2013/8/28

ダラダラと長い文章  
未明に、ぜんぜん関係のない話題との前置きで、桜月氏よりコメントを頂戴した。大いに結構である。そもそも仏法とは森羅万象を包含するものであるから、ありとあらゆる話題と無関係ではないのだ。あとはその人のキャパシティの問題であって、わたくしのような不勉強の者には対応し切れない話題もたくさんあるが、そうは言ってもコメント投稿をキッカケとして新たな知見を得られるわけだから、ひじょうにありがたいことである。

その意味で、沖浦氏の投稿もまた貴重であるが、しかし、今回の文章は相当に難解だった。逸脱とは本来のコースから外れることであり、軌道修正とは元のコースに戻ることである。

 戸田先生は、創価学会を開基なさいました。
 そして、その周りに多くの革命家が出て、戸田思想である、創価思想を流布致しましたが、戸田先生は日蓮正宗の教義を一時拝借され、700年の伝統を利用し、戸田思想を寛師教学に包んで世に出されたのです。


この言い方だと、戸田思想=創価思想こそが本懐であって、日蓮正宗の教義を一時拝借したことが逸脱だったと読めてしまう。そして今は再び戸田思想に戻ったと。

相変わらずの堂々巡りであるが、戸田氏は戒壇本尊本懐論者であって、沖浦氏の言うような戸田思想ないし創価思想を本懐としたわけではない。そうした文献上の証拠はどこにもないのだ。

わたくしは言いたい。

沖浦氏の最大の課題は、残りの人生において再び戒壇本尊本懐論に戻ることが出来るかどうか、である。願わくは、己の逸脱に気づき、軌道修正されんことを。

 あれ?『浅井城衛』と呼び捨てに なってます。

 それと浅井城衛は【理事長】なんですか?一般の信者さんは⇒浅井昭衛を【理事長】と思ってますが?
 巌虎氏、お答え下さい。


呼び捨ては後回しにして、一般の信者さんとは誰のことを意味するのだろうか?

もし顕正会員のことならば、大いなる誤解である。浅井先生を理事長だと思っているような会員はどこにもいない。なぜならば先生は会長だからだ。顕正新聞に登場する会員にはすべて役職が冠されている。最近は平会員も多いが、組長から会長まで、役職を持っている人の記事には必ず肩書きがつく。城衛は総男子部長であり、普段の記事ではその表記である。そして、必要に応じて理事長と表記されたり、理事長・総男子部長と併記される場合もある。

それにしても教子氏はずいぶんデタラメなことを言うものである。いったい情報源はいずこであろうか、それが気になるところだ。わたくしは顕正新聞の情報をそのまま書いているに過ぎない。直近の顕正新聞を確認すれば、城衛には理事長・総男子部長の肩書きが付されている。繰り返し書いておくが、浅井先生は会長である。

 さて、城衛!と呼び捨てにしている所を見ると巌虎氏は⇒教祖・昭衛は信じているが、次男坊・城衛のことは信じてない?若しくは反感を抱いているのでは?
 お答え下さい。


まあ、どうでもいいことだが、書いておこう。

顕正会における会員間の呼称は基本的に役職名で行なうことになっている。元々が友達関係の場合は例外もあるだろうが、普通は○○組長とか△△班長と呼称するのだ。そうした中で、ただ一人だけ特別扱いの人物がいる。浅井会長だ。おわかりだろうか、顕正会員は浅井会長を浅井先生と呼ぶ。浅井会長と呼ぶ人は皆無と言ってもよいだろう。

浅井先生だけが特別であり、それ以外はすべて役職名で呼ぶのだ。ゆえに、城衛の場合は、城衛総男子部長か城衛理事長、もしくは単に総男子部長や理事長でも通じることだろう。当然ながら、わたくしもこの慣例に従って書いていた。最初の頃は、である。しかし、ひじょうに面倒臭いので、やめたのだ。

たぶん教子氏は納得しないと思うが、おおむね上述のごとくである。ある意味、城衛は特別扱いなのだ。拙ブログではほとんど個人名を記さない。一会員などは役職を降りればタダの人なのだ。ゆえに男子部長や女子部長も名前を書かないようにしている。総合女子部長の名前すら極力書かないようにしているくらいである。

繰り返しになるが、城衛は特別である。本来は役職で書けばそれで済む。しかし、ご存知のごとく、顕正会は役職名がコロコロ変わる。わたくしの記憶が確かならば、呼び捨ては城衛よりも克衛のほうが先である。克衛は主任理事という役職だったが、いつの間にか消えてしまった。もし正確を期するのならば、元主任理事などと書くべきなのかもしれないが、面倒臭いことだ。しかも最近の顕正会員にはわからない。だったら克衛と書いてしまったほうが単刀直入でわかりやすいだろう。

最後に、想定問答を記しておこう。説明し尽くしたつもりであるが、教子氏ならば次のごとく問うのではないかと思う。

巌虎氏はブログの中で、沖浦氏とか桜月氏など、○○氏と表記することが多い。だったら同様に、克衛氏・城衛氏と書くべきではないか?

これは説明が困難だ。

面倒臭いので説明をやめたいところだが、いちおう何かしら書いておかねばなるまい。まず、今もいちおうは会員目線を残しているつもりである。一般の会員の立場からすれば、城衛総男子部長を城衛氏などとは絶対に呼べない。城衛さんがギリギリだろうか?

城衛君は言語道断だろう。城衛氏もやや不遜の響きがある。城衛さんも微妙だが、ここがギリギリだと思う。結局、役職名で呼ぶのがいちばん楽なのである。

これが会員目線である。

では、巌虎目線はどうか?

ここに答えがある。拙ブログは顕正会員のみならず、法華講員や創価学会員も閲覧している。つまり、わたくしは彼らの目線も考慮しつつ、書いているのだ。

わたくしは猊下を誹謗したことがない。今や顕正会では日達上人・日顕上人を呼び捨てにしているが、わたくしはそれに与しない。あるいは池田大作氏に対しても敬称を冠することを忘れない。では、ここで浅井城衛氏と書くのはどうかであるが、これは完全に会員目線からの逸脱である。池田氏、浅井氏、これはもう完全に第三者の目線である。

この微妙な狭間が巌虎目線なのだ。純粋な会員目線でもなければ第三者目線でもない。これがわたくし独自の立場である。

うまく説明できていないが、まあ、こんなところである。

つまりは城衛でいいのである。

 私が思うに巌虎氏の立場は⇒隊長や区長よりも上の立場。
 つまり顕正会の職員?若しくは顕正新聞社の社員?いや、それより上の【役員】では?

(以下省略)

想像を逞しくするのは結構であるが、まるで見当ハズレである。

顕正会は先月、公称百六十万を達成した。百六十万分の一がわたくしである。ここには名前ばかりの入信者がたくさんいるわけだが、中には真面目に活動していたという人もいることだろう。ともかく百六十万もの入信者がいれば、さまざまのケースが考えられる。委細に見れば、百六十万通りのケースがあるとも言えるだろう。その一つのケースがわたくしなのである。具体的に言えば、ブログというネットツールを使って、顕正会のことをあれこれと綴っている、それが巌虎独白なのである。

2013/8/29  16:43

投稿者:桜月
高速太郎さん

たしかに今回の新型ロケットの打ち上げは、モバイル管制だとか、世界でも初めての試みだったわけですが、これまでの経験と技術力で自信があったのと、国民の期待に応えたいという気持ちがあったのだと思います。かなりの見物者も来ていたようですしね。

それにしても、さらに打ち上げが来月まで延期になってしまったのは残念ですが、わざわざ現地まで見物に行っている人たちのためにも、今回は必ず成功させてもらいたいですね。

2013/8/29  12:12

投稿者:高速太郎
桜月さん、こんにちは。

 はじめまして。コメントの中に私のHNが有りましたので、ビックリしました。
 小学生の頃、鉛筆の金属キャップ(アルミ、真鍮等)の中に、下敷き(セルロイド)を1mm位に細く切って入れ、木で作った発射台に乗せ、下からローソクで熱して、打ち上げて遊んでいました。噴射口(?)が狭い方が良く飛ぶことを知り、ペンチで締めすぎ手元で暴発すると云う危ない事をやっていましたね。

 イプシロンの件ですが、発車前の記者会見から不思議感が有りました。ものづくりだけではなくて、販売業や芸術家など、私が極みに達していると考えている人達から、絶対とか、100%とか聞くことは無いです。ところが、記者会見では、絶対成功間違い無し的な発表だったので、エッと思いました。
 中止後の記者会見も原因が分からないとしながら、ロケット本体もセンサーも問題無いと言っていて、全てが完璧とも取れる内容でした。地上のコンピューターのハードとソフトに問題が有ったかも知れないような事は、話されていましたが、金曜日には、打ち上げが可能と、原因の切り分けが行われていない状況で何故そのように言い切れるのか不思議です。
 発射していないのだから失敗ではなく、失敗でないから成功とのことのようですが・・??!!
(誰に向かっての記者会見なのか・・スポンサー向けかな?)

   子どもたちの夢に応えてほしい・頑張れJAXA!!

2013/8/29  6:59

投稿者:沖浦克治
 続きです。

 のみならず、大聖人にお会いし、そのついでなら別にかまわないと受け取れる文面です。
 
 この時代の武家は、主人の代理として神社へ参拝することも仕事の内でした。
 代参と言います。
 南条時光も、富木常忍も、四条金吾も当然代参をしているはずですが、その行為に対する戒めの言葉は御書にはございません。
 遺誡置文にはあります。
 
 ですので、あれは興師の身延を追い出されたことによる、恨みからの我見です。
 そう言う道理を今後は弁える必要がありますね。

2013/8/29  6:58

投稿者:沖浦克治
 遺誡置文からです。

 一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。

 所がこれは己義なんです。
 御書読めばわかります。

 『又うつぶさの御事は御としよらせ給いて御わたりありしいたわしくをもひまいらせ候いしかどもうぢがみへまいりてあるついでと候しかばけさんに入るならば定めてつみふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候、其の上尼の御身になり給いてはまづ仏をさきとすべし、かたがたの御とがありしかばけさんせず候、此の又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人人もしもべのゆ(下部温泉)のついでと申す者をあまたをひかへして候、尼ごぜんはをやのごとくの御としなり、御なげきいたわしく候いしかども此の義をしらせまいらせんためなり。』
 (三沢抄)

 内房尼が年寄りであるにも関わらず、身延まで来れたのをご苦労様で大変であろうと思っているのですが、氏神へお参りしたついでに身延へ寄られたと言う事でしたので、もし対面するなら罪が深くなると思いお断りいたしました。
 何故ならば、仏法上、諸天は法華経にに使える身です、世間においても、家来に会うついでにその主君に会う事は、畏れ多いとされています。
 尼は、仏法者の立場であるのだから、家来である氏神に参拝するついでに、主君である仏法者の私に会いに来ることを許しては、周りからも咎められるでしょう。
 その他にも、温泉で湯治のついでに訪問された方がを沢山追い返しました。
 尼御前は自分の母親の様な落としであるので、私に会えない事を非常に落胆されたでしょうが、仏法の道理を教えるためにお会い致しませんでした。

 以上が通解ですが、この中に社参を禁ずる言葉はございません。
 

2013/8/29  6:55

投稿者:沖浦克治
 身延相承書に日付がありません。
 創価学会編纂の御書にですが。

 遺言状に日付が無い。

 そう言うものは無効ですね。

2013/8/29  6:54

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 戸田先生は一時的に宗門を利用なさいました。
 老舗の店先を借りたのです。

 今はもう要らなくなったので捨て去りました。
 戒壇本尊本懐論は御書にありません。
 富士門の内部規定としては結構ですが、私は富士門ではありませんので、無関係です。
 
 更に、私は興師の唯受一人を否定しております。
 当然寛師に血脈などはないと言う立場。

 戒壇本尊本懐論に興味を持てません。

2013/8/28  12:23

投稿者:ユタ
こんにちは。
巌虎さんは顕正会員です。だから自組織の人間を呼び捨てにしている。
例えば会社で、外部の来客が自分の上司に会いに来たとしましょう。しかし、上司は不在だった。こんな時、来客に対して何と答えるか。
「○○は不在です」
と、呼び捨てで言うでしょう。恐らく巌虎さんが大幹部でさえ呼び捨てにするのは、そういう感覚なのではと思います。

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