2012/7/31
三者三様のテーマ
ポリ銀氏のコメントは衝撃的だ。
顕正会の御本尊様の件ですが、前の上長であったKさんの話では御形木様を印刷しているようですね。改竄等はいっさいしてないようなので、顕正会から言えば本物で正宗からすれば不許可の偽物のということでしょう。
樋田さんを無視したのは、あえてこのことを喧伝したくない意図の顕れでしょうね。
僕個人は御形木様が例え本物でも、仮に大石寺も印刷所に御形木様を発注しているにせよ、私製というのは受け入れられないというのが正直な気持ちです。
あっさりと書いてしまっているけれども、物凄く重要な証言である。前の上長だった人の言っていることが事実であれば、それはまさにニセ本尊であることを認めたに等しいことなのだ。
なぜならば、浅井先生は妙縁寺所蔵の御本尊を譲り受けた、常住御本尊はもちろんのこと御形木御本尊もすべて妙縁寺のもの・・・これが現時点での公式発表のはずなのだ。ゆえに、もし顕正会で勝手に印刷したとすれば、今までの説明がウソになるのだ。
ここで根源的な問いを発するならば、顕正会版の本尊に功徳はあるか、ということになる。これは創価学会版も同様である。
当然、宗門は認めないだろう。それはわかり切った話だ。
しかし、これはけっこう難しい問題であって、そう簡単には解決しない。創価学会の場合は平成五年から独自の本尊を下付するようになった。すでに二十年になんなんとしているのだ。ようは既成事実化しつつある。宗門が何を言おうがそれがまかり通ってしまっているのだ。
ゆえに顕正会もこの件に関しては開き直ってくる可能性がある。そうなると物凄く厄介だ。
わたくしの思うに、ここはあくまで自語相違を責めるべきなのだ。顕正会で印刷しているのであれば、それは完全な自語相違であり、ウソとなる。長い間、会員をも欺いていたことになるのだから、これは創価学会よりも遥かに悪質だ。そんな連中が御遺命を云々したところで、説得力はない。
以上、くだんの上長の言っていることが本当ならば、顕正会もオシマイである。
2012/7/31 1:38
投稿者:山門入り口
【道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。】
真言の師による、調伏をさしてるのですよ。
さて、今度は山門入り口氏だが、どうも要領を得ない。出し惜しみをしているのではないかと勘ぐりたくなるところだ。
そこで今回は問いを二つ設けよう。
問一、上掲の御指南が真言師による調伏を指していることは何によって知ることができるのか?
問二、前問がクリアできたとして、では、それがなぜに真言批判に当たるのか?
以上、山門入り口氏には出し惜しみすることなく、お答え願いたい。
一大秘法とは、一切衆生が元々持っている己心の妙法である、南無妙法蓮華経のこと。
この事実を一大事の秘法と言います。
三大秘法は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、ですが、この中で本尊と題目は同じものの捉え方の異なりで、衆生己心の南無妙法蓮華経。
そして、その己心は身体が無いと保てませんね。
それで、身体を宝器と言って、これが本門の戒壇です。
ひとまとめにして、一大秘法ですが、私共自身の事です。
大聖人は御義口伝を始めとして、多くの御書で繰り返してご指南です。
釈迦は虚空に宝塔を思い描いて、その私共の己心の妙法を説明いたしました。
それを、そのまま曼荼羅に顕したものが、大聖人のご本尊。
ですので、ご本尊は私共の己心の妙法の青写真です。
本体は私どもが備えています。
あらゆる宗教と、大聖人仏法の異なりが、この部分です。
生命至上主義です。
命が南無妙法蓮華経如来ですから、根本尊敬せねばなりません。
最後は沖浦氏だ。
まず、簡単なところから入ろう。上掲の戒壇の説明は御書のどこから導き出されるのだろうか?
自分の身体が本門の戒壇?
たぶん己心戒壇の一種というか、おそらくはわたくしのために平易に説明下さったのだろう。言わんとしていることはわからなくもないが、反証はいくらでも可能だ。
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。
自分の身体が戒壇だったら、わざわざ最勝の地を尋ねて建てる必要はない。つまり、沖浦氏の主張は三大秘法抄の御指南と真っ向から対立するのだ。さあ、どうする?
命が南無妙法蓮華経如来ですから、根本尊敬せねばなりません。
これは単に、一切有情悉有仏性とか、不軽菩薩の但行礼拝とか、そういう次元の話ではあるまいか?
少し難しいが、当体義抄の御文をぶつけてみよう。沖浦氏がどのように答えるか、ひじょうに興味深いところだと思う。
問ふ、一切衆生皆悉く妙法蓮華の当体ならば、我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや。
沖浦氏の考え方で行くと、勿論なり、ということになりそうだが、大聖人は違うことをおっしゃっている。当然、大聖人の仰せに従うべきである。
ご本尊は私共の己心の妙法の青写真です。
沖浦氏が言うここでのご本尊は曼荼羅本尊のことだろう。つまり、私共の己心の妙法こそが真実の本門の本尊であって、曼荼羅本尊は青写真に過ぎない、というのが氏の主張だ。
しかし、これは間違いである。前掲は問いの部分しか紹介しなかったが、その答えの部分を拝すればよくわかることだ。ここではあえて切り文を紹介しよう。
妙法蓮華の体と云はるべからず。
妙経の体に非ず。
さらに当体義抄の後半には次の一節がある。
凡そ法華経の意は、譬喩即法体、法体即譬喩なり。
直接的な意味はわからないが、当該御文は沖浦氏の言う青写真を真っ向から否定しているごとくである。
顕正会の御本尊様の件ですが、前の上長であったKさんの話では御形木様を印刷しているようですね。改竄等はいっさいしてないようなので、顕正会から言えば本物で正宗からすれば不許可の偽物のということでしょう。
樋田さんを無視したのは、あえてこのことを喧伝したくない意図の顕れでしょうね。
僕個人は御形木様が例え本物でも、仮に大石寺も印刷所に御形木様を発注しているにせよ、私製というのは受け入れられないというのが正直な気持ちです。
あっさりと書いてしまっているけれども、物凄く重要な証言である。前の上長だった人の言っていることが事実であれば、それはまさにニセ本尊であることを認めたに等しいことなのだ。
なぜならば、浅井先生は妙縁寺所蔵の御本尊を譲り受けた、常住御本尊はもちろんのこと御形木御本尊もすべて妙縁寺のもの・・・これが現時点での公式発表のはずなのだ。ゆえに、もし顕正会で勝手に印刷したとすれば、今までの説明がウソになるのだ。
ここで根源的な問いを発するならば、顕正会版の本尊に功徳はあるか、ということになる。これは創価学会版も同様である。
当然、宗門は認めないだろう。それはわかり切った話だ。
しかし、これはけっこう難しい問題であって、そう簡単には解決しない。創価学会の場合は平成五年から独自の本尊を下付するようになった。すでに二十年になんなんとしているのだ。ようは既成事実化しつつある。宗門が何を言おうがそれがまかり通ってしまっているのだ。
ゆえに顕正会もこの件に関しては開き直ってくる可能性がある。そうなると物凄く厄介だ。
わたくしの思うに、ここはあくまで自語相違を責めるべきなのだ。顕正会で印刷しているのであれば、それは完全な自語相違であり、ウソとなる。長い間、会員をも欺いていたことになるのだから、これは創価学会よりも遥かに悪質だ。そんな連中が御遺命を云々したところで、説得力はない。
以上、くだんの上長の言っていることが本当ならば、顕正会もオシマイである。
2012/7/31 1:38
投稿者:山門入り口
【道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。】
真言の師による、調伏をさしてるのですよ。
さて、今度は山門入り口氏だが、どうも要領を得ない。出し惜しみをしているのではないかと勘ぐりたくなるところだ。
そこで今回は問いを二つ設けよう。
問一、上掲の御指南が真言師による調伏を指していることは何によって知ることができるのか?
問二、前問がクリアできたとして、では、それがなぜに真言批判に当たるのか?
以上、山門入り口氏には出し惜しみすることなく、お答え願いたい。
一大秘法とは、一切衆生が元々持っている己心の妙法である、南無妙法蓮華経のこと。
この事実を一大事の秘法と言います。
三大秘法は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、ですが、この中で本尊と題目は同じものの捉え方の異なりで、衆生己心の南無妙法蓮華経。
そして、その己心は身体が無いと保てませんね。
それで、身体を宝器と言って、これが本門の戒壇です。
ひとまとめにして、一大秘法ですが、私共自身の事です。
大聖人は御義口伝を始めとして、多くの御書で繰り返してご指南です。
釈迦は虚空に宝塔を思い描いて、その私共の己心の妙法を説明いたしました。
それを、そのまま曼荼羅に顕したものが、大聖人のご本尊。
ですので、ご本尊は私共の己心の妙法の青写真です。
本体は私どもが備えています。
あらゆる宗教と、大聖人仏法の異なりが、この部分です。
生命至上主義です。
命が南無妙法蓮華経如来ですから、根本尊敬せねばなりません。
最後は沖浦氏だ。
まず、簡単なところから入ろう。上掲の戒壇の説明は御書のどこから導き出されるのだろうか?
自分の身体が本門の戒壇?
たぶん己心戒壇の一種というか、おそらくはわたくしのために平易に説明下さったのだろう。言わんとしていることはわからなくもないが、反証はいくらでも可能だ。
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。
自分の身体が戒壇だったら、わざわざ最勝の地を尋ねて建てる必要はない。つまり、沖浦氏の主張は三大秘法抄の御指南と真っ向から対立するのだ。さあ、どうする?
命が南無妙法蓮華経如来ですから、根本尊敬せねばなりません。
これは単に、一切有情悉有仏性とか、不軽菩薩の但行礼拝とか、そういう次元の話ではあるまいか?
少し難しいが、当体義抄の御文をぶつけてみよう。沖浦氏がどのように答えるか、ひじょうに興味深いところだと思う。
問ふ、一切衆生皆悉く妙法蓮華の当体ならば、我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや。
沖浦氏の考え方で行くと、勿論なり、ということになりそうだが、大聖人は違うことをおっしゃっている。当然、大聖人の仰せに従うべきである。
ご本尊は私共の己心の妙法の青写真です。
沖浦氏が言うここでのご本尊は曼荼羅本尊のことだろう。つまり、私共の己心の妙法こそが真実の本門の本尊であって、曼荼羅本尊は青写真に過ぎない、というのが氏の主張だ。
しかし、これは間違いである。前掲は問いの部分しか紹介しなかったが、その答えの部分を拝すればよくわかることだ。ここではあえて切り文を紹介しよう。
妙法蓮華の体と云はるべからず。
妙経の体に非ず。
さらに当体義抄の後半には次の一節がある。
凡そ法華経の意は、譬喩即法体、法体即譬喩なり。
直接的な意味はわからないが、当該御文は沖浦氏の言う青写真を真っ向から否定しているごとくである。
2012/8/2 7:47
投稿者:沖浦克治
2012/8/2 6:36
投稿者:沖浦克治
戒壇本尊本懐を、全く信じていない私の功徳です。
昨日、耕治と新しい事務所の玄関の上に、企業名のバナーを出しました。
8月1日を期して出したのです。
事務所は、国道148号線から白馬五竜スキー場を抜けて、イイモリゲレンデの前を通り、白馬47スキー場へ至る、新幹線道路への分岐点にあります。
スキーを終えて、帰宅される方々のお車が、新幹線道路から国道に出る交差点にあるのです。
シーズン中は百万台を超える車が、その交差点の信号待ちで、私共の企業の名前をご覧になられるでしょう。
今回はバナーを出しましたが、シーズンインまでに、大きな看板を出します。
現在、デザインをしていて、秋には業者さんがお暇になるので、注文致します。
5メートル×、2メートル程度の大きなサイズを出すつもりです。
白馬村のメインストリートのど真ん中に、大看板!!!
大きな宣伝効果が期待できます。
嬉しいですね。
私共は、
明日はつぶれる。
明後日は無くなる。
来週は夜逃げする。
そう言うふうにネットで、悪口雑言を受けた企業です。
何一つ悪い事はしていません。
真面目に、製品を開発し、
真面目に、お客様を大切にし、
真面目に、商売をして来ました。
ですから、この大不況にも耐えたのです。
そして今、特許もおり、商標もおり、事務所も出来ました。
白馬では、販売所としての私の家と、事務所と製造所としての耕治の家の2軒になりました。
白馬に来て7年。
7は仏法で意義のある数字。
嬉しいです。
創価の信心の功徳です!!!
昨日、耕治と新しい事務所の玄関の上に、企業名のバナーを出しました。
8月1日を期して出したのです。
事務所は、国道148号線から白馬五竜スキー場を抜けて、イイモリゲレンデの前を通り、白馬47スキー場へ至る、新幹線道路への分岐点にあります。
スキーを終えて、帰宅される方々のお車が、新幹線道路から国道に出る交差点にあるのです。
シーズン中は百万台を超える車が、その交差点の信号待ちで、私共の企業の名前をご覧になられるでしょう。
今回はバナーを出しましたが、シーズンインまでに、大きな看板を出します。
現在、デザインをしていて、秋には業者さんがお暇になるので、注文致します。
5メートル×、2メートル程度の大きなサイズを出すつもりです。
白馬村のメインストリートのど真ん中に、大看板!!!
大きな宣伝効果が期待できます。
嬉しいですね。
私共は、
明日はつぶれる。
明後日は無くなる。
来週は夜逃げする。
そう言うふうにネットで、悪口雑言を受けた企業です。
何一つ悪い事はしていません。
真面目に、製品を開発し、
真面目に、お客様を大切にし、
真面目に、商売をして来ました。
ですから、この大不況にも耐えたのです。
そして今、特許もおり、商標もおり、事務所も出来ました。
白馬では、販売所としての私の家と、事務所と製造所としての耕治の家の2軒になりました。
白馬に来て7年。
7は仏法で意義のある数字。
嬉しいです。
創価の信心の功徳です!!!
2012/8/2 6:33
投稿者:沖浦克治
ポリ銀さん、おはようございます。
戒壇本尊が特別だと言う思想は、大聖人にはありません。
興師にも、目師にもございません、道師は否定的な見解を残していますし、有師の本尊論にも出て来ません。
寛師以前に少し見られますが、論として成立させたのは寛師です。
大聖人が採用されなかった教義を、26代目が突然言い出す。
おかしすぎますね。
ですので、私は戒壇本尊本懐論は邪義だと思います。
然しながら、戒壇本尊を本懐と信じまいと信じようと、大聖人のご本尊に唱える題目の力は変わりません。
ここが一番大事です。
宗門は、
戒壇本尊を信じて唱えない題目は力が無い。
こう言いまが、現在創価学会んの中に、戒壇本尊などはありません。
極々一部の古参会員がこだわるだけ。
戒壇本尊に関心すらない、創価学会員の功徳の現状が、聖教新聞の紙面を毎日賑わし、私自身も大きな功徳を出す毎日。
戒壇本尊を本懐だと信じないと、題目に力が無いと言う、宗門の主張は間違いです。
戒壇本尊が特別だと言う思想は、大聖人にはありません。
興師にも、目師にもございません、道師は否定的な見解を残していますし、有師の本尊論にも出て来ません。
寛師以前に少し見られますが、論として成立させたのは寛師です。
大聖人が採用されなかった教義を、26代目が突然言い出す。
おかしすぎますね。
ですので、私は戒壇本尊本懐論は邪義だと思います。
然しながら、戒壇本尊を本懐と信じまいと信じようと、大聖人のご本尊に唱える題目の力は変わりません。
ここが一番大事です。
宗門は、
戒壇本尊を信じて唱えない題目は力が無い。
こう言いまが、現在創価学会んの中に、戒壇本尊などはありません。
極々一部の古参会員がこだわるだけ。
戒壇本尊に関心すらない、創価学会員の功徳の現状が、聖教新聞の紙面を毎日賑わし、私自身も大きな功徳を出す毎日。
戒壇本尊を本懐だと信じないと、題目に力が無いと言う、宗門の主張は間違いです。
2012/8/2 2:06
投稿者:山門入り口
「殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき」
【撰時抄】
「かつしられて候やうに当世の高僧真言天台等の人人の御いのりは叶うまじきよし、前前に申し候上今年鎌倉の
真言師等は去年より変成男子の法をこなはる、隆弁なんどは自歎する事かぎりなし、七八百余人の真言師東寺天
台の大法秘法尽して行ぜしがついにむなしくなりぬ」
【法門申さるべき様の事 】
(*学会版のネット御書しよう)
出し惜しみではなくて、参考書籍がどれだったか、探すのが大変なだけです。
宗教関係の書籍だけでも数百もあるので、どれに掲載されていたか覚えてないだけです。
ここか↓
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1643661.html
↓この辺りから探してみて下さい。
http://www.google.co.jp/#hl=ja&gs_nf=1&gs_is=1&cp=8&gs_id=1ao&xhr=t&q=%E6%97%A5%E8%93%AE%E3%80%80%E7%9C%9F%E8%A8%80%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%80%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%AA%BF%E4%BC%8F&pf=p&sclient=psy-ab&oq=%E6%97%A5%E8%93%AE%E3%80%80%E7%9C%9F%E8%A8%80%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%80%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%AA%BF%E4%BC%8F&gs_l=&pbx=1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&fp=457e6e507687b770&biw=842&bih=583&bs=1
【撰時抄】
「かつしられて候やうに当世の高僧真言天台等の人人の御いのりは叶うまじきよし、前前に申し候上今年鎌倉の
真言師等は去年より変成男子の法をこなはる、隆弁なんどは自歎する事かぎりなし、七八百余人の真言師東寺天
台の大法秘法尽して行ぜしがついにむなしくなりぬ」
【法門申さるべき様の事 】
(*学会版のネット御書しよう)
出し惜しみではなくて、参考書籍がどれだったか、探すのが大変なだけです。
宗教関係の書籍だけでも数百もあるので、どれに掲載されていたか覚えてないだけです。
ここか↓
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1643661.html
↓この辺りから探してみて下さい。
http://www.google.co.jp/#hl=ja&gs_nf=1&gs_is=1&cp=8&gs_id=1ao&xhr=t&q=%E6%97%A5%E8%93%AE%E3%80%80%E7%9C%9F%E8%A8%80%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%80%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%AA%BF%E4%BC%8F&pf=p&sclient=psy-ab&oq=%E6%97%A5%E8%93%AE%E3%80%80%E7%9C%9F%E8%A8%80%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%80%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%AA%BF%E4%BC%8F&gs_l=&pbx=1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&fp=457e6e507687b770&biw=842&bih=583&bs=1
2012/8/1 22:41
投稿者:ポリ銀
正系門家の信者の中で誠意を以て信仰しながら、除名だの破門だの、処分をいただいてしまった信徒の方というのは大勢おられると思います。
僕の所属寺院の支部は、中世以降では最有力寺院でした。
最近思うことは、正系門家の信徒ならば讃岐本門寺信徒宗の信仰を思い出すべきということなんです。彼らは、北山系の末寺に組み入れられても、300年の時を経て正宗に復帰しております。
異流儀ないしは、個人的に処分をくらってしまった方も、正宗に冥伏して時を待つべきのみ。
戒壇の御本尊様から離れてしまうリスクの方が高いと思うのです。
僕は現在法華講員ですが、日蓮正宗が無謬だとはちっとも思っていません。でも、戒壇の御本尊様あるところ、そこにしか正統はないと思っています。僕が戸田さんを尊敬しつつ、浅井さんを見限ったのはそのあたりの関係性ですね。浅井さんは、御形木様とはいえ踏み切ってしまった。ここに後戻りできないものがあるのです。
戸田さんも日淳上人を謗った。でも、懺悔してあれだけの事を成し遂げ、墓は五重塔に寄り添うように存在しているのです。
僕の所属寺院の支部は、中世以降では最有力寺院でした。
最近思うことは、正系門家の信徒ならば讃岐本門寺信徒宗の信仰を思い出すべきということなんです。彼らは、北山系の末寺に組み入れられても、300年の時を経て正宗に復帰しております。
異流儀ないしは、個人的に処分をくらってしまった方も、正宗に冥伏して時を待つべきのみ。
戒壇の御本尊様から離れてしまうリスクの方が高いと思うのです。
僕は現在法華講員ですが、日蓮正宗が無謬だとはちっとも思っていません。でも、戒壇の御本尊様あるところ、そこにしか正統はないと思っています。僕が戸田さんを尊敬しつつ、浅井さんを見限ったのはそのあたりの関係性ですね。浅井さんは、御形木様とはいえ踏み切ってしまった。ここに後戻りできないものがあるのです。
戸田さんも日淳上人を謗った。でも、懺悔してあれだけの事を成し遂げ、墓は五重塔に寄り添うように存在しているのです。
2012/8/1 21:54
投稿者:沖浦克治
ユタさん、今晩は
本当ですね、この板のいいところですね。
本当ですね、この板のいいところですね。
2012/8/1 21:01
投稿者:ユタ
こんばんは。少し落ち着きましたかね?顕正会員のブログで、創価学会員同士が言い争っている姿は、大変失礼ながら滑稽に見えます。まあ、某板では法華講員同士がよくトラブってますけどね。(笑)
バーズ博士さんのネタにならなければいいのですが……。
バーズ博士さんのネタにならなければいいのですが……。
2012/8/1 8:01
投稿者:沖浦克治
欄外さん
御書に生き様学ばないから、現在の貴方がいるのです。
振る舞いただして、功徳書ける生活にしましょうね。
御書に生き様学ばないから、現在の貴方がいるのです。
振る舞いただして、功徳書ける生活にしましょうね。
2012/8/1 7:54
投稿者:んっ?
基地外君,おはよう♪
>貴方と泥仕合すると、厳虎さんがごめいわくです。
此のスレで初めに絡んできたのは誰だ?
素直に「突っ込まないでね」と御願いしなさいww
>それで、人生と信心の先輩として少し注意をいたします。
申し訳ないが,私は「沖浦新宗」の信者になったつもりはないが?ww
半世紀退転してた老人に先輩面されてもね〜。ww
>貴方と泥仕合すると、厳虎さんがごめいわくです。
此のスレで初めに絡んできたのは誰だ?
素直に「突っ込まないでね」と御願いしなさいww
>それで、人生と信心の先輩として少し注意をいたします。
申し訳ないが,私は「沖浦新宗」の信者になったつもりはないが?ww
半世紀退転してた老人に先輩面されてもね〜。ww
2012/8/1 7:10
投稿者:沖浦克治
大白蓮華8月号22Pに、
『世界は日蓮仏法を知りたいという機根であるにもかかわらず、頭ごなしに、「邪宗、邪宗」となると、大聖人の仏法を教えようと思っても、感情的になって本人が苦しんだり、入信することができずして、かえって苦しめてしまう場合がある。
ですから、そう言う極端な呼び方をしてはならない、またする必要がない。
じゅんじゅんと大聖人のこと、創価学会のことを教えていく。
こういう通知を出しました。』
池田先生が、昭和39年に既にこう言うご指導をされています。
私は当時18歳で、縦線の男子部班長でした。
先輩が言いました。
これを宗門に言うと、大騒ぎになるだろう。
今、掲示板で創価学会員を名乗って他宗を、邪宗、邪宗、と浮かれ騒ぐ人がいます。
仏敵だ!
仏罰だ!
こう言う人は、創価学会の中で、半世紀は取り残された、化石見たいな方です。
少し真面目に創価思想勉強するべきですね。
『世界は日蓮仏法を知りたいという機根であるにもかかわらず、頭ごなしに、「邪宗、邪宗」となると、大聖人の仏法を教えようと思っても、感情的になって本人が苦しんだり、入信することができずして、かえって苦しめてしまう場合がある。
ですから、そう言う極端な呼び方をしてはならない、またする必要がない。
じゅんじゅんと大聖人のこと、創価学会のことを教えていく。
こういう通知を出しました。』
池田先生が、昭和39年に既にこう言うご指導をされています。
私は当時18歳で、縦線の男子部班長でした。
先輩が言いました。
これを宗門に言うと、大騒ぎになるだろう。
今、掲示板で創価学会員を名乗って他宗を、邪宗、邪宗、と浮かれ騒ぐ人がいます。
仏敵だ!
仏罰だ!
こう言う人は、創価学会の中で、半世紀は取り残された、化石見たいな方です。
少し真面目に創価思想勉強するべきですね。
貴方方は身延派と言うでしょう。
でも、大石寺派と呼ばれると嫌ですよね。
元々宗門は身延派の一派でした。
日蓮宗富士派。
これが前の名称です。
100年前、名称変更し、日蓮正宗になったのです。
ですので、身延各宗派を、身延派と呼ぶなら、宗門は必然的に、日蓮宗大石寺派となります。
その名称を使用しないなら。
身延各宗とか、日蓮宗とか、そう言う名称を、貴方方は他の日蓮系に使用する必要があります。
ここで宗門の成り立ちを簡単におさらい致しましょう。
大聖人は御入滅前に、6人の本弟子を定められました。
一、弘安五年壬午九月十八日、武州池上に入御地頭衛門大夫宗仲。
同十月八日、本弟子六人を定め置かる(此の状六人面々に帯すべし云々。日興一筆なり。)
定
一弟子六人の事(不次第)
一、蓮華阿闍梨 日持
一、伊与公 日頂
一、佐土公 日向
一、白蓮阿闍梨 日興
一、大国阿闍梨 日朗
一、弁阿闍梨 日昭
以上は興師が書き残されています。
ここで注目すべきは、
一弟子六人の事(不次第)
です。
弟子6人は全く平等です。
不次第ですから。
そして、名前の順番が、入門時期と正反対になっているでしょう。
弟子入りの時期は無関係だとお示しです。
ですので、大聖人は、興師も、郎師も、向師も、昭師も、頂師も、持師も、全く平等に見ておられます。
文証で残ってますからね、信受すればいいのですが、宗門だけは興師が唯受一人だと駄々をこねます。
そう言うものはありません。
本弟子を大聖人が御入滅直前に定められ、キチンと文証が残っています。
ですので、二箇相承は後世の偽書です。
結論として、
興師が特別な弟子ではない!!
ここまでを、先ずキチンと把握する必要があります。