2013/7/16

ギャクロカヤダのバカヤロウ  
今朝も沖浦氏から精力的な投稿があった。しかし、重複する部分が少なくないので省略し、昨夜のコメントを中心に思うところを書かせていただきたい。

 創価学会がどの御本尊を書写するか?
 戒壇本尊で無いことだけは確かですし、あるいは創価学会の内部で、どの御本尊も書写せず、相貌が御書に基づいて問題ない御本尊を、独自で書く事もあり得ます。
 ともあれ、将来の事は将来の人が決めればいいのです。
 現時点で、書写の元を限定する必要は全くありませんし、そういう事をすると、かえって将来の方の自由な判断を、束縛しかねません。
 無益ですね。


まったく解せない話だ。シツコイようだが再掲しよう。

 近い将来、戒壇本尊を書写の対象としなくなると思います。

将来のことは将来の人が決めればいい、将来の人の自由な判断を束縛しかねない、などと言うのであれば、口を慎むべきである。なぜならば、戒壇本尊を書写の対象としなくなるかどうかは、将来の人が決めればいいことだからである。つまり、沖浦氏は自己矛盾に陥っているのだ。創価学会が公式に戒壇本尊本懐論を撤回するまでは口を慎む、これが沖浦氏の取るべき態度のはずだ。

 小樽法論の録音をお聞き下さい。
 完全に理論では負けています。

 戒壇本尊は御書にない。
 御伝土台にもない。
 興師も一言も言わない。

 その通りです。
 大聖人仏法に、戒壇本尊本懐はありません。
 そこを突かれると、

 身延は狐や狸、鬼子母神を祭っているからおかしい。

 と切り返しています。
 巌虎さん、少し冷静に判断して下さいね。
 身延が狐を祀ると、戒壇本尊が本懐になる道理が何処のありますか?

 全く別の事です。
 それをリンクさせること自体、負けている証拠です。

 違いますか?


相変わらず曲線的な議論が好きな人である。再掲しよう。

もし沖浦氏が日蓮宗側に軍配を上げるのであれば、創価学会の負けである。理屈で勝てないところを祈りで大勝利に変えたなどというのは、詭弁以外のナニモノでもないだろう。

ようするに沖浦氏は創価学会の負けを認めているわけだ。

ところで小樽問答であるが、わたくしは今までその音源を聴いたことがなかった。そこで今朝、ユーチューブに出ている小樽問答@〜Cを聴いてみた。どうやら続きがあるらしい。ようはCで完結しているわけではないのだ。ならば、ぜひとも最後まで聴いてみたいものだが、どこかにあるのだろうか?

ちなみに現時点での感想を書くと、必ずしも沖浦氏の言っているとおりではない、氏の言っていることは不正確である、ということになる。具体的に言えば、順番が違うのだ。まず、創価学会側が身延の本尊雑乱を責めている。相手はそれに対抗する意味で戒壇本尊に対する疑義を述べているのだ。ゆえに沖浦氏の説明は間違っているのだ。

ただし、すべてが間違っているわけではない。

 小平さんは、

 信心がないからわからない。

 これだけです。


なるほど、この部分は沖浦氏の言っているとおりだろう。完全に負けているかどうかは微妙だが、ここは確かに苦しいところだと思う。

いずれにしても今の段階で小樽問答を持ち出し、日蓮宗側の勝利を叫ぶのは、創価学会員にあるまじき行為だろう。沖浦氏にその自覚がないとしたら困り者である。

さて、今日は顕正新聞第1279号から話題を拾うつもりでいたが、暑いので一つだけ取り上げて終わりにしよう。

中国人も食べぬ汚染食品、日本に
「殺虫剤のカクテル」と農業担当主任


シリーズ三回目も凄まじい。具体的な内容については省くが、どうしてもツッコミを入れたいところがある。それは次のくだりだ。

工場の煙突から立ち上る煙により周辺は靄(もや)がかかり、一時間いるだけで気分が悪くなる。

どこの話かと思えば、中国山東省の話なのだ。おいおい、オマエは中国まで取材に行ったのかよ、と言いたいところだ。

2013/7/18  8:42

投稿者:顕正会改革派
櫻川忠氏(本名佐野氏)の除名理由については、やはり顕正新聞や会員への説明にもあったように本門戒壇大御本尊を贋作と断じている犀角独歩氏等の邪義に紛動されたのが最大原因と思います。
その人に迷惑がかかるのでお名前は出せませんが妙信講以来の古参会員であった櫻川氏と交友のある方から、「あの人はすっかり身延の学者にかぶれて講演をしたり、冨士の教学や本門戒壇大御本尊を否定したり、『日蓮聖人』とお呼びするようになり変節した。」と聞きました。
私は顕正会員ですが現在の浅井体制の運営方針に賛同してません。「御遺命守護」の精神を今こそ取り戻すべきとも思います。厳虎様のスタンスにも共感するところあります。
顕正会の改革派として櫻川氏に期待していましたけど正直裏切られたような感じです。櫻川氏が「本門戒壇の本義」の本を出したのに公式見解もなく本門戒壇大御本尊や寛師の教学を否定するのでは、沖浦氏の主張とあまり変わりないように思います。
やはり櫻川氏は「冨士大石寺顕正会」の枠から外れたために除名されたと思わざるを得ないのが残念です。

2013/7/17  6:22

投稿者:沖浦克治
 私がこう言う事を書くと、よく反論があります。

 ではどうして創価学会は戒壇本尊本懐論を唱えたのか?

 方便ですよ、それは。
 一切衆生を救うために、一時的に借りたんです。
 そして、私も含めて当時の創価学会員は、戒壇本尊本懐を信じ、自宅の御形木御本尊を、戒壇本尊の分身と信じ、祈って戦って功徳を沢山出しました。
 私も同じです。

 今は、創価学会には戒壇本尊本懐はございません。
 そして、私が常々書くように、戒壇本尊と私共の御形木御本尊は別だと考える会員が増えています。
 戒壇本尊に何の興味もない会員が、大部分です。
 会合でもそう言う話題はでませんし、聖教新聞にも掲載されません。

 戒壇本尊が話題になることすら無い。

 これが現在の創価学会。
 そして、その状態で以前と同様の功徳が出ています。
 私もそうですね、以前は戒壇本尊本懐と信じ、唱題し功徳がキチンと出ました。
 現在は、そう言うものは寛師の邪義と見破り、それを常に公言し、唱題し、以前と全く同じく功徳が出ております。

 信は大事ですが、信は認識です。
 それ自体は価値を生みません。
 牧口先生の卓見です。

 行は行動で、この行に功徳が出ます。
 どう言う信の方向であっても、行が同じなら功徳が同じ。

 反対も又同様。
 幾ら唱題しても、怨嫉謗法があると罰でしょう。
 行が恨みなので、罰なんですね。

2013/7/17  6:11

投稿者:沖浦克治
 おはようございます、巌虎さん

>いずれにしても今の段階で小樽問答を持ち出し、日蓮宗側の勝利を叫ぶのは、創価学会員にあるまじき行為だろう。沖浦氏にその自覚がないとしたら困り者である。

 私は常々、日蓮正宗の寛師教学では、身延に歯がたたないと書いてきております。
 戸田先生が言われました。

 『この700年間、日蓮正宗は身延に何をやっても勝てなかった。』(趣意)

 音源も持っております。
 小樽法論では、創価学会側は身延の本尊雑乱を責めました。
 身延の弱点です。

 南無妙法蓮華経 日朗だとか、売店で安売りしているがとか、狐や狸、鬼子母神を拝むとか、色々あります。

 本尊に迷う姿です。

 ですが、日蓮正宗も本尊に迷う事は身延以上です。

 戒壇本尊しか駄目だ!

 こっちの方が悪質ですね。
 大聖人の仏法を独占せんと企んだのです。
 最悪最低です。

 いくら題目唱えても、戒壇本尊に唱えなければ功徳はなく罰だ。

 こう言うものは仏法ですらございません。
 密教で外道です。
 大聖人が一切衆生を救うと言われた。
 全く逆です。
 独善主義は密教で、然も外道。

 身延は本尊に迷う宗派ですが、一応の内道。
 然も開かれています。

 開かれた内道に、閉ざされた外道が勝てる道理がございません。

 ですので、戸田先生がああ言われたのでしょう。 
 戒壇本尊本懐論が、宗門の一凶。
 これを捨てない限り、身延に勝てる道理がございません。

 更に、今創価学会は、日蓮正宗は邪教と判断しておりますが、身延を邪教と責めません。

 聖教新聞に、日蓮正宗の糾弾記事は載りますが、身延を糾弾する記事はございません。
 ですので、貴方のご指摘は時代遅れです。

2013/7/16  20:45

投稿者:沖浦克治
 少し冷静に考えると理解出来ますが、戒壇本尊図顕とされる弘安二年十月十二日は、当然大聖人は身延におられ、六老僧の間、特に興師と他の5人の確執は始まっておりません。
 ですので、この時出世の本懐を戒壇本尊としてご図顕なされたなら、他の5人の老僧達も当然知っていなければなりません。
 然るに、五老僧の書き残したものに、戒壇本尊の記載はございません。
 
 唯一保田妙本寺の12世(だったと思います)日我がその御本尊が凄いと書き残している、と小平さんが言っていますが、大聖人直結の五老僧や興師も知らないことを、後世の日我がどう言ったこう言ったが、証拠になる道理もありません。
 
 法論自体は、創価学会の大勝利です。
 何故ならば、その後の創価学会は身延の方を折伏する時、小樽法論で完勝したことを武器にして、大きな成果を出していますし、反対に身延の方々はそう言う事は全くしていません。
 ですので、あの法論をして得をしたのが創価学会、孫をしたのが身延。
 現実の成果を見て判断するなら、創価学会の大勝です。

 今私共は宗門を捨て、独自の道を歩んでおります。
 ですので、身延と日蓮正宗を冷静に比較することが出来ます。

 その立場から返り見た時、身延の論旨に、小平さんは負けています。

 池田先生、戸田先生の卓越した実力が、双方の勝敗を分けたのです。

2013/7/16  19:14

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、今晩は

 私は、戒壇本尊を書写の対象にすべきではないと言っていません。
 戒壇本尊を書写した御本尊は未だに創価学会にはなく、日蓮正宗の信徒の皆様方が拝む御本尊も、戒壇本尊を書写していない事実を、提示しております。
 
 頭破作七分、福十号もありませんし、滅度後は十年の開きがあります。
 ですので、明らかに戒壇本尊を書写していません。
 しているなら、当然私共の御本尊に、頭破作七分も福十号もありませんし、仏滅度後二千二百二十余年取っていなければなりません。

 法主の権能云々で言い訳出来ることではありません。
 
 ですので、その事実を提示していますし、大聖人のご真筆であることは極めて疑わしいと思います。
 これは、戒壇本尊について、大聖人は一言も言われておられませんし、興師も、目師も全く触れておられません。
 更には、弘安二年十月十二日に書かれた、伯耆殿等御返事には、戒壇本尊は一言もありません。
 宗門が唯授一人としている興師に、出世の本懐のご図顕をされて、その日の御書に一言も出てこない。
 明らかにおかしいですね。

 これらの理由から勘案して、その日に特別な御本尊ご図顕はなかったと考えることが自然です。
 こう言う道理を覆すには、明快に大聖人が、戒壇本尊が本懐であると言う、直接的表現をされたご文証を提示する以外ございませんが、未だかってそう言うことをされた方はおられません。

 ですので、宗門から余程の反証が出ない限り、戒壇本尊本懐論は、寛師の邪義に過ぎません。

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