2011/7/10

組織の疲弊を感じさせる記事  
沖浦氏のコメントを読んでいて腑に落ちないところがあった。一々を取り上げていたらキリがないのでやめておくが、おそらくは次の部分が最大のポイントであろう。

 『私は、皆に、わけへだてなく、いっさいの法を説いてきた。まことの仏陀の教えというのは、奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておくようなことはないのだ』

釈迦が言っているのだそうだ。なんと沖浦氏はこれを根拠に唯授一人を否定したいらしい。これはビックリだ。

釈迦が言っているのはけっこうであるが、肝心の大聖人がどのように言っているかのほうが重要であろう。
より厳密に言えば、釈迦がどの場面で言っているのか、そこが問われるわけである。法華経の言葉なのか、爾前経なのか、それだけでも意味が違ってくる。ゆえに単に釈迦が言っているというだけでは文証として甚だ甘いのだ。
ましてや大聖人がまったく用いられない経文を引っ張り出してきたところで、いったいどれほどの価値があるのか、そこがひじょうにアヤシイところである。

以上、今回の引用は沖浦氏らしからぬ失敗だと思う。

五回連続
  ストライク!


さて、上掲は顕正新聞第1210号の記事であるが、男子部組長の体験発表である。職場のボーリング大会で五回連続ストライクを取ったそうだ。それがどうした、と言いたいところだが、昨年十月の入信というから、まあ、無理もないところか・・・

わたくしの思うに、いわゆる世間的な成功体験を至上とする功徳論には問題がある。
いや、もちろん、沖浦氏のように実証体験を示すことが折伏につながるという意味で奮闘努力することに水を差すつもりはないのだが、しかし、もしそれを至上とするのならば教団はあらゆる分野に人材を送りそこで一位を獲得することを目指すことになるだろう。高校野球では宗教団体の名前を冠する学校が活躍していたりするが、まさにそれが上述のことを意味するわけである。
確かにそれが教団にとって一定の宣伝効果をもたらすことは事実であろう。しかし、それはあくまで一定程度であり、絶大の宣伝効果があるとは思えない。ましてや現実問題として、創価学会は人数が多いので社会のあらゆる分野に会員がいるけれども、必ずしもそれぞれの分野で一位を獲得しているわけではない。日蓮正宗であっても同様であるし、顕正会も同じである。
ちなみに、わたくしはかつて一度だけボーリング大会に出場したことがある。結果は最下位だった。何人くらいの大会だったろうか、三十人はいたと思う。少人数で遊んでいてビリというのは珍しくもないが、大勢の中でビリというのは滅多に経験できることではない。

さて、わたくしの自慢話(?)はほどほどにして、もう一つ体験発表を紹介しよう。

入信以来一年、確実に心が変わってきた!

この記事には疑問を感じた。いわゆる平会員であり、男性婦人部員である。婦人部の愛知支区集会での発表のごとくであるが、前掲の記事と比べると不審な点がいくつもある。

前掲の発表者は昨年十月入信であり、先ほどは書き忘れたが婦人部に所属する叔母の縁で入信したわけである。一方、こちらの男性は昨年七月入信で、婦人部の班長さんから折伏されて入信している。つまり、片や一年未満で組長、片や一年にならんとするのにもかかわらず平会員のままであること、しかもまだ婦人部のままなのだ。

しかし、単にそれだけの話ならば、わたくしは取り上げなかっただろう。不審な点は発表の中身にある。

前掲の記事にはボーリング大会の話もあれば、父親を云々するくだりもある。ボーリング大会は職場関係の話であり、父親云々は申すまでもなく家族の話である。ところがどうしたわけか、今度の体験発表には仕事であるとか家族であるとか、そうした話がまったく出てこないのだ。
体験発表には大きく分けて三つのパターンがある。病気克服・家庭問題の解決・職場での実証。
ところがくだんの体験発表はいずれのパターンにも当てはまらない。もちろん、パターン化して考える必要はないわけだが、ともかく体験発表らしからぬ発表、強いて言えば活動報告に近い内容に思えるのである。

恣意的と言われると困るので、いちおう体験発表らしいくだりも紹介しておこう。

毎晩のように飲み歩く生活を一〇年ほど続けていた・・・

ともかく新聞をお持ちの人は確認されるとよい。繰り返しになるが、上掲のあたりを除けば全体としては活動報告に近いと思う。さりとて婦人部所属の男性平会員が活動報告をするのもヘンな感じが否めない。たぶんそこで体験発表の扱いになったのだろう。

こうした実態をどのように見るかが問題だ。

ようするに、新しい人材が次から次に出てきていると捉えるか、それとも人材がいないので平会員だろうが何だろうが構わず使っていると捉えるか、わたくしにはどうも後者のように思えて仕方がないのである。

2011/7/12  7:50

投稿者:沖浦克治
 信行さん、おはようございます

 貴方駄目ですね〜〜〜。
 ここまで酷いとよくないですよ。

>蓮祖は秋収冬蔵と仰せである。
それが分からぬウツケが得意満面に掲げる部分であろう。

 これはね、怨嫉謗法と言って駄目なんです。 
 大聖人が仰せです。
 御書学びましょうね。
 冬収秋蔵は無関係ですから、こじつけはいりません。
 
>権大の稚論である。
権大に過ぎぬのである。

 日蓮正宗教学と言うものは、仏法ではありません。
 権大とか、小乗とか言う以前の問題です。
 法主に血脈があるとか、戒壇本尊本懐などと言う教義は、外道なんです。
 ですので、貴方方に他宗を権経だ実経だなどと、批判することは無理です。
 レベルにありません。
 そう言う事実を最初に認識しましょうね。

>我は実大法華の肝心本門寿量文底秘沈事一念三千を信じ修行している石山信者であるから、

 そう言うものを修行している日蓮正宗の人間はいません。
 修行していると思い込んでいるだけです。
 この点もキチンと認識が必要ですね。

>この説はとらぬ。
当然至極であり、論を待たない。
ゆえに我が宗派は日蓮正宗なのである。

 これは貴方のご自由です。
 思い込みで信じようが捨てようが、お好きにどうぞ。
 私は関知いたしません。

2011/7/12  7:40

投稿者:沖浦克治
 大東さん、おはようございます

 そうですよ、池田先生は普通のお方です。
 大聖人も普通のお方です。 
 普通のお方だからこそ、普通の私共が納得して信じることが可能です。
 仏法とはそう言う宗教なんです。
 ところが、日蓮正宗と言う宗派は、この普通の考えが通用しません。 
 だから駄目なんです。

2011/7/11  23:59

投稿者:信行
巌虎殿
握り拳云々については、法華経において一念三千を説いたことを指すのである。
蓮祖は秋収冬蔵と仰せである。
それが分からぬウツケが得意満面に掲げる部分であろう。
主に実大を妬む権大の輩が得意とするものである。
権大の稚論である。
権大に過ぎぬのである。
我は実大法華の肝心本門寿量文底秘沈事一念三千を信じ修行している石山信者であるから、この説はとらぬ。
当然至極であり、論を待たない。
ゆえに我が宗派は日蓮正宗なのである。
仏の極説は正宗といふのだ。

2011/7/11  23:32

投稿者:おおひがし
そういえば結婚式は教会で挙げましたが妻がドレスで着飾る式以外の何物でもなかったように感じます。
これはやはり無宗教と言うより無知かもしれないですね。
今日は良い勉強になりました、無宗教とは何ぞや?
神社仏閣など行きませんし、そもそもお賽銭も無駄と思っているので子供の頃にアイスの棒を入れた等の記憶以外はあまりないですね。
手を合わす行為自体が宗教的ならやらない事にしましょう。

沖浦さん。
池田先生が「創価だけ助かればいいのか」のくだりですが・・・普通の感覚から言えば人格者なら凄くも何ともないです。普通です。
人の不幸を尻目に我々の仲間は助かった、犠牲者に日本人はいませんでした状態のバカがリーダーなら信者からタコ殴りですよw

ちなみに
犠牲者に日本人はいませんでしたというくだりは
問い合わせが殺到すると色々と支障をきたすので、混乱を助長しないように問い合わせをするなという意味合いもあるそうです。

ところで話を戻しますが、巌虎さんのスコアの件を誰も突っ込まないのはなぜですか?

2011/7/11  22:27

投稿者:大沢克日子
信行さんの挙げられた過去の事例は全くその
通りです。
万万が一にも、宗教が否定される事態になっ
たら、過去の事例を思い起こしながら、御法
主上人(御宗門)の御指南を体し、いたずら
に悪法の網に掛かることのないように充分用
心して正法を持つべきでしょう。

ですがいつの時代にも、蛮勇にかられわざわ
ざ横難を招いて、それが正義顕揚であると勘
違いする人もいるようですから、注意しなけ
ればならないですよね。
(私も気をつけなくては。)

2011/7/11  22:22

投稿者:信行
無宗教といえば論議は面白いのだろうが、それは今日の社会では無理なのである。
人と人が関わり合うところには必ず宗教がある。
私は如何なる神仏も信ぜぬという人がおる。この人の友人知人に不祝儀があればどうなるのか。
宗教儀式に参列して神仏に礼拝の礼をとることになる。
これは付き合いであって信仰ではないというであろう。
しかし、合掌とは南無、南無とは帰命、平たく言えばその合掌した相手たる本尊神仏に対して信伏随従を誓う行為が合掌なのである。
我は貴殿には従わぬといいつつ土下座をしたなら、誰がみても従う行為であろう。
殺意がないと主張したところで、刃を心の臓に突き刺せば殺人である。
まったく同じである。
冠婚葬祭以外にもいかようにも類似例はある。
それは無宗教ではなく、宗教に無知なだけである。

2011/7/11  22:17

投稿者:大沢克日子
おおひがしさん

追記させていただきます。

>「ルールで決められてしまえば悪法でもそ
ちらが優先」

これはその通りで、私たちは納得いかない法
律であっても守らなくてはなりません。

しかし、
「(宗教が)法律で禁止された場合は悪では
なくおせっかいな善」
という点については、少なくとも私たちの住
む日本においては「悪」です。

日本国憲法で保証される不可侵の権利(精神
的自由)を侵害する法律であるため、宗教的
観点を離れ、それ自体が「悪」となり否定さ
れます。

とはいえ、もし万万が一にもそのような法律
が作られるとすれば、日本の国家自体が転覆
するような異常事態における他はなく、政治
、思想を含めあらゆる自由が制限される状態
であるはずです。

しかしそのような事態であっても、私たち日
蓮大聖人の仏法を信じる者のとるべき手段は
あくまで「言葉」です。

私たちが実力行使するのはあくまで正当防衛
の範囲内(急迫不正の侵害に対する行為)の
みですので、自爆テロをするような宗教と一
緒にするのは誤った見方だと思います。

2011/7/11  22:16

投稿者:信行
かつて倭国にも宗教禁制はあった。
いくつか例をあげれば専修念仏禁止がその一つであろう。延暦寺の訴えが御門を動かし、念仏門徒からみればいわゆる弾圧、法難であった。
しかし、彼らはその目を掻い潜りつつも、集会を開き、あるいは皇室に近い人間を出家させるなどした。
これによって死罪にも行われているのであるが、これは法を破ったためである。
我が宗派においては、他宗派門徒による嘘の訴えによる弾圧が数多く歴史として残っている。
宗祖の御時もこれによって幾度も法難が起きているのであり、その最大は四ヶ度の大難とも熱原の法難ともいえるであろう。
蓮祖滅後もしかり、たとえば藩内に寺院がないことを切支丹と訴えられるなどして、全くデタラメの弾圧が行われた例もある。
この様な時には、あくまでも対外的な活動を自粛し、御本尊を納戸や壁の隙間にお匿いして免れてきた。
法を破ったのではないが、悪法の網に懸らぬ様に自粛をするのが当然である。
また、現在の中国においては、地域によって相当の隔たりがある。
たとえば香港などはその歴史から欧米文化が根付いており、いかなる宗教も妨げられていないが、大陸にすすめば対外布教禁止の地域もあり、政府公認であれば対外布教の許される地域もある。
その時々、その法に従うのは当然である。
その程度は分からぬが、もしも法律で宗教を禁止となったのであれば、その法に従うことであろう。
ただし、心を法律で縛ることは不可能であるからして、心の中に仏を信じ、ひたすら題目を唱え続ける信仰は禁止できないのである。

2011/7/11  21:54

投稿者:沖浦克治
 私が19歳のころ、神戸の大倉山と言う所で大火がありました。

 戦後のどさくさで建てられた不法建築のバラックの密集地帯です。
 ほとんどが丸焼けで、私は焼け跡をおにぎりを持って走り回り、拠点に帰りました。
 丁度その時、幹部が池田先生に電話中で、

 先生、創価学会員の家が奇跡的に延焼を免れました!

 その幹部は嬉々として報告中です。

 その時先生が言われたのです。

 『君は創価学会員さえ助かればいいのか!
 それでも君は私の弟子か!』(趣意)

 凄い人についた。

 実感いたしました。
 決して忘れない仏法者のあり方です。

2011/7/11  21:53

投稿者:沖浦克治
 大東さん

 無宗教よりたちの悪い宗派の見本です。
 最低ですよ、この人たち。

  宣行寺支部 山田多美子さんの、体験発表から抜粋引用
 (埼玉地方部総会より)

 この震災で私の知人であった多くの創価学会員、念仏宗の方が犠牲になりました。ある方は地震後、津波警報を聞き両親を車に乗せ、逃げる途中で家族全員濁流に巻き込まれ、数日後に全員の遺体が見つかったそうです。またある方は、地震後すぐに車で逃げたのですが渋滞に遭い、そのまま波にさらわれて、二週間後に百キロ先で遺体が見つかったそうです。彼女は日蓮正宗のお寺に来寺したものの、御授戒を受けることができず入信できませんでした。また、ある方は自動車教習所の教官をしており、地震直後に五台のバスで生徒全員を乗せて逃げましたが、結局全員が亡くなったそうです。

 謗法(※誹謗正法のこと)がなぜだめなのか、今までは知識の中でただ漠然と捉えているだけでした。しかし、自宅に御本尊様を御安置できているか否かで家の被害の明暗が分かれ、また、御授戒を受けるか否かで生死の明暗がはっきりした事実を、私は目の当たりにしました。流されてもおかしくない場所の家が残っていて、安全と思われる家が飲み込まれていたからです。


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