2014/11/25

過去の話と現在の話  
いろいろと面倒臭いコメントが寄せられている。こんな時はいつものごとく独白に徹したいところだが、最近はそうも行かなくなってきた。

ユタ氏の、無教学なので話に乗れない、というのはやや意外な感じがするところである。氏は小説をたくさん書いている。わたくしの勝手なイメージかもしれないが、小説を書くような人は教学に関心を持ちそうなものである。

ところが氏の場合はそうではないのだ。

そもそも仏教そのものがさまざまの要素を備えた物語で構成されているわけで、小説家と呼ばれるような人たちはそうした仏典に精通していたりもする。仏典だけではなく、いわゆる外典にも詳しかったり、聖書に精通している人も少なくない。つまり、あらゆる知識を集積した上で書くのが小説なのだ。

ならばユタ氏にしても、小説の肥やしと言ったら語弊があるけれども、大聖人の仏法を深く学ぶことが小説を書くに当たって大いにプラスになるのではないかと思う。もっとも、この辺は個人の嗜好の問題でもあるだろうから、本人にその気がなければそれまでだし、わたくしが押し付けがましいことを言うのも甚だ失礼な話であろう。ともかく意外な感じがするということだ。

関の山氏は情報通である。

どうやって情報を得ているのか知らないが、おそらくネットを隈なく調べて行けばわかることがたくさんあるのだろう。勉強家と言い換えてもいいと思う。わたくしには面倒臭くてやっていられないことである。

因みに巌虎さんは以前、あの犀角独歩系の掲示板に参加されていましたよね? 別に批判ではないのですが、何故に板本尊偽作論、日興血脈疑義論、日蓮本仏否定論の犀角独歩系の掲示板に参加されていたのか? 何か教義思想など勉強になりましたか?
よかったら教えて下さい。


これはこれは、ひじょうに厄介な質問だ。

犀角独歩系の掲示板というのは、おそらく富士門流信徒の掲示板のことだろう。そこにわたくしが参加していたのは事実だ。このことは別に隠し立てをしているつもりはないのだが、たぶん正統派の顕正会員が知れば謗法与同だの何だのとツッコミを入れて来るので、あまり触れないようにしていたのは事実だ。さらに、もう一つ恥を忍んで書けば、わたくしはあの掲示板から逃げ出してきたという事実があるので、その意味でも触れたくなかったのだ。

もし関の山氏が熱心にお調べになってそこまでたどり着いたのだとすれば、これはある意味、称賛に値することだろう。ただし、その場合は当時の雰囲気みたいなものだとか微妙なアヤまでは把握し切れないはずで、おそらくは時系列などもわからないだろう。

話が長くなるといけないので簡略に書きたい。

インターネットの黎明期をいつと見るかはいろいろあるのだろうが、二十一世紀に入ったあたりから急速に普及し始めたのだと思う。わたくし自身はいわゆるアナログ人間であって、仕事もそうした分野とはかけ離れていたため、ネットとは無縁の生活を送っていた。以前にも書いたとおり、教学には関心があるけれどもそれほど詳しいわけではない。これは当時も似たり寄ったりの状況であり、顕正会で出している書籍は読むものの、それ以外にわざわざ仏教書を買って読むようなことはなかった。ゆえに宗門のことも創価学会のことも、顕正会から発せられる情報のみを鵜呑みにしていたのが実情である。ましてや他門のことや一般仏教のことなど、知る由もなかった。

そこに転機が訪れた。

なぜネットの世界に入り込んで行ったのかは話が長くなるので割愛するが、ともかく世の中の流れに乗ってわたくしもパソコンを買い、回線を引いてインターネットを利用するようになった。そこで最初に出会ったのが富士門流信徒の掲示板だったのである。

たぶん、今では想像することが出来ないだろうが、当時は一極集中の形容が相応しいくらいに富士門流信徒の掲示板が隆盛を極めていた。わたくしはそこでの丁々発止の議論を目の当たりにして、文字通りに目から鱗が落ちたのだった。何しろ顕正会の書籍しか読んだことがなかったものだから、知らないことがいっぱい出てくる。しかもそれを論じている人たちは、必ずしも大学の先生だとかそうした専門家ばかりではなかった。もちろんハンドルネームだからその正体はわからないものの、市井の人たちという雰囲気も少なからず感じられたのだった。

犀角独歩系の掲示板というのは結果論であって、わたくしが発見した当時は法華講員を名乗る人がけっこういて活躍していた。創価学会系の人物もいたし、絶対数は少ないものの顕正会系の人物も登場していたのだ。

ゆえに富士門流信徒の掲示板は、正信会・顕正会・創価学会など今日の四分五裂してしまった状況から、再び大同団結して広宣流布を目指すというコンセプトで始まった掲示板だったはずなのである。

簡略に書いたつもりだが、けっこう長くなってしまった。

以上のような理由で、わたくしがかの掲示板に参加した当初はまだ謗法色がそれほど濃くなかった、顕正会系の先輩たちはもちろんのこと法華講員のお兄さんお姉さんたちがキラ星のごとく輝いて見えた、ということでわたくしはハマリ込んでいったのである。

逃げ出したというのも話は簡単だ。

ご存知のごとく、かの掲示板はやがて謗法色が濃くなっていくのだが、残念ながら誰もそれを食い止めることが出来なかった。ぶっちゃけ言えば、謗法者を破折屈伏することが出来なかった。わたくしもその一人である。そして誰もいなくなった。

ブログも掲示板も更新がなくなると終わりである。拙ブログも頻度は落ちたものの、こうして更新が続いているから閲覧者もいるしコメントを下さる人もいるわけだ。掲示板も同じで誰も投稿しなくなったらオシマイなのだ。

恥を忍んで当時のことを書いたわけだが、実は恥であると同時によき思い出でもあるのだ。毎日どころか毎時毎分のごとくに更新があって、それも多士済々・多種多彩であって、さまざまの立場の意見を伺うことが物凄く楽しかった。リアルタイムでそれが経験できたことは自分にとって大いにプラスになったと思う。

その後、わたくしは独白ブログという、いわば自分の殻に閉じこもる道を選択したわけだが、結局はこうしてコメント投稿者と議論をしているので、当初の独白というコンセプトは崩れてしまったわけだ。まあ、それはそれで構わないのだが・・・

以上、関の山氏へのお返事としては甚だ不十分ながらも、回想記のようなものを書かせていただいた次第である。

さて、ディープスロート氏のコメントもひじょうに厄介だ。

氏は妙信講時代に入信したものの、かなり早い時期に宗門へ移籍したごとくである。それが具体的にはいつ頃なのか文面からは判断できないが、それはさておくことにしよう。

話を思いっきり端折ってしまえば、顕正会から宗門へ移籍したけれども、結局のところ、宗門に対しても失望を禁じ得なかった、ということだろう。宗門が顕正会化している。より具体的には、宗門のやっている折伏も顕正会のようにノルマ化している、ということだろう。氏はその実態をかなり詳細に書いておられるが、わたくしもそれを読めば、さもありなん、と思う。一方で、ユタ氏の書いておられるように、逆の意見もある。これは末寺によって差があるのかもしれない。たまたまユタ氏の寺院とディープスロート氏の寺院が正反対なのかもしれないが、いずれにしても顕正会が抱えているような問題を宗門も内包しているのは事実だろう。わたくしは何も宗門に過大な幻想を懐いているわけではないのだ。

生意気なことを書くが、ここに八十歳の人間がいるとしよう。わたくしから見れば、人生の大先輩だ。しかし、この人は八十歳の今を初体験しているのだ。九十歳でも百歳でも同じ理屈である。人生経験豊富な人でも次の瞬間は未知の領域である。豊富な経験によって、こうだろう、こうなるに違いないという予測は可能だが、必ずしもそのとおりにならないのが人生だ。

組織も同じだろう。顕正会が迷走しているのは事実であるが、実は宗門だって同じことなのだ。創価学会もしかりで、先般の本尊義などが好例だろう。

ちなみに、物は言い様である。迷走よりは試行錯誤のほうがマシだろう。宗門の場合は試行錯誤と言い直したほうがよいかもしれない。

先日、保田や西山をあげつらって、彼らは自前の信徒組織を育んでこなかったという意味を書いた。実は大石寺も五十歩百歩のところがなきにしもあらずであって、大まかに言えば半世紀ほどは創価学会全面依存の時代だったとも言えるわけである。その間、怠けちゃった。だから今になって苦労しているような意味もあるだろう。

だが、しかし、それとは別の意味で、今はまったく未知の局面に突入しているとも言えるわけである。

まさにこの二十一世紀という新時代において、どのように仏法を弘めていくか、である。

これはもう、今までの経験だとか常識だけではどうにもならないことであって、恐れながら申し上げれば御当代だろうが御隠尊だろうが同じことなのである。ゆえに今、宗門がかつての創価学会における折伏大行進だとか顕正会のそれをマネしてもうまく行かないのは当然であって、これはいわば試行錯誤の段階なのだと考えるしかないと思う。その意味で宗門は次のステップへ進まなければいけないが、先ほどから繰り返し書いているように未知の領域であるからして、そこに明確な答えがあるわけではない。そんなところである。

以上、思いつくままに好き勝手なことを書いてしまったが、そこはご容赦願うばかりである。

2014/11/28  19:16

投稿者:元法華講
沖浦さん。こんばんは。

>大石寺には法主能化をはじめとして、大聖人仏法への理解が全くございません。

仰るとおりです。

弘安期前後には、大聖人様は布教のために弟子を地方に出向かせて、そこで寺院を建てているという事実が現在でも確認できていますから、六老僧だけではなく大聖人様から「全権委任」を受けた弟子は他にもいるのです。

信徒を洗脳するのに都合が悪い事は隠しているのが大石寺です。これでは他宗を邪宗と言う事はできません。

2014/11/27  22:43

投稿者:沖浦克治
 元法華講さん、今晩は

 大石寺には法主能化をはじめとして、大聖人仏法への理解が全くございません。

 あれではね〜〜。

2014/11/27  22:41

投稿者:沖浦克治
 関の山さん、今晩は

 ご心配を頂きました事感謝申し上げます。

2014/11/27  18:10

投稿者:元法華講
沖浦さんへ

>戒壇本尊を弘安2年10月12日に、大聖人が出世の御本懐として図顕された事実はない。

と言う事実を別の角度で補足、考察しますと、

http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html

によれば、弘安二年に板本尊を作成できたとは思えません。

そもそも、真筆大曼荼羅は既に弘安元年に書写されて、岡宮光長寺に現存します。又、弘安二年にも大曼荼羅は書写されていますが、サイズ的には元年のものの方が大きいのです。そして、板本尊を唱えているのは大石寺のみですね?

弘安期に多数の本尊を書写されている事から二箇相承書は偽書であると判断せざるを得ません。同署を真だと判断するなら、大聖人に対する冒涜ではないでしょうか?

あくまで個人的な意見ですが・・・

大石寺を完全に否定するつもりはありませんが、関の山さんの仰るとおり調べたり研究したりする程、疑義が出てきますが、それらに反証できる僧侶は大石寺には、いません。

2014/11/27  13:41

投稿者:関の山
沖浦さん、長野地震、被災者の皆様、お見舞い申し上げます。沖浦さんご無事で何よりです。
また、ジョニー大倉さんがお亡くなりとの事、真に残念です。ご冥福をお祈りします。合唱。

>ご存知のごとく、かの掲示板はやがて謗法色が濃くなっていくのだが、残念ながら誰もそれを食い止めることが出来なかった。ぶっちゃけ言えば、謗法者を破折屈伏することが出来なかった。わたくしもその一人である。そして誰もいなくなった。


謗法色が、と言われますが、なにを持って謗法と言いますのでしょう?板本尊、本仏論否定の独歩氏の記事ですか?よく調べると、初期は大石寺教義を用いてた?参加者が疑義を書き出したからですか?
要するに研究すればするほど「怪しい」ので疑義が出てきたわけで不思議でも謗法でも無いのです。
それを謗法と主張するのは大石寺教学から見たらそう思うだけで、疑義を論破出来ない段階で謗法呼ばわりは出来ないのです。
でも個人的にはあの掲示板参加時代の巌虎さんの方が生き生きして良いと思いました。

堀さんは宗門法主の経験者ですので板本尊に疑義持っていても、何を知っていてもハッキリ言えるわけありませんよ。
ただ、宗外では室住一妙師、安永弁哲師、稲田海素師初め日蓮門下法主、役僧と友好があり、宗内とかなり違う事を言っていたらしいですね。

富士日興上人詳伝に「板本尊に至っては研究の余地が存ずる」と疑義を言ったり熱原法難史に聖人御難事の余は27年なりを否定したりのほのめかしはありますがね。
堀さんとしてはギリギリの主張でしょうね。

尚、巌虎さん以外にも昔、大東亜の星氏が大聖人門下掲示板(直人=東裕介氏主宰)に参加の事実もあります。
ただ、大東亜の星氏は顕正会主張の演説状態だったような?

2014/11/27  8:42

投稿者:沖浦克治
 続きです。

 戒壇本尊を弘安2年10月12日に、大聖人が出世の御本懐として図顕された事実はない。

 これが大前提で論議をしないと駄論の羅列です。

 こういう事実があるに関わらず、何故創価学会は戒壇本尊本懐論を採用し、長年前面に出して来たのか?
 
 これを思索出来ないなら、愚痴と疑いの羅列にしかなりません。

 この観点からキチンと議論を進めましょう。

2014/11/27  8:26

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 少し戒壇本尊について整理いたします。

 堀さんは、

 「大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるにともないて、法難の熾烈なるは、実に末法怨敵の当鉾なりといえども、これまったく日蓮出世の本懐満足の画期として、これを記念するために、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり」
(富士日興上人詳伝、上、159-60頁)

 これが既に間違えです。
 日道さんは、三師御伝土台で、以下内容の文を書き残しております。

 「熱原農民が2名(2名と書かれています)斬首になったことを聞かれた大聖人は、感じる所があって、興師と共に御本尊を書かれた。」

 斬首が10月15日、大聖人が報告を受けられたのが17日。
 ですので、この日道さんの残された文章でわかることは、

 10月12日には熱原法難機縁の御本尊の図顕は無かった。

 当然こうなります。
 ですので、戒壇本尊を御本懐として10月12日にご図顕なされたと言う事は嘘です。

 ここを先ずキチンと把握してから次に行かないと、大前提が間違っていて正しい議論は不可能です。

 宗門や法華講での、大騒ぎは全てこの点を見落としたものですね。
 日蓮正宗って御書読めませんね。

2014/11/27  5:43

投稿者:大会参加者
前回記事のお話ですが、ビデオ放映と大会の結集数についてお伝えします。

結論から言えば、ビデオ放映より大会の結集の方がかなり多く集まります。私の知る限りですが、大会にはほとんどの組織がビデオ放映の1.5倍前後は集まってました。

毎月の集会ならば巌虎氏の仰るとおり、日時と場所の制約によりビデオ放映の結集数を下回りますが、大会となると話が違います。

数ヶ月、あるいは数年前から決死の思いで呼び掛ける幹部。また毎月のビデオにまでは参加しない半未活動の人がここ一番として、大会に集う場合も多々あります。

ここまでは巌虎氏の目線で物理的な意見を書きましたが、大仏事である以上、何も起こらないと考える顕正会員はいません。

当然、御守護を信じて、浅井先生の御一念を信じて身命を捨てて臨みます。

故にビデオ放映の結集数を知られて大会数を推し測られるとの不安、凡夫に批難されないように等の考え自体が、顕正会は眼中にないのです。

2014/11/26  14:11

投稿者:ユタ
 こんにちは。

 同じ日蓮正宗でも、寺院が違えば、まるで違う宗教の
寺に来たようだとはよく言ったものです。
 ディープスロートさんのお話を伺って、それが分かり
ますよ。
 私の所は宗内でも有数の大所帯なもので、下っ端には
目が届かないという欠点がありまして、私の場合はそれ
を悪用……もとい、利用して好き勝手にさせて頂いてい
るだけのことです。
 その点は、顕正会の方が対策はなっているのでしょう
ね。
 宗内最大の法華講、妙観講さんは最下部信徒にどのよ
うになさっているのかは存じません。
 

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2014/11/26  7:27

投稿者:権兵衛
ディープスロートさん、こんにちわ

>総本山からの「誓願という名の営業ノルマ」は、全末寺の必達事項です。

布教ってそんなに大事なもんなんですか?寺院を維持していくために必要最低限の金はいるでしょうが、国から減免処置もらっていて、なんでそんなに増やす必要があるんでしょうね。

>良心に反して信徒に対して「訪問折伏・街頭折伏」をやらせてます。

コレがわからない、出家でしょう?世の中に対して静観的な立場なのに。なぜそんなことを信者さんに押し付けるんですか?そちらの宗派もだいぶ世の中ズレしてますね。

オウム以来いまどき宗教に効果的なモノ求めるほうがおかしいですよ。ホントに効果絶大だったら、入信者殺到ということになりますよね。でもそれは仏教じゃ有りませんよ。祈祷ですから、お釈迦さんは否定してます。仏教に似せたヒンドゥー教ですね。

そこらへんから考えたほうがいいと思いますけど。

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