2011/10/23

特集号第二弾、その他の記事から  
顕正新聞第1220号の記事をざっと眺めてみると、そのほとんどが原発関連の記事であることに気づく。よくもこれだけ揃えられるものだと感心する。興味深い記事がたくさんあるけれども、ぜんぶ紹介し切れないのが残念だ。

大聖人様御入滅後の日興上人・日目上人の命かけての国主諫暁のお姿と重なり・・・

まずは女子部主任総務の記事だ。

もうそろそろ日目上人の季節になる。どういう意味かと言うと、浅井先生と日目上人の姿が重なって見える、と幹部たちが一斉に言い出す季節なのだ。
上掲の場合、それとはじゃっかん異なる。何しろ日目上人だけでなく、日興上人まで登場するからだ。
それはともかく彼女の発言には疑問がある。ようするに彼女は、今般の原発廃止特集号を全国会議員に送ったことが一国諫暁に相当する、という意味を言っているのだ。

何となく方向性が違って来ている印象を受ける。

たとえば以前、皇室典範改正問題の時に先生は行動を起こそうとしていた。結果的にはその直前で問題が解決してしまったので沙汰止みになったわけだが、もし行動を起こしていたならばそれが一国諫暁に相当することになるのだろうか?

そこがわたくしには疑問なのである。いろいろな政治課題がある。そのことで宗教団体が意見を言うことは、わたくしはあってもいいと思う。しかし、政治課題と言えば、そのほとんどが各論の範疇だろう。もちろん、宗教団体の立場から見れば、である。ゆえに、原発問題は大きな事案ではあるけれども、顕正会の立場で言えばあくまで各論の範疇に過ぎないはずなのだ。まさにかつての諫暁書のタイトルのごとく、一国に帰依を迫ることが諫暁なのであって、原発廃止を訴えることが諫暁なのではない。残念ながら今般の特集号はそこまで踏み込んだものではないだろう。

さて、次は女子部第百二区長である。

 「あの病院」とは、千葉市の「放射線医学総合研究所」のことで、そこに行くということは、もう二度と戻れない「死」を意味するのだそうで、「報道はされないが、もうかなりの人数が行ったよ」と教えてくれました。

彼女の組織には福島原発で作業をしている人がいるらしい。女性ではなく、男性女子部員のようだ。どうやら原発作業員の間では、上掲のような話が出回っているらしい。
わたくしの知る範囲では、現在のところ三名の作業員が亡くなっている。しかし、東電ではそれらを本人たちの持病による病死などと説明し、被曝との因果関係はないとしている。
つまり、現在は放射能が原因の死亡者はゼロである、というのが公式見解のようだ。

ゆえに、上掲の話が本当であれば大変なことである。

次は女子部第八十八区長の登壇であるが、ある高齢の組長が配布活動のために高額の寄付をしたという話である。

 「一五〇万をめざして」と書かれた封筒には、なんと一一〇万円が入っており、組長の信心に目頭が熱くなると同時に、先生のお心を一刻も早く全道民に伝えるために使わせて頂こうと、皆で二万部配布の戦いを開始いたしました。

何歳であるか不明であるが、本人は病気のため思うように活動できない、そこで少しでもお役に立ちたいとの思いから、上掲の金額を幹部に託した。

モッタイナイなあ、というのがわたくしの感想である。もっとも、モッタイナイという日本語はかなり幅広い意味があるので、わたくしがどのような意味を込めているかは読者の想像にお任せしたい。

ところで、今回の総幹部会では唯一であろうか、原発問題とは無縁の登壇があった。以下は婦人部組長の体験発表である。

 振り返れば、四年前の社(やしろ)の建て直しから次々と起こる夫の病気を機に神主は辞めましたが、建て直しに携わった、夫を除く五人全員が次々と亡くなり、これが謗法の害毒なのだと恐ろしくなり、全身に激震が走るほどの衝撃を受けました。

凄い話だ。この人の夫は顕正会に入信した。だから助かったわけなのだろう。すると、もしかしたら神社の建築に関わった六人全員が死んでいたかもしれないのだ。そうでなくても、現実には六人中五人が死んでいるわけだから、大変なことである。

わたくしの思うに、これほど凄まじい現証が日本全国津々浦々で起これば、広宣流布はあっと言う間である。

最後に、

モンゴル版経本と指導冊子 出来

これは備忘録の意味でも書いておく必要があるだろう。現在、外国語の経本は台湾版とモンゴル版の二つだが、近くネパール版も出来するとのことだ。

2011/10/26  22:46

投稿者:信行
沖裏よ
 己の書き込みの低俗愚劣さ、まるでわかっておらぬのう。
 容姿風貌も醜く汚いが、心の中も同じということであろう。
 筑波山には四六のガマが住んでおる。
 小奴は己を在原業平と思い込んでおるのだが、四方を鏡で囲んだ箱に入れると、己が醜さに脂汗がタラ〜リ、タラリと。
 正直なガマよ。
 いや、審美眼は間違っておらぬからこそ、また正直がゆえに脂汗が流れるのであろう。
 薄汚い風貌に、低俗な書き込みをして己の醜さに気づかぬ沖裏よ。
 謗法の失によって目もくすんで、正気を失っておるのであろう。
 御書にも貴様の様になるのは謗法の果報と書いてある。
 ガマガエルにも遥かに劣るの謗法の沖裏よ、哀れだのう。

2011/10/26  7:37

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、ありがとうございます

>今後は(今度こそ?)私は沖浦さんを無視し
ます。

 これで、ここも、少しはまともになる・・・・・


 よかった・・・・

2011/10/26  7:12

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、しっかり覚えておくんですよ

 浅井先生         公印省略

 秋空晴れ渡る今日このごろ、先生並びに貴教団におかれましては、益々ご清祥の事と、お喜び申し上げます。

 さて、今般、私共日蓮正宗では大石寺への登山会を開催する運びとなりました。

 無論の事、御書を拝読いたしますに、身延久遠寺様こそが、大聖人様に有縁の聖地ではございます。
 然しながら、私共後世の開基である寺には、身延久遠寺様への参詣は、法主個人ならばともかくとして、宗門全体としては畏れ多く、とてものこと不可能でございます。
 今回、私共も愚考を重ね、次善の策として、開山上人の意思をおもんばかり、苦衷の選択ではございますが、大石寺を参拝の対象に定めた次第でございます。

 ご賢察くださいませ。

 本題でございます。
 私共は、周知のごとく、二十年前、創価学会様に見捨てられ、以来信徒数は激減、苦しい運営を迫られながら、今日に至っております。
 現状、登山会を一宗のみで実施する実力が、既にございません。
 恥を忍んでお願い申し上げますが、貴教団様におかれましても、何やら当宗所蔵の戒壇本尊をご本懐となされるやに聞き及んでおります。

 出来まするならば、この際当宗と合体し、

 両宗合同登山会!!

 として、実施出来まするならば、私共にとって望外の幸せでございます。
 なにとぞ、私共の現状をお察しいただきまして、この計画にご賛同いただけますることを、法主能化になりかわりまして、ここに伏してお願いを申し上げます。

        内部規定拡大委員会、代表 節操皆無

2011/10/26  7:10

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます

 あの懇願文、お気に召しませんか?

 貴方方の実態がよくわかると思うんですがね?

 貴方方から、戒壇本尊本懐を覗くと、全く何も残りません。

 そう言う自宗情け無い状況を把握なさい。
 池田先生のご健康で、浮かれている場合じゃないでしょう。

 戒壇本尊本懐論は既に破折され、今また、貴方方の怨嗟に満ちた題目が、同苦の念仏に及ばない事実が提示されているのです。

 今貴方がどう言い訳しても、悪あがきなんですよ。
 そう言う世間様のご評価を、今後どのように改善するか?

 ここに焦点を絞りなさい。

2011/10/25  20:39

投稿者:大沢克日子
あらおもしろや沖浦克治がものにくるうを見
よ。

沖浦さんみたいに暇ではなかったので昨日か
ら拝見できずにいましたが、沖浦さんの種々
のコメントはまさに「ものにくるう」という
言葉がピッタリです。

御宗門宛の登山勧誘の文書(?)など、何の
意味があるのでしょう?

おのれの師匠である池田名誉会長の事を指摘
されるまで何にも考えていなかったことが明
らかになって、逆上したとしか思えません。

皆様がコメントなさらないのが、沖浦さんの
コメント内容がいかに空虚なものであるかの
証明であると思います(反対派も反論の必要
すらない程馬鹿な内容ということでしょう)


沖浦さんの正体も改めて明らかになったと思
います。
今後は(今度こそ?)私は沖浦さんを無視し
ます。

沖浦さん、どうぞお大事になさってください

私に「粘着質」「ネット人間」「ネチャネチ
ャ」「ストーカー」「気持ち悪い男」と言わ
れたからといって、他人様にその言葉を使っ
て心のスキマを埋めようとしないように。

あなたは「怨嫉」と言いますけれども、その
言葉を自ら他人に対して使おうとすること自
体、沖浦さんの心根がいかに腐っているかを
自ら示しているのであります。

自ら自分自身に対して「馬鹿」と言っている
のと同じことです。
自己宛為替手形を振り出しているようなもの
です。沖浦さんは馬鹿だからわからないでし
ょうけれども。

では、沖浦さん、お大事になさってください

「他人の臨終より自分の生き様が大事(趣意
)」
ということですから、残り少ない余生をせい
ぜい頑張ってください!

2011/10/25  7:46

投稿者:沖浦克治
皆様方おはようございます

 創価学会もどきの方や、法華講員の方々は、仏と人間の関係に迷いがありますね。
 ですので、少し、仏と人の本迹を語りましょう。
 御書には、仏は人だと書かれています。

 『問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、』
 (如説修行抄)

 釈迦も、天台も伝教も、他の行者も、人人として表現されていますね。
 ですから全てが人間なんです。
 
 仏も、菩薩も、行者も、一切が人間なのですよ。
 まず、この点をキチンと理解をすることが必要ですね。

 そのうえで、一切が同じ人間なのですから、仏として教えを説く人間と、衆生の側で教えを説かれる人間のどちらが本で、どちらが迹か?
 ここだけ考えればいいのです。

 仏法は衆生のためにある教えで、仏のためにある教えではありません。
 仏は既に悟っていますので、もう教えは要りません。
 教えが必要なのは迷いの衆生。

 衆生が目的で説く仏と説かれる法が手段。

 目的が本で、手段が迹。

 道理ですね。

 

2011/10/24  17:53

投稿者:沖浦克治
 法華講員さんと、創価学会もどき連合の方々に、何故私が、久遠寺が大石寺に優れると思うかを書いておきます。

>沖○氏は
「久遠寺は優れたお寺」「身延の題目にも功徳がある」等と述べている。
 〜中略〜
創価学会の青年教学1級試験合格者として、「久遠寺は優れたお寺」「身延の題目にも功徳がある」と言えるか否か、を答えていただきたい。

 必死で日蓮正宗の外護しているの、滑稽ですね。
 私はね、久遠寺が優れたお寺だと言いませんよ。
 大石寺と比較するなら、100倍以上優れていますし、顕師の唱える創価への怨念の題目より、身延の方が同苦で唱える題目が、1万倍は優れている事実を書いています。

 身延は、正本堂破壊には参加していません。
 身延は、池田先生を勇退に追いやり、創価学会支配をたくらんだことはございません。
 身延は、私共創価学会下付のご本尊を、偽本尊と罵りません。
 身延は、池田先生が、危篤だと揶揄いたしません。
 身延は、創価学会を仏敵と決めつけません。

 しかも、身延は大聖人が、

  『彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、』
 (南条殿御返事)

 と書かれておられる、当時の聖地です。
 比較して、大石寺など、大聖人は名前すらご存じありません。
 後世の弟子の権力争いで出来た寺。
 久遠寺と比較すること自体が、大間違いですよ。

 鬼太郎さん、理解出来ますか??

2011/10/24  12:58

投稿者:沖浦克治
粘着さん、今日は

 地区総会ってね、近所でやるんです。
 10時に入って、仕込みが30分ほど、少し様子見て一時帰宅してお昼食べてから、行くんですよ。

 先日、私の仕事の掲示板に、トレーニング中に耕治が契約書持ってきたと書いて、その夜富山で講習会やったと書くと、

 耕治はワープしたのか!!

 と浮かれ騒いで、私の掲示板に書いた人がいました。
 直ぐ削除しましたが、私の家から富山まで2時間半です。
 4時に出たら、6時半ですね。
 9時までやって、帰宅が11時半ごろ。

 でもね、一々そんな説明しませんよ、あの手合いにはね。

 厳虎さんの板ですから、粘着ご趣味の貴方に返事しておきます。

 私の書いたものに、必死で粘着するエネルギー、自身の向上に使えたらね〜〜。

2011/10/24  12:31

投稿者:無名くん
>>2011/10/24 6:27
>>投稿者:沖浦克治
>>地区総会は、女房がタイトルをデザインして、
>>私と耕治は音響やったんです。
>>午後一時半からの開催でしたが、
>>私と耕治は朝の10時には会場に入って、設営をしました。


へ〜、「朝の10時には会場に入って、設営を」やってた時間中に、
しっかりこちらのブログをのぞいて「2011/10/21 特集号第二弾を読んで」の
コメント欄に↓な書き込みをやってたわけですね。



>2011/10/23 11:33
>投稿者:沖浦克治
>大沢さん

> 粘着は辞めて、実生活で信心なさい・・・

2011/10/24  6:53

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、昨日の書式訂正してさしあげます、
 宗門でお使いなさい・・・


 浅井先生         公印省略

 秋空晴れ渡る今日このごろ、先生並びに貴教団におかれましては、益々ご清祥の事と、お喜び申し上げます。

 さて、今般、私共日蓮正宗では大石寺への登山会を開催する運びとなりました。

 無論の事、御書を拝読いたしますに、身延久遠寺様こそが、大聖人様に有縁の聖地ではございます。
 然しながら、私共後世の開基である寺には、身延久遠寺様への参詣は、法主個人ならばともかくとして、宗門全体としては畏れ多く、とてものこと不可能でございます。
 今回、私共も愚考を重ね、次善の策として、開山上人の意思をおもんばかり、苦衷の選択ではございますが、大石寺を参拝の対象に定めた次第でございます。

 ご賢察くださいませ。

 本題でございます。
 私共は、周知のごとく、二十年前、創価学会様に見捨てられ、以来信徒数は激減、苦しい運営を迫られながら、今日に至っております。
 現状、登山会を一宗のみで実施する実力が、既にございません。
 恥を忍んでお願い申し上げますが、貴教団様におかれましても、何やら当宗所蔵の戒壇本尊をご本懐となされるやに聞き及んでおります。

 出来まするならば、この際当宗と合体し、

 両宗合同登山会!!

 として、実施出来まするならば、私共にとって望外の幸せでございます。
 なにとぞ、私共の現状をお察しいただきまして、この計画にご賛同いただけますることを、法主能化になりかわりまして、ここに伏してお願いを申し上げます。

        内部規定拡大委員会、代表 節操皆無



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