2015/3/31

顕正新聞第1337号拾い読み  
種々のコメントが寄せられているけれども、今日はさっそく顕正新聞の話題に入りたい。第1337号だ。

死線に突入する御奉公

第一面には三月八日の日曜勤行指導が掲載されている。全体の内容はともかくとして、部分的に気になったところを書いておく。まずは上掲だ。

シャレた表現とでも言うべきだろうか?

 現世に仏様が宿って下さるのが内証成仏で、これを即身成仏という。「死すれば光を放つ」とは、臨終に成仏の相を現ずるということ、これが外用の成仏であります。

さらっと説明しているけれども、けっこう重要な意味を孕んでいると思う。大聖人は外用の成仏の説明として、死すれば光を放つと仰せあそばしている。これを浅井先生は成仏の相を現ずると書いている。本当に光を放つのか否か、たぶん先生は光を放たないと判断したのだろう。それで成仏の相と言い換えたのだ。教条主義との批判を受ける顕正会だが、この辺は解釈に柔軟性を持たせていることが窺えて興味深い。

 そして、誰が、誰が、戒壇の大御本尊様の御威光を傷つけんとするとも、顕正会ある限り、そんなことは絶対にさせない。

頼もしいではないか。わたくしが宗門復帰論を唱える意味もこれで明瞭となったはずだ。戒壇の大御本尊を誹謗する人たちがうごめく中で、かくも純粋な姿勢を貫き続けていることは、まさに称賛に値することである。これでもしも内心では独立教団路線を志向しているとしたら、とんでもないタヌキジジイということになる。そんなわけがあるまいと思うのだが・・・

さて、別の記事を見ていこう。

大魔

総合女子部長の記事に出てくる単語だが、この表現はめずらしいと思う。それにしても、その大魔が今回の特集号で一瞬にして打ち砕かれた、という意味のことが書かれていて、驚いた。そうなの? そんなに威力があるの? ちょっと誇張が過ぎるんじゃないの?

世界中の騒がしさも、一瞬で立正安国論の決意に昇華される有難さ

総合婦人部長もまた優れた表現力の持ち主で、上掲などはよくわからないけれどもシャレた文章だと思う。昇華は知っていても、なかなかうまく使えない単語である。

副総合婦人部長は二人いるので、古いほうの人と書いておこう。凄いことを言っている。

 先般の総幹部会における浅井先生の重大指導をお聞きして、「最終段階の最後の時がついに到来した」との震える感動がいま幾重にも込み上げてまいります。

最終段階の最後の時・・・

前回、残り五年という記事を紹介したが、まさにそういうことなのだろう。もしこれで、五年後に期限延長にでもなったら、もうオシマイだ。今までだって何度も期限延長が行なわれているのである。そんなことがいつまでも許されるはずがない。

 また先生は、学会の
 「弘安二年の御本尊を否定しているのではない、受持しないだけ」
 との苦し紛れのごまかしを、たった一言で木っ端微塵に打ち砕かれましたが、あたかも塚原問答を眼前にするごとくで、胸のすく感動を覚えました。


塚原問答は申すまでもなく大聖人の御事蹟である。すると彼女は大聖人と先生を重ね合わせて見ていることになる。会長本仏論の危険性を感じさせる記事だ。

かと思えば、次のような記事もある。婦人部池袋支区総班副長の活動報告だ。

入信以来何度も何度も、海のように深く広い大聖人様の仏法をわかりやすく指導下さった先生のお姿と重なり・・・

原文はやや煩瑣なので前半部分を省略させていただいたわけだが、浅井先生といったい誰とが重なって見えるのか、その答えはなんと日興上人である。

最近は言わなくなったものの、ひと頃は日目上人と浅井先生が重なって見えるとよく言っていた。いわゆる目師再誕論だ。そして会長本仏論があり、日興上人再誕論がある。もはや、何が何だかよくわからないが、ともかく偉い人だと言いたいわけなのだろう。

しかし、偉いのは第一線で地道に活動している人たちである。もちろん、浅井先生もそれはわかっているだろうが・・・

 そこにこのたび、二名の総班員が臨終を迎え、御本尊様絶対の確信を深めさせて頂きました。

一人は八十三歳の、おそらくは女性だろう。もう一人は六十三歳の壮年である。登壇者は女子部第三十三区支区長補だが、上掲に総班員とあることからもわかるように総班長でもあるのだろう。男子部ならば支隊長に相当する役職だ。

今や女子部もさまざまで、還暦過ぎの女子部幹部もいる。しかし、彼女は写真を見る限り、そんなに高齢には見えない。三十代だろうか?

わたくしの思うに、亡くなった八十三歳の女性と六十三歳の男性は、本来ならば婦人部と壮年部が面倒を見るべきである。もっとも壮年部はすでに廃部となっているので、男子部が担当することになるわけだが、ともかく三十代の女子部員がやるべき任務ではないはずだ。世間一般の常識からしても、こんな若い女性が身内でもない人の死に関わることなど、普通はあり得ないだろう。偉いの一言だ。

しかし、いわゆる儀礼室での葬儀を行なったか否かについては、その記述が見当たらないのでわからない。もしそこまで面倒を見たとしたら、本当に偉いことだ。

今月は当初の予定通り、顕正会の問題を中心に書いた。予定通りに事が運ぶのは、めずらしいことだ。閲覧諸氏のご協力に感謝したい。

2015/4/3  5:39

投稿者:沖浦克治
んっ?さん、おはようございます。

>投稿者:んっ?
河童君,おはよう!

 こう書きこんだ瞬間に、貴方の命に悪業が重なります。
 損ですね。
 更には、どれほど屁理屈を書いて見ても、こういう表現しか出来ない貴方は、読む人の信頼は得ることが出来ません。

 だから何時も貴方に言うでしょう。
 人して礼節をわきまえなさい。

 『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
 (崇峻天皇御書)

 貴方は大聖人から、畜生だと言われています。
 この自分の境涯でご満足ですか???

 御本尊がないと理????

 すると大聖人は御本尊なしで何故悟られたのでしょう??

 内得信仰にどうしてク度があるのかな???

 熱原の法華講衆を始めとして、古来から内得信仰こそが一般的でしたよ。
 金沢法難や尾張法難では、徳川幕府の厳しい宗教政策によって、御本尊を安置する事はできませんでしたから、当然内得信仰にならざるを得ない。

 では三烈士は理の信心なんですか〜〜??

 愚かもほどほどにね。

 頑張って勉強して出直しましょう。

2015/4/2  8:15

投稿者:んっ?
あっ,忘れてた!

>これ以上論議をなさりたいなら、ご自分で掲示板でもお立てなさい。
>ここは巌虎さんのブログです。
>ではね、頑張ってくださいね。

「議論」? 君は私と議論してるつもりだったの?
此れ以上己義を吹聴したければ,御自分の掲示板でどうぞ。
此処は巌虎さんのブログです。
ではね,頑張らなくて良いですよ?ww

2015/4/2  7:54

投稿者:んっ?
河童君,おはよう!

私の問いかけを恣意的に曲げている。

「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」

先ず,此れを前提としての書き込みだ。
釈尊,天台の説いた法は夫々文字と為ってるが
では,南無妙法蓮華経は如何具現化されているのかと
問うたのである。

決して
>御本尊 (だけが) 南無妙法蓮華経の当体
等とは一言も云っていない。

ましてや,君の挙げた「諸法実相抄」は
「十界互具・一念三千」を説明されている遺文だ。

君の挙げた部分の後にこうある。

「地涌の菩薩の中の上首唱導上行無辺行等の菩薩より外は,
 末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず,
 宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし,
 是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり」

・法体の妙法蓮華経の五字を弘め給う
此の部分が本門の題目
・宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す
此の部分が本門の本尊

従って大聖人様の仏法は「事」の一念三千の法門となる。
所詮,御本尊様なしでは「理」でしかないんだよ?

2015/4/2  5:16

投稿者:沖浦克治
 質問が抜けておりました。
 ごめんなさい。

>では,大聖人様の説かれた南無妙法蓮華経は?
御本尊様以外にあるのかな?

 寛師の邪義に毒された方が、良くなさるご質問ですね。

2015/4/2  5:14

投稿者:沖浦克治
おはようございます、皆様方。

 んっ?さんから、以下のご質問がございました。


 いい機会ですので、大聖人仏法の立場から書いておきましょう。

 御書には、この世にあり全ての物が、南無妙法蓮華経の当体だと書かれてあります。

 『問うて云く法華経の第一方便品に云く「諸法実相乃至本末究竟等」云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり依報あるならば必ず正報住すべし、釈に云く「依報正報常に妙経を宣ぶ」等云云、又云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」、又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云云、此等の釈義分明なり誰か疑網を生ぜんや、されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、』
 (諸法実相抄)

 少し長い引用になりましたが、この御文の前半で、十界の依正の当体は全て南無妙法蓮華経だとあります。
 後半はその説明です。

 御本尊だけが南無妙法蓮華経の当体と言う事はありません。
 
 これを唱えた寛師は、御書を読めない人だったのですね。

2015/4/1  21:27

投稿者:沖浦克治
んっ?さん、

 戒壇本尊は物で出来ています。
 厳然たる事実です。
 物はいつかは消滅致します。
 ですが、法は消滅致しません。

 南無妙法蓮華経だけは絶対に無くなりません。
 大聖人出世の御本懐が、必ず消滅する物質で作られた御本尊ではあり得ないと言う事実を弁えましょう。
 御書にあります。

 『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし』
 (報恩抄)

 南無妙法蓮華経の流布が、大聖人出世の御本懐です。
 いずれ朽ち果ててしまう、特定の御本尊ではあり得ません。

 戒壇本尊と限定するんなら、いずれ朽ち果てることは物理学上の覆されざる事実です。

>では,大聖人様の説かれた南無妙法蓮華経は?
御本尊様以外にあるのかな?

 そりゃありますよ。
 常識じゃないですか。
 御本尊御図顕以前、題目流布をなさいました。
 歴史上の事実です。
 御本尊が南無妙法蓮華経の当体。
 これは寛師と言う習い損ないの邪義です。

 南無妙法蓮華経とは法です。
 法則の事。
 命そのもので目には見えません。
 そういう道理を弁えましょうね。

 これ以上論議をなさりたいなら、ご自分で掲示板でもお立てなさい。
 ここは巌虎さんのブログです。

 ではね、頑張ってくださいね。

2015/4/1  20:38

投稿者:んっ?
>文証がなければ用いない。
>大聖人の基本的なスタンスです。
>これも、大聖人門下を仮にも名乗るなら、信受なさい。
>ここまで良いですか?
>肯定する御文がない以上、否定されるのが大聖人仏法の決まりです。
>戒壇本尊本懐論は御書に無い。
>ですので、そういう事はあり得ない。
>これで良いのです。

ほう! 学会は御書に載ってますか?
載ってないから否定されるのですね?ww

>戒壇本尊の力用を創価学会は否定していません。
>私共の御形木御本尊を同等の力用を備えています。
>ですが、大石寺と言う大法謗(ママ)の地にあるので用いない。
>こういうことですね。
>今後はキチンと道理を弁えましょう。

だから,過去ログを見てみなさいww
私はずっと以前からそう云ってるよ?

君が現代語で書かれた「新聞」を読めずに,
「否定した否定した」と
独りで浮かれ騒いでたんじゃないかww

2015/4/1  20:29

投稿者:んっ?
>戒壇本尊は物で出来ています。

此れまた,何度も云ってる。
君も私も「物」で出来てる。

そうして「方便現涅槃」する。

違いは「有情」「非情」の差があるだけだ。

結局,「難信難解」なままなんだね?ww

2015/4/1  20:19

投稿者:んっ?
>戒壇本尊本懐は、道理の上から否定されます

釈尊は法華経を説かれた。
「妙法蓮華経」という経典になった。

天台は摩訶止観を解かれた。
灌頂が筆録し書になった。

では,大聖人様の説かれた南無妙法蓮華経は?
御本尊様以外にあるのかな?

其れを君は「極めて矮小なもの」と云うのか?
君の大好きな身延ではTシャツにしてる様だけれどもww

「今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり,
 たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る,
 水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり,
 此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る
 二乗は虚空と見菩薩は種種の色と見仏種純熟せる人は仏と見奉る,
 されば経文に云く「若し能く持つこと有るは即ち仏身を持つなり」等云云」(法蓮抄)

「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり,
 問う其の証拠如何,答えて云く涅槃経の十五に云く
 「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」文,
 像法決疑経に云く「文字に依るが故に衆生を度し菩提を得」云云,
 若し文字を離れば何を以てか仏事とせん」(蓮盛抄)

何度も云ってる。
何故,大聖人様は「文字曼荼羅」を本尊と定めたのかを
良く良く考えなさいと。

2015/4/1  19:52

投稿者:んっ?
>私見を言うなら、これからの民衆仏法は在家主体でないとなりません。

あのね? 
前のスレで挙げた「宗教年鑑」に載ってる「教師」とは
学会に於いては「職業幹部」の事。

他の宗派で云うところの「坊主」,つまり信者の寄付で
飯食ってる人達。

出家・在家の区別なんて,現代では「コスプレ」以上の意味はないww

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