2012/11/6

諸兄のコメントを受けて  
沖浦氏はバランス感覚に優れている。世間の常識を弁えている。毀誉褒貶の激しい人物であるが、少なくとも拙ブログへのコメントを読む限り、きわめて常識人である。

のび太氏のコメントは比較的に短いので全文紹介しよう。

顕○会の婦人部大会は死者まで出たのか!?
死因が間接的であれ、直接的であれ、青森から10時間は相当な注意が必要だ。
かつて、私が創価班として本山担当をしていたころ
絶対無事故と晴天は真剣に祈っていた。

私の感覚からすれば二万人はどうでもいい事だ。
絶対無事故と晴天が成否の鍵だ。
とすると…。


これも常識的なコメントだと思う。氏は結論を濁しているわけだが、ようは失敗だったと言いたいのだろう。なかなかのセンスだ。

フェイクの場合、一万三千人程度だったとして、これを中心にその他のことも含めて大失敗と書いた。のび太氏は、結集なんてどうでもいい、無事故と晴天が大事なのだ、と言っているわけだ。センスがいい。ようするに、フェイクは何でもかんでもケチをつければいいと思っているらしいのだ。これが物凄くイヤラシイことに気が付かないといけない。のび太氏のごとく、ポイントを絞って批判するべきなのだ。

◇エ〜〜! そんな、ご無体な、厳虎様!!!

さて、高速太郎氏であるが、どういうノリで書いているのか、それがわからない。

 一生懸命書いている自分が情けなくて哀しくなってきました!!!!!

この後、稿を改めて次のように書いている。

◆哀しみを乗り越えて!!

本当に哀しんでいるのか、ある種の誇張表現なのか、そこがわからないのだ。

ともかく話が噛み合っていない。

ようするに、本因本果の意味がどうこうの話ではなく、どういうつもりで本因本果を持ち出してきたのか、という話なのだ。もし高速太郎氏がそれを理解できないのであれば、もはや会話は成り立たないことになる。今度も例題を出しておこう。

赤は青である。

物凄く初歩的な例題だ。赤も青も知っている。幼稚園児でも知っている単語だ。だが、しかし、上掲は意味不明だ。

高速太郎氏の文章はまさにこれと同じである。しかも赤とか青ではなく、本因本果だとか法体だとか、そういう専門用語を書き並べているから余計に厄介なのだ。前回の繰り返しになるが、ようするに辞書的な意味ではなく文脈的な意味において理解不能なのだ。ゆえに、過去にわたくしが本因本果という言葉を使っていたとしても、それは基本的に関係のないことである。そこをぜひとも理解してほしいと思う。

創価学会の国立戒壇主張の下限はいつか?

過去の拙稿であるが、せっかくなので自分でも読み返してみた。自画自賛ながら、上掲はそこそこよく書けていると思う。ぜひとも高速太郎氏には文章全体の意味を汲み取っていただきたいものである。

為五郎氏への疑問

これはいわば他門の人との対話である。はっきり言って、未熟さは否めない。内容もさることながら、文章そのものがひじょうに読み難く、恥ずかしい。

それはさておき、高速太郎氏の書いていることはイチャモンみたいなものだ。為五郎氏との対話を持ち出すのであれば、教学的な視点にスポットを当てるべきだろう。氏の場合は何となくピントがずれているというか、見当違いの指摘に終始しているような気がする。

具体的には前掲の国立戒壇云々がわかり易いだろう。これはまさに創価学会批判なのだ。であれば、高速太郎氏はこの批判に正面から答えるべきが筋である。法華講シンパ云々を持ち出すなど、まさしくピントが狂っている証拠であろう。

この際、一つ決着をつけたい。一閻浮提のことだ。

高速太郎氏は一閻浮提を宇宙全体のことだと言っていた。わたくしは地球のことだと言っているわけだが、氏はこれについて何も言わない。しかし、この際だから、はっきりさせたいと思う。

高速太郎氏は自分の間違いを認めるのかどうか、である。

もし間違っていないのであれば、それをはっきり言えばいい。もちろん、その根拠も示さないといけない。それをせずして、過去の拙稿をほじくり出して、ああだこうだ言うのはどうかと思う。

さて、一方的に要求を突きつけるのも失礼な話である。ゆえに、わたくしのほうから先に、一閻浮提を地球とする根拠について、文証を提示しておこう。以下は下山御消息である。

例せば寅の時閻浮に日出で、午の時大海の潮減ず。

いかがだろう。後半の潮の干満についてはよくわからないが、前半の意味は明瞭のはずだ。つまり、早朝に日が昇ることを仰せになっているわけであるから、ここでの閻浮が地球を意味することは誰もが容易に想像し得ることである。

高速太郎氏には、ぜひとも真摯な返答をお願いしたい。

ついでと言ったら叱られるかもしれないが、下山御消息を拝読していて、別の懸案で進展があった。わたくしは大聖人の御書に津波の記述があるかどうかを一年有余にわたって調べていた。結論として、津波の記述はなさそうだ、と書いた。ちょうど一ヶ月前のことだ。

ところがである。下山御消息には津波を連想させる御記述が存在するのだ。

長星は一天に覆ひ、地震は四海を動かす。

ひじょうに悩ましいところで、これが直ちに津波を意味するかどうかは微妙である。単に大規模な地震を形容するだけの意味かもしれないし、何とも言えないところだ。

いずれにしても御書の研鑽には終わりがないことをつくづくと感じたものである。

2012/11/9  9:12

投稿者:んっ?
>毀誉褒貶の激しい人物

確かにww

2012/11/9  7:00

投稿者:沖浦克治
のび太さん、おはようございます

 私は貴方の大聖人門下らしからぬ書き込みを、同じ創価学会員として情けなく思って書きました。
 貴方の書き込みを読んだ世間の方々は、創価学会とはなんと排他的な教団なのかと思われるでしょう。
 それで、信心の先輩として、同じ創価を保つ先達として一言注意いたしました。
 貴方はそれがお気に召さない。

 私が創価学会の組織についているかどうかと、私の人間性は無関係です。
 そういう事に密接な関係があるなら、世間で人格者とは創価学会員だけになります。
 貴方はカルトなんですよ。

 ここは厳虎さんの板です。
 同じ創価学会員が論争しても仕方がありません。
 貴方のご発言は、私の板で引用し、そこでお答えいたします。

 一つだけ言えることは、仏法者は常識を弁えねばならないということです。
 その点で貴方は失格です。

2012/11/8  23:26

投稿者:のび太

ハイ、ハイ、のび太でごす!

克治さん、かつてあなたを応援していた人たちが離れていったようですね。
なぜでしょうか?
学会活動のできない命を克服しないと最後は退転ですよ!早く組織についてください。
くだらない屁理屈で組織に着けない自分を弁護しても虚しいだけです。今、あなたが語れば語るほど周囲の人の心は、距離がひらいていく思いが増すばかりです。
あなたの苦しい心が、私をのび太さん、のび太さんと呼んでいるような気がしてなりません。
師匠は、仰っています。
学会活動を馬鹿にして要領よく泳いでいる人間の末路ほど寂しいものはない!
いくら言っても聞くお耳は持っていないとは思いますが念のため申し述べておきます。

2012/11/8  7:01

投稿者:沖浦克治
のび太さん、おはようございます。


 貴方が創価のにんげんなら、他宗の信徒が会合参加をされてお亡くなりになられたのを聞けば、言うことは決まっているでしょう。

 ご冥福を祈る。

 これが最初に書けない境涯。

 だから貴方はダメなのですよ。

 

2012/11/6  22:30

投稿者:沖浦克治
 のび太さん、今晩は
 
 他宗の不幸を喜んでも、何一つ価値は生まれませんよ。
 今は、それぞれの宗派の功徳を争うべき時です。
 貴方が創価の人間なら、顕正会の方々や、法華講員の方、正信会の信徒の方に負けない、創価の信心の功徳をお書きなさい。

 それが創価の信心の王道です。

2012/11/6  22:27

投稿者:沖浦克治
厳虎さん、今晩は

 先ほど夜の勤行の後、貴方のお仲間のお亡くなられたご婦人の追善供養をご本尊に致しました。

 宗派は違えども同じご本尊に同じ題目をとなえるどうしです。
 どうぞ安らかにおやすみなさいませ。

2012/11/6  22:06

投稿者:のび太
管理人様へ
拙文を掲載していただきありがとうございます。

それにしても沖浦さん、ノー天気なコメントですね。
「顕○会の婦人部大会は死者まで出たのか!?」

自分の文章を引き合いに出すのは変な気分ですが、最後のビックリマークとはてなマークには意味があります。

大会に参加された方が不幸にも亡くなられた投稿は、弥次喜多氏とのん氏から発信されている。
特にのん氏の文章は、顕○会員の内部告発のようなスタイルをとっているが鵜呑みはできない。
アンチ顕○会の謀略かもしれない。(笑)

常連の投稿者であれば意図が判るのだが、、、。
ともかく事実が明らかになれば、ご冥福をお祈りもうしあげたい。

ではまた、、、。

2012/11/6  18:42

投稿者:高速太郎

いま投稿したら、沖浦克治さんの投稿がありました。

・難を忍んだから偉いのではない。その目的は人類のために忍ばれた。
・信心広布のために戦って下さる皆様方を守れたら本望です。

 上記ことも、厳虎さんに、私が伝えたい内容です。

2012/11/6  18:27

投稿者:高速太郎
厳虎さん、こんばんは!

 私は、いたって真面目です。誤解しないでください。
 ただ、2〜3日忙しい日が続きますので、申し訳有りませんが、小刻みの投稿になる事をお許し
ください。

 まず、 『例せば寅の時閻浮に日出で、午の時大海の潮減ず。』 ですが、
 厳虎さんの仰る通り、朝日が出て、お昼に日が上がると潮は引く、その刻を潮は違えない。同じ
ように、今、末法に入り釈尊の記文や諸仏が証明するように、上行菩薩が出現する、正にその刻で
あるとの大聖人の大確信だと思います。

 同じように、潮が刻を違えない事を例に出し、刻の大切さを説いている、次の御書もあります。
■新尼御前御返事
 『仏法は眼前なれども機なければ顕れず時いたらざればひろまらざる事・法爾の道理なり、例せ
ば大海の潮の時に随つて増減し上天の月の上下にみちかくるがごとし。』

■撰時抄
 『闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし、是をもつて
案ずるに大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事
も疑うべからざるか』

 特に、撰時抄を読めば、一閻浮提は地球じゃないかと、厳虎さんに言われそうですが、続きは、
また後にさせてください。

2012/11/6  17:52

投稿者:沖浦克治
厳虎さん、今晩は

 お褒めいただきましてありがとうございます。
 毀誉褒貶ですが、私はそう言うものに左右されない人生を目指しております。
 私が30代前半の頃、池田先生が言われました。

 『世間では、マスコミでは面白がって色々いわれておりますが、私は毀誉褒貶と言う事を考えたことは一遍もありません。
 忍んで学会だけは守ろう。
 よく戸田先生がおっしゃった。
 大聖人が伊豆に流されたけれども辛抱強い、佐渡に流されたが忍耐強くよく頑張った。
 だから一般の人は偉いお坊さんだと言うが、そうではない。
 全人類を救わんがために難を忍ばれた。
 難を忍んだから偉いのではない。
 その目的は人類のために忍ばれた。
 
 私は、大聖人と言う所から話を引用することは恐れ多いことではありますが。
 せめても、広宣流布のために日夜戦って下さる会員の皆様方のために、身を持って守れれば本望である。
 そう決心し、朝な夕な祈っておりますことは、皆様方会員の安穏無事、それから福運の興隆だけでございます。
 私は無学な人間です。 
 何にも取り柄がない。
 最も貧乏育ちの人間です。
 しかし私は、こう言う未熟な五体で、信心甲府のために戦って下さる皆様方を守れたら本望です。』(趣意)
 
 ですからね、私も毀誉褒貶とは無縁の人生を目指しております。

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