2011/2/16

ヨシ氏の登場に思うこと  
先週から今週にかけて受難の一週間だった。

まず、前回の拙稿に対して、のび太氏と水無月氏から強烈な反発があった。そして同時期、風塵山荘では法太郎がわたくしに対する反論を発表していた。そうこうする内に、今度は現役顕正会員のヨシ氏からコメントが入った。

さすがに受難はオーバーだと思う人も多いことだろう。確かに上述のことくらいではそのとおりだが、実は他にも困ったことが発生したのだ。これについては別の機会に書くことにしよう。

さて、せっかくだから今回はヨシ氏を中心に論じてみたい。

最初にお聞きしたい点は現在の役職である。もし差し支えがなければ、教えていただきたいと思う。拙ブログに現役会員が来るのはめずらしいことだが、かつては現役隊長を名乗る人がよく来ていたし、あるいは本部の事情に精通している謎の人物もいた。ともかく長い間にはいろいろな人が来る。失礼ながら、わたくしにとってはヨシ氏もその一人に過ぎないわけである。
ただし、本年は教学試験で御遺命を学んだことでもあるし、積極的な顕正会員がネット上にたくさん登場する可能性もある。もしそうであれば、ヨシ氏はその第一号ということになるだろう。
いずれにしても拙ブログでのお付き合いは顔の見えないお付き合いであるから、人物像というかキャラクターがわかりにくい。ゆえに、役職やその他もろもろの情報をでき得る限り教えていただければ、それなりに有意義な対話が可能なのではないかと思う。

しかし、矛盾するようであるが、拙ブログは独白が原点である。ようは独り言をブツブツ言っているだけのブログなのだ。そうやって都合の悪いコメントをやり過ごすのがわたくしの常套手段なのである。

私は入信26年になる顕正会員です。単刀直入にお尋ねします。あなたは勤行やってますか?仮にやっていても、こんなブログを書いているようでは功徳はないでしょう。功徳どころか罪障積んでますよ。

どうやらヨシ氏のほうが少し先輩のようだ。で、勤行をやっているかどうか、との質問であるが、さっそく都合の悪い(?)話になってきた。しかし、お答えしよう。勤行は欠かさず実践している。実は遥か昔、一年くらい勤行をしなかった時期があった。その後、ゆえあって勤行を再開した。たぶん、あれから二十年以上経つだろう。ごくごくマレに、物理的に勤行をする時間が取れなかったとか、そういうことで勤行をしなかった日もなくはないが、上述のごとく、基本的には勤行を欠かさずにやっているつもりだ。

批判を書きたいなら顕正会やめちゃいなさい!
内部に居ながら批判するなら、それは破和合僧です。分からない事、疑問があるなら素直に質問すればよいでしょう。
破和合僧は無限地獄の因ですよ。


わたくしが応じる前に法華講員や創価学会員が反応しているところが面白い。それはともかく、ある意味ではヨシ氏のおっしゃるとおりだと思う。本当はやめてしまえばいいのだ。顕正会のことなどキレイさっぱり忘れて、まったく別の人生を歩めばいいのだ。しかし、わたくしにとって独白ブログはいわば習慣であって、もはや日常生活のカテゴリーになってしまっているのだ。一種のネット中毒だかもしれない。ゆえに今後も続けることだろう。破和合僧だとか無間地獄だとか言われても、そう簡単にはやめないと思う。

ここの管理人、並びに集まってくる人は、慢心とマイナス思考の強い方ばかりですね(笑)

他の人のことはともかく、わたくし自身はまさにご指摘のとおりだ。何しろ副題が「零落れ顕正会員の愚癡日記」なのだから、マイナス思考もいいところだろう。慢心のほうは、おそらくは文体が災いしているのだろう。わたくしの文章は一見すると物凄く高飛車に感じられるのだと思う。

↑そういうのを世間では屁理屈といいます(笑)

さて、ここからが本番である。わたくしは自分自身の欠点ないし問題点を素直に認めたつもりである。ヨシ氏はどうか、と問いたいのだ。

上掲は鋭い切り返しだと思う。宗門ないし創価学会による顕正会批判は玉石混淆が否めない。単なるアゲアシ取りもあれば、難癖・イチャモンもある。ゆえに上述の件はおっしゃるとおり、確かに屁理屈なのかもしれない。

しかし、ぜんぶが全部というわけではないだろう。前回分のコメント欄に限って見ても、わたくしは法華講の人たちの意見に同意せざるを得ない部分がたくさんあると思う。ようはそれを素直に認めることができるかどうかなのだ。

繰り返すが、上掲は鋭い切り返しだと思う。しかし、他にもいろいろなテーマというか法華講員からの追及がある。おそらくは回答不能のこともあるのだろう。わたくしは思う。回答不能でもいいのだ。それを素直に白状すればいいのである。

【「御書全集」の編纂いよいよ始まる 編集委員に三氏任命さる】

新聞をさがすのが面倒なので、山門入り口氏のコメントから拝借した。

上掲は平成七年のことなので、宗門の平成新編に触発されただろうことが窺える。山門氏は激辛(?)なので浅井先生の言行不一致を痛烈に批判するが、わたくしはちょっと違った見方をしている。以下、ヨシ氏にもご一考願いたい。

わたくしがブログを綴るようになったのは五六年前のことであり、平成七年と言ったらまだインターネットとは無縁の生活だった。そこで、あくまでタラレバの話ではあるが、もし当時も今のようにブログをやっていたら何を書いただろうか、という話だ。
顕正会が宗門の平成新編に対抗して御書全集を発刊しようものならば、おそらくわたくしは批判的な記事を書いたと思う。これは分派独立路線の表明に他ならないと。
当時はまだ宗門復帰の可能性が残されていた。顕正会員にもそうした願望を懐く人がけっこういたと思う。あるいはヨシ氏もそうかもしれない。ゆえに、もし顕正会が独自に御書を発刊しようものならば、それは分派独立の意志表明であると、このように組織の内外から解釈される危険があった。
つまり、顕正会の首脳部はそうした誤解が生じることを危惧して御書の発刊を見送った、という見方もできるのだ。

もちろん、当時のわたくしがそこまで穿った見方をしたかどうかと言えば、それは否であろう。今だから書けるのだ。当時は今よりも遥かに未熟だった。生意気なようだが、わたくしも少しは成長しているのである。ヨシ氏に知ってほしいのは、これは宗門寄りだとか創価学会寄りだとかの思考というわけではないことだ。たぶん、わたくし独自の思考である。ヨシ氏には慢心とマイナス思考にしか見えないかもしれないが、それでもいいと思う。人の考えを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えること・・・これがけっこう大事なことなのだと思う。

 わたしは平成七年、学会・法華講を経て晴れて顕正会に入会させて頂きました。
 初めて聞く顕正会の存在と大聖人様の御遺命に驚き、さらに阿部日顕に「相承」がないことを聞いた時には衝撃を受けました。


顕正新聞第1196号の記事である。婦人部組長の体験発表だ。

会員歴二十六年のヨシ氏ならば気がつくはずだ。これは取り返しのつかないミスである。いちばん無難な解決方法は「発表者の記憶違い」ということになると思うが、わたくしは編集部の責任を問いたい。顕正会で御相承の断絶を言うようになったのは平成十一年のことなのだ。つまり、平成七年の段階で日顕上人に相承がないという話を聞いて衝撃を受けることなど、絶対にあり得ないことなのだ。むしろ、創価学会・法華講経由で顕正会員になったのであれば、すでに平成三年以降のいずれかの段階で聞き知っていたとしても不思議はない。日蓮正宗と創価学会の間で激しく議論されていた事柄だからである。さらに遡れば正信会の問題もある。ゆえに、知らぬは顕正会員ばかりなり・・・だったのだ。

こうした間違いを素直に認めることができるかどうか、わたくしが言いたいのはこの一点だけである。

2011/2/16  23:46

投稿者:山門入り口
檄からの山門入り口です。(笑)
個人メッセージでは、顕正会相手なのだから、もう少し手を抜いては?と言う意見と、もっと、ガンガンにやってください。て意見が、寄せられます。
ま、それはおいといて、一つ忘れていましたが、
41年4月妙信講・「日蓮大聖人御書 十大部」を刊行。
と、妙信講独自の御書を出していましたね。
これを、再販すれば、とりあえず御書発刊の嘘は解消されたのにと思いますよ。
また日蓮正宗聖典を印刷したことがあるのですから、発刊に関しては、ベースになる物は持っているでしょう。

昭和60年に御書発刊を打ち出し、11年後の平成7年に再度、発刊をいい、結局は、発刊されてない。と言うことは、口先だけって証明になるでしょう。

また、本気で発刊の意志があるのでしたら、御書講義。
日曜勤行での講義を纏めた冊子でも出せば良いだけでしょうね。
一から作り直さなくても良いわけですし、少し手直しすれば良いだけでしょう。
句読点とかも直して浅井会長が講義してるのですから、正しく間違いがない講義ですし、発刊作業の短縮になりますよね。


http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

2011/2/16  17:51

投稿者:旦
愚痴を断じたところに信があります

http://goo.gl/rUnR

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