2014/4/9

「殿岡」と「いかだ」についての問題提起  
学会未活動者氏から植村佐内氏の本を読めと言われた。ヤブサカではないが、さりとて、積極的に読みたいとは思わない。わたくしはここ十年、ほとんど読書をしたことがない。ネットをやるようになって、本はなるべく買わないようにしているのだ。

沖浦氏は御伝土代を引用して戒壇の大御本尊のことを云々しているが、この件に関しては特に申し上げることはない。わたくしの守備範囲ではないということだ。

氏は一方で、前回の話題について、創価学会の公式見解を紹介して下さり、同時にご自身の見解も述べられた。これはわたくしの守備範囲なので、受け流すわけにはいかない。

9月には没収されていた領地を返され、新たに三倍の領地を加増された・・・

これが創価学会の公式ホームページの記述である。

 この表現ですと、返還と新しい領地を同時に得たことになります。
 ですが、大聖人が新しい領地への不満を言ってはいけないとご指南です。
 ですので、タイムラグがあったと考えるべきでしょう。


沖浦氏のコメントだ。氏の偉いところは自分の考えを持っていることである。わたくしが提示した御書を自分なりに理解し、創価学会の公式見解とは異なる意見を述べているのだ。

 いずれにしても、殿岡は間もなく返還されたと言うのが自然ではないでしょうか?

ようするに、翌月には信濃から御供養の品々が届けられているので、間もなく返還されたと考えるのが自然ということなのだろう。

まあ、それはそうだかもしれない。すべてのことが御書に記されているわけではないのだ。ナイモノネダリをしてはいけないということだ。

ところで、実はウッカリしていたことがある。

・・・度々の御所領をかへして、今又所領給はらせ給ふと云云。此程の不思議は候はず。

前回、わたくしはこれを見落としていた。これは弘安二年九月十五日の四条金吾殿御返事である。

・・・たぶん、事情を知らずにお読みになっている人は、何も感じないだろう。しかし、御書にベラボウに詳しい人ならば、ここで頭の上に?マークが出るに違いない。そう、当該御書は弘安二年ではなく弘安元年だとする説が存在するのである。前回引用した三箇所の領地を示唆する御書は弘安元年十月とされている。そして上掲の御書が同年の九月十五日だとすれば、浅井先生の説明はこれが根拠となるのだろう。

・・・没収した所領を返しただけではなく、三箇所の新しい所領をも賜った。

これが浅井先生の講義である。つまり先生は、二つの御書を根拠にして、ご覧のごとく説明しているわけだ。

ちなみに、前掲の九月十五日付の御書であるが、平成新編は弘安二年説、全集は弘安元年説を採っている。ゆえに浅井先生は全集の説を踏襲したわけなのだろう。

さて、これで一件落着かと思ったら大間違いである。話はまだまだ続くのだ。

・・・さらに後には、没収されていた領地もすべて返還され、新しい領地まで加増されたのです。
先に御供養申し上げた米の産地・殿岡は、一旦は没収されたものの、後に返還された領地です。


http://w01.tp1.jp/~a151497261/gosyokaisetu-158-sijyoukinngodonogohennji-p1501.htm

これは宗門の見解である。たぶん信徒向けに平易に書かれたものなのだろう、アイマイというか時間軸がハッキリと示されていない。没収された領地がいつ返還されたのか、とりわけ殿岡の返還時期が気になるところである。

なぜならば宗門は例の御書を弘安二年としているわけで、すると次の御書が理解できなくなるのだ。

信濃より贈られ候ひし・・・

前回も引用した弘安元年閏十月二十二日の御書である。信濃が殿岡の意味であれば、この時点で殿岡の領地はすでに返還されていたことになる。シツコイようだが、弘安二年の九月十五日の御書を再掲しよう。

・・・度々の御所領をかへして、今又所領給はらせ給ふと云云。此程の不思議は候はず。

これが殿岡返還の根拠ならば、時系列がデタラメである。順番が逆になってしまっている。

すると、やはり全集の系年が正しいことになりそうだが、しかし、わたくしには断じて承服できない事情がある。前回の繰り返しになるものの、重要な点なので書いておこう。まずは御書を引用する。

かの処はとのをかの三倍とあそばして候・・・とのをかにをとりて候処なりとも・・・

沖浦氏もわたくしと同意見のごとくであるが、これは誰がどう読んでも同じ結論のはずなのだ。ようするに殿岡は返還されていないのだ。この御文を拝して殿岡が返還されたと読める人は、どうかしているのではないかと思う。

ゆえに宗門では時系列をアイマイにしたままなのかもしれない。あるいは浅井先生にしても殿岡とは言っていないわけで、こちらはさしずめ場所をアイマイにしたままということになりそうである。

さて、ここで二つの研究論文を紹介しておこう。

http://www.totetu.org/assets/media/paper/k025_240.pdf

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_182.htm
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_096.htm

たまげたものだ。さすが専門家だけあって、緻密な論考ではある。そして次は創価学会で出している講義本のごとくである。

 また「とのおか」については、長野県飯田市に「殿岡」の地名があるが、このところと四条金吾との関係を明確にする資料は発見されていない。
http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/22.html

殿岡はさておき、問題は「いかだ」だ。

三箇郷の内にいかだと申すは第一の処なり。

この「いかだ」について、リンク先の研究者たちがあれこれ言っているわけだが、わたくしは創価学会の講義本の以下の記述がいちばん妥当のような気がする。

 しかも、頼基に与えられた領地の内容は「かの処は・とのをかの三倍とあそばして候上さどの国のものの・これに候がよくよく其の処をしりて候が申し候は・三箇郷の内に・いかだと申すは第一の処なり、田畠はすくなく候へども・とくははかりなしと申し候ぞ、二所はみねんぐ千貫・一所は三百貫と云云」(1183−07)といわれるように、新しい領地は、かって没収された「とのおか」の三倍の面積があるというのである。その三ヵ郷の一つを「いかだ」といわれているが、現在のどこにあたるかは不明である。佐渡の国のものがその所をよく知っているとあるから、佐渡という説もあるし、また翌閏10月22日のお手紙に「信濃より贈られ候いし物の日記」(1185−01)とみとめられているから、新しい領地は現在の長野県内であったかも知れない。

現代宗教研究所の石川修道という人は佐渡説を採っているけれども、おいおい、本当かよ、というくらい論理の飛躍が感じられるものだった。詳細はリンク先をご覧いただきたい。

そしてもう一人は東洋哲学研究所の若江賢三という人物だが、こちらもけっこう驚いた。

 さて、所領書中には、賜った所領について

かの処は、とのをか(殿岡)【の】三倍とあそばして候上、(中略)三箇郷の内にいかだと申スは第一の処也。(【の】は録内及び遺文録にはないが、縮遺が付け、昭和新修が踏襲)

 とあり、いかだ(現在の長野県飯田市伊賀良と思われる)の内の殿岡が新領地として江間氏より四条金吾に下賜された。


伊賀良はイガラと読むようであるが、これが御書のイカダに相当するとの説である。しかも殿岡が新領地として下賜されたと言うのだ。

もう、わけがわからん、と言う以外にない。

今回は結論を見送ることにしたい。白紙というか、未確定要素がたくさんあって、わたくしの頭では整理がつかないのだ。そもそも四条金吾が以前から殿岡を所有していたかどうかも定かではないので、その意味では若江研究員の主張にも一理あることになる。しかし、繰り返し言うが、わたくしの読解力が正しいのであれば、弘安元年十月には殿岡の代替地として「いかだ」を含む三箇郷が与えられたのだと、こう読む以外にないのである。この時点で殿岡が新領地として与えられたと読むのは、さすがに無理があるのではないかと思うのだが、それともわたくしのほうに何が重大な錯覚があるのだろうか?

2014/4/14  22:47

投稿者:のび太

こんばんは、のび太です。

主宰の考え方はよく判りました。
「古文読解と趣味の仏法」ですね。 (笑)
がんばってください。

岩切護道さん古文読解は優秀かもしれませんね。
作り話も手が込んでます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/295

それでは、、、

2014/4/13  21:19

投稿者:沖浦克治
のび太さん、今晩は

 私は異端者ではありません。
 極めて常識的な事を書いているだけです。

 御書を拝読し、人間革命を読むなら、当然の帰結です。

 三大秘法は私共衆生がそれぞれ備えています。
 それが顕現しないだけですね。
 御書にありますので、信受すれば済みます。

 『経に云く「諸仏智慧甚深無量」云云、此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏真言宗の大日如来浄土宗の阿弥陀乃至諸宗諸経の仏菩薩過去未来現在の総諸仏現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて次に智慧といへり、此の智慧とはなにものぞ諸法実相十如果成の法体なり、其の法体とは又なにものぞ南無妙法蓮華経是なり、釈に云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」といへり、其の諸法実相と云うも釈迦多宝の二仏とならうなり、諸法をば多宝に約し実相をば釈迦に約す、是れ又境智の二法なり多宝は境なり釈迦は智なり、境智而二にしてしかも境智不二の内証なり』
 (四条金吾殿御返事)

 南無妙法蓮華経が三大秘法の当体です。
 衆生の命は南無妙法蓮華経です。

 『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、』
 (阿仏房御書)

 素直に信受する。
 ここが貴方の創価仏法理解へのスタートですね。

2014/4/13  20:39

投稿者:のび太
沖浦さん、こんばんは。

この話題をすると、沖浦さんがコメントするだろうなと思いながら、バース君にしました。 (笑)

私は、数少ない沖浦さんの理解者です。・・・・が、
私自身は三大秘法という信仰を堅持しています。

では、何をもって沖浦さんの理解者かというと、信仰に対しての権威を真っ向から否定している点です。端的な言葉でいうと「坊主が上で信徒が下」を徹底して排除する視点です。

次に、私が三大秘法を堅持していることをお話しましょう。それは弘安2年に代わる本尊が現時点で見当たらないと思うからです。現時点とは沖浦さんと東進の林先生
がよく言う「それは今でしょ!!」(笑)

沖浦さんの現在の立ち位置ですが、罵詈雑言の嵐です。
それがいけないという事ではありませんが、少数派です。悪意をもった言い方をすると「異端者」であり善意を持って言うと「開拓者」です。 (笑)

字数の制限もあり、読者が飽きないようにイメージを描きましょう。少しジョークも入れます。ここに横に長いひし形の図形があります。これを縦に三等分に切ります。左の尖ったところに御本尊七箇相承大好きよしりんさんがいます。右の尖ったところに創価学会身延派と称されるオッキーさんがいます。私の立ち位置は中間やや右寄りですかね。スタンダードな学会員です。 (笑)

そんな訳でそろそろ巻きの御文です。

『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし』
【撰時抄】

「今か、今かと、今を待つ今」のび太 詠

ではまた、

2014/4/13  6:59

投稿者:沖浦克治
 のび太さん、おはようございます。

 大乗非仏説論が正しかろうが、誤りであろうが、釈迦が本当に法華経を説いたか説かないか?

 そう言う事は私共には関係ありません。
 先生が仰せです。

 『別に三千塵点とか久遠実成とか、そう言う事は我々には関係ないのです。
 久遠即末法ですから。
 今が久遠元初なんです。
 過去と言っても思っているのは今です。
 未来と言っても考えているのは今です。
 今しかないのです。
 久遠即末法なんです。』(趣意)

 今なんですよ、のび太さん。
 寛師などへ捉われるから、本質が見えません。

2014/4/12  22:14

投稿者:のび太

沖浦さん、お久しぶりです。

「それを言っちゃぁ〜お終いよ」という言葉をご存知ですね。

沖浦さんの論理を発展させると大乗非仏説ですべてぶっ飛びます。(笑)

仰りたいことは良く判ります。

2014/4/12  17:18

投稿者:学会未活動者
のび太さんこんにちは。

三大秘法抄の真偽はかなり古来から言われていて、今だに決着付いていません。伝日向師書写三大秘法抄はちゃんと鑑定されているのでしょうか?後世の仮託かもしれません。鑑定や調査なくして良いなら世の中には聖徳太子(架空人物説あり)の未然記なる預言書とか竹内すくね作?の竹内文書とか色々あります。
よく「都合悪いから偽書とか言うのだ」と言う方がいますが、「真書がなく内容に疑義がある」ので疑問を呈してるだけです。

ただ、例え大聖人の真書となっても、学問的に「大聖人の新たな真書が見つかり御書に加わるだけです。
顕正会は小躍り?するかも知れませんが、日蓮門下はともかく、他宗派の仏教はそれ以前に仏滅時や天台論や経典成立に研究調査しているので意味ないでしょう。
「それで?日蓮聖人が当時の仏教の学問で述べてるだけの事です」で終わりでしょう。






2014/4/11  15:53

投稿者:のび太

こんにちは、

四条金吾の所領が問題になっているようですが、主宰のこだわりに距離を感じます。
前にも信徒からのご供養で塩が送られた。この塩が食料的な側面と貨幣としての側面でなんじゃら、かんじゃらと熱く語っていました。
正直、この解釈の違いが大聖人の仏法の分岐点になるような重大な事象とは考えられません。 (笑)

ところがですよ、あたしが貼り付けた日向書写(伝)三大秘法抄はですね、ホントにやばいでしょ。
だって身延は「三大秘法抄は偽書」の一点張りで議論に入る前に門前払いでした。穿った見方をすれば実在を隠してたんじゃないの?それが向師の七百恩忌で(伝)を付けて出してきた。いきなり三秘抄日向書写じゃだせないでしょ、以前は大石寺六世日時の書写が古いものとしては残っていました。
下記に示した部分は三秘抄の肝です。
将来有望なバース君は特に暗記するぐらい大事です。

『此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり』【三大秘法禀承事】

以上

おまけ、以前にコメントした意味合いも込めて、小保方さんの一件の動向が気になります。ではまた。


2014/4/11  15:48

投稿者:学会未活動者
あと沖浦さんも私も戒壇様の事よく書いてますが、某掲示板に興味ある事が載ってました。

>テレビであそこの板本尊の放映は勿論お寺さんの特別許可で撮したのでしょう。
柴又帝釈天に限らず普通はお堂内は写真撮影はご遠慮下さいですよ。(拝む場所なので)

焼きそばで有名な富士宮のお寺さんの方は、って・・・www
富士宮は写真撮影以前に身体検査?とかワッペンとか礼拝券とか確かあるんじゃね?


354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 08:10:45.71 ID:VX1Rz0lU
「伝日蓮」の板本尊が日連作ではないとわかったとしても
柴又の板本尊は天明の大飢饉以来の由緒によって題経寺の重宝とされ続けるだろう。
山寺の方は日蓮作でないとわかってしまえば信徒に見捨てられる、と知っているので
少しでも露顕の可能性がある危険のある撮影のたぐいは受け入れられないわけ。

>ところがマジに?反論する御仁がいるんですよ。
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/40af26d877917876a73caef5c91e514d

>この偽作説というものは、過去に何人もの人間が意図的に作り上げた捏造。

しかも失笑?するのは

>この疑難に対し、小平教学部長が著書の中で
「たしかに、弘安二年十月十二日に、この御本尊が図顕されたという文証は何処にもない。
しかし、証拠はなくとも弘安二年十月十二日に図顕されたことに間違いない」と言明している。

証拠がなくても「図顕されたことに間違い無い」と言えるなら
柴又帝釈天のも蒙古退散旗曼荼羅も「しかし、証拠はなくとも日蓮が図顕されたことに間違い無い」と言えるんじゃね?(笑)

しかし、当時の学会員はこの小平さんの著書によく満足していましたね?
イワシの頭とよく言ったが・・・


確かに小平さんのあの反論では説得力ないですね?



2014/4/11  15:45

投稿者:学会未活動者
巌虎さんこんにちは。

植村佐内著書取り上げて頂きありがとうございます。
植村佐内著「これが創価学会だ」の内容が書かれているブログを見つけましたのでご紹介します。御手すきの時にでも見て下さい。
(この本の内容は草創期の学会地区組織の物語です。内容は親から聞いた話とほぼ同じ。ただ、地区の男女問題とか蓮華往生の間違い(あれは他派の行為)とか「?」の部分はあるが)
http://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/3d7b199961837cd3981e9aca9a5c99d3

あと松本勝弥著「訴訟された創価学会」も教義批判以外に当時の地区を統括してた地区幹部の組織への疑問、悩みなど載っています。

教義的には堀日亨師、犀角独歩氏、柳沢宏道師著などもありますが組織問題は書いてません。

2014/4/10  6:32

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。

 殿岡の件は、貴方のご意見が正しいと思います。

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