2013/8/14

戒壇本尊本懐論の一局面  
沖浦氏より神社参詣の議論をやらないかとのお誘いを頂戴したが、今しばらく保留としたい。

2013/8/12 22:48
投稿者:昔の名前で出ています
お答えありがとうございます
率直に言って 厳虎さんの説明は 可能性の域を出ていないように思われます
三大秘法抄の一説が なぜ大石寺に有る 大石寺が言う所の戒壇の御本尊だと言えるのですか?
御書にヒントですか?答えでは無く?
それと御本尊に関しては 区別した時点で差別になってしまいますよ


やはり、こちらが最優先である。わたくしには必ずしも切り札があるわけではないが、しかし、相手が誤解している以上は、出来得る限りの努力をもって誤解を解きたいと思う。

巌虎さんの説明は可能性の域を出ていない・・・

可能性の域を推測の域に言い換えると、確かにそれは否めないところだと思う。ようするに、わかっていないことがたくさんあって、そのわかっていない部分を自分なりの考えで補填しているわけだ。ゆえに、当面はその考え方が正しいか否かが問われることになる。

三大秘法抄の一説が なぜ大石寺に有る 大石寺が言う所の戒壇の御本尊だと言えるのですか?

この後、ヒントですか、答えではなく? との質問が重ねられているわけだが、まさにここが法門に対する考え方の問題なのである。

ズバリ、弘安二年十月十二日の御本尊を本門戒壇に安置せよ、という御書はどこにも存在しない。ゆえに、おっしゃるごとく、なぜ大石寺の戒壇の大御本尊が戒壇安置の御本尊だと言えるのかと問われれば、なかなか明快な答えを出せないのも事実である。よって、わたくしは答えがあるとは書かず、ヒントがあると書いたのだ。

そこで問題となるのは、考え方の是非である。

本門戒壇とはいかなるものか、それは三国並びに一閻浮提の人々にとって懺悔滅罪の場所であり、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うほどの大戒壇である。そこに安置される御本尊こそが、すなわち本門戒壇の大御本尊である。

さしあたって問題となるのは、この考え方が正しいか間違っているか、である。

しかし、いまだに戒壇建立の大事ということが広く認識されておらず、いわゆる日蓮正宗系においても、そこがよくわかっていないのが現状である。ゆえに議論が深まらない。

逆に言えば、戒壇本尊に対抗し得る御本尊が他には存在しないので、戒壇建立云々に議論が突入していくと困る人たちがいる。だから議論を避けている。これが真相だかもしれない。

ちなみに、田中智学という人はあえてその領域に踏み込んで行った、近現代における稀有の存在なのかもしれない。

それと御本尊に関しては 区別した時点で差別になってしまいますよ

ここは瑣末な点ながら、明快な間違いなので、指摘しておきたい。

先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。

経王殿御返事の一節である。つまり、ここでの「まぼり」はいわゆる御守り御本尊のことだと拝されるわけで、戒壇安置の御本尊と同日の談ではない。

日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

大聖人の御本尊はそのサイズにかかわらずいずれも大曼荼羅である。しかし、あえて語弊を承知で言えば、使用目的によってサイズが異なるわけで、個人授与の御守り御本尊が戒壇安置の御本尊たり得るわけがないのは自明の理であろう。これは差別だの区別だのといった瑣末な議論とは無関係のことであり、本門戒壇の重大性に鑑みての結論である。

 仮に本門戒壇と言う伽藍が必要だとしてですが、私は仏法上の意義云々ではなく、世間を意識した時には必要だと思っていて、現在建設中の創価学会総本部を、そう言う位置づけにするべきだと考えています。

まるでわかっていない。

 将来は、アフリカあたりに素晴らしい建造物を建て、ピラミッドと並んで後世へ伝えるべきでしょう。

いかにも沖浦氏らしい発言であるが、戒壇建立の大事がわかっていないことを露呈した格好である。

 その建物にどう言うご本尊を安置するか?

 別に大聖人ご図顕のご本尊なら、何でも構わないでしょう。


すでに説明したごとく、御守り御本尊が戒壇安置の御本尊として相応しいかどうか、よく考えるべきだろう。

なお、沖浦氏のために付け加えておくが、大聖人の御本尊はそのサイズにかかわらず、いずれも大曼荼羅である。いわゆる如意宝珠の譬えに明らかなごとく、サイズが小さいから功徳が小さいとか、逆にサイズが大きいから功徳が大きいとか、そんなチャチなものではない。このことと戒壇安置のことは別次元の話である。

最後に全集未収録御書を紹介しておこう。

 竜樹は迹門の意を談宣し、天親は文に約して之を釈し、化導の始終を明かさず。天台大師は本迹の始終を弘通す。但し本門の三学は未だ分明ならざるか。

さしずめ沖浦流法門においては、未だ本門の三学分明ならず、といったところか?

2013/8/18  5:39

投稿者:沖浦克治
 おはようざいます、皆様方。

 もう直ぐ出かけます。

 長野県ポディビル選手権大会の審査員です。

 長野に来て9年、ジム開いて7年です。

 ここまでやって来ました。

 益々がんばります!!

2013/8/16  11:33

投稿者:んっ?
河童君や?
相変わらずのループww コピペでの長文御苦労!

何度も貼り付けてるが未だに理解出来ないようですね?ww

「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ
 全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、
 此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(生死一大事血脈抄)

大聖人様=御本尊様=我ら衆生の仏性=南無妙法蓮華経だ。

君は「御本尊様不要論者」だから解らない。要は「信心」が無いという事だ。
君は何を信じているんだ?

信心が無いものにとっては,只の物なのは当たり前の事だ。
信じていない君があらためて法華講の隠し撮りを挙げて力む事ではないww

「天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて
 若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、
 故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、
 爰を以て止観には雖学仏教還同外見と釈せり、
 然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも
 皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(一生成仏抄)

君は「仏ではない只の物」に対して給仕をしているのか?
君の御本尊様には「南無妙法蓮華経・日蓮」と認められていないのか?

御本尊様が末法の法華経,即ち南無妙法蓮華経であるからこそ
戸田先生は「御本尊様を拝しながら題目を唱えるのが(読),
御本尊様の無い所で唱えるのを(誦)だ」と解説されている。

私は御本尊様の力用が,御本尊様によって違うとは一言も云ってない。

>どん詰まりの似非教学では、
>大聖人の出世の本懐を特定したい。
>おやりなさいよ。
>私はそう言う事にあまり興味がありません。
>そう言う愚行は、寛師にやらせておけば良いのです。

はあ? 拘ってるのは君であって私ではないww
自分の理解出来ない事は何でも「寛師教学だあ」で済ませようとする。

六巻抄を読んだ事もないくせにww

2013/8/16  6:27

投稿者:沖浦克治
 どん詰まりの似非教学では、

 大聖人の出世の本懐を特定したい。

 おやりなさいよ。

 私はそう言う事にあまり興味がありません。

 沢山考えられます。
 御書読みなさい。

 『法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、我のみならず一切衆生直至道場の因縁なりと定め給いしは題目なり、』
 (一念三千法門)

 あえて特定するなら、自行化他の南無妙法蓮華経を現されたことです。
 でもね、南無妙法蓮華経は常にだれでも唱えることが可能でしょう。
 ですから、

 これぞ大聖人出世のご本懐〜〜!!!!

 などと言って浮かれ騒ぐようなことじゃありません。
 大聖人にとって、そして我々にとっとも、ごく普通のことです。
 題目唱えないと何一つ始まらないでしょう。
 そう言う普通の事を、さも凄まじい重大事みたいに掲げる必要ございません。

 そう言う愚行は、寛師にやらせておけば良いのです。

2013/8/16  6:19

投稿者:沖浦克治
 更にですが、

>従って,立宗から二十七年目に,何らかの意味を持つ御本尊様を
認められたのは間違いない。
ただし,数年前に君の掲示板に書いたように,
其れが「現在の戒壇本尊」ではない事は,川辺メモや
犀角独歩氏・金原明彦氏の研究で明らかだろう。
つまり,此の二つを会通するには,出世の本懐たる御本尊様と
現在の戒壇本尊が別物だと考えれば上手くまとまる。
 〜引用終わり〜

 そう言う事はまとめる必要がありません。
 何れにせよ、特別なご本尊が本懐ではありません。
 本懐が私共が信心を持って拝まなければ只の物。
 そう言う不安定なものが本懐になり得ません。
 強いて言うなら、大聖人はご本尊図顕の方式を確立されました。
 ですので、それ以後は、誰でもご本尊を書くことが可能になったのです。
 この部分を本懐と考えるなら、ご本尊図顕が本懐と言えます。

 どん詰まりの寛師の邪義ではそう言う発想は出ません。
 愚かですね。
 
>日顕宗を否定するためには「戒壇様」が本懐ではなく,此れこそがという本尊が無ければ無理だよ?

 愚かの極みです。
 この愚か者は、何が何でも特定のご本尊を本懐にでっち上げたい。
 だから、そう言うご本尊を示さない限り、戒壇本尊本懐を覆せない。
 屁理屈ですね。
 お前が犯人でないなら、真犯人連れて来い。
 同じレベルです。

 戒壇本尊が本懐なら、キチンとした証拠だしなさい。

 出せるなら、宗門の勝利、出せないなら敗北。
 
 簡単なんです。

2013/8/16  6:18

投稿者:沖浦克治
 そして、その宝塔は何を現しているのか?
 
 『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり』
 (阿仏房御書)

 阿仏房へ仰せです。
 貴方の命が宝塔だ。

 明白です。
 衆生の命を釈迦が虚空の宝塔として表現、それをその経文通り図顕されたのが大聖人。
 ですから、ご本尊は私共の命の設計図です。
 そのご本尊に向かって、唱題する時、宇宙の命と私共の命がご本尊を通じて感応し、本来の仏の命が涌現する。
 ですので、いくらご本尊を安置しても、信心が無い人は無意味なのです。
 信心の無い人は、ご本尊は只の物です。
 ご本尊をご本尊足らしめるものは、拝む人の信と行。
 御書にあります。

 『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
 (日女御前御返事)

 御図顕された大聖人ご本人が仰せです。
 御本尊は拝む人の信心の二字に納まっている。
 池田先生が、この御文を引かれ、

 『宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大聖人の御書だ』   
 (平成五年九月七日・本部幹部会)

 明確にご指導です。
 創価学会には、ご本尊が法華経だと言う思想はありません。
 どん詰まりの似非教学は、宗門の寛師でおやりなさい。

2013/8/16  6:17

投稿者:沖浦克治
どん詰まりの似非教学・・・

>「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、
 其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、
 余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(聖人御難事)

わざと,此の御文を無視して話を進めようとしても駄目だよww

釈尊-------正法の法華経たる「法華経」
天台-------像法の法華経たる「魔訶止観」
蓮祖-------末法の法華経たる「御本尊様」

従って,立宗から二十七年目に,何らかの意味を持つ御本尊様を
認められたのは間違いない。
 〜引用終わり〜

 この人レベル低すぎます。
 大聖人は、末法の法華経たる南無妙法蓮華経です。
 御本尊ではありません。
 法華経とは人の命の事。
 それが仏で、それを写し取ったものが、ご本尊。
 御書に書いてあります。

 『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
 (日女御前御返事)

 虚空に建った宝塔の姿を、すりかたぎ(摺形木)たる本尊、と仰せです。
 すりかたぎとは、写し取ったと言う意味です。
 

2013/8/16  0:00

投稿者:んっ?
河童君や?

「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、
 其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、
 余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(聖人御難事)

わざと,此の御文を無視して話を進めようとしても駄目だよww

釈尊-------正法の法華経たる「法華経」
天台-------像法の法華経たる「魔訶止観」
蓮祖-------末法の法華経たる「御本尊様」

従って,立宗から二十七年目に,何らかの意味を持つ御本尊様を
認められたのは間違いない。

ただし,数年前に君の掲示板に書いたように,
其れが「現在の戒壇本尊」ではない事は,川辺メモや
犀角独歩氏・金原明彦氏の研究で明らかだろう。

つまり,此の二つを会通するには,出世の本懐たる御本尊様と
現在の戒壇本尊が別物だと考えれば上手くまとまる。

現に君の「大聖人様の本懐」は下記の様に変遷している

@題目
  ↓
A戸田城聖氏の出現
  ↓
B広宣流布
  ↓
C一大事因縁
  ↓
D人生そのもの
  ↓
E自行化他のお題目かな? 広宣流布かな? 
 やっぱり人生そのものかな?
 (?マークいっぱいで迷いっぱなしですww)
  ↓
F人生そのもの(もう迷わない断言します)
  ↓
G生命の尊厳を人類の思想の根底に据えること
  ↓
H阿仏房の御本尊
  ↓
I今後の研究にお任せ
  ↓
J立宗宣言と大聖人の人生

こんな為体で,日顕や日如を木っ端微塵?ww

2013/8/15  6:44

投稿者:沖浦克治
終戦記念日です。

 追善と平和への祈りを、

 それぞれの宗派の、それぞれの祈りで致しましょう。

 謹んで戦没者の追善供養の祈りを致します。

          合 掌 ・・・・・

2013/8/15  6:39

投稿者:沖浦克治
 どん詰まりさんや・・・

 日顕宗??
 そう言う宗派はございません。

 戒壇様を否定??

 そう言う事をしたことがありません。
 戒壇本尊は大聖人ご図顕の本物のご本尊です。
 お間違えないようにね。
 直筆か? 
 後世の書写か?
 書写なら、在家によるか?あるいは出家か?
 そう言うことは、大聖人のご本尊のお力とは無関係です。
 その証拠に、戒壇本尊は、私が自宅にご安置の創価の御形木ご本尊と全く同じお力を立派にお持ちです。

 そう言う事実を認識できる力を養いましょう。
 
>日顕宗を否定するためには「戒壇様」が本懐ではなく,此れこそがという本尊が無ければ無理だよ?

 これこそが本懐と言う本尊??
 貴方アホですか〜〜??

 全てのご本尊ですよ。
 御書読めないのですか?

 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 阿仏房へのご本尊が本懐か、あるいはすべてのご本尊が本懐か。

 どちらかです。
 貴方国語の勉強からおやり。
 
 阿仏房のご本尊が本懐なら、大聖人はキチンと書かれます。
 後世へ伝えるべきですからね。
 そう言う表現が無いなら、全てのご本尊は本懐です。
 そう言う国語の知識を学びなさい。
 それとね。

>結局,肯定する御書も否定する御書もない現状で
思い込みのみで子供の喧嘩していても結果は出ない。

 肯定する御書が無い事が、日蓮正宗の致命傷なんです。
 全くこの点で法主能化を始めとして、宗門関係者は私に太刀打ち出来ません。

 大聖人仏法の理解から見て、無能集団が日蓮正宗です。
 
 そう言う事実を弁える認識力を養う努力に向かってスタートする向上心をお持ち。

2013/8/15  6:27

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 最初に、又貴方のお名前が変換ミスになっておりました。
 お詫びいたします。

 さて、

>さしずめ沖浦流法門においては、

 世に沖浦流法門と言うものはございません。
 私は創価思想を出来るだけわかりやすく、かみ砕いて書いているだけです。
 戸田思想、池田思想です。
 その点お間違い無いようにお願い致します。

 本門戒壇と言う伽藍が建ったとして、お断りしておきますが、寛師の言う戒壇とは別物です。
 シンボルとしての建造物です。
 現代におけるピラミッドの様なものでしょうね。
 それが建ったとして、どう言うご本尊を安置するか?

 大聖人直筆のご本尊を拡大書写するか?
 その時点で、創価学会で独自に図顕するか?
 どちらかでしょう。

 どのご本尊も全て同じお力(性能)ですから、どう言うご本尊でも問題はございません。
 私はお守ご本尊をいただいておりますが、極端に言うなら、そのご本尊を何かに入れて、それらしく荘厳して安置しても、全く法の上からは問題がありません。

 ですが、世間に開くものが仏法である観点から見て、やはり、サイズの大きな、表装も立派なご本尊がベターだと思います。
 
 但し、その時、このご本尊は特別の何たらかんたら・・

 こう言う能書きは邪魔です。

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