2012/7/25

間違いだらけの沖浦説  
昨日のコメント欄は沖浦氏の独壇場だった。一読して思うことは、沖浦ワールドの面目躍如、ということだ。

それにしても驚いた。わたくしは戒壇建立の話をしていたのだが、いつの間にか戒壇本尊の話に摩り替わっているのだ。これはまあ、沖浦氏の持論なので仕方がないところではあるが、しかし、それよりも何よりも実はもっと驚いたことがあるのだ。

本門の本尊はどう言う漫荼羅本尊でもあ得りません。

煩瑣になるので必要な箇所だけピックアップした。「あ得りません」は、どうやったらこういう誤変換になるのかわからないが、「あり得ません」のことだろう。

誤字脱字はともかくとして、いったい何を考えているのだろうかと不思議に思うところだ。オマエ、日女御前御返事を読んだことあんのかよ、と言いたいところだ。まずは冒頭の一文を拝することにしよう。

 御本尊供養の御為に・・・

ここでの御本尊は何を意味するのだろうか?

此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事なり。

大聖人のあらわされた御本尊には「未曾有の大曼荼羅也」と認められている。これを現証とすれば、その文証が上掲である。道理のわかる人ならば疑問の余地はないだろう。御本尊=曼荼羅、曼荼羅=御本尊なのだ。

馬鹿馬鹿しい限りだが、いちおう沖浦氏の言い分を掲げておこう。

 ここで重要なことは、天台等が図顕せずではなく、

 『言には出し給はず』

 とお書きの部分です。
 漫荼羅は言葉ではないので、言には出せません。


ここも煩瑣になるので最小限の引用に抑えたが、これはさすがにおかしいだろう。もっと素直に読めないものかと思う。ようするに正像二千年には本門の本尊という名前すらなかった。当然、本尊は存在しない。本尊を書く人がいないからである。では、誰も本門の本尊を知らなかったのかと言えば、そうではない。天台・妙楽・伝教は知っていた。しかし、理由があって、それを言わなかった。

以上、本門の本尊は曼荼羅ではない、との沖浦説はまったくのデタラメであることがわかった。

 大聖人の御書で、三大秘法のご本尊について書かれている箇所は、三大秘法禀承事、にあります。

さて、今度は二つ目のコメントである。三大秘法抄の本文は省略させていただくとして、さっそく結論部分を紹介しよう。

 三大秘法の本尊と言うものは、久遠元初の南無妙法蓮華経如来だと仰せです。
 五百塵点当初とは、久遠元初の事ですし、久遠元初の釈尊とは、南無妙法蓮華経如来です。
 ですので、

 三大秘法の大御本尊とは、南無妙法蓮華経如来。


少々強引に思えるが、なるほど、沖浦ワールドそのものである。あながち間違いとも言い切れないが、さりとて正解とも思えない。これは微妙なところだ。そういうわけで、ここではいちおう次のキーワードを念頭において、一つ確認させていただこう。

人法体一 人法一箇

わたくしの思うに、沖浦氏は人法のうちの人の側面ばかりを強調し、法を蔑ろにしているのではないか?

もし、そうであれば、これは明らかな偏重であろう。もはや故意に曼荼羅御本尊を軽視しているとしか言い様がないことだ。

 では、この南無妙法蓮華経如来とは具体的にどう言う存在なのか?

三つ目のコメントがこれまた悩ましい。御義口伝・総勘文抄・当体義抄など、一般には難しいとされている御書を並べて、次の結論を導き出している。

 私共一切衆生が、大聖人仏法では、三大秘法の大御本尊の当体であることを信受する。

では、お聞きしよう。三大秘法抄を拝したい。

三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。

南無妙法蓮華経如来に懺悔滅罪が必要なのだろうか?

沖浦氏の論法では、久遠元初の教主釈尊は南無妙法蓮華経如来であって、南無妙法蓮華経如来とは自分たち一切衆生のことであって、すなわち三大秘法の大御本尊の当体である、ということのようだ。

わかっとらん、としか言い様がない。

同じく三大秘法抄には、一念三千の証文を求める一段が設けられている。ここに答えが尽きているのだ。

底下の凡夫理性所具の一念三千

大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千


どうやら沖浦氏はこの二つを混同しているようである。

世界宗教に創価学会がなると、(必ずなりますが)やはり儀式の場としての、大きな建造物が必要になります。

 バチカン宮殿の様な物が、対外的にもSGI会員のためにも必要になります。
 その建物が建つ地域が、世界の聖域となって、世界中の方が訪れる世が来るのです。

 場所は何処か?

 厚田村でしょう。

 戸田先生の故郷が、世界の聖地して繁栄する日が150年先には実現します。
 
 嬉しいですね。


最後のコメントは全文引用した。

百五十年先に実現・・・

この数字に根拠はあるのだろうか?

それはともかく上掲には恐れ入った。聖域だの聖地だの、これは完全な自家撞着だろう。戒壇建立を否定しておきながら、よくも言えたものである。沖浦氏の先の三つのコメントを総合すれば、そこには自ずと理壇説が浮かび上がってくるように思う。事壇に対する理壇、すなわち築壇を必要としない、即是道場・己心戒壇である。これはこれで立派な主義主張なのだが、最後のコメントに至って大ドンデン返しが待っていた。

厚田村を聖地にする?

確かに恩師を顕彰する目的でそういったことが行なわれてもおかしくはないが、それをことさら聖地として崇め立てるのはどうかと思う。たぶん戸田氏も望んでいないはずだ。

沖浦氏は難しい御書をたくさん知っているけれども、全体的なバランスを失しているのではないかと思う。今一度、虚心坦懐になって御書を全編、拝読し直したらどうかと提案したい。

2012/7/28  10:30

投稿者:沖浦克治
 打ち間違いです

 具足ではなくて、義足でした。

 貴方はどうでもいいですが、厳虎さんにご指摘うけますので・・

2012/7/28  10:28

投稿者:沖浦克治
欄外さん、

 オリンピックに具足のランナーが出るでしょう。

 あの方ね、日本にいたら、1級の身体障害者です。
 貴方人間革命で宮古島の記事読みませんでしたか?
 あちらの一粒種の方が、片腕がご不自由で、片手で船を漕いでご活躍なさいました。
 先生が人間革命でそれを、

 『彼は障害を飛躍台にした。』(趣意)

 と書かれておられます。
 このランナーと同じですね。

 私は指先が障害で不自由ですが、それをバネにして生きています。
 貴方は命に障害があって、人生が不自由です。
 何とかしないとね。

 頑張るんですよ。

2012/7/28  9:47

投稿者:んっ?
基地外さん,おはよう♪

「鉛筆は持てないが200kgの鉄の塊は持てる」
「仕事は無理だがスキーは出来る」っていう話は何度も聴いたww

2012/7/28  7:36

投稿者:沖浦克治
 変換ミスです

 欠けませんでした〜書けませんでした

2012/7/28  7:34

投稿者:沖浦克治
厳虎さん、おはようございます

>沖浦氏は難しい御書をたくさん知っているけれども、全体的なバランスを失しているのではないかと思う。今一度、虚心坦懐になって御書を全編、拝読し直したらどうかと提案したい。

 ご指摘ありがとうございます。
 私はネットをやって良かったと思う事がいくつかあります。
 中の一つに、
 
 御書をネット以前より、深く読めるようになった。

 事があります。
 私は手に障害があって、小さいころから字がまともに欠けませんでした。
 ですので、メモを取ることがあまり出来ません。
 それで、大事な所は暗記する癖が勝手につきました。
 それはそれで得をしていますが、字が書けないことはやはり大きなハンディーでした。
 そして、パソコンと出会い、キーボードを覚えました。

 気が遠くなるほどの喜びの世界でした。
 字が自由に書けて、文章が作成できる。

 目が見えない人が目が見えた思いでした。

 この喜びは、健常者の方には絶対に理解が出来ないでしょう。

 そして、御書です。

 読める、書ける、検索できる!!

 ネットは教学研修の宝庫だと思って現在に至っています。

 ですので、これからも御書を学びます。
 そして、私が以前書いて来たことが、創価学会の新しい教学の捉え方と、ほとんどが合致しています。

 嬉しいです。

2012/7/27  20:53

投稿者:沖浦克治
 ドンパン節さん、今晩は

 汽車の窓からチンチン出して、
 汽車チン出したと大威張り。
 そこに車掌が検札に来たが、
 あんまりでかいのでツリがない。

 こっちの方が面白いんじゃ・・・・・・

2012/7/27  20:50

投稿者:沖浦克治
 欄外や

 君には仏法は無理、

 道徳教育からやりなさい。

 以上申し付けます。

2012/7/27  20:48

投稿者:沖浦克治
 ユタさん、今晩は

 そんなことありませんよ。

2012/7/27  18:41

投稿者:ドンパン節
うちのオヤジはハゲ頭
隣のオヤジもハゲ頭
ハゲとハゲが喧嘩して〜
どちらもケガなくよか〜ったね〜
沖浦巌虎対談だね

2012/7/27  12:50

投稿者:んっ?
>沖浦氏は難しい御書をたくさん知っているけれども、
>全体的なバランスを失しているのではないかと思う。
>今一度、虚心坦懐になって御書を全編、拝読し直したらどうかと提案したい。

誰が観てもそう感じるでしょう。
彼の場合は全てにおいて基礎が出来てない。
にも拘らず少しかじっては背伸びして見栄を張る。

以前も書きましたが三大秘法に関しても

>11 :沖修羅:2008/07/24(木) 17:11:48
>一大秘法は本門の題目。
>以前私が任用試験で教わった内容でした。
>当たり前す過ぎるほど当たり前の感覚でいましたので、oh!noさんの書き込みで
>アレレ、ひょっとすると変ったんだろうか?と、思った次第です。
>最近、法華講の方々と会話をするたびにこの話題が出ます。
>創価学会は三大秘法をどう捉えるか?
>よく聞かれます。
>私は学会を代表致しません。と、お断りをしてお話を致します。
>ところが、一大秘法は本門の題目です。と言うと、反論が起こります。
>お聞きしてみると、あちらではそう教えるのです。
>少し自分の知識が不安になりましたので、友人に確認致しました、
>それで、皆様のご意見もお聞きしたくスレをたてました。
>昭和37年でした。
>ガリ版刷りのプリントを頂いて、その中に一大秘法、三大秘法、六大秘法、と
表になっていました。
>ですからつい最近まで当たり前だと思っていました。
>私がいつも言う、仏が釈、衆生が本。は、この影響が強くありました。
>ここで書き込みむで、一大秘法は本門の題目だ。と
>43年間(注:46年間)信じていました。驚きの思いですね。

此の有様ですが,勝他の念から軌道修正出来ずにNETを眺めては
自説に都合の良い文章を御書や学会指導から切文で貼り付ける。

反論されると「宗門教学」だと言い張り,間違いを認めない。
最近は法華講から「学会教学」を提示される始末ww

年齢が年齢だけに意固地になり,どんどん間違いが深まって
笑われている事にすら気付かない。(憐)

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