2011/7/30

聖人賢人再考  
今日はまず、七月十二日の拙文を示す。

浅井先生の宿題は伝教=賢人とする御文を挙げることである。すべての御書を確認するのは容易ではないが、わたくしの知る限りでは伝教=聖人とするのが大聖人の常の御表現である。

今頃になってようやく気がついた。大沢氏から、あるいは沖浦氏から、重大なヒントを頂戴しておきながら、ちゃんと調べなかったことを反省しなければいけない。

賢人と申すはよき師より伝へたる人、聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり。仏滅後、月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり。所謂天台・伝教の二人なり。此の二人をば聖人とも云ふべし。又賢人とも云ふべし。

妙密上人御消息の一節である。もちろん、基本的には天台・伝教を聖人とするのが正しいわけだが、上掲のごとく賢人とする捌きも存在するのだ。今回の一件はわたくしの不勉強が暴露された格好である。これはある意味、浅井先生らしいヒネリとも言えるだろう。

いや、そうではなくて、日妙聖人と伝教大師との比較相対を明確化したと考えるべきかもしれない。世間一般の価値判断からすれば、伝教大師のほうが遥かに位が高い。しかし、諸法実相抄の男女は嫌うべからず云々の御指南を併せて拝するならば、立場が逆転するのだ。さらには撰時抄の彼の天台の座主よりも・・・との御指南も有効であろう。下種仏法の筋目からすれば、むしろ浅井先生の言っていることのほうが本筋なのかもしれない、というのが今回の結論である。

顕正会に詳しいわけではないが、九電以上におかしな組織が顕正会であるときいておる。
上から下への命令が絶対服従であるとか、門外の情報を遮断操作するなど。
違うのであろうか。


信行氏のコメントである。

九電以上におかしな組織かどうか知らないが、「門外の情報を遮断操作する」という点はそのとおりなのだろう。これは櫻川氏が『迷走する顕正会を斬る』で指摘していることだ。同書の中から代表的な一節を掲げておこう。

 浅井氏は常に情報統制をして、都合の悪い情報は講員・会員に伝えない。

この一文を証明することは簡単だ。『迷走する―』が世に出てからすでに丸二年が経過するにもかかわらず、浅井先生はこの本を一度も話題にしたことがない。まさに顕正会にとって都合の悪い情報なのだろう。

上から下への命令が絶対服従・・・

この点について感想を言えば、なるほど定着率が悪いのはこれが理由なのかもしれないと思った。それが仕事であれば仕方がない面もある。上司の命令を聞かざるを得ないのは、早い話がそれで金をもらっているようなものだからだ。しかし、それとて今の時代は職業選択の自由もあるし、思想信条の自由もある。ゆえに、どうしても命令がイヤならば職場を去るという手段を取ることも可能である。ましてや顕正会は職業ではない。一部の本部職員を除けば、無償で奉仕しているわけだ。そうなると、幹部からムチャなことを言われれば、反発をおぼえても不思議はない。命令などは論外だ。なんでアンタの命令を聞かなきゃいけないんだ、バカバカしい、ということになる。

もちろん、浅井先生もこうした問題には敏感で、後輩を追い詰めてはいけない、共に励まし尊敬し、麗しい団結を、というような意味のことを繰り返し言っている。こうなると、あとは現場の問題というか、幹部たちの自覚の問題なのだろう。しかし、いずれにしても構造的な意味では折伏誓願がある以上、いつまでも同じことの繰り返しであることは以前にも指摘したつもりである。

さて、今日は残りのスペースで第1212号をやっつけてしまおう。

 最も危険な浜岡原発が諸天の働きにより全面停止したごとく、先生の師子吼に必ず諸天は感応し、巨大地震の連発に間に合いすべての原発廃止が実現すること、大確信したものであります。

婦人部相模支区部長の記事であるが、これはある意味、浅井先生を追い詰めているのではないかとも思える文章である。

そもそも浜岡停止が諸天の働きと言えるのかどうかが疑問である。つまり、ここが崩れてしまえば、以下の文章も成立しないことになるのだ。
まあ、ここはいちおうクリアしたことにしよう。浜岡は諸天の働きで停止した。さて、次はすべての原発である。諸天は先生の師子吼に感応しないといけない。諸天も忙しくて大変だ。
馬鹿にしているように聞こえるかもしれないが、そうではない。原発そのものは人為である。つまりは人間が作ったものである。ゆえに国民の大多数が反対すれば明日にも止まるのだ。自然現象とは次元の異なる話である。
むしろ顕正会のほうが馬鹿にしている。真面目に反対運動をしている人たちを馬鹿にしているのだ。

上掲の記事にはもう一つ興味深いことが書かれている。ようするに巨大地震の連発の前に原発が止まることである。単に運転が停止になるのではなく、全面廃止というのだから凄いことだ。

わたくし個人は即時廃止でもいいと思っている。しかし、脱原発を主張する人たちにもいろいろな意見があって、たぶん段階的に廃止していく考え方がいちばん多いのではないかと思われる。その時間的スパンもさまざまで、五年から十年とか、十年から二十年とか、おそらくは種々雑多の意見があるのだろう。この辺は今ちゃんと調べて書いているわけではないが、おおむね上述のごとくで間違いないはずだ。

何が言いたいか、おわかりだろう。顕正会は「あと十年」と言っているのだ。すると原発の段階的廃止は採らない。スケジュール的にツジツマが合わなくなるからだ。少なくとも五年以内に廃止しないといけない。何しろ、その後には巨大地震の連発が待っているのだから、原発廃止が遅れれば遅れるほど、「あと十年」が延び延びになってしまうのだ。

しかし、これはあくまで相模支区部長の記事を根拠に書いていることなので、顕正会の公式見解とは異なっている可能性もなきにしもあらずであることを付言しておきたい。

101歳の祖母が眠るような良き臨終

女子部総班副長の体験発表である。いい記事だと思った。ただ惜しむらくは、この人の祖母は特別養護老人ホームで最期を迎えた、ということである。老人ホームを否定するつもりはないが、できる限りは家族が協力し合って自宅で面倒を見るべきだろう。もちろん、口で言うほど簡単なことではない。しかし、いい記事なだけに、その一点が逆に惜しまれるのだ。

2011/8/3  21:48

投稿者:沖浦克治
 功徳です 

 今日夕方、大手スキーメーカーのヘッドコーチが2人こられて、トレーニングを教えました。
 それぞれ別のメーカーのお方で、今後のコンディショントレーニングの指導をお願いされました。

 近い将来、私のジムの生徒から、オリンピックのゴールドメダリストを出します。

 地涌の菩薩ですからね。

2011/8/3  13:34

投稿者:沖浦克治
 今日朝耕治と少し出かけました。
 耕治は昨夜遅く帰って来て、9時半ごろ私の家に来たので、少し出かけたのです。
 耕治が聞きました。

 お父さん、お父さんは老化しないの??

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・??

 答えが見つかりません。
 妙とは蘇生の義ですから、これが普通だとは思うのです。
 今朝、耕治が来る前、8時からスクワットやりました。
 170キロで3回、150キロで6回、130キロで10回です。

 少しずつ強くなっているので、来年中には、凄い記録出せると思う。

 こう言うと最初の質問がかえって来たのです。
 答えわかりませんね。

 創価の信心の功徳としか、表現のしようがございません。

2011/8/3  8:30

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

今朝のコメントは昨夜とは違って、沖浦さん
の悪い部分が顕れていますね。

私が「その場限り」「取り繕い」という言葉
を使って指摘したからといって、感情的にな
って日蓮正宗の誹謗中傷をする。

では「取り繕い」云々と指摘したことに対す
る反論になっているのかというと、お山の悪
口を並べてあるだけで、反論になっていない

(嘘だと思うのなら、私のコメント、沖浦さ
んのコメントの要点を箇条書きに書き出して
みて、沖浦さんの今朝のコメントが反論にな
っているのかご自身で確認なさってはいかが
でしょうか)

沖浦さんは創価学会を史上最強の宗教の王者
と確信なさっていると思いますが、今のあり
方では決して良くないと思います。

私は日蓮正宗の仏法が末法の衆生を救う唯一
の正法であると確信しているけれども、確信
しているからこそ私は自分の姿を飾ろうとは
思わないし、そのように言うつもりもない。

既述の通り、私はある決意から7月より自らの
姿勢を改めて、「一日○時間」と誓願して実
践してきたが(その中でも弛んだ気持ちにな
ってしまうこともあったが)、その中で色々
感じること、現在進行形のものも含め幾つか
体験できたこともあった。

普段は御本尊を信じていると確信していたは
ずだったのに、ある瞬間に疑ってしまった自
分がいて、その時何を思い、また同志や先輩
に励まされ、どのようにしたか。

その一点一点が自分の糧になるし、もし将来
、同じ悩みを抱える同志がいたら、的確に話
をすることができるでしょう。

その上で、私は戸田会長と同じことを言うと
思います。
「この御本尊は大聖人の御本懐である御戒壇
様の分身です。
一緒に唱題して、折伏していきましょう。
解決しない問題などありませんから。」
と。

唱題、折伏による体験、それが重なれば日々
増して確信を持って上の言葉を言えるでしょ
うし、「多年の行功」により、「三宝の加護
」により、臨終に際して御題目を唱える姿で
ありたいですね。

2011/8/3  6:31

投稿者:沖浦克治
 大沢さん

 貴方ね、きちんと文章を理解して、その場限りの言い訳書かないで、

 創価学会員が読んで、感心するほどの体験お書きなさい。
 今、
 
 口舌の徒です。

 そう言う人は、大聖人仏法に不要ですよ。
 

2011/8/3  6:28

投稿者:沖浦克治
 日蓮正宗ってね

 その場限りなんです。
 戦時中軍部が怖くてその場限りの神札受けました。
 創価学会が寄進すると、その場限り感謝して受けました。
 邪魔になると、その場限りの判断で破門。
 正本堂恵んでもらって、その場限り、本門戒壇だと喜びました。
 邪魔になると、破壊してその場限りに致しました。
 勤行も、御受戒も、御書の読み方も、祈り方も、折伏の仕方も、家庭指導も全部創価学会に教えてもらって、全て忘れてその場限りです。

 教義の根幹である、戒壇本尊本懐論は、寛師と言う習いそこないの学者が、100年続いた要法寺の呪縛から逃れるため、その場限りのいいわけで思いつきました。

 ダメですよ、

 こう言うその場限り宗はね。

2011/8/3  5:56

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます

 罰でもなんでも祈って功徳に変えればいいんです。
 その表現方法の一つなんですよ。

 功徳どんどん出て罰出る暇がない!!
 
 恰好いいじゃないですか。
 そこまで表現方法にこだわるなら、御書に書かれてあることに素直になるべきですね。

 『経に云く「衆山の中に須弥山為第一此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、』
 (生死一大事血脈抄)

 法華経と言うものは、火でも水でも破壊できない。

 キチンと仰せです。
 ですのでね、火事で焼けてしまう戒壇本尊は、法華経ではありません。
 ご図顕されたご本人がキチンと書かれています。
 ここまでお判りですか?
 更にです、

 『 彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、参詣遥かに中絶せり急急に来臨を企つべし、是にて待ち入つて候べし、哀哀申しつくしがたき御志かな御志かな。
=弘安四年九月十一日       日蓮花押』
 (南条殿御返事)

 大聖人は南条殿に、身延に参詣せよと仰せです。

 身延こそが聖地霊鷲山だ。

 小学生低学年でも理解可能な表現です。
 ところがですね、日蓮正宗と言うインチキ宗派があって、この御書切文してですね、

 大石寺に参詣せよと、大聖人が言ってる????

 アホですよ。
 ギャグです。
 
 大石寺なんてお寺、大聖人は名前すらご存じありません。
 滅後の弟子の権力争いで出来た寺です。
 そんなもの、聖地な道理ないです。

 貴方ね、こちらにこだわった方がいいんじゃ〜〜??
 

2011/8/2  22:15

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

変に取り繕ったり力んだりせず、最後のよう
なお話しをなさった方がいいんじゃないでし
ょうか。

私は体験発表というものは自分自身のありの
ままの体験を発表するものだと思います。

ありのままの発表だからこそ、その体験発表
が他人の心に響いたり、また参考になったり
するのです。

沖浦さんが先日おっしゃっていた
「創価学会員は功徳に満ち溢れすぎて罰の出
る余裕がない。」
は嘘です。

別に信仰したからといって、穢土から離れて
信者だけ極楽浄土にいく訳ではない。

神を信じぬサタンの世の中にあって、ハルマ
ゲドン後に神の裁きを受ける訳でもない。

正信の信徒であっても、この世に生きている
以上は、様々な人生の荒波に遭遇し、あるい
は悩み、あるいは苦しむことも当然あります

本当に役に立つ体験発表というのは、その発
表者が重大な問題に遭遇して、どのように悩
み、苦しみ、それを信仰でどのように乗り越
えたのか、創作も何もなくありのままに発表
されているものであると思います。

同じ問題に遭遇している同志にとって、とて
も参考になる発表になるのではないでしょう
か?

「学会員はみんな功徳に満ち溢れて仕方ない
。」
「学会員にはこんな功徳があるんだ、凄いだ
ろう?」
こういう発表は自己満足しているに過ぎない
、点数の低い内容だと思います。

沖浦さんの言動を見ていますと、その場限り
なんですよね。
自分自身のいいお話しもできるのに、一方で
自分自身の体験を生かしていないかのような
表面的な発言をする。

沖浦さんにとって残念なことだと思います。

2011/8/2  20:06

投稿者:沖浦克治
 私はね、入会以前、住む所もままならない貧乏育ち。
 電車の窓から見える、阪急沿線の山の手の高級住宅を、溜息しながら眺めていた高校時代です。
 2年で中退しましたが・・・・

 その後、創価学会に入会し、少しずつ住居に恵まれました。
 でも、文化際や演劇際のスタッフでいたころ、音楽制作のスタジオ代もままならない現実があって、

 いつの日にか、友人が何十人も泊まれる家を持ちたい。

 と、思い続け、いつも空想していたものです。

 演出家に一部屋、スタッフに三部屋、その他リハーサル室に、録音スタジオ・・・・

 故あって舞台活動をを引退いたしましたが、トレーニングが主体になって、自宅地下に30坪少々のジムを持てるようになりました。
 全国からスタッフが来ても、難なく泊まれる客室もあります。
 ジムを開くとき、

 どう言うセッティングにしたら、皆様方が喜んで使用できるか?
 
 どう言う家具を入れたら、皆さんが使いやすいか?

 それだけを考えてきました。
 私も女房も、6畳一間で、客室で使い古したベッドを使っています。
 それでいいんですよ。
 自分のために使うなら、人のために使います。
 創価学会の信心は、私をそういう風に変えたのです。
 これが最も大きな功徳です。
 創価でよかったと、実感する日々ですね。

2011/8/2  16:39

投稿者:沖浦克治
 功徳です

 屋内ゲレンデがあって、そこで私どものワックスが売れています。
 この時期どう言う方がご使用になられるのか?
 売れますので不思議でしたが、ユーザーの方のお電話で、ようやくわかりました。

 功徳です!!

2011/8/2  16:37

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、

 私が史上最強なのではなくてね、創価学会の信心が人類史上最強なんですよ。
 御書にあります。

 『是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、』
 (持妙法華問答抄)

 この御書読んで、普通の創価学会員は、

 よし!
 何かで世間で随一になって、創価の信心の正義を世間に示すぞ!!

 こう決意いたします。
 御書を読むということはね、そう言う行が生じないと駄目なんです。
 貴方方に決定的に欠けている部分です。
 何故、日蓮正宗は御書に暗いのか?
 御書を、話として読むからですよ。
 御書に書かれている、大聖人の生き様に共鳴し、実践に移さないからなんです。

 ああ言う法主や能化、とっかえた方が良いですよ。
 以上、老婆心ながら・・・・・・

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ