2015/1/29

本年最初のビックリ  
驚くことばかりだ。今朝の沖浦氏のコメントにも驚かされた。

 漸く創価学会の教学も、私に追いつきはじめましたね。

凄いことを言うものだ。もっとも氏の放言は今に始まったことではないので、聞いている側も慣れっこになってしまっている面がある。つまり、驚き半分・呆れ半分が正確なところかもしれない。

それはともかく、今朝の聖教新聞の記事もまた、驚きだった。

 本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊で(十界曼荼羅と言う表現です)、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。

う〜ん、悩ましいところだ。

 まして、弘安二年の御本尊につながらなければ他の本尊は一切力用を発揮しないとなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人仏法に違背するものであることは明白である。

原文を確認していないことをお断りしておきたい。いずれも沖浦氏のコメントの中から拾ったものである。

何が悩ましいかと言えば、上掲は極端には間違っていないことである。以前にも書いたように、わたくしは他の御真筆御本尊への信仰を否定しない立場である。今の日蓮正宗ないし顕正会は戒壇本尊オンリーのようなところがあるけれども、ならば大講堂の御本尊はどうなのか、あるいは本山ないし末寺に存在するであろう戒壇本尊以外の御真筆御本尊はどうなのか、という問題が解決できなくなると思うのだ。しかし、創価学会が全国の会館に安置しているであろう本尊は大石寺の歴代上人が書写した御本尊なのだから、現時点で上掲のごとく言うのはチグハグ感が拭えないところでもある。だから悩ましいのだ。

しばしばウワサで耳にするのは、創価学会が全国に散在する御真筆御本尊を物色しているという話である。その信憑性がどれほどのものか知らないが、確かに上掲の発言とは整合性が高いように思える。ようするにツジツマが合っているということだ。

それはさておき、前回のコメントの中でいちばんビックリしたのは以下である。

2015/1/28 11:22
投稿者:地獄耳
テーマから外れたコメントになりますが、各方面に反響をもたらすことが必至なことなので、お知らせします。

顕正会は、すべての組長に対して御本尊を下附する方針を決定しました。

数万人規模に及び、同時にその場所での入信勤行の執行も正式に許可されました。

今後、入信の偽装はもちろん、入信早々のものたちによる、取り返しのつかない不敬が全国で横行することでしょう。

もはや過去の指導との整合性は崩壊。会員数拡大のためとはいえ、迷走はとうとう暴走へと変わりつつあります。

老害でしかない。
引退してもらいたい。

一貫不変、伝統精神、


なんとなく文末が不自然である。これは何を意味するのだろうか?

極秘情報を漏らすことへの躊躇みたいなものかもしれない。

しかし、拙ブログへ投稿するということは、影響力を考慮してのことだと考えられる。ウヌボレながらも拙ブログはそれなりに影響力がある。宗門や創価学会の人たちも閲覧しているはずなので、まさに各方面へ反響をもたらすことになるだろう。もはや情報は止められない。

この人が誰なのか知らない。しかし、浅井先生を老害だとして引退を勧告する点からすれば、顕正会の将来を憂えての発言なのだろう。

ならば聞いてみたいものだ。

浅井先生の次は誰なのか、誰が相応しいのかである。

顕正会の唯一の求心力、それが浅井先生なのだと思う。いつまでも現役を続ける理由は本人のモチベーションがどうであれ、自分が退いたら顕正会は保たない・潰れるということがあるわけで、それは本人だけでなく本部の中枢にいる人たちの共通した認識のはずである。もし別の意見があるのならば、ぜひ聞いてみたいものである。

それにしても驚きである。本尊下付のことだ。

すなわち、すべての組長に御本尊を下付するという方針は、まさに過去の指導との整合性の崩壊であり、迷走から暴走へ、そして自爆へと向かうことを意味するわけで、断じてあってはならないことである。

わたくしの思うに、これは顕正会を憂えて言うのではなく、顕正会にいる人たちを憂えて言うべきことである。

どういう意味か?

「何としても八百万学会員を救いたい」

これは浅井先生の常套句である。昨年末の総幹部会でも同様の発言があったごとくである。つまり、先生は創価学会を救いたいのではなく、創価学会員を救いたいと言っているのだ。たぶん、拙ブログに出入りしている沖浦氏たちが読めば、何を言っておるものかと思うだろうし、アンタに言われたくないよと思うはずであるが、ともかく浅井先生の常套句はご覧のごとくである。

まったく同じ理屈である。

もはや顕正会なんてどうでもいい。潰れるなら潰れればいいのだ。しかし、そこにいる人たちが不幸になってはいけない。

だから以前から言っているのだ。宗門に復帰しなければいけないと。そこで御本尊を頂戴すれば何の問題も生じない。

話が少し複雑だ。

創価学会は脱日蓮正宗・脱戒壇本尊を図っている。これが堕地獄の因であると顕正会では言っているのだ。その顕正会がである。戒壇本尊への信仰は堅持しつつも、なぜか脱日蓮正宗を進めているのである。そして独自の本尊下付を画策している。

いったいどのようなロジックでこれを行なおうとしているのかが問題だ。

わたくしにはそれがわからない。

つまり、創価学会のやっていることが地獄の業因ならば、顕正会のやっていることも同じなのではないか、五十歩百歩なのではないか、というのがわたくしの見方である。

いずれにしても今回の方針が事実ならば大事件である。これは本年最初のビックリではなく、顕正会の歴史の上でもマレに見るビックリである。また、注目すべきことは、これを総幹部会などの公式の場で発表するのか、それとも隠密裏に行なうのか、である。公式発表をすれば過去との不整合を突っつかれる。隠れて行なえばそれはそれで突っつかれる。どの道、批判されるのだ。繰り返しになるが、わたくしにはどう考えたって正当化する論理が見当たらないのである。

2015/2/2  23:10

投稿者:蝸牛
すみません。書き間違いました。

> 創価学会の見解なら、機関紙・誌を見ればわかることなので、わかります。

→創価学会の見解なら、機関紙・誌を見ればわかります。

2015/2/2  23:06

投稿者:蝸牛
>  但し、貴方が真実を知りたいなら、ここで愚痴を言うのではなく、最初に書いたよう
に創価学会の教学部の中枢へ親しい方をお作りになられることですね。

創価学会の見解なら、機関紙・誌を見ればわかることなので、わかります。

沖浦克治さんが、自分は創価学会の公式見解にしばられないとおっしゃりながら、創価、
創価とあたかも創価学会の見解を代表するような書き方をされるから、沖浦克治さんの見
解をお聞きしているだけです。

で、もう一度お聞きしたいのですが、

>  虚空不動定は本門の本尊ですが、衆生己心の妙法で
ある南無妙法蓮華経。
>  曼荼羅ではないのです。

>  この中で、本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本
尊と(十界曼荼羅と言う表現です)、それを書写した本
尊で、戒壇本尊もそれに含まれ> るが、戒壇本尊のみが
本門の本尊ではない。

いったい「曼荼羅」は「本門の本尊」なのですか。違うのですか。

>  それ以前、僧俗和合路線の最中に、登山推進に来られた方に、
>
>  ああい言う謗法の地へは行きません!

あれ、以前息子さんと一緒に戸田さんのお墓参りに大石寺に行ったと書いてられたような


巌虎さんに注意されたので、またしばらく引っこみます。すみません。

2015/2/1  6:18

投稿者:沖浦克治
蝸牛さん、おはようございます。

 少々説明致しましょうね。
 但し貴方のご質問は、質問のための質問の部分が多いので、一通り説明致しますが、どうしても知りたいなら、創価学会の師範クラスと仲良くなって、充分にうちとけ貴方を相手が信用されたのち、同じ質問をされると良いでしょうね。

 今回創価学会が発表した、本門の本尊が十界曼荼羅だと言う事ですが、この曼荼羅は仏そのものではありません。
 写し取ったものですので、鏡の中の人間みたいなものです。
 
 本体があって、そのコピーと言って良いですね。

 本体〜衆生己心の妙法である、南無妙法蓮華経。
 コピー〜お曼荼羅。

 こういう関係ですが、創価学会としてはそこまで表現してしまうと、御本尊を粗末に見る会員が出る可能性があるので、ここまでに留めたのでしょう。
 但し、貴方が真実を知りたいなら、ここで愚痴を言うのではなく、最初に書いたように創価学会の教学部の中枢へ親しい方をお作りになられることですね。

 私の主張が創価学会の公式見解と異なっているのは、2002年にネットを始めた時からです。

 それ以前、僧俗和合路線の最中に、登山推進に来られた方に、

 ああい言う謗法の地へは行きません!
 
 とお断りいたしました。
 組織では問題視されましたが、現在は創価学会が、

 大石寺の戒壇本尊は大法謗の地にあるから、受持の対象にしない。

 と、発表するまでになりました。
 私は自由な個人ですので、今の先の事を言う事が出来ます。
 創価学会は組織ですので、会員の動揺は避けねばならない宿命を背負っています。

 立場の差で、意見が異なる。

 当然ですね。

2015/1/31  21:34

投稿者:蝸牛
>  身延山久遠寺はね、大聖人の聖地です。
>  御書に明確です。
>  大石寺なんて、大聖人は名前すらご存じありません

>  後世の弟子たちの権力争いで出来た寺。

そんなもん、日蓮が死んでからのもんですから、あたり
まえやないですか。

そんな言い方したら、釈迦は日蓮など知りませんし、日
本なんて国も知らんでしょうし、牧口さんだって創価教
育学会は知っていても創価学会なんて知りませんし、牧
口さんは池田さんを知りませんし、戸田さんだって、大
石寺の大講堂は知っていても、大客殿も正本堂も知りま
せん。当然大誓堂も知らんでしょう。

本質から離れた何をしょうもないことをおっしゃってる
んでしょうねえ。

巌虎さん、連続投稿失礼いたしました。

2015/1/31  21:31

投稿者:蝸牛
沖浦克治さんは以下のように書き込まれてます。

>  虚空不動定は本門の本尊ですが、衆生己心の妙法で
ある南無妙法蓮華経。
>  曼荼羅ではないのです。
>
>  曼荼羅はそれを写し取ったもの。
>  御書にあります。
>
>  『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等
天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年
の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり
、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身
の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
>  (日女御前御返事)

>  この中で、本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本
尊と(十界曼荼羅と言う表現です)、それを書写した本
尊で、戒壇本尊もそれに含まれ> るが、戒壇本尊のみが
本門の本尊ではない。

ありゃ「本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊」っ
て書かれてますが、これって沖浦克治さんがよくいう「
本尊そのもの」ではない、写しにすぎない「曼荼羅」の
ことじゃないんですか?(「曼荼羅はそれを写し取った
もの」って書いてられますよね)。あなたがおっしゃる
「本門の本尊」とはいったい何なのですか。書写した曼
荼羅は本門の本尊ではないといいながら、戒壇本尊(こ
れも書写した曼荼羅を元にしているものですが)のみが
本門の本尊ではないと書いている。いったい曼荼羅(戒
壇の本尊を含む)は本門の本尊なのかどうかはっきりし
てください。

「はたじるし」が本尊ってのはいやなんですかね。日蓮
ははたじるしを本尊とするってのがあの「日女御前御返
事」でしょう。沖浦さんは本仏・本尊・曼荼羅というと
ころ、とくに実体としては同じものを指している本尊と
漫荼羅の違いがわかってられないような気がしますね。

2015/1/31  6:23

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 今回の教義変更で、戒壇本尊本懐と、寛師教学を否定致しました。
 
 寛師は一部は正しい所もあるが、本懐論と戒壇本尊一大秘法は間違いである。

 一部正しいのは、念仏も真言も同じです。
 ですので、寛師教学は爾前経の扱い。

 ここで、戒壇本尊本懐を否定されてお気に召さない方は、さっさと宗門に行くべきです。
 更に、寛師は嫡々一人の一人とされていました。
 内証が大聖人と同じと言う解釈が、嫡々一人。

 それが邪義を唱えたと、創価学会は認めた。
 嫡々一人は嘘だと宣言したのと同じです。

 ですので、最初の興師の唯綬一人もあり得ません。
 興師否定がお気に召さない方は、さっさと宗門へどうぞ。

2015/1/30  19:07

投稿者:沖浦克治
 続きです。

 実際には、一切衆生の命の素晴らしさを、宝塔として表現した。
 御書にあります。

 『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、』
 (阿仏房御書)

 大聖人はこれを写し取られ、一幅のお曼荼羅として図顕なさいました。
 御本仏たる由縁です。

 この御本尊に、一切衆生が南無妙法蓮華経を唱える時、本門の題目として現実生活に現れ、虚空不動慧となるのです。

 題目は一切の智慧の源泉です。

 そして、唱える私共のいる場所が、虚空不動戒で本門の戒壇となります。
 更に一歩深く考察すると、

 私共の命が南無妙法蓮華経であって、本門の題目であってそのまま本門の本尊です。
 南無妙法蓮華経と言う命を、異なる側面から見ると題目と本尊になります。

 その題目と本尊を入れている身体が、宝器と言って本門の戒壇です。
 ですので、創価思想では、本門の戒壇とは、生命活動の場です。

 寛師の邪義である、戒壇本尊本懐に執着すると、こういう事は理解すら出来ません。
 あれは天動説、創価思想は地動説。

 根底が異なる発想なんです。

2015/1/30  19:06

投稿者:沖浦克治
寛師は、大聖人の出世の御本懐を戒壇本尊図顕、と言う些事にすり替えました。
 
 その邪義を正当化するために、六大秘法を考え出した。

 習い損ない故ですね。

 戒壇本尊と言う限定された存在を、本門の本尊で一大秘法の当体とすることは、戒定慧の三学から見ると矛盾だらけです。

 虚空不動定は本門の本尊ですが、衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経。
 曼荼羅ではないのです。

 曼荼羅はそれを写し取ったもの。
 御書にあります。

 『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
 (日女御前御返事)

 釈迦は、法華経で虚空に荘厳な宝塔を建てましたが、本当にそういうものが3000年前のインドで虚空に出現する道理がありません。
 高さが何万キロの建築物が虚空に浮かぶなら、今頃私共はアンドロメダ星雲辺りに遊んでいるでしょう。
 

2015/1/30  7:09

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 少々筆が足らない所がございました。

>本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊で(十界曼荼羅と言う表現です)、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。

 を、以下に訂正いたします。


 この中で、本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊と(十界曼荼羅と言う表現です)、それを書写した本尊で、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。

 書写も含めると言う文言が原文には入っておりました。

2015/1/30  6:20

投稿者:沖浦克治
んっ?さん、おはようございます。

 貴方は以前支部制と地区制が同時にスタートしたとデララメを書きました。

 私が事実に基づき指摘した時、貴方は謝罪するせず知らない顔をした無責任人。

 つい先日、私が身延の御本尊にも同じ功徳があると書いたら、貴方は、
 
 では身延の本尊を拝め。

 と感情むき出しになりましたね。
 あれは、自分の御本尊が身延に優れると言う思い上がりからの言葉です。

 更にこれですが、

>>2014/11/9 12:40 投稿者:んっ?
>「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
>単に身延他の中に「石山」が加わっただけでしょう?ww

 貴方は基本的に創価学会を全く御存じない。

 身延は創価学会にとって謗法の地ではございません。
 友好関係を結びながら、今後は協力し合う友です。

 対して、日蓮正宗は明確な敵で、大法謗の宗派。

 これが現在の創価学会の立場です。

 謗法の身延へ石山が加わった???

 何を頓珍漢言ってますかね??

 私はね、日蓮正宗は身延に遥かに劣ると書き続けて来ました。
 御書にあります。

 『さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。』
 (波木井殿御報)

 身延山久遠寺はね、大聖人の聖地です。
 御書に明確です。
 大石寺なんて、大聖人は名前すらご存じありません。
 後世の弟子たちの権力争いで出来た寺。

 そういう寺と、聖地身延を同列に扱うだけでも、大聖人門下としては恐れ多いのです。

 それを、あのレベル最低の大石寺と同列〜〜??

 御書学んでからお書きなさい。

 そのうち、創価学会は興師の唯綬一人も否定します。
 次は必然的にそうなります。

 ああ〜〜、愚かでなくて私しゃ、良かった・・・

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