2011/2/17

破壊的衝動  
最近の旦氏のコメントはひじょうに短い。そこに含蓄があるのだろうけれども、愚鈍のわたくしにはつかめない。

41年4月妙信講・「日蓮大聖人御書 十大部」を刊行。
と、妙信講独自の御書を出していましたね。
これを、再販すれば、とりあえず御書発刊の嘘は解消されたのにと思いますよ。


そして今度は山門入り口氏であるが、この部分はじゃっかん疑問である。後年、顕正会が打ち出したのは御書の発刊ではなく、御書全集の発刊なのだ。十大部と全集ではエライ違いである。

ちなみに、氏も指摘しているように、発刊に関するノウハウはじゅうぶんにあるはずだ。何しろ浅井先生の家業は印刷屋だった。日蓮正宗の出版物にも携わっていたとのことなので、その気になれば御書全集の刊行も可能だろう。
しかし、昨日のブログで指摘したように、平成七年当時はゆえあって刊行を見送った。わたくしはそれを、分派独立との批判を回避するためだと睨んだ。逆に言うと、当時は先生もまだ宗門復帰に期待していたのだ。
ところが平成十一年には、もはや宗門復帰は不可能と判断したのだろう。そこで大きく方向転換した。御相承の断絶を言い出したのがその証拠である。

そうなれば、今度は誰に気兼ねすることもなく、顕正会独自の御書全集を発刊してもよさそうなものだが、そうはしなかった。この理由はわりと簡単なことだと思う。一念信解路線まっしぐらだからである。

もちろん人材不足もあるだろう。それは一念信解路線がもたらした後遺症でもあるのだろうが、今となっては御書を発刊する必要性もないのだろう。人もいなければ、やる気もない、それが今の顕正会ないし浅井先生の本音だと思う。

それでいて広宣流布の最終段階だとか言っている。これはどうかしているとしか思えない。本当に広宣流布を実現するつもりならば、もう一度、原点に戻るべきだろう。

 さあ、全顕正会員が立ち、まず本年、歓喜の中に一五〇万大法城の石垣を全員で積み、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

顕正新聞第1196号に載る一月度総幹部会の会長講演からである。アゲアシ取りのようであるが、ここにイチャモンをつけようと思う。まずは折伏理論書の第二章から正論を紹介する。

 家を建てるのに、傾いた土台の上に建てればすべてが傾く・・・

浅井先生は折伏の目標を掲げる時、特に大きな目標の時に顕著であるが、折伏の数を積み上げていくことを石垣を積み上げることに譬えるのだ。そして幹部たちも後輩に対して、今いる一人ひとりが一個の石垣を積んでいけば顕正会全体であっという間に○○名の折伏ができてしまうのだ、だからキミも頑張ろう、まずは一名でいいからやってみよう、というようにハッパを掛ける。

わたくしは思う。顕正会の土台が傾いているかどうかの議論は別の人に譲るが、次のことは確実に言えるだろう。顕正会が積んできた石垣は隙間だらけの状態であると。

積み木にしても、下のほうを抜いてしまえば崩壊を免れない。おそらく高度な遊びとしては、うまく工夫して積み上げて、後から下の積み木を抜いてしまうことだろう。それを実用化したものが石橋などである。しかし、顕正会の石垣は違う。不慮に石が欠落していくわけである。本来ならばガッチリと組み合わさって不動のはずの石が次から次へと消えていくのだ。そして現状は百四十数万個で構成されているはずの石垣が、なんとその十分の一以下しか残っていないのだ。これでは崩壊しないほうがおかしいだろう。

浅井先生の石垣の譬えは絶妙であり活動会員にとってはよき発奮材料になるけれども、顕正会の実情を鑑みるならば、いかにも皮肉な譬えである。

ところで、なぜ崩壊しないかであるが、それはそもそもが顕正会の五十万だとか百万、そして百五十万が幻想ないし虚構だからである。
仮に今の実働会員が五万人だとして、その五万人が次々と退転していく。最悪、一気に一万人くらい減るかもしれない。すると、まさに崩壊の危機である。そこでどうするかと言えば、直ちに一万人を補充するのだ。ようはそれを繰り返しているだけの話で、これを世間では自転車操業と呼ぶ。
わかりきったことだが、顕正会は一度たりとも五十万にも百万にもなっていない。これが真実である。

顕正会の石垣はある時期から一向に積み上がらなくなった。今はひたすら石垣の補修に専念するのみで、その補修が間に合わなくなった時がまさに崩壊の時である。

これでわたくしが原点に戻るべきと書いた意味もよくわかると思う。浅井先生がいちばんよくわかっているはずなのだ。この先、二百万だの三百万だのと、累積数では達成できたとしても中身がなければ意味がない。であれば、今さらのようだが、ゼロからスタートするのが本当だろう。それをせずして、百五十万の石垣を云々したところで虚しいだけだし、この状態で最終段階だとか直線コースだとか言うのは、無知な会員を欺いていることにもなるだろう。

この際、ちまちまと補修しているよりは、いっそのこと思いっきり崩壊させたほうが気持ちがいいのではないかと思う。

2011/2/19  0:26

投稿者:睦月
山門入り口さん

そうですね。顕正会の宗門復帰は、現実的にはまず無理でしょうね。ただ、顕正会の御書発刊は事実上の独立宣言ですから、やはり浅井会長としては将来的な可能性を残しておきたいという意図があったのかもしれません。まあ、かなり希望的観測ですがね。いずれにせよ、顕正会としては無理でも、浅井会長が我々のように一人の信徒として日蓮正宗に帰伏することは可能な訳ですから、最後の最後ぐらいは本心を見せてもらいたいものですね。
もっとも、全ては浅井会長が選択することですがね。ただし、浅井会長は一般の会員と違って、善くも悪くも宗史に名を遺される事になるのですから、くれぐれも選択を誤らないように願いたいものですね。

2011/2/18  22:08

投稿者:山門入り口
浅井会長が宗門との歩み寄りは、もうありません。
一度、蹴ってますし、宗門に復帰しても一講中の講頭て立場。
今見たく、お金の自由もきかなくなりますし、生活がかかってる会員も居るわけですし、昔の学会と同じ、宗教法人を持ったまま、外郭団体ではなく、内部団体として認めてもらえるなら、復帰するかも知れませんが、宗門はそれを認めないでしょう。
それに、血脈否定をしたじ点で、戻る気はなくなってるでしょうね。

>他宗攻撃しているようじゃ、時代遅れの見本ですね。

歴代会長を否定する発言であり、また、宗祖を否定する発言ですね。
ま、今が摂受の時代なら、他宗攻撃はなくても良いのでしょうが、その辺の解釈の違いでしょうかね・・・
と独り言なので、気にしないでください。

http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

2011/2/18  11:48

投稿者:睦月
私は顕正会がいまだに御書を発刊しないのは、浅井会長は今でも宗門への復帰をあきらめてないのではないかという気がしてならないのですよね。元々顕正会は、いずれは宗門へ復帰することが前提の組織だった訳ですからね。ただ言えるのは、浅井会長が本当にこのまま宗門との歩みよりをせずに、自身の最後を迎えるつもりならば、現在浅井会長が受けている批判から見ても、浅井会長は想像を絶するほど不本意な人物として歴史に名を遺すことになるでしょう。

2011/2/18  7:26

投稿者:沖浦克治
皆様方おはようございます

 他宗攻撃しているようじゃ、時代遅れの見本ですね。
 富士ボーで、阿部日さんが、日蓮正宗攻撃して泥仕合やってるでしょう。
 それで広宣流布できませんね。
 世間の評判落とすだけです。
 人間革命にあります。

 『世間とは、社会であり、社会の泥沼のなかで戦うのでなければ、衆生の苦悩の闇を晴らすことは、不可能なのであります。
 日蓮大聖人が、当時、日本の政治などの中心地であった鎌倉で、弘教活動を展開されたのも、世間に行じて。との、経文通りの御振る舞いであります。
 ゆえに、世間へ、社会のなかへ、仏法を展開していかなければ、大聖人の実践、そして、目的観とは、逆になってしまうことを恐れるのであります。』

 ネットと言う限定された場所で、いくら法義を叫んでも、叫ぶ人が世間で自らの叫びを行動として示さねば、全くの虚偽です。
 無意味な言論のための言論ですよ。
 そう言うネットにどう言う値打ちもございません。
 他宗の悪口雑言言って、世間様がご評価なさいますか?
 無理です。

 先生が以前、高等部と記念撮影されたとき、1人の女子高等部員が遅れて来ました。
 泣きじゃくるその子に先生は一言声をかけられ、

 さあ行こう。

 と、きびすを返されたのです。
 評論家の草柳さんが同行されていて、

 いくらなんでもあれはひどいと思います。

 と、抗議されました。
 先生は、

 『汗と涙のあの子を見ていると、私が泣きそうでした。
 私が無くと会場の全員が泣きます。
 すると、マスコミは創価学会はエモーショナルな宗教だと書きます。
 事実は違いますが、必ずそう書くのです。
 世間とはそう言うものなのです。
 だから、私は我慢したんです。
 私が一番辛かったのですよ。』(趣意)

 その後先生は、日蓮は泣かねども涙ひまなし。と御書にあると言われました。

 そう言う、配慮が凄く大事です。
 他宗を貶して自分の溜飲を下げて満足する。
 大聖人門下ではありません。


2011/2/18  0:33

投稿者:ありの金吾
ここ最近、ヨシさんは私のブログにて屁理屈と揚げ足取りを並べています。
私のブログはそんなに居心地がいいのでしょうか?

http://plaza.rakuten.co.jp/arinokingo/

2011/2/17  18:33

投稿者:水無月
>しかし、昨日のブログで指摘したように、平成七年当時はゆえあって刊行を見送った。わたくしはそれを、分派独立との批判を回避するためだと睨んだ。逆に言うと、当時は先生もまだ宗門復帰に期待していたのだ。

といいますが、その平成7年当時、顕正会は水面下で法人格取得の準備を進めておりました.
宗門復帰を期待していたのなら、別に法人格など取得する必要もなかったと思いますが、まさか宗創和合の姿(学会が法人格を取得し、宗門を外護する、との戸田第二代会長の方針)をマネでもしようと考えましたか。
そもそも「宗教法人顕正寺 顕正新聞社」として法人格を取得していたはずですし、当時は「顕正寺」も厳然と存在していたはずですが、これを「宗教法人顕正会」と変えてしまって、「顕正寺」という文字を消してしまわねばならなかった理由があったのでしょうか。
そう考えると、浅井会長は法人格の取得を準備し始めた段階で宗門を見限って、学会同様の「在家教団」を目指そうとしていたのだと見るのが妥当かと。
学会が宗門と決別しても大してダメージも受けずに、宗門批判をしながら内部を引き締めて独立路線を歩んでいるのを羨ましく思ったのでしょう。
御書が出せなかったのは単なる人材不足ですよ。
数名しか名前が出せない「教学室」では何十年やってもとても追いつかないことがわかったからでしょうね。
浅井会長こそ御書を持っているのですから、ご自分で校正をして「顕正会版」として発刊すればいいんですよ。

ところでヨシさんは遁走?

2011/2/17  13:18

投稿者:大沢克日子
巌虎様、以前はお騒がせし大変失礼しました

以降は一回一コメントのみと致します。
お騒がせすることもなくなるかと思います。

「石垣の補修が間に合わなくなった時=顕正
会の崩壊」はまさにその通りで、今徐々にそ
うなりつつあるように感じます。

「原点回帰」とされていますが、巌虎様お考
えの「原点」とは何でしょうか?
また、「回帰」の方法は?

過去のブログに既に掲載されていたら申し訳
ありません。
本ブログの核心かもしれませんし、簡単に論
じ切る課題ではないかもしれませんが…。

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