2014/11/30

鉄筋コンクリート造の古刹とその宝物について  
わたくしの守備範囲外なので深入りは避けたいところだが、どうしても触れずにはいられない問題なので、書いておきたい。

秘仏かどうかについては、おっしゃるとおり認識にズレがある。これはどちらが正しいかではなく、むしろ見解の相違とでも言っておいたほうが無難であろう。

信徒に公開しているから秘仏ではない。これが元法華講氏の意見である。

しかし、ご存知のごとく、それはいわゆる内拝であって、広く一般に公開されているわけではない。ゆえにわたくしは秘仏と申し上げているのだ。

多くの寺院は拝観料を払えば見学が出来る。しかし、ぜんぶを見せてもらえるわけではなく、見せてはくれない場所だとか物だとかが存在する。いわゆる秘仏がそれだ。
その秘仏にもいろいろあって、絶対の秘仏と呼ばれるものがある。これは文字通りに絶対に見せてはもらえないわけなのだろう。また、何年かに一回、御開帳されるというケースもある。
では、大石寺の場合はどうかと言えば、わたくしは詳しく知らないがおそらく見学は可能なのだろう。ただし、奉安堂には入れない。当然、戒壇の大御本尊を見ることは出来ない。これが一般人への対応である。
そして信徒のみが奉安堂へ入ることが許され、大御本尊を拝することが出来るわけである。すなわちこれが内拝ということだ。

つまり、秘仏にも種類があって、大石寺の場合は上述の三番目のケースに当てはまるわけだ。

わたくしは以上のごとく認識しているので、これを間違いだと言われても困るわけであって、ようは見解の相違と申し上げる以外にないだろう。もし今後、大石寺が観光化を進めて、一般人に対してもすべてを公開するという方針に転換するようなことがあれば、そこでようやくわたくしの主張は瓦解することになる。しかし、おそらくは当面、そういうことはないだろう。

鑑定を行わないのは、単に「嘘」がバレると自分たちが困るからです。それ以外に何の理由がありますか?

妙に説得力のある言い方だ。

鑑定をしない理由を聞いたことはないが、基本的に秘仏とはそういうものなのだろう。信心強盛の者でなければ拝してはいけないのだから、そもそもが第三者の冷徹な目にさらされることなど、あり得ないという前提にあるわけだ。

ゆえに、この条件下で鑑定を行なうことは可能なのかもしれない。つまり、信心強盛の者が鑑定するのだ。まあ、しかし、その鑑定結果は自ずと知れたものであるし、そんな鑑定を信じる人は誰もいないだろう。

つまり、今のままではいつまで経っても疑いが晴れない、疑り深い人たちを納得させることは出来ない、永遠に、である。

この構造的な問題については、当の大石寺の高僧たちだって何も考えていないわけではないだろう。すると、いずれは高僧たちの間で鑑定やむなしの機運が盛り上がってくるかもしれないし、その英断(?)を下す猊下が登場するかもしれない。わたくしは以前から言っているように、鑑定やむなしの立場である。ただし、その方法論については慎重を期すべきである。

あの黒板本尊が弘安二年の作だったら、その保存技術はノーベル賞も可能ですし、世界遺産に登録してもおかしくないものです。

氏はご自身の目撃談というか、ようは大御本尊を直に拝した上で感想を書いているわけだから、これはわたくしがとやかく言っても仕方がないことである。ただし、次の一文がひじょうに気になったので、率直な感想を書いておきたい。

和紙は、きちんと保存対策をすれば、鎌倉当時からでも十分保存が出来ますし、又、現実に保存されたものが存在します。しかしながら「木片」で何の防腐処理もされずに(現在でも700年もの間、保存する事はきわめて難しいことです)原形を留めているとは考えられません。まぁ、明治時代や日達さんの夢枕には出てきているでしょうけれど、破片でも存在するなら拝んでみたいものです。ちなみに神社仏閣で歴史のある建物は、全て途中で建て直しや補修が行われ続けて現在まで当時の面影を見せてくれているのですが、「単独の板」ですから、補修も何も不可能ではないかと思います。

正直なところ、まったく理解不能だった。

和紙は保存可能だが「木片」ないし「単独の板」は不可能であると・・・話を端折ってしまえばそのように言っているわけだが、しかし、これはいかがなものかと思わざるを得ないところである。そもそも大御本尊を木片などと表現すること自体が偏向である。しかも一般論として、紙と木を比較して紙は保存可能だが木は不可能だというのは、はたして正当な認識なのか、そこが疑問である。

紙幅の御本尊も板の御本尊も同じく大聖人の御魂であるから、ここでは話を一般論に引き戻して論じよう。

木片? 何を言うか、たかが紙切れが、である。

これで元法華講氏の論述がきわめて偏向的であることが見えてきたのではないかと思う。わたくしの認識では、紙よりも木のほうが長持ちするはずである。一般人の認識はどうだろう、これはアンケートでも取らないと話にならないが、わたくしと同意見の人も少なくないはずである。そもそも氏の論述は、紙のほうが長持ちすることの根拠がアイマイであって、頭から板本尊を否定する前提で論じてしまっている点が何ともイヤらしいところだ。

具体的に言おう。

和紙は、きちんと保存対策をすれば・・・

しかしながら「木片」で何の防腐処理もされずに・・・


まさに偏向的だ。

おっしゃるとおり、何の保存対策もしなければ、紙はあっと言う間に劣化する。もちろん、木も同じことである。では、同じ条件下でどちらが長持ちするかを考えると、わたくしは木だと思うわけで、それはすでに書いたことだ。しかし、上掲の文章で問題なのは、和紙は保存対策を云々しているのに、一方の「木片」はその逆を書いてしまっていることである。つまり、「木片」のほうには初めから不利な条件を付けてしまっているわけで、こんな不公平な比較の仕方があるだろうかという見本みたいな文章なのだ。これはもうアウトだろう。

ちなみに神社仏閣で歴史のある建物は、全て途中で建て直しや補修が行われ続けて現在まで当時の面影を見せてくれているのですが・・・

さて、再掲であるが、これも少し疑問なので書いておきたい。

世界最古の木造建築物で検索を掛けると法隆寺が出てくる。なるほど、遥か昔に学校の授業で習ったことがあるけれども、今もそれが一般的な説のようだ。
ちなみに大石寺も創建七百有余年の歴史を有する寺院だが、しかし、建物自体は比較的に新しいものが多くあって、近代建築物も少なくない。いわゆる鉄筋コンクリートの建物だ。
では、法隆寺であるが、建物が老朽化したので鉄筋コンクリートの新建築に建て直すことにするとしよう。さて、これが世界最古の木造建築物として認定されるだろうか、という問題である。たぶん、答えは否であろう。当たり前のことだ。

以下はウィキペディアの記述である。

2004年(平成16年)、奈良文化財研究所は、仏像が安置されている現在の金堂の屋根裏に使われている木材の年輪を高精度デジタルカメラ(千百万画素)で撮影した。その画像から割り出した結果、建立した年年輪年代測定を発表した。それによると、法隆寺金堂、五重塔、中門に使用されたヒノキやスギの部材は650年代末から690年代末に伐採されたものであるとされ、法隆寺西院伽藍は7世紀後半の再建であることがあらためて裏付けられた。(中略)なお、五重塔の心柱の用材は年輪年代測定によって確認できる最も外側の年輪が594年のものであり、この年が伐採年にきわめて近いと発表されている。

ようするに、長い間にはもちろん修理はしているのだろうけれども建て直しはしておらず、今も当時の木材がそのまま使われているわけなのだ。これは申すまでもなく、大聖人の時代よりもさらにさかのぼる時代である。

詳しくは調べていないが、鎌倉時代以前においても、建築物のみならず木彫などもそれこそたくさんのものが残っているだろう。ということは、弘安二年に板の御本尊が造立されたことが公に証明されたとしても、一般的には文化財が一つ増えたくらいの認識しか持たないことになるのだ。もちろん日蓮門下にとっては大事件であるが・・・

以上、多くは一般常識の範囲で書いたつもりである。

2014/12/5  8:54

投稿者:沖浦克治
 傍観者さん、おはようございます

 三師御伝土台が、三師御伝土代でないから、そういうものは存在しない。

 少しは読み取りの実力を養いましょう。

 

2014/12/3  20:49

投稿者:元法華講
傍観者さん

>文は意を尽くさずですが、私のスタンスはご理解いただけましたでしょうか?

何が仰りたいのか、意味不明ですね。。。

別に傍観者さんが、どういう「スタンスか?」などは、
誰も聞いておりません。全く「傍観」されていないと
言う事だけが伝わってきていますね。

>二箇相承だって紛失したのですが、もしも出てきたらそれまでの偽作論はパァです。

当たり前でしょ?

あくまで、私が二箇相承は、偽作だと言っているだけですし、それが何か問題があるのでしょうか?

大石寺信徒の方が信じるか信じないか?は、夫々の判断
ではないのでしょうか?


で、私は「元」法華講として真筆本尊を調べているうちに現在の様な矛盾点を示しているだけです。


2014/12/3  19:07

投稿者:沖浦克治
 傍観者さん、今晩は

 私はね、戒壇本尊の真偽で大騒ぎする貴方方が極めて滑稽に思えるのです。

 そんなものどっちだって良いですよ。

 大聖人の御本尊に創価の唱題をして、私にはドンドン功徳が出ています。

 それが全てです。
 真偽論争は無意味ですね。
 
 唯ね、本物だから信じろと強要する方々がいて、それならキチンと立証責任を果たしなさい。

 諭しているだけです。
 
 それにしても、ああ、アホらしい・・・・

2014/12/3  18:16

投稿者:傍観者
脱法華講さん、その二です。

こういう論議は公平性がなによりです、こちらの管理人さんは戒壇本尊は在世造立という立場ですね、あなたはもう一方の後世造立説、であるならば数に頼んで押し切るよりも、所詮素人の論議ですから、それぞれに客観情報を持ち寄って、それを示せばいいはずです。私論に絶対などはないはずです。

プロの真偽の確定であったはずの片岡随喜氏編纂の立正安国会本尊集にも偽筆が有ることが近年指摘されています。研究は日進月歩です。

近年では大日本護衛曼荼羅も身延の学者・高僧は真筆として大正天皇に呈上されましたが、偽筆でした。蒙古調伏曼荼羅もそうですね。

だから戒壇大御本尊は・・といっても鉱物鑑定に出さない本尊ですから、真偽未決であるわけですね。情況証拠はこれだけあると言っても、それも一夜にして考古学などの調査でひっくり返るんですから、スタンスとしては慎重な発言を求めていたはずです。

二箇相承だって紛失したのですが、もしも出てきたらそれまでの偽作論はパァです。

間違っていても責任を取ろうとした人のいないネットでの発言はとりあえず、断定有りきなんでしょうか?

文は意を尽くさずですが、私のスタンスはご理解いただけましたでしょうか?

2014/12/3  18:07

投稿者:傍観者
元法華講さん、時系列でいきましょう。
ここは千文字以内ですから、まず一番です

私の発言の元は、こちらの管理人さんが、2014/11/30の記事で貴方が書かれた記事

>和紙は、きちんと保存対策をすれば・・・
 しかしながら「木片」で何の防腐処理もされずに・・・
 
というコメントに「何の保存対策もしなければ、紙はあっと言う間に劣化する。もちろん、木も同じことである。」という文章がありました。その文章の補助として

◎2014/12/1  仏像があります。日蓮正宗の本尊は漆塗りなので、防腐効果がありますよ。
また雨風、直射日光にさらされない好条件の環境で保存されています。

とこういう例もあると書きました。そのコメントに貴方は

>2014/12/1 19:35 ー>それは、大聖人様が作ったものではないと言う事なんですよ。

とレスされて、私はその上古の本尊や漆塗りのサンプルとして

◎2014/12/1 ー日蓮正宗大石寺の板本尊の有無は別にして、身延に板本尊があった記録です。

とレスしました、ここに注目です「大石寺の板本尊の有無は別にして」ですね。私は戒壇本尊が在世に作られたとか、作られなかったとかには全く触れていません。このコメントに貴方は

>2014/12/1 23:18ー>それは大聖人様が作られたものではなく、大聖人様滅後に身延の管主が作成したものです。

とレスされています。私は木の保存の一例としてリンク先を紹介して、できるだけこの論議が偏向的にならないように、紹介申し上げただけですね。そして今朝ほどに

◎2014/12/3ー作っていないという証明も難しいですね。確たる証拠はありますか?
絶対に作っていないという記録です。

以上を見ていただければ、私はどちらにも偏らずに冷静な形でこの問題を論ぜればいいと思い、木の保存に関しては上古の例を出して、また断定的な意見の補整を求めたものです。

2014/12/3  17:36

投稿者:傍観者
沖浦さん、意味が通っていません。

>貴方が大聖人の作でないとの確証もないと書かれましたね。
 普通はこういう事を書く人は戒壇本尊本懐論者が多いのです。
 
大聖人の作でないとの確証とどの時間帯で書いてますか?
それにそういう確証のない人は、戒壇本尊本懐論者にはなりえませんね。
文章を推敲されてからお願いします。

2014/12/3  16:56

投稿者:元法華講
傍観者vさん

ちょっと理解できません。。。

>「日蓮正宗の本尊は漆塗りなので、

と記述してされていながら「認められましたね?」という事には、反発しておられ重箱の隅をつつくような事を仰るのでしょうか?

私は、昭和期以降の「近年の塗装」の疑いや、江戸期の「漆塗り」の疑いもあるので、あえて「漆塗り」には言及を避けていたのですが、漆塗りなのでしょうか?それとももっと新しい塗装なのでしょうか?

日達師は、「楠の丸太を半分に切って・・・」等と述べられているのですが、「身延」に「楠」は存在しないんです。。。しかも、漆塗りの場合は少なく見積もっても200Kg以上の量が必要になりますし、当時の身延で漆塗りが出来たとは考えられません。(職人がいません)

漆塗りの場合、経年変化でくすみが出てきますし金箔も剥がれてきます。定期的に保守を行わないといけないので御開扉のスケジュールを考えると「複数」が存在しな
いといけない事になります。

で、弘安2年の時点で「漆塗り板本尊」なら筆まめな大聖人様や他のお弟子さんらが、どこかで必ず言及されているはずですが全く見当たりませんし、当の大聖人様は、精力的に紙幅本尊を書写下付されています。

富士派(というか大石寺又は興門流)の主張は、余り信憑性がないと思います。

そして、光長寺の大本尊は、真筆だと鑑定されてます。(近代ですが)

で、率直な疑問ですが「弘安元年」に「大本尊」を書写されて、更に「弘安二年」に板本尊を作成されながら、紙幅本尊を「下付され続けた」というのが理解できませんね。

大聖人様が初心を忘れて遺言を残されたのでしょうか?

一番の問題は「戒壇の大御本尊」への帰依が絶対だと主張している事にあるのです。別に大石寺の本尊でも、身延の本尊でも、本能寺の真筆でも「後世に何らかの別の意図」で作成されたもの以外の本尊であればOKだと思うのです。個人的には大石寺の本尊は「後世に何らかの別の意図」で作成されたものだと思うのです。

2014/12/3  16:10

投稿者:沖浦克治
傍観者さん

 貴方が大聖人の作でないとの確証もないと書かれましたね。

 普通はこういう事を書く人は戒壇本尊本懐論者が多いのです。

 ですが貴方はそうではないのですね。
 ではそれはそれで結構です。

2014/12/3  12:53

投稿者:傍観者v
沖浦さん、一つ忘れてました

>戒壇本尊が大聖人の作だと言う方々が証明する義務があります。

わたしがいつ、大聖人の作だと発言いたしましたでしょうか、その日付と発言内容をお示しください。

2014/12/3  12:31

投稿者:傍観者v
>日道さんの事です。彼は三師御伝土台で、戒壇本尊図顕の反証を残しています。

私の知る限り、三師御伝土台という文書は存在しません。

>真犯人の件は、貴方の理解能力の欠如の問題です。
 私の問題ではありません。
 
貴方の文章能力をこちらの責任とすり替えしないでくださいね

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