2012/1/18

激動の時代  
今日は特に書きたいこともないので、行き当たりばったりで書くことになる。そこをあらかじめご承知置き願いたい。

元より、私は大聖人様の仏法を清く正しく伝来・護持している宗派は富士大石寺、及び日蓮正宗だけだと思っております。これからももちろん、広宣流布が叶う日までその清らかな流れは断絶しないとも思っております。

前々回のコメント欄にROM氏が書き残していったものである。氏は元顕正会員だが、現在はフリーの立場らしい。それでいて上掲のごとく、純粋な信仰を維持している。これは凄いことだ。

わたくしの場合は必ずしも純粋とは言えない。なぜならば、単に惰性的に続けているだけだからだ。いわゆる顕正会式の短い勤行にもかかわらず、面倒臭いことをやっているものだと思いながらも続けているわけだ。こんな調子では宗門における五座・三座の勤行など、永遠にできないだろう。ともかく惰性でも続けているだけマシというのがわたくしの言い訳である。また、こうしてブログをやっていることが、問題意識を持ち続けることの原動力になっている面は否めない。たぶん、普通の人であれば、時間の経過とともに信仰心が薄れ、仏法のことなどまったく考えもしなくなる。つまり、フリーの信仰など普通は成り立たないはずなのだ。

しかるにROM氏はそれを持続しているという。本当に凄いことだ。

が、今の正宗の現状を考えるに、未だ様々な問題も解決していない中で、入信(ご受戒?と申すのでしょうか)するには納得ができない状態であります。

大沢氏が誠意あるコメントを残されているので恐縮しながら書かねばならないが、ROM氏の判断は一つの見識であろうと思う。

拙ブログは長寿ブログである。個人サイトとしては長いほうだ。そして自慢を言えば、すべての記録がそのままの形で残っていることだ。コメント欄も同様である。
今は記憶のままに書くが、ともかく大勢の人がコメントを残されている。そうした中で比較的に多いのは、顕正会から法華講へ移籍した人たちだ。沖浦氏のような創価学会員は例外であって、大半が顕正会と何らかの関係を有する・有した人たち、とりわけ日蓮正宗に帰伏した人たち、それが拙ブログにおけるコメント投稿者の主軸である。
では、その人たちは現在どうしているのだろうか、ということなのだ。もちろん今も活躍している人がいて当然だが、詳しく調べていくと、すでに退転してしまった人も少なからず存在するのだ。

あえて一例を挙げよう。ユタ氏が好例だ。

彼は文章家だった。換言すれば饒舌だった。別にアラサガシをしていたわけではないが、わたくしは彼のブログを更新ごとに必ず読んでいた。どうやら鉄道マニアらしく、わたくしの守備範囲外の話題も多く書かれていたわけだが、そういうものまで含めて読んでいた。つまり、隈なく読んでいたのだ。
すると、彼は顕正会から正宗へ帰伏するに当っての経緯もけっこう詳しく書いていたわけだが、そこに半ば強引に押し切られてしまったという意味のことを書いていたのだ。それからもう一つ、当初は御本尊の下付を受けなかった。確か会社の寮に入っていて、それがために下付を受けられなかったのだと思う。
ところがどうしたわけか、わたくしの見落としであろうか、彼はいつの間にか御本尊を受けていたらしいのだ。というのは最後に退転するわけだが、その時に御本尊を返却する云々の記述が残されていたからである。

以上はユタ氏のブログを閲覧していた時の記憶であって、記録ではない。つまり、わたくしには事実関係を証明する手立てがないことをお断りしておかねばならない。

ここで言いたいことは一つだ。

たぶん顕正会ほど深刻ではないのだろうけれども、宗門も多少は成果主義的な傾向がある。それが吉と出るか凶と出るかは微妙なところであり、何とも言えない。目標を掲げることは必ずしも悪いことではない。しかし、ユタ氏の場合は結果的によくなかったわけだ。

ここでROM氏の話に戻ると、まさに名は体をあらわすのだろう、氏は上述のようなことも含めて宗門のさまざまな問題をネットを通じて観察しているわけなのだ。まさにインターネットの発達した今の時代はゴマカシが利かない。都合の悪いことがあっても、隠し切れない。ちなみに、のび太氏のリンク貼りはたぶん婉曲ながらもそうした意味を込めているのだろう。

と言ったところで、今度は前回のコメント欄だ。

顕正会の肩を持つつもりはありませんが、下町ではこの手の話は良くありますよ。組長が、町内会の役職をしている地域はたくさんありますしね。

よくわからない文章だ。顕正会・・・組長と書けば、顕正会の組長が町内会の役員をやっているみたいに読めてしまう。しかし、ここでの組長はヤクザの組長なのだろう。

たぶん、この議論はヤクザの定義が問われているのだと思う。

というのは、ヤクザをいわゆる暴力団だとすると、その組長が町内会の役職を持つことは常識的に考え難いことだからである。ご存知のごとく、いわゆる芸能界では暴力団との関係が明るみに出ると謹慎させられたり、あるいは引退を余儀なくされることもあるくらいなのだ。芸能界はあくまで一例であって、他の業界においても同様のはずだ。当然、町内会にも当てはまることだと思うのだが、違うのだろうか?

よって、ここでのヤクザは暴力団ではないのだろう。では具体的に何なのか、そこが問われるところだ。

わたくしの想像では、たとえば大工の棟梁だとか鳶の親方、下町云々の記述からはそんなイメージが湧いてくる。しかし、それらはいわゆるカタギであってヤクザではない。ただ名称としてはレッキとした株式会社であっても○○組を名乗るところが今もなお存在するわけで、そのルーツをたどればヤクザとの関係性みたいなものが見えてくるのかもしれない。

ちなみに顕正会の組長が町内会の活動をすることはまったく問題ないが、それはきわめて珍しいケースのはずだ。ようするに顕正会の活動会員は、忙しくて他のことをする時間がないのだ。しかし、勇猛(?)な活動会員ならば、いわゆる対象者作りのために町内会だとかPTAだとかに参加することはあり得るだろう。もっとも、そこで顕正会流の強引な折伏をすれば、顰蹙を買うだけなのだが・・・

池田名誉会長が死去したとしても、大多数の創価学会員は葬儀が終れば粛々単単と再び信仰活動に励む事と思います。なぜか。一つは、会長を中心とした集団指導体制が確立しているから。もう一つは、「牧口・戸田・池田の三代会長は創価学会永遠の指導者」という位置づけが確立しているから。そしてもう一つは、一昨年6月の「新時代第41回本部幹部会」での会長指導が大多数の創価学会員の心に届いているからだと考えます。特に昭和60年代から「スピーチ」「人間革命」「新人間革命(継続中)」を通して創価学会の歴史と歴代会長の指導などを広く「教育」してきており、それが完結することが「池田名誉会長の最後の事業」の総仕上げなのではないかと考えます。人間はいつかは死ぬ。当たり前のこと。しかし肉体は滅しても精神・指導は永遠に残る。そういう思いが既に多くの創価学会員の心の中に芽生えているからこそ、池田名誉会長が出席しない「本部幹部会衛星中継」であっても毎回多数の会員が参加するのだと思います。逆に考えれば、池田名誉会長が死亡して一番インパクトを受けるのは「反創価学会」勢力ではないでしょうか。さて、集団指導体制も構築できていない顕正会。ワンマン世襲の浅井会長は死んで何を残すのでしょうか。

これまた名は体をあらわすだ。さすが事情通を名乗るだけのことはある。わたくしの知らないことがたくさん書かれている。

すると法華講員の願望なのだろうか、池田氏の病状が例の週刊誌に報じられた頃、嬉々として、もはや創価学会も崩壊だ、という意味の書き込みが掲示板に見られた。もちろん顕正会も同様のことを言っている。

しかし、事情通氏は真っ向から反対意見を述べている。しかも上掲のごとく理路整然と書いているので、ひじょうに説得力がある。

この際、わたくしは双方の意見を勘案して、会員を減らすことは確実だが大崩れはしない、と予想しておこう。これを逆に言うと、顕正会員や法華講員が期待するほどの劇的な大崩壊はないが、しかし、多少は会員を減らすことになる、となるに違いない。その下げ幅がどの程度かは何とも言えないところだ。たぶん、いずれ総選挙があるだろうから、その得票結果が一つの目安となるだろう。

2012/1/23  8:27

投稿者:大沢克日子
のび太さん

「ご存知のように大聖人は、この後に随方毘
尼という捉え方を開示して、仏法の根本から
大きく外れていなければ社会通念の考え方も
尊重しなさいとご教示されている。」

「随方毘尼」という言葉ですが、よくよく「
仏法の根本」を弁えて使う必要があると思い
ますよ。
以前、創価学会幹部の方を折伏している時に
、「随方毘尼」だから俺は夏祭りで神輿を担
いでいる、とか、地域と仲良くするために神
社の行事によく参加している、としきりに言
っている人がいました。
色々話を聞いていくと詰まるところ「折伏し
なくてもいいんだ」という事を延々と言って
いるのですけれども、布教のあり方について
は海外とは違って日本国内においては専ら折
伏であることは当然であるし、それが単なる
地域的風習であるのか、それとも宗教の行事
なのか、積極的に参加すべきものか否か、宗
教色を帯びた行事に参加せざるを得ない場合
(結婚式、葬式等)にどのように振舞うべき
か、「仏法の根本」を踏まえて(具体的には
化儀抄等先師御指南等を踏まえて、疑問があ
れば御住職等の指導を受けつつ)行動してい
けばいい話だと思います。

創価学会内で「随方毘尼という捉え方」とい
う指導がなされているのかもしれませんが、
それが本当に「仏法の根本」を弁えたものな
のか、例えば創価学会の評判(票)に影響が
あるかもしれないから折伏しない方針になっ
たことを自己正当化するための話なのか、よ
くよく考えた方がいいと思います。

逆の行き過ぎた事例として、コンビニ勤めの
顕正会員が恵方巻の販売を拒否してクビにな
った事件があげられるでしょう。
ですが、正宗信徒自身が何処かの方向を向い
て恵方巻を丸かじりなんてしませんよね。
のび太さんは喜んで丸呑みするんですか?

2012/1/22  23:20

投稿者:のび太

『されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。』

月水御書である。これを出すと、今の宗門だって方便品の長行を読んでいないじゃないか、と言われそうだが、それは別の議論だ。ようするにわたくしが言いたいのは、御書根本を謳っている人はこうした御文をどのように拝するのか、ということなのだ。

上記は主宰の一文である。

この御書は、大学三郎の奥方が法華経を毎日一品づつ読誦して二十八品を月暦で行った方がよいか、それとも薬王品の一品読誦といずれにすべきかとの質問に対し、大聖人が肝要は方便品、寿量品の読誦です。とご指導されたものと拝しています。

弓を射って的の中心に当ったかは別にしても、的には当っていると思います。

ご存知のように大聖人は、この後に随方毘尼という捉え方を開示して、仏法の根本から大きく外れていなければ社会通念の考え方も尊重しなさいとご教示されている。

神天上の法門ではないが、神式の結婚式に出席してズハ〜サという原理主義者は、よくこの御文を理解されるべきである。(笑)


2012/1/22  21:17

投稿者:大沢克日子
おおひがし様

こんばんは。
私はおおひがしさんがその団体の会員とは思
っていません。
昨日の朝、洗濯していたら本当にたまたまお
越しになったので、話をしていたのです。

「宗教団体ではない」ということですが、元
々(戦前)は宗教団体から分派したようです
し、話しはじめの時に書籍を見せてもらいま
したが、
「会長先生をお迎えして…壇上にご英姿を仰
ぎ、熱誠こもる指導…」
云々という会合風景の写真がありました。
男性はスーツ、女性は白い服に統一で、何故
か妙に懐かしい(?)気がしました。

それはいいとして、立派な(?)教えとは裏
腹に、誰も出来ていない実態、そして出来な
い自分を「器が小さい」と責めているその人
の姿を見るとき、この団体が決して人を救え
ないことを確信しましたし、おおひがしさん
のコメントを拝見しても私が日蓮正宗を捨て
なくてはならない必要性は全く感じませんで
した。

2012/1/22  18:55

投稿者:おおひがし
ユタさんが言うようなネットワークはありませんよw
どうしてかは判りませんが奴より小生の方が信用される。
ただそれだけの事ですw
直接会った人より顔も見えない小生のような得体の知れない物に情報が流れるという事はよっぽど奴は信頼されず、嫌われているのでは無いのかとつくづく思います。

大沢さん
多少勘違いされているようですが、ユタさんと小生はどこの団体にも属さない人間です。
教えを強要しているのではなく「楽しくいこうや」という事を気軽に書き込んだだけです。
崇高な思いも立派な思想もありません。
大沢さんはどうしても宗教や思想の殻から出られないので沖浦さんに対しても心を開けないのではないのかと思う次第ですw
小生もまたそんな狭い心の持ち主ですが沖浦さんが表現する「功徳です」に代表されるスーパーポジティブという創価の考えは理にかなっているとは思います。
残念ながら沖浦さんは表現方法がどうしようもなく下手糞だという問題だけですw

2012/1/22  10:18

投稿者:ユタ
おはようございます。おおひがしさん、お久しぶりです。よく私が辞めたきっかけを御存じですね?さすが、おおひがしさんのネットワークは凄いですね。

2012/1/22  0:34

投稿者:大沢克日子
おおひがし様

こんばんは。

「ユタさんも自分の足で歩み始めた道です。
後ろ向きにならず辛く苦しい事までも全部ひ
っくるめて楽しんで人生を送ってください。

ユタさん個人に云々するつもりはありません
が、「後ろ向きにならず辛く苦しい事までも
全部ひっくるめて楽しんで人生を送る」など
というのはおおひがしさんの大いなる妄想で
しょう。

今朝、奇しくも我が家に宗教団体ではないけ
れども、どんなに苦しい事があっても自分の
内に秘めて前向きに明るく生きることを勧め
る方が来てくださったのですが、実際にその
ような事をその人自身も仲間も出来ているの
か尋ねたところ、現実にはその人自身爆発し
そうになることもあるし、仲間の内にはうつ
病になってしまう人もいるが明るく前向きに
頑張ろうとしている、と正直に話してくれま
した。

私はその団体の教えが、出来もしないような
いかにも崇高で立派そうな内容であるがおよ
そ普通の人には出来ないことであること、そ
のように我慢していれば心身ともに病んでし
まったり、爆発しそうになるのは当然である
ことを話して、折伏に入って一時間程話しま
したが、決定に至りませんでしたが最後には
当方で折伏に使っている書籍を先ずは「じっ
くり読んでみたい」ということで何か考え込
みながら帰っていきました。

その方の話ではありませんが、おおひがしさ
んのいうように「何でも前向きに楽しんで」
などというのは現実離れした話だと思います
よ。

2012/1/21  22:34

投稿者:おおひがし
ユタさんお久しぶりです、お元気でしょうか?
何でも奴と強制的に仲直りさせられて屈辱だったとか。多分その頃に接触していた人々も今頃になって"おおひがし"という人物がどうして生まれたのか思い知っている頃でしょうw
今頃書いても仕方ないのですが、奴は仕事や何かのイベント、ちょっとした書類などに必ず自分の法人でもない会社名みたいなものを入れる事にこだわります。
後になって法人取引だとか企画立案したのは自分だとか契約を交わした等と嘘を言うのです。
小生は奴が今どこで何をしているのかは全く、全然、本当に知りませんがw
奴の行動パターンから今頃出入り先のアラ探しをしている頃です。
何か突っ込み所があればそりゃもう鬼の首を取ったようにゴネまくったり怪文書を送ったりです。

ちょっと前にユタさんのお仲間だった方々にはコンタクトしていませんが彼らもまた今頃被害者になっているのかもしれないですね。
そう思うと沖浦さんが皆の意見そっちのけで好き勝手に暴れまくって巌虎さんのコメント欄が荒れる程度ならまだまだ可愛い物ではないかと小生は思ったりしています。

余談ですが小生の弟はちょっと中二病を引きずってそのまま大人になりました。
最近ようやく一人の力で社会の荒波に立ち向かい始めました。
それまでは仕事なのかバイトなのか良く判らない無職のような生活でしたが定職について頑張っている姿を見ると喜ばしい限りです。

ユタさんも自分の足で歩み始めた道です。後ろ向きにならず辛く苦しい事までも全部ひっくるめて楽しんで人生を送ってください。
宗教なんていつやったって間に合うのですから死ぬ寸前にでもお祈りれすればいいんですよw
信心の度合いによって待遇が違うなんてケツの穴が小さいような仏様ではないでしょうからw

2012/1/21  19:11

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

詭弁は止めなさい。
愚かな事をすれば他人から愚かと言われる。
女性に気持ち悪がられるような言動をすれば
気持ち悪いと言われる。
何が怨嫉なものか。単なる愚か者です。

嘘だと思うのなら、白馬のスキー場に行って
、リフト待ちしている世間一般の人々一人一
人に、「私は創価学会員の沖浦克治と言いま
す。私ってね、若い女性にモテるんですよ。
何もしなくても先方から告白してくるんです
。」と言ってみたらどうでしょうか。
十中八九、気持ち悪がられると思います。
相手が気持ち悪がったら、
「題目を唱える私を軽んじた貴方は、怨嫉謗
法です。功徳に満ち溢れる私と違って、貴方
は罰の人生を送ることになります。題目を唱
えなさい。そして、功徳を語りなさい。」
と言ってみてはいかがでしょうか。

実名で世間様に何でも公開できる沖浦さんな
ら、その様子を動画に撮影して、YouTubeに
アップすること位できますよね。

沖浦さんの言っていることはそのような事で
すから、果たして世間様の共感を得られるか
どうか、是非やってみてください。

本件はその上で話しましょう。

2012/1/21  18:29

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、今晩は

 私が正当なのか、誤った人生なのか?
 貴方と貴方の友人が気味悪いと思うのか?
 思わないのか?

 そう言う事とは全く無関係に怨嫉謗法は駄目なんです。
 貴方は御書が全く読めない。
 大石寺派だから仕方がないですが。
 私が何十回も指摘していて、それもその度に御書を引用していて、しかも理解ができない。

 もう、大聖人門下辞めたらいかがですか?

 御書、否定する貴方は、大石寺派の典型ですね。

2012/1/21  14:27

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

御書を持ち出して自己正当化すべき問題でし
ょうか。

沖浦さんが世間の女性が気持ち悪いと思わず
顔を顰めるような言動をした。
誰が悪いのかといえば、気持ち悪がられるよ
うな馬鹿な言動をした沖浦さんが悪いのです

私が同じ事をすれば、それ以外の世間一般の
男性方も同じ事をすれば、ほとんどの場合「
気持ち悪い」「口の軽い信用できない男」と
評されるのではないでしょうか。

ではその場合に、御書を持ち出して馬鹿な言
動を正当化して良いのか。
信仰していてもしていなくても、(しかも必
要性もないのに突然)愚かな発言をした沖浦
さんが悪いのです。

至極当たり前の話でしょう。

勤行しない話も、沖浦さん自身が「題目だけ
でいい」と言って創価学会版勤行すらしない
ことに対して、勝手にすればいいと言ってい
るだけの話です。
それとも沖浦さんは「そんな事を言わずに勤
行しましょうよ」とでも私に慰めてもらいた
いのでしょうか?
そういう発言を期待してネットでコメントし
ているんですか?

60歳過ぎて、何十年も信仰しているいい大
人が、何を甘えた事を言っているのでしょう
か?

己れに対する批判は全て悪口。
怨嫉謗法などとんでもない。

私が沖浦さんと同じ言動をしたら、私は世間
で孤立するでしょうね。
折伏故にではなく、己れの馬鹿さ加減故に孤
立して、「私は苛められている、法難にあっ
た」などとほざいたら、先輩から厳しい指導
を受けることでしょう。

仏法を自己正当化の道具に使ってはならない
のは当たり前のことです。
たまに沖浦さんみたいな人がいるんですよね


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