2014/5/15

ありがたい人々  
ユタ氏にしても、沖浦氏にしても、わたくしにとってはありがたい人々である。拙ブログは上から目線で綴られている。コメント投稿者に対しても、相当に上から目線である。それにもかかわらずコメントを下さるのだから、これほどありがたいこともない。

別に法華講関係者を喜ばせる為に入信したわけではありませんので、そんなの知るかって感じ・・・

そこまで堂々と言い切れるところが凄い。

一方の沖浦氏もまた凄いことを言っている。

顕正会、日蓮正宗、正信会で私と法論して勝てる人はいません・・・

しかし、これは逆のことも言えるだろう。沖浦氏と法論して勝てる人はいないが、負ける人もいない。

スポーツの世界であれば、必ず勝敗がある。たとえば陸上競技であれば、数字によって決着がつく。どちらが速く走れるか、あるいは高く跳べるか、遠くへ跳べるか、これらはすべて数字によって白黒がはっきりするのだ。アイマイなところはない。沖浦氏のやっている重量物を持ち上げるような競技もまったく同じであって、単純明快である。
もっともフィギアスケートなどはいわゆる芸術点が加味されるので必ずしも簡単ではないし、格闘技なども判定勝ち・判定負けのような場合は釈然としないことも少なくない。
そしてこれが文化・芸術といった分野になると、なおさらのことなのだ。音楽的にはどうかと思うような曲であっても、人気アイドルが歌えば大ヒットする。文学賞などは選考委員の好みで決まってしまうわけで、客観的な尺度はほとんど存在しない。

では宗教はどうかと言えば、上述の例題の中ではわりと後半のほうに属するのではないかと思われる。少なくとも現今の一般的な認識では、宗教に正邪だとか勝劣があるとは考えられていないので、とりわけ興味関心のない人々にとっては沖浦氏が誰と法論しようがしまいがどうでもいいことであり、もはやそうなると勝ったも負けたもないに等しいだろう。

わたくし自身、末端の信者同士の法論にはさして興味がない。もし大将戦が実現するのであれば、これは大いに注目したいところだが、実現性はきわめて低い。残念ながらそれが現実である。

さて、今日は顕正新聞第1307号から話題を拾いたい。

今まで躊躇していた教え子への折伏の肚を決め・・・

婦人部池袋支区班長の活動報告の一節であるが、具体的な内容がわからない。この人が何なのか、学校の先生なのか、稽古事の師範なのか、そういうことがまったく書かれていないのだ。仮に先生の場合、教え子とは現役の学生なのか、あるいは卒業生なのか、まったくわからない。以前にも書いたが、高校の教師が生徒を折伏するのはよろしくない、少なくとも卒業を待つべき、というのがわたくしの考えである。

次は婦人部大曲支区総班長の記事からである。

甲府に同志を頂きたい、浅井先生にお応えさせて頂きたい

お応えさせて頂きたい・・・

この言い回しが気になった。文法的にどうかはわからないが、わたくしの言語感覚からするとどうかと思うのだ。

次は婦人部青森支区の総班長である。

八四歳 七四歳 九二歳 八九歳 八三歳 九二歳 八六歳 

記事の最初のほうに、当該総班はほとんどが六〇代以上だと書かれているので、記事中から具体的に拾ってみた。すると、ご覧のような結果となった。う〜ん、凄まじい高齢者群である。

そして次の言葉がグッと来る。

 できることならば、広宣流布の暁には、ここに戦う全員で手を携えて、天生原までの四キロの道のりを、浅井先生の御供させて頂きたいと願うばかりであります。

当該の総班長は顔写真を見る限り六十代と思われる。そして総班員たちは七十四歳から九十二歳という高齢者ばかりである。不謹慎ながら彼女たちは広宣流布を待つことなく先立つ運命にある。そして総班長は一人ひとり見送らなければいけないのだ。

婦人部多摩支区組長の記事で注目したのは次のくだりである。

 このたび先生は、三月二五日号の顕正新聞を沖縄にだけ特集号として下さいました・・・

この意味するところは、沖縄だけ特別料金で頒布するということだろう。ややケチ臭い話である。いや、もしかしたら無料なのかもしれない。だとすれば前言は撤回である。なかなかの太っ腹だ。

さて、次の婦人部福島支区班長の記事も注目だ。

先生が死守された御遺命の重さ
 無道心の法華講員を折伏し実感


ご覧の見出しのごとく、法華講員を折伏した時のことが詳細に書かれた記事であるが、次の辺りが面白い。

 そこには知り合った女性と中学生の息子、女性の母親が待ち構えておりました。ところが中学生の息子を座らせ「あんたで十分。話聞いてやって、後で来るから」と女性は席を外してしまったのです。

ナメられたものである。

 何とも軽んじる態度に憤りが込み上げましたが、息子に国立戒壇について話すと、息子は「国立戒壇を言い始めたのは田中智学だ。それを真似して顕正会も言い出したんだ。血脈がある法主に物言うな」と言ってきました。

わたくしは思った。中学生の息子もなかなかやるじゃないかと。こういう未来の法華講員が全国にたくさんいるのならば、日蓮正宗も安泰である。

もっとも田中智学を引き合いに出すのはどうかと思うところで、これからの宗門は今の時代に即したもっと斬新な顕正会破折を考えなければいけないだろう。

今日のところはこれくらいで終わりにしたい。

2016/2/25  12:52

>そこには知り合った女性と中学生の息子、女性の母親が待ち構えておりました。ところが
中学生の息子を座らせ「あんたで十分。話聞いてやって、後で来るから」と女性は席を外し
てしまったのです。

>ナメられたものである。

人を馬鹿にし軽んじる態度…、子供を洗脳し要員とする実態…、にも関わらず仏弟子を名乗
る法華講員。

>何とも軽んじる態度に憤りが込み上げましたが、息子に国立戒壇について話すと、息子は
「国立戒壇を言い始めたのは田中智学だ。それを真似して顕正会も言い出したんだ。血脈が
ある法主に物言うな」と言ってきました。

ならば法主でもない坊やも物言うのをやめるべきだろう。
田中氏の真似をする事を仮に駄目だというのであれば、日淳上人も駄目だという事になろ
う。年端も行かない少年が、偉大な先師に駄目出しをする宗門の体たらく。

「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日思いつきで執行されたというのでは勿論なく、
二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて、国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行
を伝えたものであります。」(大白蓮華 昭和34年1月号)

 「真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国
教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和32年1月号)

「血脈がある法主に物言うな」との事だが、ならば信心の血脈がない法主も、内証の血脈が
ない法主も先師に逆って物を言うべきではないだろう。以上。

2014/5/17  11:36

投稿者:んっ?
あれっ?
内部規定だと云わないの?

2014/5/17  6:15

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。
 
 法の正邪は行じる人間の生き様です。

 今シーズン私がトレーンニングを見た選手が6名ワールドカップへ行きました。
 アルペンも2名行っています。

 その選手達の今シーズンは終了ですが、私はいよいよのシーズンイン!
 生徒に、世界で勝てなんて言って、自分が世界で勝てないならコーチとしての資格がないと思っています。
 コーチは選手の前で引っ張る人。
 後ろで号令かける人じゃありません。

 者ども進め、ではなく、
 者ども続け!!

 これがコーチ。
 私のパワーリフティング競技の、マスターズ世界選手権まで、あと2週間と1日となりました。
 体重をキチンとコントロールする時期です。
 今朝検量すると、66,65キロで、撮影のガラ携がGショックで重くて300グラム。
66,35キロです。

 問題ありませんが、何しろ大会は南アフリカ・・・
 真面な検量器出て来る保証がありません。
 200グラム程度の誤差見込んでおかないと大変です。

 更に、前回1999年に南アフリカで世界選手権に出ました。
 タンマグが最低でその上シャフトのローレットが甘甘。

 デッドリフトの220キロ滑って落としました。
 2,5キロ差で2位。

 悔しくて悔しくて、帰りの飛行機で来年はスクワット、ベンチ、デッドトータル全部獲ると宣言し、死ぬような思いで練習して次の年のチェコは全部獲りました。
 ですが、今回は因縁の南アフリカ!!
 勝たねば・・・・

 戦い続ける人生になってる!!

 功徳だ!!!

2014/5/16  10:29

投稿者:んっ?
証明しようがないのは、お互い様ww

例えば大聖人様の御生誕日は証明出来ますか?

2014/5/16  6:40

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます

 日蓮正宗や正信会、顕正会を破折することは極めて簡単です。

 戒壇本尊本懐を責めればいい。

 証明出来ない事を事実だと言う人達です。 
 赤子の手をねじるようなもの。
 
 ですが、最後には、負けを認めないで去って行かれます。

 そう言う方々と法論しても無意味です。
 質問会なら何時でも回答者で行きますし、そう宣言して数年間経ちますが、もうお呼びがかかりませんね。

 勝てない証拠でしょう。

2014/5/15  19:41

投稿者:んっ?
>もっとも田中智学を引き合いに出すのはどうかと思うところで

此れは如何いう意味でしょうか?
それよりも其のやり取りの続きを知りたいのですが・・・。

「国立戒壇」この言葉が最初に使われたのは、明治三十五年
国粋主義者・田中智学が著わした「本化妙宗式目」においてです。
宗門で「国立戒壇」という言葉を用いたのは,
大正元年十月に信徒の荒木清勇氏が最初とのことです。

2014/5/15  15:42

投稿者:ユタ
こんにちは。

ここにも無道心の法華講員がいるんですが、折伏して下さる顕正会員いますかね(笑)
まあ、それはさておき、自分が幸せになる為の信心なんですから、他人がどうのなんて心配する必要は無いと思うのですね。
他人の幸せの為に、自分が不幸になることはないということです。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ