2011/2/7

教学試験雑感  
沖浦氏のコメントは唐突である。

 法論なんか、ほとんど意味ないですよ。
 勝っても、広宣流布進みません。
 法論で勝って広宣流布が可能なら、大聖人の時代に出来ていますよ。


前回の拙稿とは何の接点も見出せないが、それはともかく、わたくしは反対意見である。法論の重要性は今も昔も変わらない。問題はそれが実現するかどうかなのだと思う。

大聖人は天台伝教の例を何度も引いておられる。たとえば伝教大師は桓武天皇の御前で南都六宗の碩学たちを一蹴して、日本における仏教の統一を実現したのだ。
大聖人御自身もこの先例に倣い、公場対決を願われていた。しかし、実現を見なかった。
この意味で、沖浦氏の認識は間違っている。大聖人の時代には公場対決が実現しなかった。だから法論に勝つも負けるもなかっただけの話であって、これが直ちに法論そのものを否定する根拠とはならないのは自明のことである。

まあ、しかし、ネット法論における勝った負けたというのは、確かにほとんど意味がないだろう。まったく無意味であるとは言わないが、いわゆる公場対決とは比較にならないほどの影響力の弱さである。

つまり、今日的にはどのような形で公場対決を実現させていくか、それが一つの重要なテーマなのだと思う。

たった今、ネット法論を軽視するようなことを書いたけれども、案外に侮れない面もある。たとえば樋田氏の手法は画期的であり、相当の成果を収めている。彼の場合、基本は対面法論である。そしてそれをどれだけ効果的に世間に宣伝するかにおいて、ネットを最大限活用しているわけである。もちろん、その大前提は信心の大確信と、たゆまぬ研鑽があってのことである。その裏打ちがなければ、できっこないことなのだ。いくらアイデアがあっても、それだけでは何にもならないのだ。

いずれにしても、公場対決を実現させるためにはどうすればよいのか、とりわけ頂上対決が望まれるわけであるが、それを実現させるためにはどうしたらよいか、これが重要なテーマだと思う。繰り返しになるが、現代においても決して無意味なことではないだろう。問題は実現させるための方途である。

さて、今日は教学試験についての感想を書くことにする。顕正新聞第1195号のトップに試験の報道があって、後ろのほうには丸々三ページを使って四級合格者が掲載されている。そして翌号には登用試験の合格者が、文字のサイズを小さくして一ページ分に収まっている。

試験終了と同時に、感激の拍手と歓声が起きた・・・

これが面白かった。歓声というのはわからなくもない。たぶん一般の試験においても似たような現象が起こると思う。しかし、拍手が起こることはないだろう。ちょっと想像がつかないのだ。善意に解釈すればユニークな団体、しかし、悪く言えば奇妙な宗教団体、それが顕正会だ。

四級試験 受験者15288名 合格者3887名

登用試験 受験者12976名 合格者1649名


冗談はともかく、真面目な話をしよう。三級試験の合格者はまだ発表されていないけれども、受験者数は二千九十七名である。ゆえに、ぜんぶで三万人以上の人が顕正会の教学試験を受けたということで、見出しには得意の「空前」の文字が躍っている。

わたくしの第一印象は、ずいぶん合格者が少ないではないか、というものだった。三万人の受験者で合格者が七千人くらい、これは三級合格者を想定しての数字であるが、ともかく二万人以上が不合格だったわけだ。顕正会の教学試験はいわゆる落とす試験なのだろうか?

登用は後で述べるとして、まず四級について言えば、予想外の合格率の低さだと思う。なぜならば、四級が行なわれたのは久しぶりのことである。つまり、受験者は昨日今日入ってきた人たちではなく、今の顕正会における第一線の中核幹部たちのはずなのだ。少なくとも登用・五級を合格してきた人たちなのだろう。しかも本年の試験は助走期間が長かった。例年ならば十一月度総幹部会で発表されるところを、異例にも八月の総幹部会で発表があった。準備期間に不足はない。ゆえに、合格者がもっとたくさんいてもおかしくないのである。

逆に言うと、この結果は顕正会の現状を如実に示すものなのかもしれない。浅井先生は広布最終段階だとか直線コースだとか言って会員を鼓舞しているが、案外に現場の会員たちは冷め切っているのかもしれない。顕正新聞ではいかにも前進しているような報道をしているが、それは単なるムード作りであって、現実は惨憺たる状況なのかもしれない。

別の角度から見るならば、あるいは長年の一念信解路線の弊害ないし後遺症が考えられるかもしれない。思いっきり失礼なことを言うようだが、顕正会は総白痴化現象を起こしているのだ。ぶっちゃけ言えば、馬鹿ばっか、なのだ。だから合格率が低いと。

さらにもう一つの可能性が考えられる。これは以前にも指摘したはずであるが、受験者数の水増しである。さすがに合格者は誤魔化せない。名前と所属を発表しなければならないので、誤魔化しようがない。しかし、受験者数そのものは容易に誤魔化せる。外部からは調べようがないからだ。あくまで可能性に過ぎないが、合格率が低いのは受験者数の水増しが原因かもしれない、ということだ。

登用試験の結果はおおむね順当だかもしれない。

一万三千人近くが受験して、なんと合格者は二千人未満である。
ゆえに、顕正会批判者の中には、こんな簡単な問題が解けないなんておかしい、と考えている人もいる。確かにそれはあるだろう。だから上述のごとく、受験者の水増しの可能性もあるわけだ。
しかし、登用試験の人たちは原則入信一年未満である。批判者たちはいろいろな意味で目が肥えているから簡単に思えても、初心者にとってはけっこう難しい問題かもしれないのだ。

それはそれとして、わたくしが登用試験の結果を順当と書いたのには、別の理由がある。

今回は三級・四級が行なわれた。ここに原因がある。幹部たちは自分の勉強に熱心なあまり、後輩たちの面倒を疎かにしてしまったのだ。これはあたかも折伏法戦の忙しさにかまけて、入信者を置き去りにしてしまうのと似ている話である。

昔の話を書こう。

十二月に入ると、いつもは拠点に四六時中いて熱弁を振るっている、じゃっかん疎ましいというか煙たい存在だった幹部の姿が見えなくなった。電話もあまり掛けて来なくなった。
急にそうなると逆に不安になるもので、身近な先輩に聞いてみたことがある。すると、どうやら毎年のことらしい。わたくしにとってはそれが顕正会における初めての冬だったので知らなかっただけなのだ。
つまり、その人は後輩の指導そっちのけで、教学試験のために猛勉強していたのだ。そうやって毎年好成績を収め、幹部にのし上がっていったのだろう。昔は教学力の有無も幹部抜擢の選考基準になっていたのだ。もちろん折伏成果を併せてのことであるが・・・

ところで、来年の教学試験はどうするのだろうか? それが心配だ。

さらにバージョンアップするならば、一級・二級もあり得るだろう。というよりも、それが必然の流れであって、そうしなければ格好がつかないと思うのだ。当然、本部首脳も頭を悩ましていることだろう。本年は五級試験もやらなかったし、そうしたチグハグさをうまくまとめ上げるのは至難のワザである。

2011/2/8  9:22

投稿者:旦
一念信解を馬鹿といってはいけない

2011/2/8  8:41

投稿者:山門入り口
>登用試験の人たちは原則入信一年未満である。

原則とはおかしいのではないでしょうか?
そうしたら、不合格の人は、一生、五級試験を受験する資格を得ることが出来なくなります。

五級試験を飛び級で受けたいと言っても、登用試験を合格しなければ受けられたいと、確認は取ってますので。

そうすると、登用試験の受験者が一年未満が原則とはならないでしょう。
一年未満なら、毎年六万人強の入会者が居るのですから、その中から一万のちょいの受験者は少なすぎでしょう。
最低でも二万として、再受験者を含めれば、毎年受験者が右肩上がりで増えなければ、おかしいでしょう。

そうなると、実際の勧誘成果が問題視されますよね。
結局名簿上の入会者ばかりと言えるでしょう。
これで、登用試験の水増しがあるのなら、もう、顕正会自体の勧誘数字など、完全に信用できないレベルですね。

登用試験が難しいとは、第一に丸暗記しなければ解らないような、虫食い問題の作り方に問題があるでしょう。
それに今年の合格者が少なかったのは、全会員が三級・四級試験のテキストを読む事を進めていたから、合格者が少ないと思います。
そもそも、今回の試験は合格者問題にしてるのではなく、武勇伝を徹底して学ばせて、洗脳する目的以外の何者でもないでしょう。
 試験計画が発表されてから、毎号「正本堂の誑惑を」読んでの活動報告を掲載してるのが、如何に徹底して染ませたいかの現れですね。
 結局、浅井会長が考える事って思いつき発言で無計画な事ばかりだと思ってます。



http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

2011/2/7  22:28

投稿者:水無月
今年の教学試験は、昨年秋以降にいろいろと会員の目をそらさなければならないこと(神奈川大会未開催とか)が多かったから試験要項の発表を夏に行なって、登用、4級、3級とほとんどの活動家を動員しせねばならなかったのだと思っています。
5級は今年の受験対象者自体が少なくて、試験を行なえば受験者・合格者ともにミミッチぃ数を発表せねばならないからやらなかったんです。
少なくても受験者が1万人はいないとその級の試験はやらないでしょう。
いま1級試験をやって合格できるのは妙信講時代からいる理事クラスだけでしょう。
2級は隊長・区長・支区部長でも合格できる人はごく少数でしょう。
だから1級2級は永遠に行なわれないでしょう。

2011/2/7  20:09

投稿者:沖浦克治
 厳虎さん、今晩は

 日蓮正宗との法論なら、

 私は法主と加持祈祷の勝負なら引き受けますよ。
 彼との法論が無意味なのは、負けても負けを認めません、彼はね。

 ですので、雨乞いでも、雪乞いでも、何でも結構です。
 何時でもやりますよ。

 でもね、法主などは祈りを知りませんので、絶対に出てはこないと思います。

 私はね、いざ勝負になったら、創価の祈りの実力を彼に見せ付けてやりますよ。

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