2010/10/10

国主についての柔軟な解釈  
律儀にも沖浦氏より返報をたまわった。氏の根強い人気の秘密は、こうしたキメの細やかさにあるのだろう。氏の掲示板を拝見していると、いったい何人の常連さんがいらっしゃるのか、数えるのが面倒なほどである。

のび太氏からは質問をたまわった。しかしながら回答は保留としたい。いろいろ思うところはあるけれども、それをありのままに書くと物議を醸しかねないからだ。

それはさておき、本題である。旦氏との議論は、山門手前氏も加わって、いよいよ面白くなってきた。

 たとえ、日蓮の身の上の事であったとしても、国主となって、政事を為す人々に取りましては、書状(十一通御書)を取り次ぐことが政道の法でありましょう。

これはよそから拾ってきたものなので、リンクを貼っておくのが礼儀というものだろう。

http://homepage2.nifty.com/gosyo/syujyu_yaku.htm

これが正解なのかどうか、まずはそこから検討する必要がある。いちおう、直訳としてはこれでよいのではないかと思うが、いかがだろうか?

旦氏の前回分のコメントでは、以下のごとく訳している。

過去に国主に取りつぎを通して申したことが的中したこからこそ、今回もまた取りつぎを通して申した。

これは過去の漢土の臣下がやったことと同じように政道の法にあたる。


これは直訳ではないので、直ちに比較検討するのは難しい。しかし、どうだろう、これではあたかも大聖人が政道の法を行じておられるかのごとく読めてしまうのだが、だとすれば前掲の直訳とは正反対である。文脈からすれば、大聖人はまつり事をなす人々の怠慢を叱責されている、彼らの怠慢を政道の法に悖るではないかと御叱りになっているのだ。よって、旦氏の解釈はとんだ勘違いのように思われるのだが、いかがだろうか?

さて、一方で問題となっているのはわたくしが発案した、地域レベルの国主、である。これについては山門手前氏から賛同のコメントを頂戴しているわけだが、実は前回分の拙稿をよく読んでもらえれば、修正案が示されていることに気がつくはずである。わたくしは、ここでは国の要人の意味、と書いた。つまり、地域レベル云々を全面的に撤回するわけではなく、当該御文においては国の要人とするのがもっとも正鵠を射ている解釈ではないか、ということである。

種々御振舞御書の冒頭からのほぼ一ページ分をよく読んでもらいたい。そこには「国主」と「上」が登場するが、わたくしはこれを次のように整理したいと思う。

上=北条時宗

国主=宿屋入道ら


つまり、上が執権時宗であり、ここでは国主がそれに仕える人々を意味するのだ。もちろん、「人々」であるから一人だけではない。他に挙げるならば、平左衛門が代表的人物となるだろう。大聖人いわく、一天の屋棟と。あるいは、天下の棟梁と。これが意味合いとして、国主に近似の表現であることに異論を唱える人はいないと思う。

さて、問題は宿屋入道であるが、これは宿屋入道許御状→宿屋入道再御状→十一通申状の流れを確認されたい。種々御振舞御書の冒頭の一段が文永五年の状況を活写せられたものであることを知ることができるだろう。大聖人は宿屋入道に期待していた。しかし、期待外れだった。それが文永五年当時の御書とそれを回想あそばす御書とを比較検討することで、自ずと見えてくるはずである。

以上、甚だ説明不足ではあるものの、「上」を執権時宗と見るならば、文脈的整合性からして「国主」を幕府要人とするのが道理であろう。

ここで余談というか、一つの可能性として書いておくと、大聖人の国主観はひじょうに柔軟性に富んでいる。前々回の旦氏のコメントにもあるごとく、鎌倉幕府の執権はたびたび替わっている。ということは「上」は一定しないことになる。ここに真の国主たる天皇の存在がクローズアップされるゆえんもあるわけだが、わたくしはまったく違うことを想起した。大聖人は鎌倉幕府を一個の集合体と捉え、それを国主と称したのではないかということだ。もしこれが正しいとすると、案外に民衆国主論の淵源は大聖人に求められるのではないか、ということになると思う。

国主となり、まつり事をなさん人々

まさに人々という複数形が民衆国主論の萌芽を思わせるところである。

当時、「国」という表現は「越後の国」や「大和の国」など現在の「都道府県」を示す場合と、日本全体を示す場合と同じ表現を用いていましたので解釈上適宜登場する人物の地位等を考慮しながら判断する以外にないと思います。

さて、今度は話を戻すことになるが、地域レベルの国主という表現に賛同して下さったのが山門手前氏である。

すでに修正案を提示したごとく、わたくしとしては稚拙な表現だったと少しばかり後悔しているところであるが、さりとて全面的に撤回するものではない。なぜならば、これはそれなりの根拠があって書いたことだからだ。
御書には国主という表記がたくさん出てくる。平成新編御書検索では百三十九件のヒットがある。この数字は同じページに複数の国主がある場合を数えていないと思われる。また、検索機能の不具合やデータの問題もあるので、この数字がすべてではない。よって、国主という御表現は膨大をきわめる。
わたくしは検索可能な範囲で、いちおう、ざっと調べてみた。その成果を以下に記してみよう。

結論を書くと、特殊な例を除けば、ほとんどすべてが「日本国の国主」の意味であり、地域レベルの国主というのは皆無に等しいようである。
特殊な例というのは、仏は三界の国主、というような御表現であり、これはさしあたって今の議論とは別次元のことであるから除外しないといけない。いや、もちろん、これも含めて考察する方法もあるとは思うが、それはまた別の機会に譲りたいと思う。
さて、問題はわたくしの期待とは裏腹に、御書に示される国主の意はほとんどすべてが日本国レベルの国主なのである。これは困ったことだ。しかし、前述のごとく、わたくしの主張にはそれなりの根拠がある。御書に地域レベルの国主という概念がまったく存在しないかというと、実はそうでもないのである。

まずは道理として小乗大乗分別抄の冒頭を掲げておこう。

 夫小大定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云ひ、五尺の男に対しては六尺・七尺の男を大の男と云ふ。

次に祈禱抄を拝する。

然るに国主と成り給ふ事は、過去に正法を持ち仏に仕ふるに依って、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らひとして郡郷を領し給へり。

大小の王に注目すべきである。郡郷を領する人を郡主・郷主と呼ぶのかどうか正確なところはわからないが、これらが小国の主に相当することは道理の指し示すところである。

日本国は大王の如し。国々の受領等は小王なり。

内房女房御返事である。これも道理に立脚するならば、国々の受領等もまた国主の一分となる。

さらに補強のために顕謗法抄を拝しておきたい。

又主を王といはゞ百姓も宅中の王なり。地頭・領家等も又村・郷・郡・国の王なり。

以上、これらの御文を踏まえるならば、大聖人が幕府の要人を指して国主と表現あそばしたとしても矛盾はないだろう。

2010/10/11  12:02

投稿者:山門手前
旦さんへ

>山門手前さんは、十一通御書は誰に向けられた御書だとお考えでしょうか。

鎌倉殿(執権北条時頼)・宿屋入道・平左衛門尉・弥源太(北条弥源太殿)・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺

上記11箇所へ送付された文書を総称して十一通御書と表現されますが、北条時頼など特定個人に宛てられたものと寺院宛のものとがあります。

又、弟子檀那に宛てた文書も同時に送付されています。

2010/10/11  10:40

投稿者:旦
山門手前さんは、十一通御書は誰に向けられた御書だとお考えでしょうか。

2010/10/11  7:19

投稿者:のび太
>のび太氏からは質問をたまわった。しかしながら回答は保留としたい。いろいろ思うところはあるけれども、それをありのままに書くと物議を醸しかねないからだ。
<ブログより>

私の言いたいことを理解していただいたと認識しております。ありがとうございました。

また、岩本実相寺での一切教の閲覧から報恩抄執筆にいたる経緯に関しては少しご自身で推敲されてはいかがでしょうか。

2010/10/11  6:42

投稿者:山門手前
旦さんへ

>大聖人はもっとスケールの大きな話をされているのではないでしょうか。

国の為政者に対するものが「スケールが大きい」とは限らないと思います。

全ての御文において「国」=「国家」ではないと申しているだけで、逆に全ての御文において「国」=「地方自治体」であるとも断定しているのではないのです。

あくまで「文意」及び「相手方」から推測する以外にないのではないでしょうか?

沖浦さんのご指摘どおり、大聖人様は、とてもこまめに書簡を出されていますので全てが国家の執権者宛てではないと思われます。

2010/10/10  23:49

投稿者:旦
国主となり、まつり事をなさん人々は、取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。

国主となり政治を行う人々へ、伝え申したのであるのは政道の法よ。

直訳はこうだと考えています。
注目したいのは「申す」という謙譲語なんですよね。
国主は頂点なので謙譲すべき相手はいませんから、
ここは、大聖人が主語として省略されていると考えています。

また、「人々は」の「は」は上代東国方言と考えて
「へ」に変換すべきではないかなと思います。

種々御振舞御書の国主が地域レベルの国主でないことは
大蒙古国、日本国と冒頭に出ていることからわかると思います。
ここに越後の国や大和の国と出ていれば、まだ可能性はなくはないですが
大聖人はもっとスケールの大きな話をされているのではないでしょうか。

ところで
又主を王といはゞ百姓も宅中の王なり。地頭・領家等も又村・郷・郡・国の王なり。の後には
しかれども大王にはあらず。とありますよね…。

http://hokkekousetu.blogspot.com/

2010/10/10  21:11

投稿者:山門手前
>これらの御文を踏まえるならば、大聖人が幕府の要人を指して国主と表現あそばしたとしても矛盾はないだろう。

勿論、御文において適宜幕府の要人であったり、地頭等であったりするはずです。例えば、現在でも「役所」という表現が「市役所」を指すのか、他の行政機関を指すのかは文章全体から判断しないといけないのと同じですよね。

2010/10/10  19:35

投稿者:沖浦克治
厳虎さん、今晩は

 律儀の代表が、大聖人です。

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