/9

駄文の見本  
大沢克日子氏は千葉の人で、職場は東京らしい。顕正会員時代は主に本部会館に参詣していて、平日は早朝勤行に出てから職場に向かったという。千葉と言っても広いので、具体的な道筋についてはまったく見当がつかないけれども、単純に考えて千葉から埼玉経由で東京に行くのは遠回りである。つまり、熱心な活動会員だったわけだ。

実際、活動会員の多くは、通勤・通学の定期券とは別に、もう一つ定期券を持っていたりする。それは申すまでもなく、参詣用である。たぶん、創価学会や法華講には、このような慣習(?)はないだろう。この辺が顕正会の恐れられている点でもあると思う。
あるいは車で参詣している人の場合、本部会館の近くに月極の駐車場を借りていたりもするのだ。単純に、参詣ごとにキップを買うとか有料駐車場に入れるよりも、経済的だからであろう。ようは、それだけ頻繁に、年がら年中、参詣しているわけなのだ。
また、ある意味では環境作りなのだろう。せっかく定期券を買っても参詣しなければ、ムダだからである。つまり、自分から意識的に活動せざるを得ない状況を作り出しているのだ。

もちろん、この慣習であるとか環境作りが、自然発生的なものなのか、あるいは本部のほうでそのように仕向けているのか、この点は何とも言えないところだ。

さて、話は変わる。

叶ひ叶はぬは御信心により候べし。

日厳尼御前御返事の一節だが、さすがはnabe氏だと思った。即座に適切なコメントを返せるのは、日頃の研鑽のタマモノであろう。

実は前回、顕正新聞第1172号の一面にイチャモンをつけた。一面だけで三つも問題が存すると。

その第一が、「叶い叶わぬ」だった。

わたくしはこれに異議を唱えた。これは間接的ながらも大聖人にイチャモンをつけたような格好である。何しろ物凄く違和感があると書いてしまっているのだから、オマエは大聖人に文句を言っているのか、という反撃を食らっても仕方がないところである。
いちおう、釈明をしておこう。いつも言っていることだが、現代国語としてどうかという問題なのだ。もう何年も指摘しているごとく、浅井先生は「始めて」を多用する。これは大聖人の用語例に倣ったものだと思われるが、現代国語としては適切ではない。
むしろ先生のやり方は中途半端ではないか。御文は「叶ひ叶はぬ」となっているのだから、もし御文に忠実たらんとするのであれば、そのまま表記すればいいのだ。ところが、なぜか仮名遣いだけは現代表記に直している、ここが中途半端なところだ。

さらに、もう少し大局的な意味から言わせてもらえれば、いわゆる世界広布の問題にどのように取り組むか、そこが先生にとって最大の弱点だと思う。創価学会はもちろんのこと、おそらく今は日蓮正宗においても御書の翻訳について、さまざまの取り組みを行なっていることだろうと想像されるが、おそらく顕正会はこの点で大幅に後れを取っていることだろう。もはや完全な周回遅れであり、挽回することは困難を極める。
わたくしは外国語にまったく無知であり、偉そうなことは言えないけれども、古文を外国語に翻訳する場合、おそらくは一度現代語に翻訳して、さらにそこから翻訳するのだと思う。つまり、世界広布を視野に入れて、御書の翻訳をするつもりならば、まずは現代語訳が必要であり、それもきわめて精度の高いものが要求されるわけなのだ。
ところが顕正会は御書全集の刊行すら実現していない。いわんや現代語訳をや、いかにいわんや外国語版をや、である。

浅井先生は日本の広宣流布を云々することが多い。もちろん、それ自体は間違いではないけれども、しかし、先生の性向からしてこれは自己中心的な発想に他ならないだろう。おそらくは先生も外国語は苦手なのだと思う。だから、その方面には思考が及ばないのだ。自分は苦手であっても得意の人がいればその人に任せればいい。しかし、先生はそれができないタイプなのだろう。もっとも日本の広宣流布にしても、現実にはまだ程遠い状況であるからして、世界広布のことなど考える段階ではないとも言えるかもしれない。顕正会では創価学会が世界広布を云々すると、まだ日本の広宣流布が終わってもいないのに・・・などと反論めいたことを言う。確かにそれはそのとおりだけれども、現実問題としては創価学会のほうが世界広布に近い場所にいる。もちろん、法の正邪を別にしての話だが・・・

話が長くなった。

さて、二番目の問題はどうだろう。六万法蔵の問題である。これは単純なミスなのか、それとも先生のことだから何かしらの裏付けがあるのか、残念ながら不明である。

そして、いよいよ竹の子ヤラセ写真疑惑である。

山門入り口氏にしては、めずらしく顕正会に対して甘いコメントである。わたくしとは微妙に意見が異なるけれども、石を動かしただろうことは氏も認めるところである。ただし、氏の場合はそれを大した問題ではないとしている。ようは体験発表や活動報告の中に、もっと深刻なヤラセがあると考えているごとくである。

論より証拠、という言葉がある。百聞は一見に如かず、とも言う。

ヤラセ登壇の場合はその論証が面倒臭い。たとえば先日、ナイフを三十本隠し持っていたという体験発表を紹介した。わたくしはこれをウソ臭い話だと書いたけれども、ウソかマコトか、それを証拠立てて説明することはしなかった。単に、せいぜい二・三本が現実的だろうと書いただけである。つまり、ウソ臭いというのはわたくしの感想を書いただけであって、ウソであると断定したわけではないのだ。ゆえに本当に三十本を持ち歩いていたのかもしれないし、逆に真っ赤なウソかもしれない。拙稿ではそこまでの追求をしなかったわけで、あとは読者がどのように感じるか、それだけの話である。

今回の場合も、もし真実を追究したいのであれば、今からでも本部会館に出掛けて行って確認すればいいことである。当然、竹の子は成長している(もしくは採って食べちゃった?)だろうから、写真とは様子が違っている。しかし、石というものは基本的に不動である。そういうわけで、現地に行けば何かわかるかもしれない。

いずれにしても文章による体験発表などよりは遥かにわかり易い。それが今回の竹の子ヤラセ事件であろう。あれ? いつの間にか事件になっているぞ? まあ、それはどっちでもいいだろう。ともかくわたくしの目にはくだんの写真が不自然に見えてならないのだ。

相変わらず冗長である。これだから宿題が溜まる一方なのだ。

部長 2

隊長・支区部長 3

総支隊長補・支区長補 3
 
支隊長・総班長 4

班長 2

組長 4

平会員 6


前に、平会員の登場回数について書いたことがあるが、今回の顕正新聞は最多記録更新である。

もはや追いつかないので、この中から一つだけ記事を紹介して終わりにしたいと思う。男子部総支隊長補の活動報告に次の文章がある。

 その教授を折伏した際、教授は
 「皇居内の図書館で、日本の歴史や古い書物を写し、勉強するために中国に持ち帰っている」と驚くべき行為を口にし、また中国から日本に来る時のパスポートには色分けされたランクがあり、教授の持つパスポートの場合、皇居内に自由に出入りすることも可能と語っておりました。
 皇居内に中国の一大学教授が自由に出入りし、そこに保管されている書物を写して国外に持ち出せるとの発言に、「皇居内を自由に出入りでき、書物を自由に閲覧できる者が、日本国内に一体どれほどいるのか」と思っては、中国の対日工作の深さに驚きを禁じ得ませんでした。


わたくしの言いたいことはただ一つ、なんだ、この冗長な文章は、ということだ。

2010/6/9  18:55

投稿者:nabe
 上場企業だと、役員やらそれに準じる人事は広告されますが、それは「株主様に利益を提供します」という意味ですよね。
 顕正会は国のため、君のため、神のため、に存在するのですよね。
 聡明な巌虎さんにはもういいか

2010/6/9  13:23

投稿者:山門入り口
>当然、竹の子は成長している(もしくは採って食べちゃった?)だろうから、写真とは様子が違っている。しかし、石というものは基本的に不動である。そういうわけで、現地に行けば何かわかるかもしれない。

現役会員である、管理人さんが確認しに行くのが、適任だと思いますよ。
それと、写真掲載のタケノコは、成長しすぎて、固くて食べられません。

>その教授を折伏した際、教授は

誇張した作文ですね。
調査員が調査した結果、パスポートの色で、出入り自由は、嘘。(自由入場が可能なエリアも有りますが、そこを指して言ってるのであれば、誤解を招かせる表現です。)
皇室図書館に関しても、事前申請と閲覧書籍の申請が必要なので、これも嘘。
自由に出入りが出来る派は、大嘘。

http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

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