2013/4/6

第1270号精読  
早朝、沖浦氏からコメントを頂戴したが、何を言っているのかさっぱりわからない。まずは具体的な文証を示し、その上で説明するべきである。ようするに大聖人がどのようにおっしゃっているかが重要なのである。大聖人が言ってもいないことを、我々がああだこうだ言っても仕方がないのだ。ぜひとも、その点を踏まえて再論願いたい。

さて、顕正新聞第1270号だ。

一面はまたしても日曜勤行の指導。それと京都会館の工事進捗を伝える記事。そして二面以降が凄まじい。今号は登壇特集である。

代表決意 15
活動報告  4
体験発表  6


各地の集会での登壇がぜんぶで二十五本も載っている。例の食べ物だとか時事問題のコラムは一つもない。手抜きもいいところだ。

それはともかく中身に入ろう。代表決意はその数にもウンザリするが、内容がまたウンザリなのだ。何しろ浅井先生の講演をなぞるだけだからである。今回は当然のごとく、事実上の国立戒壇への言及がほぼ全幹部にわたっている。どれもこれも似たり寄ったりであるが、一つだけ異彩を放つ記事があったので紹介しよう。

 このたびの総幹部会における「事実上の国立戒壇」との重大指導には息を呑み、大衝撃でありました。

(中略)

 まさに先生が見つめられる広宣流布の決戦場の姿が胸に思い浮かぶ思いであり、中国の空母機動部隊が日本近海に出没し、圧倒的な核戦力で脅されて全日本人が震え上がるとき、国立戒壇建立は何年も時間がかかってしまう。
 しかしこのとき、六千万の地涌の熱願を背景に、日本を代表する国主が命かけて戒壇の大御本尊様に祈り奉る。これが「国主此の法を用いて」すなわち「事実上の戒壇建立」であり、
(以下省略)

男子部第七十一隊長の記事であるが、これは凄い。何が凄いかと言えば、具体性の高さである。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1768.html

もし時間に余裕のある人は、ぜひともリンクを開いて確認してほしい。これが拙ブログにおける「事実上の国立戒壇」批判の出発点である。今はポイントのみを紹介しておこう。

まさか国家的に建てる本門の戒壇が急拵え・安普請であるわけがない。ゆえに、本当に建てるとなると、完成までには相当の年月が掛かるはずだ。

七十一隊長は拙ブログを意識しているごとくである。彼の記事を部分的に再掲しよう。

国立戒壇建立は何年も時間がかかってしまう。

「事実上の戒壇建立」

もはや客観的には間に合わない。他国侵逼の前に国立戒壇を建てることは不可能である。彼もそれは充分に承知しているわけだ。ゆえに、戒壇建立には間に合わなくとも「事実上の戒壇建立」という新概念を用いて、それでどうにか間に合わせようとしているわけである。

次の第八十隊幹事の文章は意味不明ながらも、上述のことを思い合わせるならば、伝わるものがあるはずである。

 今回「事実上の国立戒壇」と改めてその緊急性を示されたことに、これが浅井先生のお心なのかと思い、改めて日本には残された時間が少ないこと、(以下省略)

緊急性の意味が不明なのである。しかし、ぶっちゃけ言えば、すでに戒壇建立は間に合わない、せめて事実上の国立戒壇は間に合わせよう、という意味に他ならないだろう。

もう一つ、婦人部三重支区部長の記事を紹介しておく。

めざすべきゴールは「事実上の国立戒壇」の実現と六千万地涌出現!

あれ? おかしいなあ? そこがゴールだったっけ?

たぶん、熱心な活動会員であれば、わたくしを物凄くイジワルな人間だと思うかもしれないが、あくまで客観的な事実を述べているに過ぎない。そこはゴールではなく、ゴールの四キロ手前なのである。

顕正会側の論客ならば、さしずめ「事実上のゴール」と言ってくるかもしれない。気持ちはわかるし、善意に解釈すればそれもあながち間違いとは言えないだろう。ただし、浅井先生と歩むはずだった四キロの道のりはこの先にある。本当のゴールはまだ先なのだ。はたして間に合うだろうか?

さて、話を少し変えよう。次の二つも代表決意であるが、活動会員の心理をさぐる意味で注目に値すると思う。

遅れた戦いをここから一気に進めてまいります。

遅れた戦いを一気に挽回し、三月達成を固く決意するものであります。

上段の婦人部五所川原支区部長は誓願比八〇%の御奉公が叶っていると言いながら、遅れた戦いなどと言っているのだ。下段の女子部第二十二幹事・第八区長は具体的な数字を書いていないけれども、そもそも顕正新聞に登場する人たちは活躍しているわけであり、結果を出しているからこそ幹部にも登用され、なおかつ記事にもなるのだ。

いったい何が遅れているのだろうか?

これは簡単なことである。本年は一千万達成の年である。また、それ以前の青写真ではすでに広宣流布が達成しているはずだったのだ。代表決意をするほどの大幹部であれば、そうした過去の浅井発言を承知している。すると、目の前のノルマを達成したくらいでは、とうてい追いつかない。

さらに穿った見方をすれば、目の前のノルマを達成するのも難しくなっているのだろう。顕正新聞に載る人は活躍している。しかし、それは顕正会全体の規模からすれば微々たるものであって、実際にはノルマを達成できずに苦しんでいる人のほうが圧倒的に多い。

たぶん、上掲の二幹部の書いていることは、こうした実態を図らずも吐露するものだったと思われるのだ。

さて、他の記事も紹介しておこう。

「先生が書かれていることは凄い!」
 元自衛隊「顕正会対策部」の壮年が感歎


婦人部福島支区支区長の記事の見出しであるが、自衛隊に顕正会対策部があるとは驚きである。

すでに六ヶ所村の放射線濃度は人が住めるような数値ではない

婦人部津軽支区の班長が書いているわけだが、これは疑問である。具体的な数値が書かれていないことがまずもって問題である。そしてわたくしの聞いたところでは、揮発性の放射性物質は捕捉するのが大変なので、そのまま大気中に放出しているのが実情とのことだ。しかし、半減期がきわめて短いこともあり、大気中に放出すると同時に拡散・希釈されて、無害になる。もちろん、無害かどうかについては異論もあるわけだが、実際の放射線濃度は問題にならないくらい低いとのことだ。わたくしとて素人の俄か勉強に過ぎないけれども、ともかく人が住めないくらいの濃度と言うのであれば、それは重大問題であるからして、確実な資料を提示すべきだろう。

 そして私事ではありますが、今月、夫の転勤でアメリカへ移り住むことになりました。

以前にも取り上げた女子部の総班長である。アメリカへ行くのは相当の覚悟であろう。

ルーマニアから来日 仏法に巡り会う

かと思えば、今度はルーマニアの女性である。こちらは本年一月三十一日入信の平会員であるからして、はたしてこの先どこまで信心を続けることが出来るか、まったくの未知数である。

2013/4/7  8:12

投稿者:沖浦克治
 厳虎さん、おはようございます。

>ようするに大聖人がどのようにおっしゃっているかが重要なのである。大聖人が言ってもいないことを、我々がああだこうだ言っても仕方がないのだ。ぜひとも、その点を踏まえて再論願いたい。

 大聖人が一言もおっしゃられない、戒壇本尊本懐。

 それを、寛師がでっち上げて、日蓮巣正宗の基礎が出来ました。
 要するに、あそこの法主などは、ほぼ全員が大聖人と直接の関係はありません。

 そう言う野次馬が群がって、戒壇本尊本懐にすがり付いて、未だに未練たらたらでいる。

 こう言う惰弱な連中が門下である道理がありません。

 そして、浅井さんも、戒壇本尊にすがっていても、世界の民衆は救えません。

 そう言う道理をキチンと弁えないと駄目なのです。

2013/4/7  5:43

投稿者:沖浦克治
 おはようございます、皆様方

 正本堂は民衆の浄財を持って建てた宗教建築でした。

 それを顕師は破壊した。

 大謗法の人です。

 しかし大事な視点は、ご供養をした私どもが、

 そう言やー、そんなでっかい建物あったな・・・・

 この程度の感覚しか持たないことです。

 大伽藍が本門の戒壇などにはなれない証拠です。

 それを、今頃本門戒壇などと浮かれ騒ぐことは、そう言う愚論から卒業した私どもから見て、滑稽にしか見えません。

 そもそも、戒壇本尊などと言う思想は日蓮仏法にはありません。
 ないものを、宗門の権威付けで寛師がでっちあげた。
 未だにそのデマにすがりつかなければ、宗勢を維持できない宗派がありますが、時代に取り残された駄目宗派でしょうね。

2013/4/6  21:35

投稿者:のび太
こんばんは、春の嵐に警戒といってる割には、静かに雨が落ちています。
関八州広いので強く風が吹いている処もあるのでしょうか。

厳虎氏と沖浦氏の戒壇義おもしろかったです。(拍手)
噛み合わないことは想像していました。

事相の戒壇について、蓮祖が具体的なご教示をされている御書は三大秘法抄である。他にも戒壇についてご教示はされているのだろうが、よう知らん。

その上で、どうも最近の浅井会長の発言は、「事実上の国立戒壇」というゴールを設定したようである。
6千万人折伏して国民投票で国教化をする。
うましか下駄はなしである。(笑)

原理主義を掲げてきた顕○会が、ついに原理主義の破綻を宣言したのだろうか。
かつて、日達上人を日達管長と呼び正本堂を義壇と判じたのが浅井顕○会である。
所詮、浅井氏の己義を御本仏に対する誓願と装っただけの話である。
平成25年は、顕○会にとって結果を出さなければならない重要な年である。まだ今年が終わった訳ではないが、
御本仏の守護も、諸天善神の加護もいまだない。

但し、私は顕○会が原理主義を放棄することを否定はしない。むしろ遅いくらいだ。

厳虎氏が沖浦氏に対し、執拗に文証を求める姿勢は、昔の妙信講みたいで、懐かしさがよみがえってきた。(笑)

厳虎氏が国立戒壇を掲げて活動していた頃の原理主義の片鱗を見た。(笑)

例えば、三秘抄も文上読みをすれば国立戒壇が是とも読める。原理主義者の陥穽は、字面どおり読むことが正しいと錯覚することである。

私たちは、釈迦仏法(文上)を大聖人(文底下種)の立場から捉え返す訳である。
教相と観心という視点から展開するならば、原理主義は教相に捕らわれ易い側面がある。
沖浦氏の言ってることが、観心の視点とまでは言わないが、厳虎氏が仰るほど支離滅裂とは思わない。

解釈論はどこまでいっても解釈論でしかない。
創価学会が創立されて82年、政治、教育、文化とあらゆる階層に有意な人材群を輩出してきた。

広宣流布といっても、建物や制度設計の話ではない。
日本人だけ平和で安穏であればよいはずもない。
日蓮仏法の本質は、立正安国論に込められた民衆救済の仏の慈悲に他ならない。

それでは、、、

2013/4/6  16:44

投稿者:沖浦克治
 厳虎さん、今日は

 御書を引用しても、貴方が認めたくないものは認められないでしょう。

 ですので、無意味なのです。

 要するに戒壇本尊と言うありもしないものを祭り上げるところが、諸悪の根源です。

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