2013/7/6

教育者も人間だから時にはキレる?  
東京都議選のことを書いていなかった。自公の圧勝、共産の躍進。他はあまり芳しくなかった。そして次はいよいよ参院選であるが、自公が優勢のようだ。他に期待できる政党がないから仕方がないのだろう。野党は四分五裂の状態であり、とてもじゃないが大同団結は無理だ。すると、まだ始まったばかりであるが、すでに結果が見えているようでもある。

わたくし個人は特に支持政党を持たないが、さしあたって消費増税に対する姿勢を問いたいと考える。国民の中にも増税やむなしというモノワカリのよい人たちがたくさんいて、それが自公を支持する人たちだったりする。しかし、過去の経験からして、増税は不況を招くだけであり、結果としてトータルでは税収が減ってしまうことになると指摘する識者もいる。つまり、国民感情というか庶民の感情として増税はイヤだというのが普通であり、しかも景気低迷を招くことが確実視されているのだから、そうすると増税にはどこにもメリットがないはずなのだ。それにもかかわらず増税を主張する人がいるのは不思議な話である。わたくしにはまったく理解できない。

幸いにも拙ブログには創価学会員の閲覧者が相当数いるようなので、もしよければ上述に対する回答のようなものをいただければありがたいと思う。

さて、各方面からコメントが寄せられているわけだが、まずは沖浦氏からである。

 ハンネで一万回ネットで書いても、実名の一回の書き込みで木っ端微塵!

言わんとしていることはわかるが、実際は少し違うと思う。

 ハンネの馬鹿がまたフガフガ言ってるな・・・

おっしゃるとおり、これでオシマイと言われればそのとおりかもしれないと思う。ただし、実名か虚名かにかかわらず、言っていることが正しいか間違っているかという側面は必ずあるわけだ。ゆえに、わたくしは実名で活躍している沖浦氏を立派だとは思うけれども、しかし同時に、虚名だからダメという一方的な斬り捨て方には賛成できない。

これは己を卑下して言うことになるわけだが、たぶん、沖浦氏は戦国武将であり、わたくしは農民なのだろう。武将と農民が一対一で戦うことはあり得ない。もし農民が武将に戦いを挑むとしたら、ゲリラ的な戦術を用いるしかないのだ。それが当時においては一揆であり、現代においてはインターネットを駆使したさまざまな活動なのだ。

さて、そこで今度は教子氏の話題に移ろう。

 オマエそれでも、日蓮大聖人の弟子か?

とうとう本性をあらわしたようである。上掲はわたくしを挑発する意味で書いているのかもしれないが、まずは自分自身を見つめるべきだろう。ハシタナイことを書いてしまっていることに気がつかないといけない。

教子氏は前回の拙稿を理解していないようなので、ここで今一度、書いておこう。

 鳥人間ばーず?って、
脳が鳥で、体が人間(呆)気持ち悪い〜。頭が悪そう〜。
 アッチへ行け、シッ シッ!


何たる物言いか、こんなのは議論ではなく、単なる罵倒である。教子氏は反省しなければいけない。そもそも前回の拙稿のタイトルを思い返すがいい。上掲のごとき発言は教育者にあるまじきことである。もし教子氏に教育者としての矜持があるならば、こんなハシタナイ発言は絶対にしないはずなのだ。

しかるに、逆ギレと言うべきか、今度はわたくしに対して罵倒する始末である。こんなテイタラクだから教師であることを疑われてしまうのだ。

次回からは真摯なコメントを期待したい。

2013/7/2 22:57
投稿者:ユタ
こんばんは。確かに戸田会長の話は分かりやすいですね。
浅井会長も原発や地震の話ばっかりしないで、そういうことを話してくれるといいのですがね。
浅井会長の話が信用できないから、法華講に身を置いたのです。
沖浦さんと同世代の元学会員さんのお話を聞くと、やはり居場所は変わっても戸田会長から精神を注入されたのだなと感じます。
私も注入されたかった。あと50年早く生まれていれば……非常に残念です。

http://blog.goo.ne.jp/localfor


ユタ氏のコメントを全文掲載した。

戸田会長からの精神を注入・・・

私も注入されたかった・・・


わたくしにはナイモノネダリのように思える。もう少し気取った表現を使えば、未知・未経験に対する憧憬のようなものだと思う。

浅井先生と戸田氏を比較するのも、じゃっかん無理があるように思う。

戸田氏は過去の人物であり、いわば伝説化された人物である。一方の浅井先生は現役である。この違いはとてつもなく大きい。
過去の人物は評価が固定化されている。評価が変わることもあり得るが、基本的には一定である。
一方、現役は評価が一定しない。今後、評価が上がるかもしれないし、下がるかもしれない。そういう不安定さがあるのだ。

俳優だとか歌手だとかで、若くして人生を終えた人物がいる。具体名は各々の想像に任せるが、こういう人たちは伝説化していく。ある意味、老醜を晒すことなく、絶頂期に人生の終焉を迎えたことが効を奏するのだろう。麒麟も老いれば駑馬に劣るのだ。長生きに越したことはないけれども、たいていの人が馬齢を重ねるだけであり、極端に言えば生き恥を晒しているようなものなのだ。

ひるがえって、戸田氏は必ずしも若くしてこの世を去ったわけではないが、伝説化するだけの要素をさまざま持っていたと考えられる。また、その後の創価学会の驚異的な発展が、伝説化によりいっそうの拍車をかけたことも事実だろう。小説人間革命などの効果も決して小さくはなかった。

この意味で行くと、浅井先生の評価が決まるのは死後である。

今、ハタから見ると滑稽なくらい、浅井先生を賛嘆する記事が顕正新聞の紙面に躍っているが、これは欲張りな話だろうと思う。しょせんは自画自賛であり、客観的な評価とは言えない。幹部たちが本心から先生を賛嘆しているのであれば、それはそれで結構なことかもしれないが、しかし、しょせんは自画自賛の範疇である。第三者が浅井先生に注目するようにならないと話にならないのだ。

それは顕正会が名実共に日本国に影響力を発揮するような組織になった時であり、たぶんそれはまだ先のことだと考えられるのだ。おそらくは浅井先生の死後である。不謹慎なことを書いているようだが、これがいちばん現実的なはずである。

しかし、これもしょせんは条件付きの話であって、今後も顕正会が順調に伸びていくと仮定したならば、ということなのだ。

こうして見ると、思い半ばに過ぎるものがある。ああ、なるほど、幹部たちが浅井先生を賛嘆するのはもはやそれが唯一の頼みの綱であり、それ以外には何もないからなのだ。先生がいなくなれば、そこでオシマイなのだ。そこで顕正会は終わりであり、そこで浅井先生の評価も終わるのだ。

ユタ氏のコメントからだいぶ脱線してしまったようだ。

いずれにしても、戸田氏が今も伝説の人物として名を残しているのは、創価学会という巨大組織の礎を築いた人物だからである。

一方、浅井先生が名を残すかどうかは、顕正会に懸かっている。顕正会が潰れれば、そこで終わりである。

2013/11/10  17:17

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2013/7/7  6:29

投稿者:沖浦克治
 創価学会は、戒壇本尊本懐を全面に押し出し、掲げ、錦の御旗として大折伏を致しました。
 私のその中の1人とでしたので、事実として知っておりますすし、体験をしております。

 破門から22年経った現在でも、古参の会員はそれを信じる人も多いのですが、既に、会合等でそう言う話が出ることはありませんし、先年、私の本部長さんがお見えになられ、私にそのことをご質問なさいました。

 この方は、長野県の教宣のトップだった人です。
 私と息子が樋田さんを法論で砕いたことで、私の教学の理解に、大きな信頼を寄せて下さっています。
 云わく、

 沖浦さん、戒壇本尊本懐は嘘なんですか?

 私は御書を引用し、嘘であることを説明致しました。
 少しショックを受けられ、それでも、

 わかりました、戒壇本尊本懐論は、この場で捨てました。
 
 そう言ってお帰りになられました。
 この時、寛師が習い損ないであることや、私共拝む人が本で、仏は迹、曼荼羅が道具、自分の人生では自分だけが本、などをご説明し、納得なさいました。
 納得されたからこそ、戒壇本尊本懐を捨てられたのです。

 所がネットの自称創価学会員は、曼荼羅を人の上に置く人が多く、御書で叶わない分を、私の私生活の攻撃に費やしています。

 そういう時、ハンネでは効果がございません。
 世間様は

 この創価学会員を名乗るハンネの人達は、沖浦に理論で歯がたたないから、悔しくて個人攻撃してるんだ。
 こう言う人間は信用できない。
 
 これが普通人の評価です。
 ですので、何れにしても、

 私を論破したいなら、実名で真正面からいらっしゃい。
 ハンネの馬の骨のままではダメですよ。

 こう言う事実を提示しております。
 

2013/7/7  6:27

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、

 言っていることが正しいと世間様がご判断されるかどうか?

 この点はご指摘の通り、ハンネ実名に大差がございません。

 ですが、私を論破するに、いやしくも創価学会員を名乗るならば、御書、歴代会長指導を引用し、真正面からすればいい。

 所が、11年間のネットで、誰ひとりそう言う事に成功した人がいません。

 寛師は習いそこないいである。
 戒壇本尊は本懐でない。
 仏は迹、人が本。
 個人は、その人から見るなら、その方が本、他の一切は師匠も御本仏も迹。
 曼荼羅は道具。

 これらを、御書を通じ、理論的に何故11年間も誰ひとり破折ができないのか?
 
 特に、戒壇本尊本懐に関しては、数年前から、法華講員の方々に、

 御書に基づいてこれを否定されるなら、私は即時、その方のご紹介で法華講員となります。

 と宣言したままです。 
 未だおられません。

 

2013/7/7  6:06

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 私はハンネを全て否定しているのではありません。
 主義主張を発表する、研究内容を世間に問う。
 こう言う場合は、実名もハンネも大差ございません。

 私が問題にするのは、体験を語る時、ハンネは無力だということです。

 そして、私は自分の考えを普通にネットで書きます。

 寛師は習いそこないいである。
 戒壇本尊は本懐でない。
 仏は迹、人が本。
 個人は、その人から見るなら、その方が本、他の一切は師匠も御本仏も迹。
 曼荼羅は道具。

 仏法から見て、御書を読んで、当然の帰結として普通に発表しています。

 この主張を、これまで御書に基づいて論破された方は、一人もおられません。

 そして、私を謗法だ、邪師だと罵るのですが、その時、私の現在の功徳の体験を否定することが常です。

 私は何度も書いておりますが、創価の信心の功徳をネットと言う媒体を通じ、世間に発表するために、2002年9月15日からネットに参入いたしております。

 体験を書くに、実名を出さないで、どういう説得力もありません。
 事実他宗は知らず、創価学会では、聖教新聞、大白蓮華などの刊行物での体験発表は全て実名で、所属組織、役職などを明確にし、家族共々の写真を掲載し、体験発表の主と、読者が何時でも連絡をとり、体験の事実を確認出来る状態にしてあります。

 匿名で、何処の馬の骨とも知れない人間が、どれほど素晴らしい体験を載せても、世間で全く信用されないからです。

 ですので、私は最初から実名です。
 ネットの創価学会員を見るに、功徳の体験を書く人は極めて少ない事実があります。

 それは自由ですが、創価の正しからんことを世間に問うためのネットなら、功徳の体験は必須です。

 御書、歴代の会長指導に明々白々です。
 創価学会員であって、大聖人本仏と定めるなら、信受すれば済みます。

 然るに、私の意見を論破出来ず、体験を認めない人達が、どれほどハンネで騒いでも、世間に影響はありません。
 ハンネとはそう言う性質のものです。

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