2011/7/13

今年も猛暑か?  
大沢氏は御書に詳しい。伝教大師聖人か賢人かについて、聖人とすべきだが賢人としてもあながち間違いではない、というのが氏の見解である。まあ、わたくし自身も前回、アゲアシ取りに近い・・・瑣末な問題と書いたわけで、大きな意味ではどちらも同じ方向性であるから目くじらを立てるほどのことではないのだろう。ただ、御書の解釈はこうした小さなことの積み重ねによって、場合によってはとんでもない曲解が生じることもあり得るので、いちおう気がついた点は指摘しておくこともムダではないだろうと思う。

所詮、出家は在家に絶対に及びません

さて、今度は沖浦氏のコメントである。いろいろ書いておられるが、一行だけ挙げさせてもらった。この部分はまさに氏の持論なのだろう。今まで何度も目にしている文章だ。

しかし、わたくしには理解できない。もし客観的ないし公平な視点で物を言うのであれば、出家と在家に差別はない、平等である、と主張するほうがよさそうである。早い話が、沖浦氏の主張は逆のバイアスが掛かっているのではないか、宗門・法華講が出家の優位を云々することに対抗意識を燃やしているのではないか、と思われるのである。つまり、わたくしの目線で言わせてもらうと、対抗意識むき出しの姿がコッケイというか、それがある意味では沖浦氏らしくないとも感じられるところなのである。生意気を言うようであるが、氏はその程度の人間ではないだろう。さらなる飛躍が期待されるところである。

さて、原発関連で気になったことを書いておこう。次は総幹部会での会長講演の一節である。

 若狭湾沿岸には、全国で最も多い十五基の原発が並び「原発銀座」などと言われているが・・・

同じ地域に十五基も林立しているとは驚きだ。ところが女子部の総班副長は次のごとく発表している。

狭い日本列島に林立する五十四基の原発のうち、十三基がひしめく福井県は最も危険な県である・・・

数字が違っているのだ。これはどういうことだろうか?

たぶん、「ふげん」と「もんじゅ」を含めるかどうかで数字が違ってくるのだと思うが、この辺はちゃんと説明するか、もしくはどちらかに統一して発表するべきだろう。いずれにしても福井で福島のような事故が起これば、日本もほぼオシマイである。それがわかっていて、なおも原発を続けようとする人がいるのは何とも不思議なことである。毒気深入とはこれを言うのだろう。

40年間 布団の中で唱題していた同志が
 巨大地震を機に翻然と地涌の魂に


今回の総幹部会の中で最も注目した記事がこれである。婦人部総班副長による活動報告だ。

ようするに、四十年間布団の中で勤行をしていた人が巨大地震をキッカケに堂々と信心をするようになった、という話である。なぜに布団の中で勤行していたのか、それは家族に内緒にしていたからである。わたくしが驚くのは、そんな状態で四十年間もよく信心を続けることができたということである。しかもである。発表者はこの本人と四十年ぶりに再会を遂げたのだそうだ。つまり、この四十年間は電話や手紙で連絡を取るだけの関係だったのだ。

ここから何かが見えてくるのではないか。わたくしの思うに、顕正会の潜在的会員数である。

顕正会は定着率が悪いと言われている。事実そのとおりなのだろう。しかし、上掲のような隠れ顕正会員的な存在も見過ごせない。現在の名目会員数は百四十数万であるが、実数は十万に満たない、これが衆目の一致するところである。しかし、そこにわたくしは潜在的会員数という新たなカテゴリを設けるべきかもしれないという気がするのだ。ともかく四十年間は並大抵のことではない。このようなケースの人がたくさんいるとは思えないが、そうは言っても潜在的なものである。ようは見えないからこそ侮れないのだ。

入信46年、地涌の菩薩の魂にめざめる

これはすぐ隣に掲載されている記事だが、まさに上述のことを裏付けるかのごとくだ。

発表者は婦人部の組長である。つまり、あまり活躍している人ではない。実際、記事を読むとわかるが、単に入信が古いだけで自覚を持って活動に励んでいた時期はほとんどないに等しいようだ。しかし、今こうして総幹部会の壇上で発表しているのである。

わたくしは前々回、組織の疲弊を感じさせる記事、と題して書いたわけだが、今回はいわば逆の視点で書いたわけである。どちらが本当であるかはとりあえず保留にしておこうと思う。

大石寺付近で樒を販売している売店では、多数の登山者相手に、御宝前に供える樒が早く傷むようにと、わざと根っこを熱湯に浸けて販売

これは一つ前の新聞であるが、気になったので取り上げることにした。よくわからん話だ。なぜならば、これは創価学会員が登山していた時代の話であり、ともかく毎日たくさんの人たちが大石寺に来ていたのだ。つまり、そんなセコイことをする必要など、まったくなかったはずなのだ。そもそも根っこを熱湯に浸けるとどうなるか、そこがよくわからんところである。もし売れる前に見る見るうちに傷んでしまったら元も子もないだろう。また逆に、買ってすぐに傷んでしまえば、あの店の樒は持ちが悪いということで、かえって評判を落とすことになる。つまり、そんなバカなことをするわけがない、というのがわたくしの結論である。

なお、この話題は山門入り口氏も取り上げているので、興味のある人はご覧になられるとよいだろう。


七月十四日追記:一部修正した。ちょっとした言い回しが気に入らなくて悩んでしまう。修正後もシックリこない。

2011/7/19  0:37

投稿者:信行
気のふれた痴呆が余に挨拶をせよと迫るが、余は痴呆に対話などもとめぬ。
痴呆の曰く、「出家は在家に劣る」
余の曰く「蓮祖は在家」
痴呆の曰く「なぜ蓮祖が出家でアル中が在家か」
痴呆と常人に会話の成り立つ筈がない。
故に余は痴呆を眼下にも置かず、歯かけぬが、勢いに飲まれる読者を助けんがために一応確定確定書くだけである。
アホクサ。

2011/7/16  12:15

投稿者:大沢克日子
おおひがしさん

「余剰電力があるから大丈夫。」
「いや、既に売電済みだった。」

ニュースを見ていたら情報がいくつもあって
、実際にどうなのかよくわかりません。

別に「節電」は修行でも何でもなく、社会的
要請に基づく行為ですが、暑さに人一倍弱い
私も我慢できる場合はエアコンをつけません
し、どうしても暑い時は設定温度を上げて(2
9度か30度で)つけています。
あとは水浴びもスッキリしていいですね。

社会的要請から、日蓮正宗総本山も可能な限
り節電に努力しており、宿坊(総坊)のエア
コンは停止、法要の際も空調ではなく網戸全
開で風通しをよくするなどが行われています


七月は総本山の唱題行にあわせて、自分自身
で誓願を立てて日々唱題していますが、唱題
の功徳でしょうか、今年は例年のようにあま
り「暑い、暑い。」と言わないような気がし
ます。

そうはいっても、エアコンの効いた場所に行
くと普通に気持ちいいですよね。

路線バスに乗ると結構エアコンが効いていま
すね。
あとはスーパーでしょうか。

2011/7/15  19:51

投稿者:おおひがし
それにしても暑いですね、熱いと書いた方がしっくりくる暑さです。
電力使用量の方は梅雨の時期がかなり多く、これを乗り越えれば一定の目処はついたと言われているようです。
ソースは失念してしまいましたが事実であれば今年は乗り切れたと言って良いのかもしれません。
ただし、事故やトラブルで発電所が止まらないとは限りません。
大規模な停電で死者が出るような事態だけは避けたいものです。
皆さんは節電と言う修行は行っておりますか?
小生はお客様が出入りしても暑くないようなエアコンの効いた場所で仕事をしているので申し訳ないとは思いつつも涼しい夏を過ごしております。

2011/7/15  7:13

投稿者:沖浦克治
 昨日違う板にかきました、その続きが先ほどの功徳です。
 最初のもどうぞ。

 私も耕治と関西で仕事なんです。

 昨年、大きな仕事がいいところまで行って、祈ってがんばったんですが、裏切りがあって手を引きました。
 経費も全てこちらが負担しての結果でした。
 その時、

 祈るなら、経費があちら持ちで同じような仕事が向こうからやってくる。

 耕治に言って、相手に絶縁のメールを送って10ヶ月。
 全く同種類のお話が舞い込んで、今日は岐阜のプラスノーの発表会にアドバイザーとして2人招かれ、明後日から、兵庫県のプラスノースキー場で最終的な商談があります。
 外国に、プラスノーを展開する会社とのタイアップ。
 大きな仕事です。

 19日まで仕事で、20日に帰宅すると、21日は早朝から来シーズンのワックスサービスの打ち合わせで新潟です。
 この不景気に、私共は眼が回るほどの忙しさ。
 創価の功徳と感謝する毎日。

 今、神戸の実家で、久しぶりに前の女房と娘、耕治と私で団欒です。

 横で耕治と娘がテレビ見てわいわい。

 ああ、信心やめないでよかった・・・・

 実感しています。
 うれしいですが、関西は暑いですね〜。

2011/7/15  7:10

投稿者:沖浦克治
 この暑いのに、堅苦しいわだいですね〜〜、あきませんか〜??
 こう言う時は功徳書いてすっきりいたしましょう。

 で、功徳書きますよ。

実は公務員時代、

 自分は公務員で安定しているが、60歳で定年で、再雇用が65歳まであって、その後は全く仕事はなくなってしまう。
 そう言う生活に耐えられるのだろうか?
 仕事がなくなって世間との絆がなくなって、人生に目標持って、活き活きとして生きていけるのだろうか?

 そう言う疑問と恐怖を、常に抱いていました。
 そこにあの自らの不徳が招いた罰が出た。

 困りましたが、心の底で、少しだけ喜びと今後の人生への期待がありました。

 これで本気で祈れる。
 祈ったら絶対に叶うと御書に書いてある。
 だから自分は絶対にこの毒を薬に転換し、宿命転換が出来る!

 そして祈りました。
 大過なくすごしていても、今年の3月末で再雇用も終了です。
 今、とてもこれほど忙しくて充実した毎日は無かったでしょう。

 功徳です。

 『設えば灸治のごとし当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず。』
 (聖人御難事)

 この御書の通りでした。
 創価の信心に嘘はありませんでした。
 今、喜びをかみしめる日々です。

2011/7/15  7:07

投稿者:沖浦克治
 信行さん、おはようございます

 貴方全く駄目。

 問題外。

>日本語の全く通じぬバカがおる。

 こう言う怨嫉謗法繰り返すようじゃね〜〜。

2011/7/15  7:05

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、頑固さん、おはようございます

 三大秘法は簡単です。

 南無妙法蓮華経と言う命が私共の命の呼び名で、それが本門の本尊で、私共が唱えて化他をすると本門の題目。
 その本尊と題目を保つ身体が本門の戒壇。

 建物じゃないのです。
 ただね、これは創価以外には絶対に読めない、仏法の極意です。
 御書キチンと読めばわかりますが、日蓮正宗ではだめでしょうね。

2011/7/14  23:21

投稿者:大沢克日子
[追記]今思い出しました。
浅井会長も日曜勤行の指導か何かで「観心本
尊抄」の題号の読み方について触れていたの
ではないかと思います。
もしかしたら記憶違いかもしれませんが、平
成14年〜16年あたりでご記憶の方はいら
っしゃいませんか?

2011/7/14  23:09

投稿者:大沢克日子
[続き]
ただ単に口で言うだけなら、どんなことでも
言えます。まことに逆しまなことを、さも本
当のような形で言うことだって、理屈として
は言えるわけです。しかし、実際に戒を顕す
ということにおいては、事相という実際の問
題としてのこととなりますが、いい加減なこ
とでは済まされない、つまり、はっきりとし
た形でなければならないということでありま
す。
(同28頁)


以降、猊下様は伝教大師の戒壇から大聖人様
の戒壇へ、歴史的経緯を踏まえつつ本論に入
っていかれますが、御講義に対する浅井会長
の言葉を見ると、「逆のバイアス」どころか
とにかく猊下の悪口を言いたくてたまらない
、と感じられます。

特に漢文形式の御文は、どのように読み下す
かで意味がガラッと変わることもある訳です
し、「観心本尊抄」の題号にしても各派が様
々な読み方をしている訳で、送り仮名一つで
全く違う意味にも、また御書を悪用すること
も可能なので、巌虎さんのおっしゃる通り一
言一句揺るがせにしてはならない面もあると
思います。


顕正会関連でいえば、「三大秘法抄」の

「勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土
に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべ
き者か。」(御書1595頁)

の末尾の「か。」の字の意味を、顕正会員の
時は何も考えなかったし、法華講員になって
も言われるまで惰性で来てしまって、何も思
いませんでした。

一字の重み、ということもありますし、先ほ
どの猊下様の文意とは違うけれども、いくら
巧みに逆しまなことを書いても、また誤魔化
しても、核の部分は何かを見ると、やはり「
謀り(たばかり)」の文章の本質というもの
は顕れてくると思います。

2011/7/14  22:56

投稿者:信行
日本語の全く通じぬバカがおる。
世は感じたままを書いておるだけであり、糠に釘を打つつもりなど毛頭ない。
バカはバカとして生きておれば良い。
それはさておくとして、宗祖御立ての観心とは成仏の実践修行である。
観心の反対語とは教相である。
教相の本尊とは何ぞや。
法にしたがい教えの相(すがた)に従うのが教相の本尊である。
例せば小乗の釈迦の教えを本尊とするには、小乗の釈尊と脇士を本尊となすべし。
しかるに観心の本尊とはなんぞやといえば、成仏の実践修行のための本尊である。
天台伝教も想像だにせぬところである。
所以は如何、釈尊滅後、五百歳に上行菩薩世に出現して始めて弘むところの成仏の実践修行の本尊こそ一念三千の大曼荼羅である。
悪戯に歳を重ね、痴呆公務員もまともに勤められぬ呆けの糠床に打てる釘などどこにもあるまい。
優曇華の華より珍重であろう。

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