2015/1/14

本年最初のダメ出し  
権兵衛氏から好意的なコメントを頂戴したけれども、わたくし自身は別にさしたる気負いはないわけで、普段とそれほど変わらないと思っている。ただ単に相手の言っていることがあまりにもおかしいので、それを咎めただけの話である。

大坊棟札は、北山の三堂棟札、垂迹堂棟札に対抗した権威付けでは? 大石寺は徳川幕府から特別扱いの寺院でしたので、北山に負けない権威付けが欲しかったのではないでしょうか?

関の山氏の推論である。不勉強のわたくしには、これが正しいのか間違っているのか皆目見当がつかないのだけれども、もし仮にこのとおりだとしたらガッカリである。

北山に負けない権威付け・・・

わたくしの思うに、こんな低レベルの対抗心を燃やしてどうするのか、である。この点を日蓮正宗の僧俗は考えないといけないだろう。そもそも自分の寺の宝物を、自分からニセモノだと言い出すこと自体がおかしなことであり、その上でもし動機が関の山氏の推論どおりだとしたら、まったくお話にならんことである。これでは元法華講氏が大石寺を批判するのも仕方がないだろう。

しかし、それはそれであり、これはこれである。つまり、元法華講氏のデタラメぶりは断じて是認できない。

相変わらずの石頭ですね〜!

それはそうだろう。名は体をあらわすのだ。巌虎の巌は岩であり、岩は石の親分みたいなものである。

日興さんは奈良や京都をご存知なかったのではないでしょうか?それでは万民の救済など不可能ですね。

しかし、ここからは意味不明の連続である。日興上人が奈良や京都をご存知なかったかどうかと問いかけておきながら、その直後に結論めいたことを書いている。万民の救済は不可能であると。つまり、文脈上ではご存知なかったという意味なのだろう。それがなぜに万民の救済が不可能となるのか、まったく説明がなされていない。いつも言っているごとく、思考のプロセスを示すべきである。結論を断定的に書いたところで、その結論に至るプロセスが明らかでなければ、それは短絡に過ぎない。

証拠と仰られてもググっても見てない方に示しても仕方ないじゃないですか?

これもヒドイ。なぜにググらなければいけないのか、そんな義務がどこにあるのか、である。むしろ説明する義務があるのはそちらであろう。それをせずして、こんなことを言っているようではオシマイである。

もっとも上掲は出先からの投稿らしいので、そこは斟酌しないといけないかもしれない。実際、後から長文のコメントが寄せられた。以下、少しずつ見ていこう。

真偽の程は定かではありませんがネット上に転がっている資料的なものを抜粋してみました。真偽の程はご自身でお確かめ下さい。

冒頭にリンクが三つ貼り付けてあるが、中身を見てガッカリした。二つは戒壇の大御本尊の真偽を云々するものだった。そして三つ目が光長寺についてだった。

何を考えておるものかと思う。八つ当たりというべきか、あるいは物の道理がわからないのか、ほとほと困った御仁である。こちらの質問にはまるで答えず、話をすり替えてしまっている。この点に気がつかなければいけないだろう。

まず、六老僧の件はどうしたのだ?

どうしてそのように考えるのか、言うならばその思考のプロセスを聞いているのに、これにはまるで答えていない。わからないなら、わからないと言えばいい。それが必要である。

そして光長寺についてであるが、リンクを貼ればそれで済む話ではないだろう。しかもである。リンク先の記述が次のようなテイタラクなのである。

光長寺(こうちょうじ)は、静岡県沼津市にある法華宗本門流の大本山。塔頭が五坊ある(南之坊、西之坊、辻之坊、東之坊、山本坊)。
以下、パンフレットの引用
「当山は宗祖日蓮大聖人を御開山、日春・日法両聖人を開基同時二祖と仰ぐ本門八品の・・・


オイオイ、こっちの話をちゃんと聞いていなかったのかよ、と言いたい。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、その根拠はどこにあるのかを問題にしているのである。それを示せないのであれば、出来ませんと言えばいい。それが必要である。

そして間違っておりました「中くらいの大きさの本尊」と述べましたが「贋作」なので単なる「板彫刻と同じ」だと言う認識なのです。一回2000円の資金集めの為の贋作本尊などは拝んでも功徳はありませんがな・・・

一種の逆ギレみたいなものだろうか?

先ほどから言っているように、自分に課されている宿題には何一つまともな回答をせず、それでいてこのような悪口を書く。少なくともわたくしは元法華講氏が御真筆御本尊を拝むことを否定しなかった。立派な信心だとも書いた。それにもかかわらず上掲のごとく書くのは、まさに逆ギレであり八つ当たりである。己の振る舞いを恥ずかしく思わないのだろうか?

何故、神社参詣がダメなのか?をお尋ねしたいぐらいです。神社に参詣したら罰が当たるのでしょうか?

困った人である。法華講に何年在籍していたのだろうか? その前は顕正会員だったはずであるが、その時は何年在籍していたのか? そして合計は何年なのか?

上掲はすぐにでも回答できるが、馬鹿げているので控えたいと思う。まずは自分でお調べになるとよいだろう。

そして、大石寺系では「仏像」はダメだとされていますが、これも大聖人様の意見とは異なります。大聖人様は、仏像は「法華経」による開眼されたものであれば良いと仰せです。(四条金吾釈迦仏供養事をご参照下さい)

めずらしく御書を持ち出してきた。といっても具体的な御文は挙げておられないが、まあ、それはよしとしよう。

ズバリ申し上げよう。何を寝ぼけたことを言っておるものかと。

これも顕正会や法華講にそれなりの年数在籍していて、そこそこ真面目に信心をしていれば、今さら問題にすべきことでもあるまいと思うのだが、これまた前掲同様にまずはご自分で調べるといいだろう。

そもそも最大サイズの御本尊を自慢していた人がこれを言うのかよ、とツッコミを入れたくなるところである。

しかし、どうだろう。これを第三者が見れば、逆にわたくしのほうがつまらんアゲアシ取りに終始していることになるのだろうか?

とにかく日興門流(大石寺系)は、自分たちに都合の悪い事は全く信徒などに知らせていないのです。

ああ、なるほど、確かにそうかもしれない。この意味では元法華講氏が知らなかったのも無理のない話かもしれない。顕正会も法華講も、あるいは創価学会も、都合の悪い話はしない。

ただし、神社参詣の問題だとか仏像本尊の是非については、まったく触れないわけではない。初心者に対してはあえて触れない場合もあるだろうけれども、一定の教学水準に達した者に対してはむしろ積極的に取り組むべき課題であることを教えているはずである。つまり、失礼ながら元法華講氏はその水準には達していなかったということなのだろう。

ユタさんも仰るように「何の功徳(御利益)もない」のです。その理由は、方便品の大石寺で読まない後半部分や神力品などに書かれています。

ユタ氏を引き合いに出して、ずいぶんなことを書いているけれども、ここでもまた横着なのか、具体的な引用が省かれている。方便品だとか神力品だとか、そんな偉そうなことを言う前に、ちゃんと教学の基礎から勉強し直したほうがいいのではないかと思う。

真筆本尊は、多数あるのです。特定の本尊への帰依が大聖人様の本意であるはずがありません。

まったく拙稿を読んでいないようだ。

先ほども書いたように、わたくしは元法華講氏がくだんの最大サイズの御本尊を拝むことを否定していない。立派な信心だと言っているくらいなのだ。いったい誰と議論をしているのか、ということである。

確かにわたくしの意見は、日蓮正宗ないし顕正会の公式見解と異なるだろう。だからそれがどうしたと言うのだ。わたくしはわたくしなのである。わたくしと議論しているのであれば、上掲のようなトンチンカンなことを言ってはいけない。

なお、誤解のないように付言しておこう。

上述のことはあたかも変化球のように思うかもしれない。ようするに日蓮正宗にまつわるさまざまの批判に対し、回答不能の問題がたくさんあることを自覚しているがゆえに、わたくしが意図的に曲線的な議論に持ち込もうとしているというような見方である。しかし、それは誤解である。少なくともこれは今回が初めてのことではないのだ。かつて日蓮宗の在家信徒と思しき人が来られて議論をしたことがあって、彼はこちらが聞いてもいないのに自分が宗定本尊の御形木を自宅に安置して拝んでいる旨を告白してきたのだった。当時、わたくしはこれに反対しなかった。やはりどうしても立派な信心と申し上げる以外にないのである。

ここで法華講の諸氏や顕正会の会員各氏、あるいは創価学会の人たちに言っておこう。

今現在、組織ごとに多少の違いはあるものの、日蓮正宗系はどこも組織がしっかりしている。ゆえに信心が身につきやすい。同調圧力といったら叱られるかもしれないが、組織に身を置いていれば自然と信心が深まっていくのだ。もちろん、そうじゃない人もいるわけだが、そうした例外を別にすればおおむね上述のごとくだろう。

だとすれば、逆に元法華講氏だとか前述の日蓮宗信徒などが不思議に思えるはずなのだ。さしたる組織もない。頼るべき先輩もいない。そこでどうして信心が磨かれていくのだろうか?

このように考えると、彼らが大聖人の御真筆御本尊を信仰することの純粋さが、物凄く光り輝いているように感じられるはずなのである。わたくしはこれを頭ごなしには否定できないと思う。

最後に、シツコイようだが、書いておこう。

わたくしは元法華講氏の信仰を頭ごなしに否定するつもりはない。しかし、言っていることはダメである。何しろデタラメ過ぎるからである。自分の思っていることを書くのは大いに結構であるが、もっと熟慮の上で投稿すべきだろう。

2015/1/18  8:49

投稿者:ユタ
おはようございます。

ある意味では、沖浦さんは正しいかもです。
顕正会で楽しくやっている人達を無理に引っ張ってくる必要は無いと思いますよ。
もちろん、学会で楽しくやっておられる沖浦さんもね。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2015/1/18  5:55

投稿者:沖浦克治
 ユタさん、元法華講さん、巌虎さん、おはようございます。

 将棋の米長さんが言いました。
 
 これやってダメだったらあれやろう。
 そうやって天下獲ったの見たことない。

 創価学会やってダメだったんで顕彰会に行こう、正信会へ入ろう、法華講で頑張ろう。

 こう言うのダメに決まっています。

 創価の信心で功徳が出せなかった人が、宗門その他で出せる道理がありませんね。

 同じ御本尊に同じ題目唱えていて、そりゃ無理ですよ。

2015/1/17  22:35

投稿者:元法華講
>「信心していくうちに変わっていくから」
>  の一点張りで、特に手を打とうとしないことには絶望
>しました。

ハハハ!(大笑)

いや、これは、元顕正会に限った問題ではないのです。
正宗そのものが顕正会と本質的に同じだと言う事なのです。

創価学会がようやく大石寺の板本尊に拘らないと表明したように(遅すぎたかもしれませんが)正宗でいる以上、どっちを向いても同じ事の繰り返しになるのですよ。そしてどんどん深みに嵌って気がついたときには、まんまと「正宗の宣伝部長」にならされているのですよ。傷の浅いうちに抜け出すのが一番だと思いますよ。

でないと、取り返しが付かなくなりますからね。
あっという間に時間だけは過ぎていきますから。



2015/1/17  21:26

投稿者:ユタ
 元法華講さんへ。

 いや、まだ結論を出すには早いと思ってますよ。
 確かにまだ油断はできませんが、少しずつ運が向いて
来た傾向はありますから。

>本来、感謝や謙虚さなどを教えなければ行けないので
すが、選民意識と自己中心的な解釈教義にすり替えられ
て洗脳されているのです。

 この状態のまま御受誡するから、元顕正会員は問題行
動を起こす人が多いのですよ。
 私も元顕正会員ですけど、この洗脳を解くようなこと
はされませんでしたね。
 顕正会時代の感覚のまま宗門で活躍しようとすると、
一部の武闘派の皆さんのような状態になる。
 で、結果的にイメージが悪化する。
 取りあえず、私が気づいているのはここまでですね。
 他のプロパーさん達に何とかした方がいいと進言した
のですが、
「信心していくうちに変わっていくから」
 の一点張りで、特に手を打とうとしないことには絶望
しました。

 要するに、元顕正会員の深すぎる罪障や害毒と関わり
たくないのでしょう。

 信心していくうちに変わるまでの間、どれだけの人に
迷惑を掛けるのかも考えてくれないのだろうかと……。
 だから私は、あまり他の信徒さん達とは交流していま
せんね。
 

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2015/1/17  19:47

投稿者:元法華講
ユタさんへ

功徳がないというのは、信仰姿勢よりも宗派そのものに問題があるのです。

本来、感謝や謙虚さなどを教えなければ行けないのですが、選民意識と自己中心的な解釈教義にすり替えられて洗脳されているのです。そろそろ洗脳から目覚めましょうね。

あなたなら正宗の組織が記事にあるように「しっかりした物」かどうかはご存知でしょう(笑)

2015/1/17  5:57

投稿者:沖浦克治
 阪神大震災から20年経ちました。
 
 私は当時神戸市役所職員でした。
 
 謹んで犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

2015/1/16  23:21

投稿者:元法華講
しつこいようですが・・・

>しかし、言っていることはダメである。何しろデタラメ過ぎるからである。自分の思っていることを書くのは大いに結構であるが、もっと熟慮の上で投稿すべきだろう。

非情にありがたく思います。大石寺や顕正会の洗脳状態から抜け切れているのですから、それ程ありがたいことはないですよ。

失礼ながら、顕正会のみで正宗にも入信せずに無所属と書かれていたような気がするのですが、それが洗脳という状態ですね。

2015/1/16  15:11

投稿者:関の山
>何故、神社参詣がダメなのか?をお尋ねしたいぐらいです。神社に参詣したら罰が当たるのでしょうか?

馬鹿げていると言わずにご説明下さい。
日蓮聖人が神社参詣がダメと言っている部分を。
日蓮聖人は鎌倉八幡宮の悪神がお住まい?の社で叱咤されたのですか?

因みに、法華経にはインドの神々が釈尊に誓うために集まった、となっていますが、どこに日本の氏神天照大神や神仏混合の八幡大菩薩が誓ったとありますか?
ゾロアスター教やエジプトの神々(イシス神など)や聖書の神々(エロヒムやミカエル大天使など)は呼ばれず?だったのですか?

>そもそも自分の寺の宝物を、自分からニセモノだと言い出すこと自体がおかしなことであり

寺院の権威付け行為は、蒙古調伏旗曼荼羅などがあり、所蔵寺院自体が江戸時代の偽作と認めております。
おかしいどころか、学術的で良心的ですよ。

2015/1/14  23:39

投稿者:抱腹絶倒
所詮は和田クオリティやね(゜_゜)(。_。)(゜_゜)(。_。)

2015/1/14  21:12

投稿者:ユタ
 こんばんは。

 いやー……私の功徳が無いのは、方便品の後半部分や神力品を読まないからといった簡単な理由ではないと思いますよ。
 それに、功徳は無くても、最低限の御加護はあるようです。
 私の今の信心状態からすれば、それがせいぜいでしょう。
 まあ、取引信心ではないですがね。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

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