2015/5/28

悩み多き季節  
匿名キボンヌなる人物は、おそらくは「どないする」の作者か、それに列なる立場の者だろう。屈折した性格が文章に滲み出ている。

このように書くと人格攻撃のように思われるかもしれないが、その発端は貴辺にあることを知るべきだろう。

○日蓮>元寇の予言ハズレ、下痢十年なおらず、湯治に行く途中で没。

こういうことを書くのは明らかな挑発行為であり、失礼千万な話だ。

そもそもである。拙稿を読み間違えているのか、もしくはワザと読み飛ばしているのか、そこは微妙なところだが、ともかく文章の全体の脈絡を踏まえていないところが何ともイヤらしいところである。

話は簡単だ。

浄土系は自殺願望の強い人が多い。

まずは例題として示した。その上でわたくしは問題提起をしたわけである。

日蓮系は攻撃性の強い人が多い。

確かにご指摘のように、結論部分をやや韜晦気味にしたのは事実であるが、そもそもが大聖人の御指南に懐疑的だったり顕正会を痛烈に批判したりを繰り返してきたのが拙ブログなのである。前回の拙稿もそのスタイルに変わりはない。

それはそうだろう。念仏者は自殺願望が強い。これだけを言い募れば、そこらの並みの信者と変わらない。けれどもわたくしはバランスを取って、だったら日蓮系にも何かしらそうした傾向性があるはずだ、いわゆる攻撃性の強い人が多いというのがそれではないか、と書いたわけである。

また、後半ではわりと最近の表現を使って、スイッチが入る、ということを書いた。

これについては図らずも大沢氏が顕正会時代を回顧し、反省の意味を述べている。わたくしの意図としては、別に顕正会に限らず創価学会も法華講も同様だろうと思って書いたわけだが、いずれにしても個々人の性格だとかその他諸々の要素が絡み合って、いわゆるスイッチが入ってしまうことがあるわけだ。これを個別の問題だと書いたのだった。

この個別を少し拡大すれば、個々人ではなく、個々の団体ということになるだろう。その意味では貴辺のご指摘どおり、とりわけ顕正会がスイッチの入りやすい団体であることは確かであろう。別に物忘れが激しいわけではなく、そんなことは百も承知のことなのだ。

以上、貴辺が勉強家であり、それを誇示したいのはよくわかるが、しかし、そこには自ずと工夫が求められることを知るべきだろう。ようするに衒学チックなのだ。残念ながら世間ではそういうのを嫌う人が多いのも事実である。それを踏まえた上で、どうやって伝えていくべきか、考えるべきだろう。

さて、顕正新聞第1341号の話題を取り上げよう。

 中でも印象的なのは、本特集号が学会によほど大きな影響を与えているのか、ドアやポストに「顕正会の訪問・新聞お断り」等の札を掲げている学会員宅が枚挙に暇がないことであります。

相変わらず「学会員を救う特集号」の話題が尽きない。この男子部第五十隊支隊長の記事も同様だ。しかし、これは本当だろうか? 枚挙に暇がないほどならば、どこかでお目に掛かる機会があるかもしれない。あるいはネット上に画像でもあればいいのだが、どなたかご存知だろうか?

次の婦人部越谷支区班長の記事も不審だ。

また「学会では顕正会員に暴力を振るったり、困らせることをしたら懸賞金が出る」と、衝撃的なことまで暴露してきたのです。

本当かよ? では、具体的にはいくら出るんだろうか? まあ、しかし、常識的には信憑性の低い話だと考えるべきだろう。

次の一節が問題だ。

私は、「大聖人様、浅井先生、南無妙法蓮華経」と唱えながら引っ張っていきました。

前後を省いているのでわかり難くて恐縮だが、ともかくカギカッコの中身が問題である。こういうのは編集部のほうで何とかするべきだろう。たとえば、「私は題目を唱えながら・・・」みたいな感じに修正すれば、それほど問題はないはずだ。当該記事には他にも面白い記述があるけれども、省略させていただく。

やや関連する記事として、婦人部村上支区総班長の登壇を紹介したい。

 まるで御書講義のような三月八日の日曜勤行における「十如是事」の浅井先生の指導は・・・

冒頭のこの部分はイヤミかもしれない。御書講義がなくなってから何年経つだろうか? もう、今や最近の入信者は御書講義が月例行事だったことをまったく知らないし、もしかしたら御書講義という言葉にもまるで馴染みがないかもしれないのだ。そう考えると、彼女の言っていることは浅井先生への婉曲なる批判とも受け取れるわけで、おい、御書講義はどうしたのだ、もう永遠にやらないつもりなのか、と言っているようにも聞こえるところである。いや、もちろん、それはわたくしの歪んだ思考が生み出す幻聴なのだろうけれども・・・

それはさておき、前掲と関連するくだりを紹介したい。

 恐れ多いことですが、講頭先生、浅井先生はどのような宿縁深きお立場であられるのか、と思うものであります。

持ち上げ過ぎである。持ち上げるだけ持ち上げて、そこから落っことすつもりなのだろうか?

婦人部片瀬支区部長の記事にも関連性の高い文章がある。

 そして先生が今、日興上人以来、密附されてきたこの重大事を・・・

これも凄い話だ。まるで日興上人以来今日まで、歴代猊下のどなたも開示せられなかった秘匿の法門を、浅井先生が初めて明かしたかのごとく読めてしまうのだ。そんなわけがあるまい。

毎号、こんなテイタラクである。今日はあと二つほど紹介して終わろう。

 しかし、六〇年近く御安置している細井日達書写の御本尊に執着し・・・

女子部第四十一区総班長の記事だが、実にケシカランと思う。御高徳の日達上人を呼び捨てにし、しかも執着云々と書いている。まるで日達上人の御本尊を謗法物だと言っているみたいである。

第一婦人部幹事の次の表現は、もはや聞き飽きたかもしれない。

最終の中の最終段階・・・

類似の表現がたくさんあって判然としないが、もしかしたらこの表現はこれが初出かもしれない。

2015/5/28  17:16

投稿者:すみませんが管理者のみで、非公開でお願いいたします。
当時は、あらゆる原稿は会長が目を通されるとききました。
新聞も編集チャック写真すべて会長が目を通す。
だから一字一句精神に溢れ完璧な内容だと。
組織も隅々まで一人一人の言動まで知っているから慈悲がありがたいと。
管理人様への私信です。どうか非公開でお願いいたします。
画面から削除願います。

2015/5/28  12:42

投稿者:匿名キボンヌ
>以上、貴辺が勉強家であり、それを誇示したいのはよくわかるが、しかし、そこには自ずと工夫が求められることを知るべきだろう。

衒学(ひけらかし)を言いたいために、こうして一旦相手を持ちあげて、バランスを取って、恨まれないような工夫が年寄りの証拠だな。工夫がどうのと書いているが、貴辺が一番衒学臭いのだ。沖浦氏に理解できないと分かっていて、観心本尊抄の観門の難信難義だのを上げて通解を求めていたが、それは相手を馬鹿にしているのと同じだ。貴辺にはそういうストレートに物を言わずに屈折しねじ曲がった性分が有るようだ。

長居をするつもりはない、私と対論したければ、いつでも掲示板を用意する、たぶん回避するだろうがね、そういえば貴辺にピッタリの遺文が有ったよ。「伝教の御弟子・其の跡をば・つがせ給えども法門は全く御弟子にはあらず、而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり、蝙蝠鳥(へんぷくちょう)のごとし。鳥にもあらず、ねずみにもあらず」(報恩抄・真蹟)

意味はわかるはずだ、我賢しと高見の上から目線の他ならぬ貴方のことだから。

2015/5/28  12:39

投稿者:匿名キボンヌ
唐突な拙コメントにわざわざ記事反応して下さり、まずはお礼を述べます。しかし内容的には日蓮系に有りがちの独善臭漂う文章でした。
 
>匿名キボンヌなる人物は、おそらくは「どないする」の作者か、それに列なる立場の者だろう。屈折した性格が文章に滲み出ている。

小心者の管理者が珍しく嫌味を書くとは、驚きました。常にバランスを取ろうとするのは、標的にされることを恐れているからですよね。しかも推測が当たっておれば幸いだが、残念ながら私は貴辺の言うその「どないする」の関係者ではない。今はそれだけ言っておこう。爺さん。

>このように書くと人格攻撃のように思われるかもしれないが、その発端は貴辺にあることを知るべきだろう。

貴辺の常に曖昧を通す態度と敵を作らないよう細心する論調からすれば、私の文章はキツく感じるだろう。しかし貴辺の所属する乃至持ち上げている正宗は、唯一絶対を標榜しているな。

そこにも自身は投じられず、顕正会にも身を置けず、曖昧な態度をとって我賢しと高見の上から目線には、少々は遺文に長けた慢心の匂いがプンプンするな。自分で匂わないか?

○日蓮>元寇の予言ハズレ、下痢十年なおらず、湯治に行く途中で没。
>こういうことを書くのは明らかな挑発行為であり、失礼千万な話だ。

事実でなければ、否定するだけの論拠を持って望めばいいのであり、それをせずに失礼だとか言うのは、貴辺の尊ずる日蓮がかつて諸宗に行った仕業と同じと心得ますが、いかがかな?

>大聖人の御指南に懐疑的だったり顕正会を痛烈に批判したりを繰り返してきたのが拙ブログなのである。前回の拙稿もそのスタイルに変わりはない。

貴辺はでは、その大聖人なる人の法門を網羅して理解しているという立場ですか?そういえば、貴辺はきっとそうではないと言うだろう、そこが問題なんですな、深理に達せずに上辺を批判するなら、顕正会の貴辺にとって気に入らない問題有る行動と同じであり、スタンスはただ批判の立場に貴辺がいるだけである。

何の解決にもならない、具体例もなしにやっているなら、文字通り独白は毒を吐く、近頃叩かれているパラパラ嬢と何ら変わらないではないか。しかもこのブログでは自説の補完のために日蓮遺文をことさら上げて、論じている、それこそが私に一矢放とうとした「衒学」ではないか、それがこのブログにプンプン臭うのだ。

2へ続く

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