2015/1/19

本年最初の曲線的議論  
大沢克日子氏の再登場には驚いた。そこに常連の人たちから挨拶のコメントが寄せられた。その迅速さにも驚いた。先日はろくでもない連中などと書いてしまったが、訂正しなければいけないだろう。ろくでもないのは他でもない、わたくし自身ということだ。

さて、今日は顕正新聞新春号を取り上げるわけだが、これがなんと図らずも先日来の議論とリンクしていたのだ。今までまったく気がつかなかった。

第1330号はつまらないと思った。新春号にしては工夫がない。第一面にデカデカと掲げられている富士山の写真がキレイで見応えがあるという以外に、さして注目すべき記事がない。定番である裏面の会員数および会館の列島分布図は、毎年のことなので見飽きている。会館が増えて写真の置き場所がなくなりつつあるのが心配であるものの、それは余計な心配だろう。グラフの上昇カーブは少し持ち直して再び急上昇を始めたかのようにも見えるが、もう少し長い目で見ないとわからないだろう。あとは登壇記事の羅列であって、つまらない。二面の右下の写真は梅紅だろうか、それが唯一の救いのように感じられた。新聞全体の印象はそんなところである。

国難二年

浅井先生の年頭の辞に付されたタイトルである。来年は国難三年、再来年は国難四年・・・と書くのかどうか知らないが、いよいよ国家破産に近づいていくわけである。

「未曾有の」という出来事に直面することが多くなってくると思いますが・・・

大沢氏のコメントはその全体がほぼ慶事で占められており、まさに新年の挨拶に相応しいものだった。そんな中で上掲のくだりは異例である。何となく顕正会的な感じがするのも事実だ。当然、浅井先生の年頭の辞ともリンクする。

あえて先生の記事から一文だけ引用するならば、どのくだりが適切だろうか?

 極限の謗法と、神道尊重。この二悪鼻を並べる日本の政権に、諸天が怒りをなさぬはずがない。天変地夭は国難二年以降さらに増大し、ついには恐るべき隣国の責めに至るであろう。

そうそう、顕正新聞をご覧になれない人のために付言しておくと、今回の年頭の辞では国家破産への言及がない。上掲のごとく、天変地夭に照準が合わされている。

極限の謗法と神道尊重・・・

さて、そこでようやく本題に入ってきたわけだが、極限の謗法とは例の創価学会の公式発表を言っているわけである。この話はいずれ詳しく取り上げることになるので省略しよう。問題は神道尊重のほうである。まさに先日来の議論に通じる話題である。

神道政治連盟国会議員懇談会なる組織があるそうだ。安倍政権では現職閣僚の十九人中十六人がこれに属しているという。さらに国会議員全体では二百八十九人がこの組織に加入しているそうである。浅井先生はくだんの創価学会の大謗法とこの神道尊重が相俟って、今後いよいよ天変地夭が激しくなると言っているわけである。

こうした考え方は今に始まったことではなく、顕正会における年来の主張そのものである。たぶん宗門もこれに近いだろう。ゆえにわたくしは元法華講氏に対し、いったい何を学んできたのかと問うたわけである。

しかし、ここで曲線的な議論を展開しようかと思う。昔から言っているように、わたくしはけっこうヘソマガリなのである。

 一 霊神を蔑如する事
 右我が朝は本是神国なり。百王彼の苗裔を承け四海其の加護を仰ぐ。而るに専修の輩永く神明を別へず・・・


なんと御書にはご覧のような記述が存するのだ。これをどのように考えるかである。

まあ、しかし、御書に詳しい人ならば言うかもしれない。上掲は大聖人の御言葉ではないと。確かにそうだ。当該御書は一種の資料集みたいなものであり、上掲はそうした文章の一つに過ぎない。

けれども安心してはいけない。問題はこれが肯定引用なのか否定引用なのかである。

結論は肯定引用である。

その証拠はきわめて単純である。当該御書は資料集であるが、前後に大聖人御自らの言葉が存在する。そこに何が書かれているかを知れば、自ずと結論が出るわけである。

夫以れば仏法流布の砌には天下静謐なり。神明仰崇の界には国土豊饒なり。

冒頭の一節である。神明仰崇は文字通りに読む以外ないだろう。神明を仰ぐ・崇めるということだ。

また末文には次のような一節がある。

日蓮尩弱たりと雖も勅宣並びに御下知の旨を守りて、偏に南北明哲の賢懐を述ぶ。

意味がわかり難いけれども、ようするに資料集に書かれていることを遵守するということだ。資料集には次のような項目もある。

 一 一向専修の党類神明に向背する不当の事

最初に紹介した項目と併せて言えば、つまりはこういうことだ。大聖人は、霊神を蔑如しません、神明に向背しません、と仰せられているのである。

これでおわかりいただけただろうか?

先日来、わたくしは繰り返し言ってきたはずである。日興上人ほどの御方がこうした事情にまったく通じていなかったとは考えられない。ゆえにそこには深い意味があるのだ。われわれはそれがわかっていない、見えていないのである。そこを深く考察しなければいけないだろう。

もちろん、これはわたくしにとっての宿題でもある。

けっこう面倒臭いテーマであるが、日蓮正宗系にとっては避けて通れないところだろう。もし可能ならば顕正会員や法華講員の見解を聞かせてほしいものである。もっともありきたりの教科書しか読んでいない人には無理難題だろう。けれども、中には熱心に勉強している人もいるはずである。ぜひとも意見を寄せていただければと願うものである。

2015/1/19  20:38

投稿者:沖浦克治
 功徳書きます。

 先週月曜日、前十字靭帯を切断し2週間ほどの選手が、コーチに連れられてやって来ました。

 コーチが聞きました。
 
 国体予選まで1週間ですが滑れるように出来ますか?
 
 困難な質問ですが、即答いたしましした。
 
 出来ます!
 
 本当にできるんですよ、創価の祈りと正しいレストレーション・トレーニングをやれば。

 お昼に連絡があって、今日の国体予選、ラップ通過!!!

 功徳〜〜〜〜〜〜!!!!!

2015/1/19  14:55

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、今日は

 『夫れ此の国は神国なり神は非礼を稟けたまわず天神七代地神五代の神神其の外諸天善神等は一乗擁護の神明なり、然も法華経を以て食と為し正直を以て力と為す、法華経に云く諸仏救世者大神通に住して衆生を悦ばしめんが為の故に無量の神力を現ずと、』 
 (北条時宗への御状)

 神社へ行って、題目を送ってやるなら、神々は元気になってこの国を護ります。
 それを、

 一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。

 これじゃね〜〜。
 興師は御書理解していませんよ。
 

2015/1/19  13:13

投稿者:んっ?
巌虎さん,こんにちは!

若しかして,試しておられるのでしょうか?ww

ヒントは「権現」ですね?

それと仏法以前と以後をごちゃ混ぜにしてはいけません。

↓当時の時代背景も考慮すべきです。

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A5%8F%E7%8A%B6

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