2015/4/16

他人をダシに書くブログ  
沖浦氏との議論は終わりにして、顕正新聞の話題に移ろうかと思う。

第1338号のトップ記事は昨年の十二月七日に行なわれた福岡会館での会長講演であるが、残りの紙面はいつものごとく各地の集会での登壇記事である。ぜんぶで二十五本もあるのでウンザリだ。

九州はいつの間にか七県中六県に会館が建っている。残りは佐賀県だけだそうだ。まあ、時間の問題ではあるのだろう。そりゃ、いつかは建つだろうし、顕正会の財力からすれば、今すぐにでも建つ。しかし、そこに人材が集っていなければ意味がない。そんなものは文字通りのハコモノ行政であり、ムダの象徴である。

さて、会長講演の中身を見ていこう。

小松原の剣難で大聖人は頭に四寸の傷を負われた。犯人は東条景信である。今ならば殺人未遂であり傷害罪に相当するだろうか? また、銃刀法違反でもある。しかし、時代が時代である。たぶん、そうした理不尽な乱暴狼藉がたくさん起こっていたのだろう。けれども記録されることもなく、歴史の中に埋もれて行ってしまうのだ。それが大聖人の場合は御書という形で残っているので、我々は知ることが出来るわけである。

しかし、話には尾ひれが付きものである。

東条景信はその直後、狂乱して悶死をしている。

これがわからないのだ。いったい何を根拠に言っているのか、ご存知の人がいれば、よろしくご教示願いたいと思う。

ところで、今回の講演では蒙古襲来について、いつもより詳しく語っている。福岡会館だからだろう。

 いま「蒙古の侵略」について、歴史家のさまざまな研究書が多く出ておりますが、一人としてこの原因を知る者はいない。

浅井流仏法史観を言いたいわけなのだろう。それはさておき、続きが興味深い。

 ただし、私が一つ感心しているのは、最近の学者が、史料として大聖人の御書を多く引用していることです。大聖人の御書が蒙古襲来を知る上で、一級資料だということを認識して来たのであります。

ほほう、これは興味深い。しかし、なぜか学者の名前だとか本の名前が書かれていない。一般の書籍ではなく、研究論文みたいなものなのだろうか?

 その中には、文永五年正月に蒙古の国書が到来したとき、その日のうちに大聖人様がこれを把握しておられたとの記述がある。

なんだこりゃ?

その学者の論文を読まないことには何とも言えないが、わたくしには違和感の拭えないところである。それは学者の言っていることにではなく、浅井先生の手法に対してである。

先の東条景信の悶死もそうだ。わたくしの知る限り、御書にそうした記述はない。すると浅井先生は、これまで刊行された種々の日蓮伝などを参考にして、そのように発言しているわけなのだろう。しかし、その信憑性はいかばかりであろうか? そこがひじょうに問題だと思う。

同様の意味で、蒙古襲来を研究している学者が書いていることに、どれほどの信憑性があるのかが問題である。そもそもが大聖人の御書を一級資料として用いているわけなのだろう。では、大聖人がその日のうちに国書到来を把握しておられたというのは、いったい何の資料によると言っているのだろうか?

しかも浅井先生の最終結論は学者と異なるのだ。つまり、世間の学者は誰一人として蒙古襲来の根本原因を知らない、その原因は仏法より事が起きているのだと言いたいわけなのである。

なるほど、これでは学者の名前を出せないだろう。というか、出さないほうが賢明である。もし学者が顕正新聞の当該記事を読めば、ダシに使われている、と感じるに違いないからだ。

もっとも、かく言うわたくしも浅井先生をダシに拙ブログを書いているようなものなのだが・・・

小日本は亡ぶとも大日本国は亡びず

この一段も興味深いわけだが、具体的には省略しよう。

 この順縁広布の時も、巨大地震・火山噴火等の天変地夭が相次ぎ・・・

地震のことは以前から言い続けているわけだが、火山噴火のほうはあまり言っていないように思う。ここに来て強調する意味は、一つには阿蘇山の伏線だろう。当該講演ではこのもう少し後ろのほうで阿蘇山が不気味な噴煙を上げ始めた旨を言っている。また、昨年の御嶽山噴火が記憶に新しい。

以前、大震災の時、わたくしは御書に津波の記述があるかどうか調べてみたいと、どこかに書き残したことがあった。今度は火山噴火のことが気になってきた。はたして御書には噴火の記述があるのだろうか? もしご存知の人がいれば、よろしくご教示願いたい。

 今こそ、その前夜である。だから私は「ギリギリの広布最終段階」と言っているのです。

広宣流布前夜という表現はそれこそ二三十年前から言われていることであって、ずいぶん長い夜だなあとは思うものの、まあ、これは文章表現だから仕方がないところではあるだろう。まさか明日の朝に広宣流布が達成されるとか、そんなふうに勘違いする人はいないはずだ。しかし、ギリギリはどうだろうか? ギリギリを言い始めてから何年経つのか知らないが、まさかこのフレーズを二十年も三十年も使い続けるわけには行かないだろう。そんなのはインチキである。

2015/4/19  14:03

投稿者:大沢克日子
関の山様

こんにちは、大沢です。

先日コメントさせていただきましたが、関の山さんはおそらく信仰なさっていない方でしょうから、些か追記させていただきます。

関の山さんがおっしゃったように、「日蓮(大聖人)は幕府要人等と関係が深かった」から、蒙古襲来を予想できたにすぎないということを言う研究者、学者がいます。

ですが、これは関の山さんが否定しようとしているように、「日蓮大聖人を神聖化しようとするのはおかしい」「そんなことある筈かない」という思いが眼鏡を曇らせている結果だと思います。

蒙古襲来は未曾有・前代未聞の大事件でした。
日蓮大聖人が誤った宗教(禅・念仏等)を信仰するが故に内外の大難を招く、国家の静謐のためには正しい仏法を持つ必要があると幕府を諌めたのは、文永の役を遡ること二十余年。
幕府が蒙古襲来を微塵も予想だにしなかったことは、文永の役を受けて慌てて元寇防塁を構築したことからも明らかです。

こういう背景を全く踏まえずに、「幕府要人らと繋がりがあった」から日蓮大聖人が予想できたのは当然と考える学者・研究者は、(いくら著名であったとしても)似非学者だと思います。

関の山さんが信仰していない故に疑問を持つのは勝手ですが、時代背景も踏まえず、安易に結論付けるのはいかがなものかと思います。

沖浦さんは当時の僧侶は多かれ少なかれ通力を使った云々と言っていますが、日蓮大聖人の立正安国論以降の予証は、僧・祈祷師らの通力などとは全く異質なものです。
日蓮大聖人は文永の役の後、このような御書を記されています。

「子細を知らざる人は勘へあてて候を、おごりて云ふと思ふべし。此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎き申し、公には度々申せし事是なり。一切の大事の中に国の亡ぶるが第一の大事にて候なり。」
「時に当たりて我が為国の為大事なる事を、少しも勘(かんが)へたがへざるが智者にては候なり。仏のいみじきと申すは、過去を勘へ未来を知り三世を知ろしめすに過ぎて候御智恵はなし。」

子細を知らざる関の山さんには理解できないことだと思いますが、日蓮大聖人が過去・現在・未来の三世を知る仏のお立場から、国の大事を少しも違わず予言なさったことをよくお考えいただきたいと思います。

2015/4/18  7:41

投稿者:大沢克日子
沖浦様

当時の僧というのは通力を使って、日蓮大聖人も通力を使った。

日蓮大聖人は
「予に三度の高名あり」
「日蓮は聖人の一分に当たれり。未萌を知るが故なり」
「本師は豈聖人に非ずや」
と御自らの事に触れていますが、沖浦説によれば他の僧らの通力と変わらないということなんですね?

沖浦説によれば、「広宣流布」にも「布教」にも役に立たない通力を日蓮大聖人が使って、わざわざ立正安国論を記して幕府に「邪宗を捨てなければ自叛・他逼難が起きて云々、国の安泰のために正法を持て云々」とわざわざ諌めに行ったのも、広宣流布や布教のためではなく、通力を使って弟子を励まし抱擁してウンチャラカンチャラするためだったのですか?

沖浦説に従えば、日蓮大聖人という方は通力を使うそこら辺の僧・祈祷師の類と一緒なんですね?

まあ、沖浦さんがいくら沖浦説をおっしゃったところで、日蓮大聖人が「そうではない」証明には全くなっていないのでどうでもいいのですが。

2015/4/18  5:30

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます。

 大聖人を神格化することは仏法ではありません。
 特定の個人を崇め奉ることは、ダメなのですよ。

 大聖人は通力をお持ちですし、適切な時には使われておられます。

 『最勝王経には「三十三天各瞋恨を生ず」とこそ見え侍るにいかに月天いかに月天とせめしかば、其のしるしにや天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかばもののふども皆えんよりとびをり或は大庭にひれふし或は家のうしろへにげぬ、やがて即ち天かきくもりて大風吹き来りて江の島のなるとて空のひびく事大なるつづみを打つがごとし。』
 (種種御振舞御書)

 月に向かって、

 お前は諸天であるくせに、何故私を護らない!

 そう責められたところ、空からか輝く星が降りてきて、庭の梅の木の枝にとまった。
 それを見た兵士は、縁側から飛び降りてひれ伏したり、裏ににげてしまった。

 大要こういう意味です。

 当時の僧は、大なり小なりそういう事をやっていたのです。
 雨乞いの祈りなどは代表です。

 『是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんややすき雨をだにふらし給はず況やかたき往生成仏をや、』
 (頼基陳状)

 この通りです。
 ですが、大聖人はそう言う通力を見せることで法を広めておられません。
 あくまでも、門下の方々を抱きかかえるように、護り、励まし、時には叱咤し、一人の人間として、信徒の方々の悩みを共有され、布教をなさいました。

 他国から責められると言う難を、言い当ててもそういうものは広宣流布には役立ちません。

 貴方方は、御書の拝し方が、根本的に間違っておられますね。

 『日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。』
 (御義口伝巻下)

 

2015/4/18  5:17

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。

 私との論議は終わりになさるとこのとですが、一つだけ質問を致します。

 貴方は龍の口での発迹顕本を認める発言をされていますが、私には明確な文証がないからダメだと言われた。
 では、貴方は御書のどの御文を持って、龍の口の発迹顕本を認めておられますか?

 お聞かせくださいませ。

 若し私が提示した御文が、発迹顕本の衣文とならないなら、そういう文証がほかにあるはずです。

2015/4/17  13:21

投稿者:大沢克日子
関の山様

その通り、私たちは御仏智によるものと拝しています。

私は学者さんのアプローチがいけないと言っている訳ではありません。
学術的にドンドンアプローチなさればいいと思います。
しかし、そういうアプローチで期待されている「日蓮大聖人は神秘的な存在ではなく、情報通だったから蒙古襲来がわかったに過ぎない」という証明ができるかというと甚だ疑問があります。

関の山さんのおっしゃるように、日蓮大聖人が幕府要人や商人らと交流が深かったとしましょう。
だったら何故、幕府要人らや商人は蒙古襲来を予測できなかったのですか?
他宗の僧侶らで予測した人は?

日蓮大聖人ただお一人が、「立正安国論」で幕府に明言されているのです。

ぜひ学術的に解明していただきたいと思います。

宗祖日蓮大聖人ご自身が、御書において
「外典に云はく、未萌を知るを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。予に三度の高名あり」
とおおせられて、文応元年の立正安国論(幕府に対し禅・念仏の邪宗を捨てなければ、幕府内部の反乱、外国からの侵略が起ると警告)、文永年間に至ってその内乱、侵略が事実のものとなったことで
「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず」
「日蓮は聖人の一分に当たれり。未萌を知るが故なり」
「本師は豈聖人に非ずや」
ということをおっしゃられています。

日蓮大聖人ご自身が「私は情報通でね、ある筋から蒙古襲来の情報を得ていたんだよ」とおっしゃっている御書があるのなら別ですが、ご自身が「未萌を知る」ことができたのはどういうお立場かということをおっしゃられている。

学術的に解明できるのなら、「日蓮大聖人はそう言っているけれども、実は違うのだ」という証明をしていただきたいと思います。

謝罪の上日蓮正宗信徒として折伏する方については、受け手次第です。
既に顕正会時代に絶交で、もう二度と連絡するなという人もいます。
顕正会脱会を喜ぶ一方で、日蓮正宗入信を聞いて苦笑いする人も、聞きたくないという人もいます。
聞いてくれる人もいます。
その後も関係が続く人もいます。

話を聞く、聞かないは相手次第で、聞いてくれる友人には話していくことはダメなんでしょうかね?

2015/4/17  10:45

投稿者:関の山
大沢克日子さん、こんにちは。

>学者的にはそれらの情報によって、大聖人様が事前に情報を知っていたことにしないと説明がつかないのでしょう。でも実は、ということですよね。


実は何ですか? 超科学的、神秘的仏知によってわかった、とでもおっしゃいますか?
日蓮聖人には、幕府内に大学三郎や安達泰盛らシンパがおります。その他に博多商人らや神社人らの民間情報も入った事でしょう。
日蓮聖人には極楽寺入道など念仏衆の敵対者もいましたが、孤立無縁ではなく、影ながら味方にされていた方々もいたわけです。
沖浦さんじゃないですが、日蓮聖人を過度に神聖化し過ぎ、恐れすぎです。
学会も池田氏を奉り過ぎました。が、ネット社会のおかげで例えば、池田氏を折伏したのは戸田氏ではなく、実は教学部長(小平氏)だったと神話が崩れましたが、それで良かったと思います。


>十数年彼とは会っていませんが、顕正会員として誤った勧誘をしてしまった人々には、まず謝罪してから、日蓮正宗信徒として折伏しなくては。


親友に宗教勧誘を詫びて、今度はこっち(日蓮正宗)が正しい、と勧誘(折伏)される?意義がわかりません。

何ですか?近々連絡を取ってみることにしまょう?
友人の方には顕正会に誘い込んだお詫びと日蓮正宗へのお勧めと伝えてお会いするのでしょうか?
それを隠してお会いするなら、顕正会の勧誘と変わりありません。友人の方も失望すると思います。

語弊があるが、ネットビジネスで迷惑掛けた友人に謝罪しつつも、今、こっちのネットビジネスやってるのだが、と誘い込んでる方法と同じではないですか?
浅井先生とご法主上人など看板が変っただけではないですか?

日蓮正宗が大人しい真面な宗派とは感じません。
いい例が、M相寺のT田氏の、今や観光寺にしか過ぎない善光寺への罵詈雑言と地獄絵と山崩れの写真付きの失礼なパンフ配布です。時代錯誤や我正しいの優越感と変な?使命感の現れと感じますね。冷静な判断で信教の自由の履き違えを考えて欲しいです。

2015/4/17  6:07

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 功徳を書きます。

 昨日の夕方のスクワット、180キロ3回キチンとできました。
 
 予定では4月一杯の目標ですので、良い仕上がりです。
 
 5月第一週で185キロ3回やって、後は190キロ以上の2回セットになります。
 
 最近、ジムの会員さんのレベルが凄く高くなりました。
 
 先日入会した若者は、何と4日目でフルスクワット、135キロ3回やりました。
 
 コーチングのメソッドも激進化していますが、それに呼応するように逸材が集合するようになっています。
 
 今年70歳になる私が、生徒の前で強くなっているからでしょう。

 年寄りが強くなるなら、若者に希望が生まれます。 
 その希望は若者の勇気を堀り越し、両者は連動しその生徒を育てます。 
 
 何歳になっても、若者から目標とされるのが本当のコーチだ、と信じております。
 そういう人生を生きている自分が、少しだけ誇らしく思えます。

 『此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏なり之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり是の故に心外無別法と云う此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 御書に嘘偽りはございません。

2015/4/17  5:22

投稿者:沖浦克治
おはようございます。

 かって創価学会でもそうでしたし、日蓮正宗、顕正会、正信会も当然今でもそうなんですが、

 大聖人を神格化することが、根本的な間違いなのです。

 私共と全く同じ人間であるとの視点から、大聖人の生き様を見、そこから人となりを拝する。

 これが肝心です。

 現状は大聖人を神格化するあまり、多くの間違いが混じりこんでいます。

 浅井さんの講演などは、その代表でしょうね。

2015/4/16  12:43

投稿者:大沢克日子
>その中には、文永五年正月に蒙古の国書が到来したとき、その日のうちに大聖人様がこれを把握しておられたとの記述がある。

もう十数年前になりますが、現役顕正会員の頃、高校の同級生を呼び出して「折伏」したことがあります。
彼は大学で史学を学んで、学者への道を目指していたのですが、彼の実家が都内で聖教新聞の販売店をやっていて、両親は熱心だが彼自身は活動していないとのこと。

その彼曰く、
「日蓮大聖人は蒙古襲来を予言したことになっているが、実は当時の僧侶は外国の情報に身近に接する立場で、日蓮大聖人もその情報網から蒙古襲来を知っていたと考えられる」
という事でした。

学者的にはそれらの情報によって、大聖人様が事前に情報を知っていたことにしないと説明がつかないのでしょう。

でも実は、ということですよね。

十数年彼とは会っていませんが、顕正会員として誤った勧誘をしてしまった人々には、まず謝罪してから、日蓮正宗信徒として折伏しなくては。

近々連絡を取ってみることにしまょう。

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