2011/2/9

種々のコメントに応えて  
加持祈祷の勝負なら引き受けますよ。
(中略)
雨乞いでも、雪乞いでも、何でも結構です。

まったく、もう、何を言っているんだか・・・

もし仮に加持祈祷をするにしても、具体的に何を祈るのかが問題だろう。沖浦氏は雨乞い雪乞いを例に出しているけれども、現代的にはあまり意味がないと思う。どうせならば国の借金をゼロにするとか、あるいは核兵器を消滅させるとか、そういう祈祷をお願いしたいものだ。結論的には無理な話である。借金を減らすのも、核兵器の廃絶も、一朝一夕に解決するようなナマヤサシイ問題ではない。仏法とは道理である。祈って借金がチャラになるというような、そんな甘ったれた考え方が通用するわけがないのだ。

1級2級は永遠に行なわれないでしょう。

水無月氏の予言(?)である。浅井先生は負け嫌いだから、こんなことを言われると意地でも実施するかもしれない。

5級は今年の受験対象者自体が少なくて、試験を行なえば受験者・合格者ともにミミッチぃ数を発表せねばならないからやらなかったんです。

この点に関しては、わたくしは別の想像をめぐらせている。前回の拙文で触れたように、顕正新聞には空前の文字が躍っている。見出しの文言は次のごとくだ。

教学三級、四級、登用試験を実施

空前 三万三六一人が熱烈・歓喜の受験


気配りのできる人ならば同様の感想を懐くはずであるが、これでは五級を受けるべき人たちがまるでカヤの外に追いやられた格好である。わたくしはそんなバカなことはないと思う。本人たちに疎外感を与えていいはずはないし、彼らをタダで遊ばせておく手はないだろう。ゆえに、おそらくは五級を受けるはずだった人たちも、登用か四級のいずれかを受験しているのではないか?

もちろん推測に過ぎないけれども、かなり核心を突いているのではないかと思う。これは内部からの証言が待たれるところだ。

原則とはおかしいのではないでしょうか?

山門入り口氏のコメントの一部である。全体的な論旨としてはやや不明瞭に感じられるが、上掲の指摘はまったくもってそのとおりである。我ながら不用意な文章を書いてしまったものだ。以下、訂正ないし修正の意味を込めて、論じてみよう。

わたくしの書いた、登用試験の人たちは原則入信一年未満、というのは確かにおかしな話である。氏の指摘にもあるごとく、再受験者も考慮しないといけない。つまり、入信十年だろうが二十年だろうが、不合格者はいつまでも登用試験を受け続けることになるのだ。ゆえに、顕正新聞の次の記述は欺瞞である。

受験者は一年以内に入信した人々が大多数

今回の登用試験では二千人弱の合格者だった。逆に言うと一万人以上が不合格だったのだ。であれば、来年はこの人たちが再受験するだろう。単純計算であるが、毎年新しい人たちが一万二千人受験して合格するのが二千人だとすれば、毎年一万人の再受験者が加算されていく。十年もすれば十万人規模の登用試験になっているはずである。何も十年後の予想を云々する必要はない。十年前から本年までのデータを調べればわかることである。つまり、上掲の記述は欺瞞に満ちているのだ。

念のために付け加えておく。仮に受験者の大多数が一年以内の入信だという記述が事実だとしよう。すると、一万人の不合格者たちはどこへ消えてしまったのだろう、という疑問が生ずるのだ。昨年は六万八千人が顕正会に入信したそうである。しかし、登用試験の受験者は一万三千人弱である。ようは五万五千人が一年以内に退転してしまったことになる。さらに次の一年で一万人以上が退転してしまうことになるのだ。残りは一握り過ぎない。これが顕正会の実態である。

以上、山門入り口氏のコメントを敷衍する形で書かせていただいた。

一念信解を馬鹿といってはいけない

今度は旦氏から厳しいお叱りのコメントを頂戴した。いちおう、これについては釈明をしたいと思う。

わたくしは顕正会員を馬鹿だとは思わない。むしろ潜在能力は物凄いと思っている。だから、中核幹部たちが受験する四級試験は、合格者がたくさん出てしまって、それこそ顕正新聞では合格者特集号を組まないといけないくらいになるのではないかと想像していたのだ。
ところが事実は案に相違して、合格者が少なかった。わたくしは思った。オマエら何をやっておるか、もっとしっかりしろよ、と。これが本音である。
だから、馬鹿ばっか、というのはわたくしの愛情の裏返しであり、軽蔑の意味とは異なるのだ。いや、実際には複雑な心境であって、じゃっかんは軽蔑の気持ちがあるのかもしれないが・・・

それはともかく大事なことを書いておこう。わたくしは一念信解を馬鹿と言っているのではなく、一念信解路線を馬鹿と言っているのだ。この微妙な違いが大事なところである。

ようは顕正会における一念信解は一念信解モドキであって、真の一念信解ではない。これまでにも再三にわたって書いてきたごとく、浅井先生の狙いとする一念信解路線はいわば愚民化政策だったのではないか、ということなのだ。これはわたくしだけが指摘するところではなく、『迷走する顕正会を斬る』にも書かれていることであるし、おそらくは顕正会批判者の大多数が同意見に違いないのだ。近年の浅井先生は一念信解を言わなくなった。皮肉にも言わなくなったことが、逆にそのことを証明しているようなアンバイである。

いずれにしても後遺症はかなりの部分で当てはまると思う。俗に、頭がさび付く、というような表現があるけれども、わたくし自身も油断はできない。何事においても、月々日々につより給へ、ということだ。

2011/2/11  2:35

投稿者:睦月
教学云々に関しては、結局は個人の問題だと思いますがね。
よく顕正会員は教学が無いだとか言われる訳ですが、実際に管理人さんのように好んで自ら勉強している人だっている訳ですし、私の場合も顕正会時代は、御書よりも、むしろ法華経に異常に興味をもって、他教団のものでしたが、古本屋で購入した法華経二十八巻をよく読んでいたものです。それに私の所属末寺には、一級試験合格者の元顕正会の方も居られたと思います。
逆に浅井会長が積極的に教学研鑽を推進したり、講義回数などを増やしたからといって、かならずしも教学が身に付くというものでもないでしょう。そもそも人など勉強嫌いなのが普通であって、当然の事ですが、法華講員だからと言って、誰もが教学に長けているという訳ではないでしょう。ただし、顕正会と日蓮正宗の決定的な違いは、顕正会では学ぶべき書籍があまりにも少ないので、自分で学ぼうとしても、なかなか出来ない環境にありますが、日蓮正宗の場合は、御書をはじめ、その他の教学関連の書籍が非常に充実していますから、この違いは大きいかもしれませんね。

2011/2/9  22:54

投稿者:旦
登用試験は ようするに顕正会の教義により忠実な人が受
かるんですが
顕正会の教義が間違っている場合もあるので 注意が必要
だと思います

http://goo.gl/rUnR

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