2015/3/25

憂鬱な日々  
このところトチロ〜氏がたびたび来られている。当初はわたくしの無条件降伏論があまりにも極論すぎるので、思わず反応してしまったのだろうと考えられたが、しかし、直近のコメントを拝見すると、別の意図があるようだ。おそらくは拙ブログの異変に気づいて、その推移に注目しているのだろう。異変とはコメント投稿者たちの顔ぶれの変化である。早い話がウサン臭い連中が跋扈している状況のことだ。

軍楽しょう氏はナリスマシということで、ほぼ確定のようである。あれ以来、まったく音沙汰がない。もはや釈明の仕様がないほど、バレバレということだ。

他にもウサン臭い連中が何人か居座っているが、その代表格はやはり次のコメントを書いた人物だろう。

折角の連休なのに、『顕正新聞』に向かって、「一人ツッコミ・一人ボケ」をするしか、他にやることのない淋しい御仁は可哀想だと思いますが。(大笑)

これはわたくしに対するイヤミ以外の何物でもない。どうやら挑発的なことを書いて反応を窺っているようだ。

腹立ち半分だが、せっかくなので正直な感想を書いておこう。

なかなかうまいと思った。一人ツッコミ・一人ボケは言い得て妙である。何しろ独白ブログなのだから、まさにご指摘のとおりである。自虐的ながらもこれには同意せざるを得ないところだ。

しかし、ありがたいことに拙ブログには多くのコメントが寄せられる。沖浦氏がその最大の功労者だが、その他にもそれこそ宗派の垣根(?)を越えて、多方面からコメントが寄せられる。もし十年間、一つのコメントも寄せられなかったら、それこそ正真正銘の独白であり、ご指摘のとおり寂しい限りだったろう。もっとも、そうした状況下で十年間にわたって独白を続けられたら、それはそれで一種の偉業だろうとは思うが・・・

そこで貴辺に提案しておきたい。ご自分でブログをやってみたらどうかと。己の主義主張を思う存分に書くことが出来るのだ。悪い話ではないだろう。

ちなみに、わたくしはずいぶん前に、他の人に対して同様の提案をしたことがあった。その人はその後、しばらくしてから自分のブログを立ち上げた。瑠璃堂氏である。結果は大成功で、氏のブログは多くの人から注目を集め、メールで脱会相談などを行なったり、最近はツイッターのほうにも力を入れているようで、いわば八面六臂の大活躍といった感じである。

ゆえに貴辺にも提案したいと思う。

ただし、実際にブログを立ち上げて、どういう結果になるかはわたくしの知ったことではない。幸いにも拙ブログはそれなりに注目され、自分でもそれなりの手応えを感じることが出来たわけだが、誰もが同じ結果を得られるわけではない。店を出せば誰もが繁盛し儲かるわけではない。閑古鳥が鳴く結果に終わることだってザラにあるのだ。それと同じ理屈である。

さて、ここまで読んで、どう感じただろうか?

いちおう、わたくしなりの反論のつもりである。他人のやることなすことにイチャモンをつけるのは簡単だ。拙ブログにおける顕正新聞批判も同様であって、単なるイチャモンに過ぎないと言われればそうかもしれないと思う。しかし、そのブログにイチャモンをつけている人はいったい何なのだろうかという指摘もあり得るだろう。駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人、である。

だったら自分でブログをやってみたらいいのだ。あえて挑発的に言えば、たぶん無理だろう、貴辺には無理だ、できっこない、ということになる。

ちなみに、今日の話のヒントは次のくだりにある。

大沢某・沖浦某の低レベルな投稿に、厳虎さんが御丁寧に答えている事によって、この掲示板の水準が更に下がっている様子を例えると・・・

貴辺は拙ブログのコメント欄を掲示板と勘違いした。掲示板を悪く言うつもりはないが、ブログ等の個人サイトを持たず、掲示板のみに書き込んでいる人は、自分に自信がないのかもしれない。あるいは自分で自分に責任を持てない人なのかもしれないと思う。ハンドルネームと言えば聞こえはいいけれども、匿名と言えばガラリと印象が変わる。いわば匿名で言いたい放題をしているだけの無責任な人なのだ。貴辺はそういう人種なのかもしれない。

三月十六日に富士宮ボーイ掲示板が終焉を遂げた。かの掲示板は創価学会系の老舗掲示板で多くの人が出入りしていた。面倒なので細かいところまでは読まなかったが、いちおう定期的に開いていたので、おおよそのことは承知しているつもりである。昨秋の創価学会の教義改変あたりから自界叛逆の様相を見せ始め、一向に収まる気配がなかった。そこで管理人が店じまいを決断したのだった。

これに前後して、拙ブログの異変が始まった。このように感じるのは、わたくしだけであろうか?

2015/3/26  18:11

投稿者:松本零時
>>別に貴方のご納得は必要と致しません。

>>私が、達師が池田先生に晩年は帰依した事実を知っていればそれでいいのです。


証拠のない「事実」をいくら吹聴しようとも、
巌虎さん・大沢さん・んっ?さん・関の山さんの
「ご納得」を得られないばかりか、
大多数の学会員・法華講・正信会の「ご納得」を
得ることすらできましぇ〜んよ〜〜ww

2015/3/26  12:58

投稿者:沖浦克治
 松本さん、今日は

 別に貴方のご納得は必要と致しません。

 私が、達師が池田先生に晩年は帰依した事実を知っていればそれでいいのです。

 貴方がそれを妄想と思うか思わないか?
 貴方の問題で、私には関係ございません。

2015/3/26  11:03

投稿者:松本零時
>>達師が創価学会の師弟論を否定しようがしまいが、
>>晩年池田先生に帰依した事実は覆りません。

日達法主が「池田先生に帰依」の意思表示をした証拠(文証)がない、
日達法主に近い第三者による「池田先生に帰依」の記録も証言もない、
公式に残ってる記録が示すのは、日達法主は池田先生に対して
最後まで批判を続けてた事実。


>>ですが、これも私の主観です。

己の「主観」でもって「事実認定」を行ったところで、
第三者に通用する「客観性」がなければ、
その事実認定は「妄想」に終わりますよんww

2015/3/26  7:40

投稿者:沖浦克治
 富士ボー閉鎖で思う事・・・・
 
 バーチャルでの、無意味な破折ごっこでは、誰一人救えず、何一つ現実は変えられない。

 富士ボーの閉鎖は、バーチャルでの仏法ごっこが無力であった証明でしょう。

2015/3/26  6:35

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。

 富士ボーが3月16日に閉鎖されました。
 ああい言う怨嫉謗法の巣窟と言うべき板が閉鎖されたことは、嬉しいと言えば嬉しいですが、そもそも、管理人さんまでが、ああいうレベルに堕ちてしまったことが原因でしょうね。

 現在若鷹の掲示板が、怨嫉謗法板として残っていますが、まともな方々はどなたも書きません。

 富士ボー閉鎖と、ここでの怨嫉謗法書き込み増加の関連は、貴方がご指摘の通りだと思えます。

 管理も大変でしょうが、宜しくお願い申し上げます。

2015/3/26  6:31

投稿者:沖浦克治
松本さん、おはようございます。

 先ずこれはいけませんね。

>1年前にこのブログで破折された話を
忘れた頃にまた蒸し返すアホタンw

 ここで破折されたかどうか?
 この点は貴方のご主観に過ぎません。
 貴方の個人的感想を持って全体を推し量る愚かは、法論ではその場で負けとなります。
 私は貴方を論破するつもりも、破折するつもりもありませんが、公平に見て貴方の書き込みはただの感情論に過ぎません。

 更に、アホタンと言う言葉はいけませんね。
 怨嫉謗法は罰しかありませんよ。
 そういう事がお好みなら、若鷹へでもどうぞ。

 達師が創価学会の師弟論を否定しようがしまいが、晩年池田先生に帰依した事実は覆りません。
 ですが、これも私の主観です。

 10人の人間がいるなら、10種類の達師観があって良いのです。

2015/3/25  19:03

投稿者:松本零時
>>達師は池田先生に晩年は帰依なさいました。
>>私は事実としてそれを知っておりますが、それは純粋に池田先生と達師の間の問題です。

1年前にこのブログで破折された話を
忘れた頃にまた蒸し返すアホタンw


http://white.ap.teacup.com/ganko/1936.html?b=20

2014/1/29 1:56
投稿者:(;`皿´)

以前読んだ日達上人全集にて、
亡くなる数日前に行った公の場における
最後の説法を読んだことありますが、
その内容は、法然と親鸞になぞらえて
学会の師弟論を批判する趣旨の内容だったと
記憶しております。

ネットやるまで正信会の名前すら知らなかった
駄目会員が、知ったかぶりをするのも
イイカゲンにせよ、と私も言いたい。

2015/3/25  18:39

投稿者:沖浦克治
 関の山さん、今晩は。

 ローマ法王が信徒に帰依したらどうなるか?

 わかりませんね、それはあくまでも、法王と信徒の問題です。
 帰依とは純粋に個人的行為なんです。

 達師は池田先生に晩年は帰依なさいました。
 私は事実としてそれを知っておりますが、それは純粋に池田先生と達師の間の問題です。
 他の方々が文句を言う筋合いではありません。

 帰依とは師弟と呼び換えても可です。
 師弟の関係は、弟子の数だけあります。
 私の師匠は池田先生ですが、他の方もそういう方々が何万人、何十万人とおられます。
 ですが、私と池田先生の関係はたった一つだけなのです。

 1万の弟子がいるなら、1万の師弟の道。
 
 これで良いのですね。
 ですので、達師が池田先生を師匠と仰いだことは、達師と池田先生だけの問題なのです。

 聖教新聞の3面の座談会は、愚かの極みでした。
 
 あれじゃ、創価学会は世間から馬鹿にされますし、事実馬鹿にされたと思います。

 ですが、私はそう言う事には左右されません。
 弟子の道が弟子の数だけあるのと同じに、聖教新聞の読み方も、購読者の数だけあります。

 それぞれがそれぞれの判断。

 これで、どういうもんだいもありません。
 

2015/3/25  12:51

投稿者:トチロ〜
確かに思わず反応しちゃったというのが真実です。

その後の投稿には特に他意はありません。


ただ、「学会問題」=「宗門問題」というように同じ出来事でも立ち位置によって呼び名は変わるもので、今回の「本尊模刻の正信会問題」との呼び方は法華講員はしませんからね…。

やはりG会さんのなりすましなのかな?って思ったわけです。

それを確かめたかったという次第です。



http://houonbou.seesaa.net/

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