2011/12/25

餌にばかされて釣を呑む話  
今日は顕正新聞第1227号、いわゆる年末合併号を取り上げるつもりだが、その前に種々のコメントを頂戴しているので、応じておかなければいけないだろう。

「入信報告書」を即時廃止して、入信者自らが記名捺印する「入信願書」に戻すべき・・・

なかなかの名言だ。即時廃止は原発に対する顕正会のスタンスだが、その言葉を利用して入信願書の復活を訴えるところが秀逸である。

「ましてや現憲法において信教の自由が認められている以上、どれほど論破しようが相手が納得しない限りはどうにもならないのだ。」

の一文については、後段は全くその通りですが前段は無用かと思います。


こちらは前掲と同じく大沢氏のコメントだが、前々回の拙稿に対するものであり、今朝、頂戴したばかりのものである。適宜、改行を入れさせてもらった。

たぶん読者の中には、氏の言っていることを理解できない人もいるに違いない。もちろん、続きの文章を丹念に読んでいけば多くの人が理解できるはずであるが、それにしても煩瑣な議論をしているものだと思うのが一般ではないかと思う。そのとおり、そもそも議論とは面倒臭いものなのだ。

さて、わたくしの見解を書いておこう。上掲を最初に読んだ時、あれっと思った。わたくし自身、よくわからなかったのだ。しかし、続きを読んでいくと、なるほど鋭い指摘だと思った。

結論的には、拙稿の当該部分は無用か、もしくはもう少し丁寧な説明が必要だった。ようは中途半端な記述だったということだ。

ここで煩瑣ながら最新号に載る副総合婦人部長の文章を紹介しよう。

 先生は、専制政治・独裁政治の時代には国家意志を決定する者は国主であったゆえに、その時代の国家諫暁は国主に対して為されたこと。しかし、昭和二十年の敗戦によって国家体制は一変し、日本国が「主なき国」になったことを指導下さいましたが、明治憲法と、アメリカから与えられた日本国憲法のあまりの違いに衝撃を受けつつも、かえって現憲法が制定されたからこそ、順縁広布に至る国家体制が整えられたのだ、これこそ大聖人様のお力によって「下から上へ」及ぶ時代背景が作られたのだと、眼開く思いになり
 「敗戦こそ広宣流布の遠序」
 との先生の曽ての仰せが一段と鮮明になり、すべてが仏力なのだとの、震える感動でいっぱいになりました。


察しのいい人には説明不要であろうが、いちおう書いておく。まずは上掲から二文を再掲しよう。

アメリカから与えられた日本国憲法・・・

かえって現憲法が制定されたからこそ、順縁広布に至る国家体制が整えられたのだ・・・

顕正会は現憲法に批判的である。上段の「アメリカから与えられた」云々が、まさにそれを意味するわけだ。ところが、下段の「かえって」云々は、逆に肯定を意味している。これは矛盾である。まさにわたくしの得意とするアゲアシ取りの格好のネタなのだ。

当然、会長講演においても同様の矛盾が存するわけであるが、早い話が前回の拙稿ではその辺をうまく指摘できなかったということである。再掲しよう。

ましてや現憲法において信教の自由が認められている以上、どれほど論破しようが相手が納得しない限りはどうにもならないのだ。

顕正会は現憲法に批判的でありながら、一方では現憲法こそが広宣流布のために相応であるかのごとく言っている。だったら信教の自由も尊重しなければいけないだろう。わたくしの意識にあったのは、まさにこれなのである。立正安国論の精神たる破邪ということが、現憲法においてはなおさらに困難さを伴なうことを、顕正会の連中は忘却して机上の空論を展開している。なるほど、入信報告書の問題も同根のような気がしてきた。安易な方向に流れてしまって内実が伴なわないにもかかわらず、それを無視してゴールが鮮明に見えてきたかのごとく言う。困ったものだ。

以上、大沢氏のご指摘に対するわたくしの弁明はかくのごとしである。

週刊文春の今週号に、学会と池田名誉会長に関する
例の記事の「取り消し&お詫び広告」が載ってました。


さて、もう一つの事案であるが、これは興味深い話ではある。わたくしの無責任な感想を言えば、週刊新潮だったら徹底抗戦だろうか、といったところである。

ご存知のごとく、浅井先生は十月度総幹部会あるいは三重会館での講演において、この週刊文春の記事を利用して池田大作氏のことをあげつらった。とりわけ十月度総幹部会が掲載されている新聞を「学会員を救う特集号」と称して五十円で頒布しているのだ。当然、熱心な活動会員はこれを大量に配ったことだろう。

たぶん浅井先生は何も言わないだろう。逆に言えば、言いっ放しであり、後は頬かむりを決め込むだけだ。顕正新聞の当該号も売り切れということにして、配布活動を止めてしまえば大丈夫だと踏んでいるに違いない。確かに記事を出したのは文春であり、顕正会が訴えられることは考え難い。大草裁判のようなことにはならないはずだ。

いずれにしても浅井先生の不見識は動かない。週刊誌を馬鹿にするつもりはないが、やはりセンセーショナルな記事には気をつけないといけない。いわゆるマユツバの記事がたくさん含まれているからだ。

用心堅固というわけではないが、わたくしは案外にこういう点ではドジを踏まない。たぶんそれは常に本質論を心掛けているからだろう。

その意味で創価学会員に申し上げれば、今回のお詫び広告で溜飲を下げている会員がいるとすれば、それは本質を見失っているとしか言い様がないだろう。わたくしは当該記事を読んでいないので何とも言えないところだが、看護師の証言が事実無根であったとしても、池田氏自身が表舞台に出てこない以上は、芳しくない状態であると言わざるを得ないのだ。

いずれにしても、一度の死は一定、である。年齢的な意味からしても覚悟が必要だろう。

さて、いよいよ年末合併号の話題であるが、今日は面倒臭くなったのでやめておこう。同号のメイン記事は長岡会館のことであり、残りは十一月度班長会の記事だ。ちなみに、本稿の前半のほうで引用した副総合婦人部長の文章は、班長会での登壇である。

2011/12/25  21:48

投稿者:んっ?
昭和61年4月25日/5月5日合併366号は武道館で開催された「第24回総会」を伝える。
このなかで浅井さんは
「大聖人様は口先だけの口舌の徒の発言をお許しにならない。
顕正会は口舌の徒ではありません。…
私は、広宣流布の目標を、三つの段階に分けて考えております。
第一の目標は百万の達成であります。
第二の目標は一千万、そして、第三が一億までの弘通であります。
まず第一の目標百万を、私は今後十年で成しとげようと決意しております。
そして百万から一千万までを次の七年で成しとげる。
さらに一千万から一億の弘通を、次の七年で成しとげる。
これが私の決意であります。非力の凡夫の成し得るところではないが、
御本仏の守護を頂けば必ず成しとげられると、わたしは確信しております」

此れが達成できずに編み出されたのが大沢さんのおっしゃる此の方法。

横田理事の説明
「六月二十六日付けをもって…『入信報告書』に、
すべて切り替えられることになりました……
この『入信報告書』について心すべき点は、これまで行なわれてきた、
入信者に署名・捺印させるという制度を改めて、紹介者または
入信勤行に立ち会った班長以上の幹部が、この入信報告書に記入して
提出するということであります。具体的に言えば、
入信勤行の際には、この報告書に、入信者の氏名と紹介者の氏名のみを記入し、
本部あるいは地方事務所、あるいは自宅拠点の入信勤行責任者に提出いたします」

巌虎さんは最近の物より此の366号について語るべきだと思います。

2011/12/25  21:27

投稿者:大沢克日子
のび太さん

破折と攻撃は別物ですよ。
まあ、創価学会でそう教えているなら仕方あ
りませんが。

2011/12/25  21:04

投稿者:のび太

今晩は!夕べは美味しくケーキを食べました。
お酒も少々でした。

大沢さんは甘いなぁ〜
あっしを攻撃する意図はないっていうことは破折する意思はないということですよ。
そうなると謗法与同罪は免れません!
一緒にズハ〜サですね。(笑)
変な遠慮をしてはなりません。
頑張ってネ!

2011/12/25  17:23

投稿者:事情通
>週刊新潮だったら徹底抗戦だろうか

いまや新潮も凋落のきわみ。幾度も「ガセ記事」で学会に屈した揚句、学会ネタも当たり障りの無いものばかりになった。その裏には「反学会ライター」が新潮を見限り他誌に売り込むようになった現実がある。しかし今回、大手の一角たる文春も「ガセネタ」を食わされる始末。となると、学会ネタの信憑性の低さはそのまま「反学会ライター」の面々の取材能力の低下を呈しているのだろう。

2011/12/25  16:39

投稿者:信行
池田も浅井も先が無い。
後継者もいない。
血脈が無い。
終わりだ。

2011/12/25  13:53

投稿者:大沢克日子
巌虎様

池田名誉会長の病状の件、巌虎様ご指摘の通

「池田氏自身が表舞台に出てこない以上は、
芳しくない状態であると言わざるを得ないの
だ。」
と思います。

金正日氏は列車内で殉職したのではなく、別
荘で意識不明のところを発見されたとも報じ
られていますが、池田名誉会長についても実
際のところどうなのか、私は注目しています


顕正会(浅井会長)が世界情勢に絡めて非常
に安易な形で広宣流布を論じてきたことは否
定できないと思います。
平成20年に発刊された「誰にでもわかる顕正
会の誤り(慧妙編集室編)」の巻末に、次の
ような記述があります。
「これら日顕上人の御指南に示される戒壇建
立へのプロセスを以下に概括して述べておく

一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一
国広布の時を待つべきこと
二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏
するが故の一重の大難が起きるであろうこと
三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に
帰依する(広宣流布が成就する)こと
四、しかして、国主から戒壇建立を発願する
意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇
が建立される」

一〜三のプロセスは、真に折伏を進めるが故
に起こってくることで、対象者の意思にかか
わらず名目上の入信者がいくら積み重ねられ
たところで起こることではないと思います。

そしてその過程で起こる種々の大難は、著名
な識者が予想だにしなかった事が起こるはず
です。
(身近な例で言えば東日本大震災と、それに
関連する様々な事件は浅井会長含め、一年前
の今日だれが予想していたのでしょうか?)

沢山の人命が失われるような時代を経て、戦
後に信教の自由が確立された現代日本にあっ
ても、日蓮正宗信徒であった創価学会員の寝
食を忘れるような大折伏を経ても、日本人の
一割しかこの御題目を唱えなかったのです。

その事を思う時、現代の社会を見て保守系の
論者がいう様な主張でいくら浅井会長が論じ
たところで、今後起こることを正確に見極め
ることは無理だと思います。

そして、国中の謗法を折伏し得るのは、私た
ち日蓮正宗僧俗を除いていない、と思います

顕正会の姿や、昨日ののび太さんのコメント
を拝見していると、そのように感じざるを得
ません。
(のび太さんのお名前を挙げましたが、決し
て個人を攻撃する意図はありません)

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