2012/10/30

御都合主義の正体  
前回に続いて顕正新聞の話題だが、その前に高速太郎氏にご挨拶申し上げよう。

◇困ったものだ、いつまでも本題を見つめない情緒的的発言の厳虎さん

情緒的的発言・・・

単なる誤字なのか、それとも意味があるのか、そこが気になるところだ。それにしても本題とは何だろう? 拙ブログは表題のごとく、独白なのだ。より具体的に言えば、落ちぶれ顕正会員がグチをこぼしている、そんな感じのブログなのだ。

各々これを御教訓あるは嬉しき事なり。ただし、御身を教訓せさせ給へ。

こんなところで御書を使うと大聖人に叱られそうだが、気分的にはピッタシの御文だ。

ところで、傍観者v氏によれば、浅井先生の日蓮正宗批判ネタは創価新報とのことだ。すると例の日如上人が講習会を欠席した話は、創価新報の何号に出ているのだろうか?

引き続きご教示願いたい。

さて、顕正新聞第1254号の続きだ。

国家権力もひれ伏した絶大威徳
 眼前の証拠を以て「本仏」を示し給う


第三面には竜の口法難御報恩勤行会の会長講演が掲載されている。上掲はその見出しだが、本文中には次のごとく書かれている。

 このような不思議な光景は、人類史上どこにもない。

いわゆる光り物の話であるが、わたくしは先生の説明に欺瞞を感じている。

種々御振舞御書を顕正会では下種本仏成道御書と呼んでいる。この改名そのものはさしたる問題ではないだろう。むしろ、この御書を重視していることが窺われる事例だ。実際、顕正会では過去に繰り返し当該御書の講義が行なわれている。

ご存知のごとく、顕正会には御書がない。ゆえに講義の時には、資料として御書のコピーが配られる。

いかに八幡大菩薩はまことの神か、(中略)今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

これでわたくしの言いたいことが見えてきたはずだ。

時間的制約があるので、長い御書の場合は抜粋だとか抄出が行なわれる。これ自体はさしたる問題ではない。しかし、もしそれが恣意的な抜粋ないし抄出であれば、いわゆる切り文のソシリは免れない。中略も同じである。

では、上掲の中略部分をご覧に入れよう。

いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清丸が頸を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をかうぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

わたくしは浅井先生の当該講義を何回受けただろうか?

おそらく古参会員であれば、数え切れないくらい受けているはずだ。ぜひ証言を願いたい。わたくしの記憶ではそのすべてにおいて、くだんの箇所を中略としているのだ。これは明らかに都合が悪いからだろう。

こんなテイタラクでいいのだろうか?

大袈裟に言えば、御書の改竄だ。もしこの点を追求されたら、先生はどのように返答するつもりなのか、そこが気がかりである。このような不思議な光景は人類史上どこにもない、という説明のために、御書の文言を抹殺しているようなものなのだ。こんな本末転倒の話もあるまい。先生は大聖人を最大限尊崇しているようでいて、かえって逆のことをしているのではないか、と言いたいところだ。

さて、どうでもいいことを書くと、海側からの航空写真がけっこう目を惹いた。武蔵守邸、由比ヶ浜、七里ヶ浜、竜の口、江ノ島。掲載写真にはこれらの文字が書き込まれているわけだが、相模会館の表示はなかった。写真のフレーム内には確実に入っているはずなのだ。であれば、書き込みそうなものなのだが、今回は大聖人の御通りになったであろうポイントのみに限定したごとくである。

「モンゴルこそ東洋広布の先駆けに」
 先生のメッセージに感動のるつぼ


女子部総務の報告だ。彼女はモンゴル集会のために日本を飛び立った。現地までの道のりが凄まじい。空港からさらに車で十時間も走るらしいのだ。指導担当とは言え、ご苦労なことだ。

そこで浅井先生のメッセージが読み上げられた。

 このような不思議な光景は、人類史上、世界のどこにも見ることができません。

ここでも同じことを言っている。モンゴルでは比較的に教養のある人たちが顕正会員になっているようだが、もしそれが事実であれば浅井先生の欺瞞に気付くのもわりと早いのではないかと思う。

 大聖人御在世に「隣国の賢王」の使命を果たしたモンゴルこそ、こんどは東洋広布の先駆けとなるべきです。

もう少し引用範囲を拡げないと理解し難いのだが、そろそろ面倒臭くなってきたので、これでご勘弁願いたい。

わたくしは先生の思考力を疑った。以前、拙ブログでは蒙古脅威論について云々したことがある。手っ取り早く言えば、浅井先生は教条主義であり、御書を直訳的に解釈する人なのだ。であれば、今日においても中国脅威論ではなく、蒙古脅威論を唱えるべきが筋ではないかと。ところが上掲のごとく言っているわけだ。

ようは御都合主義なのだろう。何しろ御書であっても都合の悪い部分は中略で誤魔化してしまうのだから、丸っきりの教条主義でもないわけだ。結局は自分の都合で物を言っているだけなのだ。

先生は新御宝蔵の建設費用をも…

これはまた重要な話題だが、次の機会に譲りたい。

「電力不足」の脅しは大ウソだった!
 関電 再稼働なしでも供給に余裕


これはいい記事だ。数字がゴチャゴチャしていて、わかり難いけれども、まあ、それは致し方がないところだろう。

最後に女子部班長の記事を取り上げよう。彼女は女子部所属だが、失礼ながらかなりの高齢である。それはともかく次のくだりが理解不能だった。

 私には八百万円の借金がありましたが、債務整理により過払い金が七百万円も返って来たことで、借金は百万円だけになり、月々一万円の返済でよくなるという「初心の功徳」を頂き、有難さでいっぱいになったものであります。

幸か不幸か、わたくしには債務整理の経験がない。ゆえに、上掲の意味がよくわからないのだ。七百万も戻ってきたのであれば、それで百万の借金を相殺すればいいはずだ。手元には六百万もの大金が残ることになる。

さすがにそれでは話がうま過ぎるので、たぶん七百万円が相殺分なのだろう。それが無難な解釈だ。

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