2012/11/9

無理筋の要求  
今日は顕正新聞の話題だ。

 さらに先の日曜勤行において浅井城衛理事長より
 「先生は『もし必要があれば、新御宝蔵の建設費用の全額を顕正会が御供養しても…』とのお心である」
 と伺っては、先生のどこまでも深き大聖人様への大忠誠心を眼前にした思いになり熱涙が込み上げ・・・


第十女子部長の第十女子部集会での発言である。顕正新聞第1254号すなわち十月五日号掲載であるから、九月中の集会だろう。

翌号すなわち婦人部大会特集号では、副総合婦人部長が同様の発言をしている。

 建白書を認められるや、先生は直ちに御宝前に供えられ、粛然と御本尊様にご奉告申し上げられたこと、「必要とあらば新御宝蔵の建設費用の全額を顕正会が御供養させて頂く」ご覚悟まで固められていることを伺い・・・

誰から伺ったものか判然としないが、前掲同様に城衛から聞いたのかもしれないし、あるいはこの人の立場であれば先生から直接聞いた可能性もある。ともかく続きの文章にも注目すべきである。

広宣流布に戦う資格を有する顕正会こそ、新御宝蔵建設の御供養を申し上げるべき・・・

わたくしの感想を申し上げよう。先生はなぜ自ら発言しないのか、である。

八月十三日付で建白書を提出した。この文章の中に織り込むことは可能だったはずだ。しかし、それは見送った。ならば、八月末の総幹部会において、会員たちにその心情を吐露すべきではなかったか? 建白書には書かなかったが、顕正会で全額御供養申し上げたい、との思いを私は懐いている。

結局、先生はこのことに関してまったく発言せず、城衛を介して会員に伝えているわけだ。

この問題はさまざまの観点から論じられると思う。

まず、クチコミ指導ないしオフレコ指導の存在についてである。御供養云々の話は今のところ二つの記事しか出ていない。もし第十女子部長・副総合婦人部長が言及しなかったとすれば、わたくしはまったく知り得なかった。外部の人間には知り得ない、それがクチコミ指導なのだ。つまり、今回の一件はまだマシなほうであって、もしかしたら外部にはとうてい聞かせられないような、そういう危険な発言がたくさん存在するのかもしれないのだ。もちろん、これはあくまで推測の話である。

さて、会長指導をテープレコーダーのように繰り返すだけの幹部たちが、今回の一件ではほとんどが口を閉ざしている。その理由はいったい何だろうか?

わたくしの思うに、これはあまりにも荒唐無稽、言い換えれば実現性のない話だからだろう。御遺命守護ないし試練と忍従の歴史を学んだ幹部たちであれば、正本堂の御供養に関する話も記憶していることだろう。妙信講の御供養はなかなか受け取ってもらえなかったのだ。いわばイヤガラセの類なのだと思われるが、ともかく当時の妙信講は純然たる日蓮正宗の一員だったのだ。それでいて御供養の受理を拒まれるくらいなのだ。いかにいわんや、解散処分を受けて今や異流儀団体と化した顕正会においてをや、である。とうてい御供養を受け付けてもらえるとは思えない。

悲しいことだ。

浅井先生だって、そのくらいのことは百も承知であろう。だから建白書には書きたくても書けなかった。その後、総幹部会で心情を吐露することも控えた。しかし、息子の城衛には思いを打ち明けた。

それだけの話ならば簡単である。いや、簡単ではないけれども、心情的には汲み取りやすい。

ところが理解不能のことがある。

それは副総合婦人部長の発言である。今までの説明では納得できない。

ようするに婦人部大会での発言なのだ。あのフェイクが注目したくらいである。内外から注目が集まる大会において、よくも発言できたものよと思う。先生自らが発言せずとも、あれだけの大きな集会で副総合婦人部長が発言すれば、その反響は物凄く大きいはずである。

わたくしは上のほうで、クチコミ指導を問題視する意味のことを書いた。しかし、むしろこの一件はクチコミ指導にとどめておくべきではなかったかと思う。

それほどに荒唐無稽、実現不能の発言なのだ。

 浅井会長の積年の訴えである「正本堂から奉安殿へ御奉還を」との求めが、理由は別として平成十年に実現した。「不浄の正本堂は取り壊せ」の主張も現実となった。
 しかし、浅井会長の思うようにならないことは多い。「不敬の御開扉を中止せよ」や「悪人追放」等の求めは、いくら何でも無理筋の要求であろう。


『迷走する顕正会を斬る』からの引用であるが、まさに今回の要求も無理筋である。

常識的な思考の持ち主ならば、わかり切った話であるが、宗門が新たな御宝蔵を建設する必然性はまったくない。仮に建設の必然性が生じたとしても、顕正会からの御供養を必要としない。ようするに二重の意味で無理なのだ。

あるいは万々一、顕正会が宗門に復帰をすることがあるかもしれない。

しかし、それでもなお、新御宝蔵はあり得ない。

簡単な話である。顕正会の要求は、正本堂の解体撤去より今日までの十有余年の宗門・法華講を、まさに全否定するに等しいことだからである。なぜ、そこまでして顕正会を迎え入れる必要があろうか、ということなのだ。ゆえに、もし仮に顕正会の宗門復帰が実現したとしても、新御宝蔵の要求だけは断じて受け付けない。逆に言えば、そんな無理な要求を突きつける顕正会など、迷惑以外のナニモノでもないわけだから、そうするとやはり宗門復帰もあり得ない。どうやら二重どころの話ではなく、何重もの障壁があるらしい。

結局はぜんぜんダメということだ。

2012/11/10  23:49

投稿者:のび太

太郎さん、お返事ありがとうございます。

少々私のスタンスを申します。
今朝の私の問いですが、私は、思想・哲学<宗教です。世界のあらゆる事象は言葉や記号だけで説明できない。
このように考えると、人間にとって信じるという行為は生存にとって必要な行動となります。
インド、メソポタミア、中国、エジプト、4大文明にも宗教は存在しました。予見できない未来に対する不安や願望を祈りという形に変えて集団を形成したのだと考えます。
当然ですが祈りの対象が必要になります。
鰯の頭、月、太陽、動物、仏像、曼荼羅、etc
人類は、これで何とか不測の事態になっても乗り越えていける様になりました。

ここで、キリスト教に絞って話しましょう。
やがて、自然科学の進歩により天道説が間違いであることが証明されました。しかし太郎さんの仰るようにキリスト教を辞める者などいなかった。何故でしょうか?
それは、信者の誰もが聖書にだまされたとは思っていないからです。むしろ、イエスの愛に包まれて暮らす方が人々にとって満足があったからでしょう。
宗教が本来の役割や機能を果たしている状態です。

文字数に制限もあるのでこの辺で失礼します。
本当は、眠くなったので、、。

2012/11/10  18:26

投稿者:高速太郎
のび太さん、こちらこそ、はじめまして!

 応援ありがとう御座います。
 私の仲間は、キリスト教で世界をリードするのは、もう限界だとの認識です。
 日本にいると、宗教と政治と経済とが深くかかわっているのが見えてこないのが問題です。
 自分でも出来ることは、あると思い頑張っています。なかなか大変です。
 厳虎さんのように、教学力のある方は、教学を武器にして、世界にもっと
出るべきだと考えているのですが・・・、おおひがしさんの質問に対しても
論点をずらして、うまくかわしていますからね!! 困ったものだ!!
 焦ってはいないのですが、余裕が無いのも事実です。

 厳虎さんから、御書を、現実社会で実践して頂く事が、最初の大きな山だと思っています。

2012/11/10  9:58

投稿者:沖浦克治
 寛師が、
 
 戒壇本尊が一大秘法だと言った瞬間に、

 習い損ないです。

2012/11/10  9:42

投稿者:沖浦克治
 おはようございます

 一大秘法とは大宇宙で最も大事なものの事です。
 だから一大秘法です。
 読んで字の如し。

 『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財もいのちにはかへぬ事に候なり、』
 (白米一俵御書)

 御本仏が命が最も大事だと言われる。

 信受するのが門下ですよ。

2012/11/10  8:29

投稿者:のび太
高速太郎さま、初めまして、おはようございます。

厳虎さんのブログの過去からの精査にはびっくりしました。創価学会員の層の厚さというか、幅の広さを感じました。
切り取り方も中々のものと思いました。(拍手)

厳虎さんは、三秘開合の図示にあるように、一大秘法を大御本尊と立(建)てると思います。(笑)

開合の図の左のセンターに、本門の題目と置きたいところでしょうが、AKB48の総選挙と同じで、センターは大島優子!板野友美ではないノダ!(笑)

上記の例は、ただの冗談ではないノダ!
思想・哲学>宗教なのか思想・哲学<宗教なのか?

太郎さんが、自然科学とキリスト教を例に取られていた話は興味深かった。

これからも、創価の戦士として頑張れ〜〜Ω
日蓮仏法を世界宗教の視座で捉えていく姿勢を応援します。

私は、本山担当の古いタイプの学会員でごす。(笑)
ではまた、、。


2012/11/10  4:20

投稿者:ポリ銀
こんにちわ。厳虎さん。

僕は浅井さんにぜひとも思いだしてほしい事があるんです。

来年は何年でしょう?

平成25年です。

平成10年に御寶前で1000万を成し遂げると、お誓いしたことの期限でありまする。

つらつら思いまするに、前の約束も果たしてないまま、次のステップに進むのは恥ずかしいことだと思いまする。

顕正会員諸君には自分たちの過去を否定するならば、御宗門の過去を云々する資格はないと気付いてほしいのでありまする。勧誡を受ければ戻れまする。昭衛は除名処分になっていますから、すんなり帰れるかどうかは分かりませんが、御供養したいなら顕正会を解散して、勧誡の申請することが先でしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/ashuhokkekoshu/

2012/11/9  18:58

投稿者:高速太郎

 ここから、もう一つの山に差し掛かる訳ですが、今まで、書いて来たように、大聖人
の仏法を地球上の事だけとするなら、一閻浮提=地球で問題ない。しかし、∞だとする
なら、三大秘法、本尊、一閻浮提が時空間的に∞にならなければ整合性は、取れないの
ではないだろうか。
 
「大曼荼羅信仰への道程」の中で、四条金吾殿御返事と上野殿御返事の矛盾点を、富士
方面の農民信徒の、その当時の他宗の本尊との違いをその理由としてあげられている。
 同じように、鎌倉時代の人々の宇宙観は、革新的な人で有ったとしても、地球止まり
だったと考えた方が妥当性があります。

 つまり、御書から一閻浮提が地球と取れるとするのは、その当時の対告衆に合わせて
いるからであり、今まで説明したように、仏法の真髄である本尊も、一閻浮提も時空間
的には、∞と取るほうが正しいと考えます。
 また、一大秘法も題目であれば、人が亡くなったとしても、地球が無くなったとして
も、宇宙の何処かの惑星に誕生した人類が、題目を唱えることで、無終に繋がっていく
事ができ、仏法上なんら問題はないと云う事になります。


※全部書いて推敲してから投稿するべきですが、休み時間の都度かいているので、
 読みにくくて、誠にすみません。

2012/11/9  18:50

投稿者:高速太郎
■本門の本尊と一閻浮提の関係性について、
 一閻浮提と本尊の時空間の関係性を書いた、そのものズバリの記事は、見つかりませ
んでした。また、読んだ限りでは、本尊観に迷いがあるように思われます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
□2007/2/12
報恩抄の最難関部分

そして仮にもし、わたくしの考えたごとく三大秘法=三宝であったとしたら、本門の本
尊には法本尊という概念はあり得ないことになるだろう。つまり、いわゆる法本尊は本
門の題目に摂せられることになる・・・

『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』
この一文がある以上、話は振り出しに戻るのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
□2008/12/7
大曼荼羅信仰への道程

『然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひまいらせたりとおぼ
しめすべし。』
つまり、法華経は生身の釈迦如来なのである。だったら仏像はいらないではないか、と
いうのが結論なのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もっと本尊観の記事は、あげられるのですが、さておき、厳虎さんは、一大秘法は、
本門の題目と考えているように受け止めらます。ただ、日蓮正宗や顕正会の教義とは、
違うので表面きって言えないと云うのが本音ではないでしょうか。

2012/11/9  16:11

投稿者:高速太郎
■三大秘法とは、このようにも述べられておられる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
□2006/11/28
三大秘法開合の相  
           ┏人(日蓮大聖人)
     ┏本門の本尊┫
     ┃     ┗法(文底・事の一念三千)
     ┃     
     ┃     ┏信(ご本尊を信ずること)
本門の本尊┫本門の題目┫
     ┃     ┗行(お題目を唱えること)
     ┃     
     ┃     ┏事(広布後の戒壇)=ここに注意
     ┗本門の戒壇┫
           ┗義(ご本尊所住)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
C三大秘法=本門の本尊=∞
 (この記事で厳虎さんは、「開合の相」について、何も述べられていません)

 さて、ここから、一つ目の山に差し掛かりますが、@仏法も、A大聖人の仏法も時空
間的に∞の広がりを持っている事になる。また、B三大秘法も同じく∞の広がりを持っ
ている。BとCの三大秘法を同じものと考えるなら、つまり、大聖人の説かれた根本的
教義とするなら、「本門の本尊」は大聖人仏法の時空間的な∞に耐え得る必要がある。
 そうでなければ、実は仏法は、地球上のことだけを説いているのです、となってしま
います。だから、法を下げる事になりませんか、と聞いたのです。

2012/11/9  13:37

投稿者:高速太郎
■では、大聖人の仏法については、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
□2008/8/4
宗学の垣根を乗り越えて

大聖人の仏法は末法万年尽未来際にわたって流れていく・・・これはいわゆる宗学の範
疇すなわち日蓮正宗の見解ということになるだろう。おそらく日蓮宗ではこれを大聖人
の仏法とはせず、釈迦仏法として捉える、大聖人は仏勅子の立場にあるとして、大聖人
を仏とは認めない、あくまで菩薩位である・・・と主張しているごとくである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
A大聖人の仏法=∞ ∵末法万年尽未来際にわたって流れていく

■つぎに、三大秘法をどの様に捉えておられるのか、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2008/5/8
□三大秘法と法華経の関係

『法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡ら
せ給へばなり。』
法華経の中に含まれているという概念、いわば中心概念とでも表現しておこう。しかし
同時に、三大秘法には八万法蔵のすべてが包含されている。つまり、中心のおよそ面を
持たないような極微の世界に、一切合財が包み込まれているのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
B三大秘法=∞ ∵三大秘法には八万法蔵のすべてが包含されている。一切合財が
 包み込まれている。

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