2012/7/12

法門談義の入り口  
沖浦氏は立派な人物である。これはイヤミでも何でもない。本当のことだ。

しかし、これはあくまで相対的なものである。言い換えれば、上には上がいる、ということだ。


 私は何度も宗門に公開法論を提案しています。
 返答一つありません。


残念ながら相手にして貰えないだけの話である。

此より後は下総にては御法門候べからず。了性・思念をつめつる上は他人と御論候わば、かへりてあさくなりなん。

「上には上」の意味は樋田氏を念頭に置いて書いた。氏は先般、顕正会の会長に法論を申し込んだ。これは氏のサイトに全文が載っているので、間違いないことだ。ところが沖浦氏の場合、そうした形に残るものが見当たらない。早い話が口で言っているだけだ。この意味で、樋田氏のほうが上である。

くだんの返答期限は七月十六日であるが、さて、どうなることだろうか?

たぶん顕正会側は無回答だろう。黙殺だ。結論的には樋田氏も沖浦氏も相手にして貰えない意味では同じだ。そして上掲の御文こそが、相手にしないことを正当化するための論理である。

ひじょうにややこしい話だが、平成十七年には顕正会側から宗門へ公開対決の申し込みがなされた。この時は宗門側が対決を回避した。お互い様のようであるが、委細に見れば、少し違う。今回は一信徒・一法華講員の樋田氏が顕正会の会長に挑んだのだ。ゆえに顕正会側としては相手にしなくて当たり前とも言えるわけだ。

沖浦氏の場合も同じ構図である。氏は一信徒・一会員に過ぎない。宗門としては相手にしなくて当然なのだ。

いずれにしても沖浦氏が具体的にどのような形で法論を申し込んだのか、そこが問われる。もし正式に文書等を送付したのであれば、その点では樋田氏と同等であり、ひじょうに立派なことだ。

 7月は立正安国論を出された月ですが、現存する御真筆では、くに、を表す全71文字のうち、56文字に「□<囗の中に民>」が使われています。

 民ってね、在家のことですよ。
 大聖人仏法は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わると言われます。

 その立正安国論のは、民のための書です。

 在家仏法宣言の書です。


これはデタラメもいいところだ。

七十一文字中、五十六文字が口に民と書いて、国をあらわしている。この数字はその通りなのかもしれないが、だから在家仏法宣言の書だと言いたいのならば、これほどズサンな論理もないだろう。

今はパソコンを駆使すれば、御書の語句を容易に検索できる。すると一つの単語の使用頻度がわかる。単純に考えれば、使用頻度が高いほど重要度が高い、逆に頻度が低いものは重要度が低い、ということになる。しかし、物事はそれほど単純ではない。

安国論の場合、「口に民」とそれ以外の表記をどのように考えるかだ。もし全部が全部、口に民だったら議論の余地はないのかもしれないが、ようは他の表記も存在するのだ。つまり、これは使用頻度の多寡ではなく、その使い分けを考える必要があるのだ。

国主国宰の徳政を行なふ。

大聖人は国主の国を口に王と書き、国宰の国を口に民としているのだ。

これで沖浦氏のズサンさがわかっただろう。仮にもし国主の国の字が口に民であったならば、主権在民の今日にもよく当てはまる。まさに在家仏法というか民衆仏法に相応しいことだ。戒壇論などで、現在は国民一人ひとりが国主である、などと強弁する人がいるけれども、その根拠ともなり得るだろう。しかしながら実際の御文字は上述のごとくだ。

 国王と申す事は、先生に万人にすぐれて大戒を持ち、天地及び諸神ゆるし給ひぬ。其の大戒の功徳をもちて、其の住むべき国土を定む。二人三人等を王とせず。

文永九年の四条金吾殿御返事であるが、これは前掲・安国論の傍証ともなり得る御文である。大聖人が国主国宰と仰せられる時、国主が口に王であるのは理の当然なのだ。

ちなみに四条金吾殿御返事の後半には次の御文がある。

万民の万言、一王の一言に及ばず。

この辺はポリ銀氏の守備範囲と思われるが、わたくし自身はよくわかっていない。

たとえば、これを現代に当てはめるとどうなるか、それがよくわからないのだ。教条的に解釈するならば、天皇陛下の絶対的権威を意味することになるだろう。一億二千万人が束になっても敵わない、それが王たる者の絶対的な力である。だが、しかし、これが正解なのかどうか、今のわたくしにはわからない。

2012/7/13  7:31

投稿者:沖浦克治
 菊川さんの所に、進化論がありました。

 環境に適合して進化出来ない生物は滅びる。

 宗教も同じ。

 題目は絶対だからお前たち唱えろ。

 これじゃ駄目です。

 時代を見て、人を見て、機根にあわせて広めないと駄目!

 教えは絶対でも、広めるのは人。

 人は社会に生きます。

 社会は相対で評価が決まる。

 ですので、絶対の教えは相対で広まるんです。

 その相対を、機根と言います。

 機根は環境ですから、機根にあわせて進化しないといけませんね。

 それ忘れたら、滅びが待っている。

 肝に銘じないとね。
 

2012/7/13  7:08

投稿者:沖浦克治
 昨日スクワットやりました。

 160キロで3回3セットの日。
 2セット終わってから、サポーターつけて見ようと何気なく思いました。

 セットの最初で使う使わないを決めますが、昨日に限って、急にそう思いました。
 このサポーターはどこにでもあるもので、記録が良くなると言うものではありません。

 柔らかいのです。

 サポーターでも分厚いタイプは、スクワットで2,5キロほど効くようです。
 でも、このサポーターは薄くて柔らかくて、一日中つけていても平気なタイプ。

 何しろ、膝頭はメッシュ!

 ですから、つけるつけないは、セット組むときに決めていました。

 今日は膝が少し痛い(手術して30針縫ってますので)から、つけよう・・・

 こう言う感じです。

 で、なんとなく3セット目に付けました。

 スクワットの底がメチャ軽い!!

 10キロほど違う感覚です・・・・・

 なんで〜〜!!???

 30年以上やっていて、こう言う事あるんです。

 記録に結びつく大発見でした。

 膝を少し締め付けることで、大腿四頭筋の緊張が高まるのだと思います。

 その効果が、スクワットの底の、四頭筋が最も伸びる所で出るのでしょう。

 スクワットが10キロのびました。

 功徳、功徳!!

2012/7/12  20:49

投稿者:ポリ銀
こんばんは。

お邪魔します。王のとらえ方についてですが、僕は主権在民は戯論だと思っていまして、戸田先生とその思想の信奉者である浅井先生は同じ轍を踏んだと考えています。

それは折伏と謗法退治の違いなんです。

折伏は自由意思の尊重にあります。慈悲で相手に謗法を教え、正法への帰依を促すというものです。謗法退治は強制権が発動されます。つまり淫祇邪教の禁止です。

僕は折伏法戦をいくら続けようが、どの団体であれ広宣流布は不可能だと思っています。信徒数を増やすことは可能ですが、絶滅させることは民と民の関係では永久に不可能です。

ある一時期において確定させるには、王の威徳が有形力を行使しなくては実現できないと思います。天台・伝教の時のように、王の命令で公開法論し王が裁定することで退治が可能かと思う次第であります。

2012/7/12  19:48

投稿者:沖浦克治
 法論要請は、

 日蓮正宗 青年僧侶邪義破折班

 宛に何度も出しております。

 jagihashaku@yw.main.jp

 一度として返信すらありません。

 こいつら、腰抜けですよ。

2012/7/12  19:40

投稿者:沖浦克治
 SOKEnetから引用致します。

 仏法の実践、立正安国から、抜粋引用

 立正安国論における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より一歩深く、民衆の生活の基盤としてとらえられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく自然環境の国土も含まれます。
大聖人が民衆を中心に国をとらえられていたことは立正安国論の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に「国構えに民」の字を用いられていることにもうかがうことができます。
立正安国論は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって、未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。
また、大聖人が当時の人々の苦悩を解決するため、立正安国論を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者はただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを身をもって示されたものと拝察できます。
創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で、地球的課題の解決に取り組んでいるのも「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。

2012/7/12  19:18

投稿者:沖浦克治
頑固さん、今晩は

 コメントありがとうございます。

 先ず、宗門は逃げています。
 慧妙は私の罰の最中、創価学会の信心をしているのでそう言う事が起きると書きました。
 私は、自分は創価学会を絶対に辞めない、3年後を見てくれと書きました。
 そして、3年後には既に白馬村でジムを経営し、創価学会の信心の力を身を持って証明致しました。
 慧妙に取材に来るように伝えましたがなしの礫です。

 卑怯で、卑劣で、軟弱です。
 
 宗門は慧妙を通じて、私の罰を創価学会の偽本尊の宣伝いたしました。
 私は、自分が祈って戦って創価学会の本尊が本物である証明を3年後にすると宣言し、その通りになったのです。
 宗門と慧妙には責任があります。
 それを無責任に逃げる。

 最低の宗派と機関誌です。

 相手にしないで、済むことではありません。

 立正安国論の国の文字は、貴方と私では捉え方が異なっています。

 創価学会では、私の考えを公式に発表しています。
 ですので、私はそれで満足です。

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