2011/2/25

春の感触  
山門手前氏はよほど自信があるのだろう。もしくは拙ブログを潰す目的で、わざと過激な発言を繰り返しているのかもしれない。いずれにしても他人を無闇に精神病呼ばわりするのはよくないことであり、ましてや医者でもない人がそのようなことを言うのは誹謗中傷に類することなので、その辺を配慮願いたいと申し上げるのみである。

一方、大沢氏のコメントは常識的である。

はらのけはさゑもん殿の御薬になをりて候。

大聖人は下痢を患っておられたが、さゑもん殿からもらった薬を飲んで治ったという。大聖人は末法の御本仏である。御本仏と聞けば、人によっては超人的なイメージを懐くかもしれない。しかし、さにあらず、というのが結論である。

鎌倉時代にも医療が存在した。大聖人自らが医療行為を受けていた。いわんや現代においてをやだろう。

信心をしているから、唱題していれば何でも叶うし、どんな病気も治る(だから医者に行く必要はない)という風潮があります。

ゆえに、これが事実であれば、大聖人の仏法がわかっていないことになるだろう。ゆゆしき風潮である。

これらの風潮は、先輩にうかがうとどうも戦後、創価学会の大躍進とともに発生してきた風潮のようです。

顕正会の事例を含めて考えると、どうやら熱心な人がこうした風潮を生むものらしい。ようは信心に対する確信が強ければ強いほど、前掲のような傾向になってしまうものなのだろう。大げさに言えば、狂信ということにもなると思う。すでに結論は述べたが、大聖人自らが医療行為を受けていた以上、これを否定するわけにはいかない。むしろ、信心しているから大丈夫だという発想は、逆に信心がわかっていないことにもなりかねないのだ。

毎日毎日、国道1号(信号のないところ)を御数珠をかけて御題目を唱えて横断する学会員がいたそうで、近所の人も含めて「そんな危ないことはやめなさい」と忠告したのですが、「私は題目を唱えているから大丈夫」といって聞かなかったそうです。

破門以前の話というのが悩ましい。これをわたくしが言うのは顰蹙かもしれないが、現今の法華講員の中にも信心がわかっていない人がたくさんいるかもしれない、ということだと思う。

上掲を読んで思い出したことがある。

新・創価学会を斬る

こういう本が存在するのだ。たまたま今、わたくしの手元にあるけれども、当該書籍には上掲のような事例がたくさん出てくるのだ。これは法華講員とて決して喜べないことだ。なぜならば上述のごとく、熱心な人が増えれば増えるほど同様の事例が増えていく可能性があるからだ。とりわけ、自分たちは正しい信心をしているから大丈夫だ、と考えるのは大間違いだろう。何しろ「新・創価学会を斬る」もまた、破門以前の事例ばかりだからだ。

ところで最初の精神病の話であるが、御書には病について書かれたものがある。たとえば治病大小権実違目などには、病には身の病と心の病があると説かれている。しかし、ここでの心の病はいわゆる精神病のことではない。御書によれば、心の病は三毒ないし八万四千の病のことである。おそらく究極のところは謗法こそが心の病の最たるものなのだろう。ゆえに法華講員の立場で言えば、顕正会員は心の病に侵されていることになるのかもしれない。

さて、ここで考えたいのは譬喩としての精神病である。

又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して・・・

種々御振舞御書の一節である。そして次は拙ブログの初期の文章である。

※頭破(ずは)・・・頭破七分ないし頭破作七分。顕正会では「あいつは完全に頭破しちゃってるよ」みたいな使い方をする。頭が狂っている、くらいの意味。

いわば顕正会用語であるが、実質的には山門手前氏の使う「精神病」と大差がないと思う。また、樋田氏の動画を見ていると、創価学会員には精神病が多い、という意味の発言がしばしば出てくる。樋田氏の場合は精神病だけでなく他にもいろいろな病気を挙げているわけだが、わたくしの感ずるところを言えば、どうも正宗系の発想は法華経ないし大聖人の仰せに頭破七分ないし心の病という言葉が出てくるので、そこから短絡的に精神病を結び付けているのではないかという気がするのである。はたして厳密な統計があるのかどうか、そこが疑わしいところだと思う。

繰り返しますが「完全」に異常があります。

医師免許所有者の元顕正会員も同一見解です。

山門手前氏は浅井先生を精神病であると断定している。それは譬喩としてではなく、医学的に精神病だと言いたいのだ。

氏は何がなんでもゴリ押しするつもりらしいが、さすがに「完全」は言い過ぎだろう。まあ、そうは言っても、氏のことだから撤回することはないだろう。いつまでも言い張るに違いない。

結論として、精神病か否かの専門的見解は精神科医であっても意見の分かれることがよくあることなので、いくら医師免許所有者の元顕正会員の威を借りたところで、決定打とはならないだろう。では、譬喩としてならば成立するかどうかであるが、これは微妙なところだ。おそらく宗教的信念としてはそれが正当であっても、社会的な意味では名誉毀損の咎めを免れないだろう。

2011/2/28  0:01

投稿者:大沢克日子
のび太さん、その程度のコメントであなたの
心が癒されるのなら、どうぞお好きにコメン
トなさってください。

それこそ本当の自慰行為…なんて、私も一言
多いですね。

2011/2/27  22:15

投稿者:のび太
大沢さまへ

2回3回と言を翻してのコメント素敵です。

以下引用
>のび太さん、「推量」、「中傷」そうでしょ
うか?
創価学会ではそう指導していないでしょう。
公式にそんな指導をする団体だったら有無を
言わさず潰した方が世のためでしょう。

ですが私のみならず、創価学会に(善悪とも
に)関心を持ってきた人、身の回りに実際に
学会員と接してきた人には、学会員の姿を通
してそういう姿を見聞きする事例があった訳
です。
(宗外に少なからず認識される程度にそうい
う事例があったということです)
だからこそ、私は「そういう風潮」と表現し
たのです。
(引用終わり)

大沢さん、上記であなたが認めているように創価学会の公式見解ではありませんね。
次に反対派、若しくは元学会員のお話ということですね。
これをあなたは、風潮と表現なさったわけです。
この程度の根拠では客観的議論は無理だということです。そうなると噂話に対して反証しても意味がないということです。平たく言えばあなたの自慰行為に付き合っている時間はないということです。

2011/2/27  13:59

投稿者:大沢克日子
元会員様

お陰様で改めて御講義の内容を拝読すること
ができました。
ありがとうございました。

御講義においては、「病の六種の原因」のそ
れぞれについて詳しく説明されていますが、
長文になるので引用しておりません。

顕正会の幹部は、決してふざけてそのような
指導をしたのではないでしょうが、それでも
病気を全てその二つの理由にされたらたまら
ないですよね。

2011/2/27  10:21

投稿者:元会員
大沢克日子様

ご丁寧な解説ありがとうございました。
私はその御書のことは存じ上げませんでした。。

・・・会員の多くがそういう言動をしているかは
私の立場からでは、はっきりと断言できませんが
今はある程度大丈夫だと思ってます。

数年前、男子部の方針が変更され以前ほど厳しくなく
そういう嫌味をいう人は少なくなっていると信じています。。
(皆が御書を知っているかは微妙ですが。。)

2011/2/27  3:04

投稿者:大沢克日子
追記:御法主上人御講義の引用部分について
、一部不明瞭になっておりますので明示致し
ます。
大変申し訳ないございません。
また、度々のコメントをお詫びします。

御講義引用部分は下記の三節です。

■最初のコメント
@「余談になりますが、病気の起こる原因は
」から「六つの原因を挙げられているのです
。」まで。
A「もちろん色々な病がありますから」から
、最後の「お医者にかかっていいのです。」
まで。

■二つ目のコメント:
B冒頭の「しかし、一番最後の」から、「し
っかりと診てもらうことが大切なのでありま
す。(同御講義より引用)」まで。

大変失礼しました。

2011/2/27  2:42

投稿者:大沢克日子
しかし、特に一番最後の「業病」、それから
難病中の難病でありますけれども「魔の所為
」といったものに対しては、医術をもって治
すべきものはしっかり治すけれども、なかに
は唱題でしか治らないものもあるのです。や
はり病は全部にわたって、しっかり題目を唱
えていくことが一番良いのです。
ここで注意していただきたいのですが、「お
題目を唱えていれば薬なんていらないのだ」
などというのは間違った考えです。大聖人様
もお腹下しの時には四条金吾殿が作られたお
薬をお飲みになっていらっしゃったのですか
ら、きちんと受けるものは受けて、いわゆる
風邪薬でもなんでも飲まなければなりません
。また、良い医者に出会うということも諸天
善神の加護であり、お題目を唱えていくと、
世界一というようなすばらしいお医者さんと
出会うことがあるのです。それによって、し
っかりと診てもらうことが大切なのでありま
す。
(同御講義より引用)

「全て魔と宿業」というのは間違いです。
ここで最初に引用した創価学会の事例(お題
目を唱えて大丈夫と言って国道を渡ったらは
ねられた事例/頭から血を噴き出しているの
に治療を受けようとしない事例)についても
う少し考えてみます。
この方々は熱心さのあまり、身の回りに信仰
の功徳を示して、その功徳により法を弘めよ
うという思いでそうしたのだと思います。
二つの例は極端な例ですが、一般にまで知ら
れた様々な事例(風潮)も、裏返して言えば
創価学会が当時、世間に知られる程熱心に活
動していた一つの証明だと思います。

仮に顕正会員の多くがそのような言動をして
も、一般に知られることはないと思います。

そういう風潮は仏法上間違いですが、一般に
浸透するほど活動していた学会は、功罪二面
ありますが、それはそれで凄いことだと思い
ます。

余談ですが昨夜、ユーチューブを観ていまし
たら、ワールドビジネスサテライトの特集「
創価学会vs大石寺の対立」がアップされてお
り、初めて目にしました。
最後の団体登山の様子と、御宗門と学会の双
方のコメントを交えた特集です。
約二十年前のニュースですが、よくこういう
特集を組んだなあと感心して観ていました。
今でしたら学会のクレームを恐れて、そうい
う特集は作らないでしょうね。

2011/2/27  2:12

投稿者:大沢克日子
元会員様、おはようございます。
(すみません、結局コメントしてしまってい
ますが)
病は全て「魔」か「業」ではありません。
御法主日如上人は昨年の法華講夏期講習会に
おいて、病の起こる原因について御書をひか
れ、下記のように御指南遊ばされております


余談になりますが、病気の起こる原因には六
つあると言われております。これについて大
聖人様は『太田入道殿御返事』のなかで、天
台大師の説かれた『摩訶止観』を引かれてお
っしゃっております。すなわち
「病の起こる因縁を明かすに六有り。一は四
大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる
故に病む、三には座禅調はざる故に病む、四
には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には
業の起こるが故に病む」(御書911ページ)
と、六つの原因を挙げられているのです。
(平成二十二年度第七回法華講夏期講習会第
三期「信行要文B」)

この後、六つの原因の内容につき私たちに判
り易いように御指南遊ばされていますが、顕
正会幹部の言う「病は全て魔と宿業」ではな
い事は明らかです。

もちろん色々な病がありますから、一概に莫
迦にしたような考え方はいけません。慎重に
治療しなければなりませんし、特に先程言っ
た六つの病のなかでも、お医者さんで治る病
は、やはり病院に行って治さなければならな
いのです。これは御書のなかにもきちんとあ
るのです。ですから、初めのほうで申し上げ
た「四大順ならざる故に病む」のように、寒
い時に薄着して風邪を引いてしまったら、や
はりお医者に行って薬をもらうことは当たり
前です。それから「飲食節せざる故に病む」
、暴飲暴食してしまったときにも病院に行っ
て薬をもらうのは当然だし、「座禅整はざる
故に病む」というとき、要するに生活のリズ
ムを崩してしまったようなとき、徹夜が続い
たというようなときには、お医者にかかって
いいのです。

2011/2/26  23:27

投稿者:元会員
かつて私が所属した組織では病気は全て魔か宿業といっていました。

集会や折伏など肝心な時に突発的に病気にかかるのは魔で
それで大事なご奉公ができないのは信心がたるんでいるという意味の指導があります


もちろん幹部は嫌味で言うのではなく
「病気は仕方がないから気を落とさずにできることをしていこう!」という気持ちからの指
導でしたが
集会で結集が落ちたときは、「魔に負けたね」という言われ方もします。。
# 今の時代は流石にないのかなぁ。。

2011/2/26  19:16

投稿者:大沢克日子
度々のコメントですみません。
手短に致します。

のび太さん、「推量」、「中傷」そうでしょ
うか?
創価学会ではそう指導していないでしょう。
公式にそんな指導をする団体だったら有無を
言わさず潰した方が世のためでしょう。

ですが私のみならず、創価学会に(善悪とも
に)関心を持ってきた人、身の回りに実際に
学会員と接してきた人には、学会員の姿を通
してそういう姿を見聞きする事例があった訳
です。
(宗外に少なからず認識される程度にそうい
う事例があったということです)
だからこそ、私は「そういう風潮」と表現し
たのです。

私は本件を通じて非難するつもりはありませ
ん。
そういう風潮は間違いであるということと、
あわせて創価学会は日蓮正宗にとって、功罪
あわせて大きな影響のあった団体であると感
じております。

顕正会も同様に、公式には指導された訳では
ないが、会員に広まっている「誤った風潮」
というのがあるのではないでしょうか?

今回の学会の件と同様、それを指摘しても無
根拠の推量にも中傷にも該当しませんが、顕
正会員はのび太さんや沖浦さんみたいに「誹
謗中傷」と感じると思います。

正誤でいえば誤っていますが、人間の心理と
しては理解できます。
ですから、一々非難するつもりはありません

(長くなってしまい失礼しました)

2011/2/26  17:10

投稿者:のび太

お元気さまです。

相変わらず大沢様の推量の域から発せられる発言の数々にはがっかりします。

病もふくめて生老病死は人間の根源的な苦悩であります。今日の聖教新聞の三面に次のような指導が掲載されていました。

生老病死という四苦は、避けることのできない理(ことわり)であるが、仏法では、「現世安穏、後生善処」と説いていることに言及した。
「人は、老いも、病気も、死も避けることはできない。では、だから、不幸になるのかというと、決してそうではありません。
病や老いなどの苦悩はあっても、それに打ちのめされない、負けない心、強い心、広い心、豊かな心を培っていけばいいんです。それができるのが、信心なんです。
(抜粋)

これが創価学会の姿勢です。
『信心が足りないから病気になる』いまどきこんなこと
言ってる教団あるんですか?
人は悪意に満ちた中傷に同化するといいますが、お互いに気を付けたいものです。

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