2015/7/9

独白者と傍観者の対話  
興味深いコメントが寄せられているけれども、今日もまた傍観者v氏との対話を中心に書くことになる。いよいよ大乗非仏説についてである。テキストは前々回の拙稿に貼ってあるので、ここでは省略する。

まず、キーワードを紹介しよう。読解力ゼロと説明力ゼロだ。さて、誰のことだろうか?

天台宗の 安然「真言宗教時問答」は平安時代の著書ですが、既に大乗教は仏説でないと書かれてます。

傍観者v氏からこのよう言われて、わたくしは驚いた。ゆえに次のように書いた。

これは大変なことだ。大乗非仏説はかなり時代が下ってから出てきたものだと思っていたが、安然が言ってるのだとしたら大事件である。何しろ大聖人の御書にも安然のことがけっこう出てくるからである。

これに対するv氏のコメントが次である。

経典の由来を少しでも研究したら、当たり前のことですが、この程度で驚かれては論争相手として、こちらが落胆しますね。

なるほど、落胆したと。

確かに落胆するのかもしれない。そもそもわたくしは法華経が釈尊の実説ではないという話について、知らない、と答えたのだ。ゆえにこの時点で相手が落胆したとしてもおかしくない。

実際、不勉強であることは認めなければならない。しかもv氏の続きの文章には漢文が二つほど出てくる。これがわたくしにはチンブンカンプンなのだ。仏教の勉強をしている人は多少なりとも漢文の読み下しが出来ないと話にならない。たぶん、それが相場というものだろうと思うが、恥ずかしながらわたくしはまったく読めない。読解力ゼロなのだ。

そういうわけで、これで話をオシマイにしてもよいのだが、しかし、それでは相手に失礼というものだろう。また、閲覧者に対しても同様だ。

そこで話を続けるわけだが、わたくしの読解力もさることながら、v氏のそれも甚だアヤシイものである。何しろ拙稿がまったく読めていないからだ。v氏は読解力ゼロを通り越して、マイナス百点を差し上げてもいいくらいのトンチンカンさである。今からそれを説明しよう。

これは大変なことだ。大乗非仏説はかなり時代が下ってから出てきたものだと思っていたが、安然が言ってるのだとしたら大事件である。何しろ大聖人の御書にも安然のことがけっこう出てくるからである。しかし、わたくしの知る限り、御書には安然の大乗非仏説を破折するようなくだりは存在しないはずである。大聖人は都合が悪いと思って無視したのだろうか?

再掲であるが、察しのいい人ならば、もう話は見えただろう。

別件ではあるものの、v氏は大聖人に対し、都合が悪いから誤魔化した、などと悪態をついていたのである。では、この件に関してはどうなのだろうか、という意味を込めて、わたくしは上掲のように書いたのだ。しかるにv氏はこの後半部分を無視して、落胆したなどと言っているわけである。これは拙稿がぜんぜん読めていない証拠だろう。

こんな読解力ゼロの人が、自分の知識を書き並べたところで、どうなるものでもないだろう。ちなみに、それが理由だろうか、ここにはほとんどの人が静観しているという現実がある。

龍樹菩薩もたびたび「大乗は仏教にあらず」という主張に対する反論を行なっている。 「宝行王正論」においては、「大乗は徳の器であり、己の利を顧みず、衆生をわが身のように利する」として大乗の思想を称賛し、 釈迦の根本教説を「自利・利他・解脱」とし、六波羅蜜は「利他・自利・解脱」を達成するものであるから仏説であると主張している。

さて、感想ばかり書いていると、また文句を言われそうなので、具体的なことでご教示をたまわりたいと思う。上掲で気になったのは、自利・利他・解脱である。釈迦の根本教説のところではこのとおりに記されているが、次の六波羅蜜のところでは順番が入れ違っている。この意味は何だろうか?

v氏特有のオッチョコチョイなのか、それとも理由があってのことなのか、ご教示願いたい。

これらの流れで安然が「真言宗教時問答」において大日如来に触れて釈迦を教主としない経典であるならば大乗経典(大日・毘盧遮那仏・阿弥陀・薬師)は佛説ではないと論じている。(この部分は漢文で長いので要旨のみ)(まだつづく)

そしてこれが説明能力ゼロのくだりである。貴辺はわたくしの無知・不勉強に対して落胆したかのごとく言っているが、わたくしもガッカリである。

まず、最後の(まだつづく)がポイントである。その直前に(この部分は漢文で長いので要旨のみ)と書いている。確かに漢文オンチのわたくしにとっては要旨のみのほうがありがたい。そこでわたくしは(まだつづく)の意味を次のように受け取った。

巌虎が要求している直接的な文証は長文の漢文なのでここでは要旨のみとして、あとは無知な巌虎のために平易な史資料を用いて説明してあげよう。

わたくしはv氏の温情としてこのように受け取ったわけだ。

ところがそうではなかったのだ。これでオシマイなのである。これで安然の話はオシマイなのである。

説明能力ゼロを通り越して、マイナス百点を差し上げたいくらいの気分だ。

さて、わたくしは以前、大聖人の慧心に対する評価に矛盾があることで、あれこれと考えをめぐらせたことがあった。ようするに初期の頃は肯定的だったものが、やがて否定的評価に変わるのだ。これは安然に対しても同様であって、大聖人の仰せには矛盾がある。これを簡単に説明するとすれば、是々非々ということだろう。ある部分は肯定、ある部分は否定。こういうことは普通に行なわれていることである。しかし、全体的な評価として、肯定から否定、否定から肯定に変化したとすれば、これは是々非々の問題ではなくなってくる。そこで一つの説明としてしばしば使われるのが、いわゆる佐前佐後である。もちろん、これも委細に見ればけっこう複雑であって、単に佐渡以前以後という区分で片付く話ではないのだが、ますます話がややこしくなるのでここではやめておこう。

又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。

撰時抄の御文である。慈覚はさておき、ここに慧心と共に安然の名が記されている。まさに否定的評価だ。

当該御書には次のようなくだりもある。

安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども・・・

お陰さまでわたくしも今回新たな発見があった。日本真言宗事という御書には、次のように記されている。

教時義の四に云はく安然の釈、弘法を破するの文なり・・・

こうして見ると、この件に関しては案外に矛盾がないことになる。当該御書は文応元年であり、撰時抄は建治元年。十数年の時間差があるわけだが、基本的には一貫しているのだ。安然は少しばかり弘法を破折しているが、中途半端だったために返って墓穴を掘った。前掲の意味はそういうことである。そしてご存知のごとく、大聖人はある時期まで真言宗破折を控えていた。ゆえに安然の評価についても、真言宗がらみの話題においては態度を保留していた、ということなのだろう。

釈迦を教主としない経典であるならば大乗経典(大日・毘盧遮那仏・阿弥陀・薬師)は佛説ではない

再掲であるが、おっしゃっていることはご尤もであり、日蓮系でこれを否定する人はいないはずである。上掲のニュアンスのことは御書にも出てくることなのだ。しかし、まさかこれを大乗非仏説の文証だと強弁する人は他におらないだろう。

わかりやすく言ってしまえば、釈尊と大日如来の関係をどのように捉えるかという問題があって、同体説と別体説がある。安然は前者を主張している。弘法は後者なのだろう。まさに、先ほど紹介した、安然が弘法を破した・難じた云々というのは、このことなのである。

切り文で恐縮であるが、まずは早勝問答の一節を紹介しよう。

 他の云はく、顕教の内にて大日・釈迦一体と説けども、密教の内にては二仏各別なり。

そして釈迦一代五時継図の「真言は別仏の説に非ざる事」には次のごとく記されている。

安然の教時義に云はく「真言宗の本地毘盧遮那は即ち天台宗の妙法蓮華経最深密処と同仏なり」と。

文証としては不十分のソシリを免れないが、これでおおむね理解が可能なのではないかと思う。そして大聖人の結論は天台宗身虫御書に明らかだ。

今天台宗の人々の自宗を他宗に同ずるこれなり。・・・かくのごとく立つるゆへに天台法華宗は失せぬるなり。

省略した部分に安然の名前も記されている。ようするに、釈迦大日別体は言語道断、同体はマシのように思えるかもしれないが、大聖人はダメだと言っているわけである。

以上、傍観者v氏の説明はデタラメ、それが言い過ぎだとすれば説明がヘボ、そんなところだろう。大乗非仏説と安然との関係性がまるで説明できていないということだ。

まあ、自分で言っても仕方がないことだが、わたくしの説明のほうが多少はマシなのではないかと思う。もちろん、これは読者の判断に任せるところである。

最後に、日蓮正宗系の立場としてはやや言い難い意味もあるのだが、つまり、主師親の三徳を兼ね備えているのは釈尊一仏であって、その他の仏は主でもなければ師でもなく親でもない、もしそれらの仏が説いた経典があると言われても信じてはいけない、そんなものは仏説ではない・・・というような結論でいいのではないかと思う。

次回のキーワードを記しておこう。支離滅裂である。さて、いったい誰が支離滅裂なのだろうか?

2015/7/11  7:44

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 昨日の朝、仏間で祈りました。

 私は朝8時ごろから30分の唱題が日課です。
 7月26日の、白馬村のパワーリフティング選手権大会へ、お一人でも多くの方々が参加下さいますように、と祈りました。

 昨日が締切日。
 朝一の段階で、参加申し込みは10名。
 せめて20名程度でないと悲しい・・・

 そう思って祈ったのです。
 唱題を終えて携帯を見ると、着信アリになっていました。
 唱題中はマナーモードなんです。

 折り返しかけると、弾んだ声がかえって来ました。

 先ほど、B・A・D(ジムの名前です)の会員さんが来られて、まとめて17名の参加申し込みがありました!!

 嬉しかったです。
 私は創価の人間です。
 地域で私が創価学会員であることはよく知られています。
 師匠が言われました。

 『地域貢献してこそ地涌の菩薩なんです。』(趣意)

 白馬村へ来て、今年で10年。
 最初から決めていました。

 ここで世界一のトレーニング広めて、生徒を沢山全国から集めて、宿泊のお客様を作る。
 そして、仕事がなくて、大学出たらそのまま都会で就職する若者を、10人はトレーニングコーチで生活できるようにする。
 そうするなら、その10人の方が中心になって、将来は白馬村がコンディショントレーニングのメッカになる。

 あても何もない中で決めました。
 武器は私の身体と祈りだけです。

 今有名選手が続々とやって来るジムになりました。
 拡張を思案中です。

 この5月、長野県のパワーリフティング協会の会長職を退き、ようやく地元のための大会を開催出来る所まで来た。
 だから、お一人でも多くの選手の方に出て頂きたい。

 祈って来て、最後の最後に30名の参加になりました。

 電話を切った後、ジムに降りて一人で号泣致しました。

 創価で良かった!!!

 散々悪口雑言を言われましたが、今こうやって助けて下さる人たちに囲まれている。

 嬉しいです。

 頑張るぞ〜〜!!!

2015/7/10  17:31

投稿者:沖浦克治
 皆様方今晩は。

 屁理屈小理屈1億回より、功徳の書き込み1回が桁違いに素晴らしいですね。

 ですので、創価の信心の現実の功徳をお書き致しましょう。

 7月26日(日)、チームレスキュートレーニングジムにて開催の、第七回白馬村パワーリフティング&ペンチプレス選手権大会、は今夜締切りです。

 回数は7回目を数えますが、これまで選手権大会ではなく、記録会として開催して参りました。
 事実上、記念すべき第一回大会。

 現時点で、参加選手数は30名ほどですが、この人数は、同じく18日19日富山県開催の、第35回北信越パワーリフティング選手権大会の参加選手、28名(フルギヤ3名除く)とほぼ同じです。

 ノーギヤ王国長野と銘うって、県協会を立ち上げて6年。
 白馬村では、今年ようやく正式な協会が発足。
 近年世界を風靡するノーギヤの追い風を受け、上げ潮の中の船出となりました。

 2年先には、白馬村、小谷村で、登録選手を50名、公認審判員30名、日本体育協会公認指導員10名。
 これらの目標を達成し、日本一選手人口密度の濃い地域と致します。

 そうなるなら、白馬・小谷の二つの過疎に悩む村々は、世界中から注目をされ、パワーリフティング競技のモデル地域となるでしょう。
 嬉しいです!

 功徳だ〜〜!!

2015/7/9  17:20

投稿者:傍観者v
>釈迦が本当に法華経を説いたのかどうか?

>闇の中でしょう。
>文字がなかった時代です。

>須梨槃特をご存じでしょう。
 自分の名前を覚えることが出来なかったので、首に名前を書いた札をぶら下げていたとあります。

>でもね、この人有名な釈迦の弟子です。
 文字ないころにどうやって名札作ったんでしょうね?


「白痴」が面白いこといってるあるね。
文字が無かった時代の話あるね。
しかし、名札があるのはおかしいあるね。
「白痴」は、法華経が嘘と認めたあるね。

藪の中ではなく、闇の中かあるよ。(笑)

日蓮信仰者は「白痴」あるね。PPPP

2015/7/9  16:41

投稿者:傍観者v
>いよいよ大乗非仏説についてである。

なるほどあるね。・・巖虎殿、なんかおかしいあるよ。
貴方が要求したサンプルはコチラは提出したあるよ。
(第二弾追加したあるね。)
その返事も中途半端に返答も反証もせず次の話題に行くあるか・・・!。
貴方は「白痴」あるか? 病院行くの進めるあるよ。


それに、あなた「わたくしが肯定するか否定するかを問うているのだと思うが、答えは簡単である。
知らない。以上である。」と
2015/7/2にタイトル記事「傍観者v氏との対話」で答えているあるよ。
今度は大乗非仏説を扱うとは面白いあるね?法華経は大乗仏典ではないのかある??

しかも、「知らない。以上である。」と言ってたものをどうやって判断するのであるか?
まずそれよりも宿題であるよ。2015年 7月 5日の「嘘だらけでした。」にも全然答えてないあるよ。

7月9日のお返事あるね。
http://9328.teacup.com/taisekizi/bbs/395

日蓮の嘘つき第二弾あるよ。
心して読むあるよ。
第三弾も用意してあるから、お腹いっぱい読むあるね。
食べきれないほど食事出すの中国のマナーあるね。

日本人なら残さず食べるのが礼儀あるよ。
中国半島の人、犬食いしかできないあるから、目先しか見てないあるよ。
それダメあるね。

http://9328.teacup.com/taisekizi/bbs/396

2015/7/9  14:41

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、今日は。

 釈迦が本当に法華経を説いたのかどうか?

 闇の中でしょう。
 文字がなかった時代です。

 須梨槃特をご存じでしょう。
 自分の名前を覚えることが出来なかったので、首に名前を書いた札をぶら下げていたとあります。

 でもね、この人有名な釈迦の弟子です。
 文字ないころにどうやって名札作ったんでしょうね?

 文字が既にあったのか、この話が嘘か?

 藪の中・・・・

 同じですよ。

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