2015/6/14

鬱々とした気分  
沖浦氏の凄いところは天井知らずの向上心であろう。もう現状に満足しても誰も文句は言わないはずなのに、さらなる飛躍を目指している。これは簡単なことではない。実際、スポーツ選手は必ず限界を迎える。いずれは記録が伸びなくなり、やがて現状維持も覚束なくなり、そして下降をたどることになる。例外はないはずだ。ところが沖浦氏は今も成長し続けている。これはもう、それだけで凄いことである。わたくしも沖浦氏をお手本に頑張りたいと思う。問題は、何を頑張るか、であるが・・・

さて、話を変えよう。

関の山氏ご紹介の本をまったく読んでいないので、これから書くことは見当違いかもしれないと、あらかじめ言っておこう。

無償の奉仕は尊い。これはたぶん絶対的に正しいことだと思う。

ただし、そこには大前提がある。自主性ということだ。この自主性の有無が重要で、もしその無償の奉仕が自主性に基づかないものだとしたら、大問題となる。自主性に基づかないということは、いわば強制である。つまりは奴隷みたいなものであろう。

前回、夜間衛護をやめて警備会社と契約すべし、と書いた。

これは大沢氏の証言から、顕正会の夜間衛護はなり手がいない、だったら警備会社を雇ったほうがいいだろうと思って、その旨を提案したわけであるが、衛護のなり手がいないということは、少数の人間が負担を強いられることになるわけで、それは明らかに問題である。最初のうちは御奉公の一環ということで、喜々として衛護を務めていたのかもしれない。しかし、なり手がいなければ、その人への負担が大きくなって、喜んでばかりはいられなくなるだろう。やがては義務感だけで任務をこなすことにもなりかねない。もはやそうなると、自主性ではなく強制である。こんな状態では堪らない。だからだろう、あれほど熱心に活動していた人がなぜに退転したのか、というようなケースがあるけれども、そのうちの一定数は上述のような原因によるものと考えられるのだ。

実に馬鹿らしい話である。だったらお金でケリをつけたほうがいいだろうと思って、警備会社を提案したのだった。

無償の奉仕は尊いけれども、そこには自主性が必要である、もし自主性がなければ強制になる、強制は絶対にいけない、当たり前の話である。ことに宗教団体における無償の奉仕には危険が付きまとう。当然ながらここでの危険は危険な業務という意味ではなく、本来は自主性に基づいて奉仕していたはずが、いつの間にか義務感でイヤイヤ奉仕させられているという結果に陥りやすい、という意味である。

その原因はどこにあるのだろうか?

おそらくその原因は使命感にあるのだろう。使命感と書けばカッコイイけれども、それがいずれは義務感に変化することになる。なぜならば、その使命感にもホンモノとニセモノとの二種類があるからで、ようはニセモノの使命感こそが実は義務感に他ならないのである。

ここでも自主性という言葉が当てはまるかもしれない。

ようするに自らの意志で使命感を懐いたのか、それとも他者から使命感を植え付けられたのか、である。前者は自主性そのものであるが後者は違うだろう。後者を大袈裟に言えば、洗脳だとかマインドコントロールみたいな言い方になるのかもしれない。

本人は自分の意志だと思っていても、実はそれが他者から植え付けられたものだという場合も少なくない。宗教団体の場合は信者の大半がそうかもしれないのだ。

もしそうだとすれば、これほど危険な話もあるまい。

さて、話を少し戻して、関の山氏ご紹介の本は新興宗教の金儲けの手口を云々するもののごとくである。これは実に興味深い話であって読んでみたいという思いはあるが、冒頭に記したごとく読んではいない。

いずれにしても顕正会の場合は少し事情が異なるような気がする。

まず、無償の奉仕は尊いと書いた。どうも宗教関連で書いていると、それが何ともイヤらしいもののように思えてしまうわけだが、原理原則的な意味ではあくまで尊い行為、それが無償の奉仕である。なぜならば、これは宗教団体に限った話ではないからだ。あらゆる個人ないし団体が行なっていること、それが無償の奉仕である。ボランティア活動と書いたほうがわかりやすいかもしれない。極端な話、どこの団体にも属さす、個人でボランティアをやっている人がいれば、これはもう純粋無垢の無償の奉仕であって、そこにイヤらしさはない。実に尊い行為である。つまり、無償の奉仕は宗教団体の専売特許ではなく、ありとあらゆる分野に存在するものなのだ。

けれども、それと同時にまた、世の中にはインチキ商売がたくさん存在するわけで、それがために無償の奉仕などと言うと、逆に何か裏があるに違いないと思われてしまうのも事実である。そのインチキ商売の代表的存在が新興宗教なのかもしれない。

では顕正会もそのうちの一つなのだろうか?

ここでわたくしが否と言ったところで説得力はあるまい。ゆえにもう少し具体的に話を進めよう。ようは集金システムがどうなっているかがポイントなのだ。

信者が教団に使役させられているとする。自分では自主的にやっているつもりでも、実は使命感を植え付けられて、うまく使われてしまっているというケースがあるのだ。具体的には折伏がそうなのかもしれない。

けれども、ただそれだけならば教団にお金は入ってこない。信者が増えるだけの話である。

そこに年一回の広布御供養がある。上限が八万円なのだそうだ。つまり、これが顕正会における集金システムなのである。信者が増えれば収入も増える。当たり前の話である。

顕正会の活動会員は折伏という無償の奉仕によって、教団の集金システムに加担していることになる。

しかし、どうだろう。他の教団がどのようにして金儲けをしているのか知らないので断定的には言えないが、顕正会はかなり良心的なのではないかと思う。

ただし、顕正新聞の多重購読の問題がある。これは拙ブログでも再三にわたって取り上げてきたことだ。

ようするに広布御供養は良心的である。いちおうそのように結論しておこう。けれども顕正新聞のほうはかなり問題である。なぜならば上限がないからである。広布御供養で上限をウリにするのであれば、顕正新聞もまた同じ理屈でなければいけないはずなのだ。ところが現実には一人で百部も取っていたという話がある。これはもう世間の常識を逸脱している。一般紙を一人で百部も取っている人がいるわけがない。ごく普通の家庭であれば一部でじゅうぶんだろう。つまり、残りの九十九部は金をドブに捨てているに等しいわけで、顕正会で言えば組織に寄付しているのと同じことである。この実態を知れば、広布御供養の上限など何の自慢にもならない。欺瞞である。

さしあたって問題となるのは、そのあたりだろうか?

繰り返しになるが、無償の奉仕は尊いことであり、それは顕正会においても同じである。もし上述の広布御供養や顕正新聞の欺瞞が完全に解消されたならば、わたくしは何の問題もないと思う。顕正会は金儲けとは無縁の宗教団体であると、胸を張って言えると思う。

ただし、これまた繰り返しになるが、その無償の奉仕の原動力となるべきものが何かが重要であり、もしそれが植え付けられた使命感によるものならば、問題である。

浅井先生による、日本に残された時間は少ないだとか、広宣流布に戦う資格を有するは顕正会のみだとか、そういった類の発言は枚挙に暇がない。その先生の発言を聞いて、活動会員たちは使命感を燃やすわけである。しかし、燃え尽きていく人たちも少なくない。顕正会はこれを繰り返してきた。たぶん今後も同じことの繰り返しなのだろう。

以上、顕正会による金銭的被害は他の金儲け主義の宗教団体に比べれば微々たるものであって問題視するほどのことはないと思うが、一方で無償の奉仕という名の使役が深刻なのかもしれない。あるいは、その被害は金銭的被害の比ではなく、もしかしたら金銭では購い切れないほどの大被害かもしれないのだ。

2016/1/29  7:07

投稿者:沖浦克治
 勝さん、スレッドが古いのであららしいスレッドへ返信致します。

2016/1/29  6:54

沖浦殿 ご返信ありがとうございます

>所詮は日蓮正宗の法主などはそのレベルなんです。

然るに、その様に辿っていきますと、終には日興上人も習い損ないだ、
という事になりませんか?
そこまではいかなくても、日興上人には人を見る目がなかった、と。
故に、日興上人の後継者の後継者の後継者…と辿る内に、
沖浦殿の仰る「習い損ない」に必ず辿り着いてしまう訳ですから。
日興上人には任命責任というものが生じてしまうでしょう。

2016/1/29  6:39

投稿者:沖浦克治
 勝さん、おはようございます。

 お二人共に習い損ないなんですよ。
 興師が唯受一人などと言った瞬間、その人は習い損ないです。
 
 所詮は日蓮正宗の法主などはそのレベルなんです。

2016/1/29  3:37

沖浦殿

>所が寛師どうですか?
>ありもしない戒壇本尊でっち上げて、御書全く引用せず右往左往。
>こう言うのね、世間では、
>詐欺師!!!!!!!!!!!!!!

とありますが、本当の詐欺師でしょうか?
日寛上人が六巻抄を書き上げた時、まだ先代の日宥上人は御存命でした。
もし、内容におかしな点があれば、必ずや問題視されたでしょうが、そういった話
は聞かれません。

2015/6/18  15:05

投稿者:弧忠貫く師の苦闘
弧忠貫く師の苦闘、と
浅井さんは自分で作詞してますから
自分で自分を師とよんでいる
教徒は思考停止していますから
組織に身を捧げ、
新聞=浅井武勇伝
登壇=賛嘆もちあげ
浅井=神格化
に感情失禁する精神状態の幹部あり
カルト化は来るところまで来ています

2015/6/18  10:27

投稿者:ユタ
沖浦さん、こんにちは。

御影堂行かれましたか。
私は正本堂のことは顕正会の時に聞いただけなので、在りし日のことは分かりません。
何故か大講堂はそのままの状態なので、創価学会在りし日の姿を垣間見ることができます。
これからの時代、学会抜きで静かなお寺もいいと思うのですがね。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2015/6/18  9:42

投稿者:沖浦克治
 ユタさん

>創価学会員や顕正会員は御開扉を受ける権利を失って
しまいましたが、私共、宗門信徒は等しくその権利が与
えられているのです。

 他宗の本尊をわざわざ拝む必要はありません。

 私共は日蓮正宗ではなく、創価学会員ですので当然ですね。

 簡単に言うなら、ソニーの社員はソニーの社員食堂を利用する権利がありますが、もしパナソニックへ転職するとソニーの社員食堂は利用できません。
 
 ですがね、パナソニックには当然社員食堂がありますので、手間暇かけて以前の職場の食堂に行く人はいませんでしょう。

 大聖人の御本尊は、創価に厳然とございます。

 ですので、わざわざ大石寺まで拝みに行く必要はありません。

 権利とか義務とかそういうレベルではないのです。
 ついでですが、数年前戸田先生のお墓に息子と行きました。
 御影堂で少し唱題致しました。

 戒壇本尊も開示してあるなら拝んだかも知れませんが、無理して拝む意味がありません。

 そういうレベルなんです。
 
 

2015/6/18  9:33

投稿者:沖浦克治
巌虎さんのブログにあった、私の以前の書き込みを読みました。

 「2011/2/1 7:57
投稿者:沖浦克治

 創価の信心の功徳なんですよ

 私のジムの生徒が、スノーボードの全日本技術選手権大会の出場を勝ち取りました。

 この生徒は凄く真面目ですが、私と同じく不器用で、今まで芽が出ませんでした。
 それが今回見事に地方予選を勝ち抜いて、全国に行きます。
 いつも彼の事を御本尊に祈って来ました。
 嬉しいです。

 私のジムは35坪しかない小さなジムですが、今年は、国体へ2人、スノーボードの全国テク選へ1人、全日本マスターズGSへ私が、アルペンスキーの全日本選手権大会へ3人。
 全部で7人が、全国大会へ駒を進めました。

 おおきな功徳です。
 嬉しいですよ。」
 〜引用終わり〜

 4年前のシーズンでの書き込みです。
 今、私は世界マスターズで2連勝しました。
 生徒はオリンピックやワールドカップへ参戦しています。 
 更に多くの生徒が今後は私と共に結果を出すでしょう。

 創価の信心を疑うことなくやっていると、自然にそうなります。

 冥益と言います。

2015/6/18  8:48

投稿者:沖浦克治
 マイケルさん、ユタさんおはようございます。

 大石寺で御開扉を受けたのは、昭和56年が最後でした。
 私自身はそれ以前、宗門を見限り登山会は行くつもりがありませんでしたが、母親が行きたいと言うので一緒に行きました。

 34年経ちますね。
 
 今も300万総登山で行った頃の、お山のたたずまいを思い出します。

 ああいう時代もあったんだな・・・・

 ある意味良い時代でしたね。
 戒壇本尊本懐論を信じ、日蓮正宗が世界一で、自分たちはその信者の団体だと思い、そのことに絶対の誇りを持っていました。

 凄く思考方法が単純で、行動に迷いがありませんでした。 

 一千万人を超える民衆がそういう行動基準で動いていた。

 物凄いエネルギーだったでしょう。
 今はそう言う単純なことで布教が出来る時代ではなくなりました。

 社会が豊かになって、価値観が多様化しましたから。

 今月初めヨーロッパに行きました。
 10年ぶりのヨーロッパでしが、町の建物は何度も何度も修理し、数百年の歴史があるものが多く、キリスト教の協会などは5百年を超えるものも多くありました。

 こういうものを見て思うのは、

 顕師は正本堂破壊と言う大法謗を、何故犯してしまったのか?

 素直な感想です。

 思えば愚かなことをやったものです。
 

2015/6/17  21:31

投稿者:ユタ
 マイケルさんへ。

 こんばんは。
 1度、大石寺参詣なさってみると良いですよ。
 創価学会員や顕正会員は御開扉を受ける権利を失って
しまいましたが、私共、宗門信徒は等しくその権利が与
えられているのです。
 不良信徒だからダメだ、障がい持ちだからダメだなん
てことはありません。
 大御本尊が御安置されている奉安堂もバリアフリー化
されていますし、何度も書いているように、大石寺まで
のアクセスについても、バリアフリー化は進んでいま
す。
 新幹線の新富士駅や身延線の富士宮駅にもエレベータ
ーは付いていますし、その新幹線車両や富士宮市内路線
バスも交通バリアフリー法に則っているので。

 ただ、あくまでも健常者目線である為、足りない所が
あったら仰ってください。
 私から要望出しますから。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

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