2015/7/28

真夏の蛇足  
沖浦氏からの精力的な投稿が続いているが、今日は予定通りに六月度総幹部会の話題を取り上げる。顕正新聞第1348号掲載の記事である。

実は先を越されたというか、奇しくもセロリ氏が同様のテーマでお書きになっているので、まずはリンクを紹介しておこう。

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/13784447.html

ということで、わたくしが書こうとしている内容は蛇足みたいなものである。今回はその点を承知の上でお読みいただければと思う。

次に六月度総幹部会の会長講演に付された大見出しを紹介しよう。

「仏法の実否を心みよ」心腑に染めん
 米国も憲法九条も日本の柱ではない
 日蓮大聖人こそ日本の柱 絶大威徳大慈大悲 を拝せよ


相変わらず浅井先生の講演は充実している。基本的には同じようなことを繰り返し言っているだけなのだが、時事問題については最新の情報を取り寄せるなどして、新鮮味を持たせている。そうした中で、今回は撰時抄の御真蹟について云々している点がひじょうに興味深く、わたくしのみならず、内外から広く注目されているごとくである。

「されば我が弟子等、心みに法華経のごとく身命も惜しまず修行して、此の度仏法を心みよ」

「されが我が弟子等、心みに法華経のごとく身命も惜しまず修行して、此の度仏法の実否を心みよ」


前者は五月度総幹部会での引用である。そして後者は六月度総幹部会での引用である。その違いは一目瞭然だ。

当然、浅井先生も承知していて、今回の講演ではこの実否について説明するくだりがある。少し長いけれども、大事なところなので全文引用したい。

 「実否」ということですが、この「実否」の二字は今までの引用においては、私は申しませんでした。学会版の御書にも、宗門版の御書にも、身延版の御書にもない。
 しかし大事な御文であるから気になって、御真跡と照合してみた。すると御真跡には脇に「の実否」と加筆されている。それで今回、加えさせて頂いたのです。


ひじょうに興味深い発言だ。いちおう続きもご覧に入れたい。

 この「実否」が入ったことで、御文の意がさらに深く重くなりますね。
 「実否」とは、実かウソかということでしょ。仏法が実かウソか、これを試してみよ――と仰せられるのであります。


セロリ氏のリンクをご覧になった人はおわかりだろう。ようするに、マコトかウソか試してみよ、などと偉そうに解説している浅井先生が、実はウソを言っている、というツッコミなのである。

わたくしはこのところ、ウソという語彙に敏感になっているわけだが、どうだろう、こんな見え透いたバレバレのウソをつくだろうか、というのが常識的な思考ではないかと思う。すると他にはどのような可能性があるかだが、いちばん単純な話はボケちゃったということだろう。浅井先生も耄碌したということだ。

今日はこれで終わってもいいのだが、せっかくなのでもう少し続けよう。

・・・身命もおしまず修行して、此の度仏法を心みよ

・・・身命もをしまず修行して、此の度仏法の実否を心みよ


いわゆる折伏理論書の旧版と新版の表記の違いである。旧版すなわち初版は平成元年、新版は平成十一年の改訂版のことだ。

実否の有無だけでなく、もう一つの違いに気がついただろうか?

つまり、「おしまず」と「をしまず」の違いである。これはおそらく創価学会版と平成新編との違いを反映したものなのだろう。ちなみに今回の講演では「惜しまず」と表記している。ならば、御真蹟は「惜しまず」となっているのだろうか?

さらに興味深い話を紹介しよう。

 四百余篇の御書中、肝要中の肝要の五篇を、心肝に染めて拝読しよう。

立正安国論 開目抄 観心本尊抄 撰時抄 三大秘法抄

 顕正会教学部が、御真跡あるいは古写本と照合し、入念の校正を申し上げた最も正確なる御書である。大きな活字で組まれ熱拝の便が計られている。


今は廃刊となってしまった冨士に、ご覧のような記述があるのだ。当時の顕正会教学部には有能な人材がいたのだろう。何しろ御真蹟ないし古写本が読めるからである。いつも言っているように、わたくしはまったく読めない。

ところがである。顕正会版の撰時抄には脱漏があった。わたくしの所持するものは昭和六十年十一月十五日再版の撰時抄であるが、平成新編との対校によって脱漏があることが判明したのだ。

http://white.ap.teacup.com/ganko/127.html

拙ブログのきわめて初期のものである。興味のある人は前後数日にわたってご覧になられるとよいだろう。

わたくしは御真蹟を解読するだけの力を持たないが、自分なりに努力して御書を学んできたつもりである。そうした立場から見ると、上掲の顕正会教学部云々はハッタリをかましているようにも感じられるところである。いや、もちろん、有能な人材がいたのは事実だと思うが、しかし、御真蹟を縦横無尽に読み込むことが出来るような人は、そうザラにはいないだろう。浅井先生だって例外ではないと思う。

いずれにしても当時の顕正会版撰時抄には「実否」が入っていない。今現在、わたくしの確認した範囲では、平成十一年に出された折伏理論書改訂版がその初出ではないかと思われる。

顕正会における初出がどうであれ、この件は御真蹟に詳しい人たちのご意見を伺いたいところである。

2015/8/1  6:36

投稿者:沖浦克治
おはようございます。

 本日で、トレーニングジムオープンから9年経ちました。
 
 今日から8月、猛暑です。
 1昨日の聖教新聞に、80歳のご婦人の体験が載っていました。

 お子様が亡くなって寒い日だった、
 お葬式終わったら婦人部の先輩が、折伏行こう!と言って耳を疑った。

 バスで折伏へ行ったけれど、財布が凍りついてお札が出せなかった。
 悲しくて(そりゃ悲しいですよ)涙を見せたらその先輩が、

 寒い日にこたつに入っておみかん食べている人と、泣きながらバスに乗って折伏言っている貴女と、同じ福運のわけがないのよ。

 と、激励してくれた。
 80歳になって、その先輩も故人になられたけれど、あの優しさを忘れたことがない。

 概ねこういう内容です。
 5面にありますので、お読みくださいませ。

 私が入会したのが昭和37年、9月10日。
 わけもわからないで、学会闘争やりました。

 私にはもう、創価学会で戦うしか人生の場がありませんでした。
 任用試験が正月明けにあって、寒い冬でした。
 バスに乗って毎日勉強会へ行ったら、担当幹部が言われました。

 皆さん方は、世間がこたつでミカン食べている時、寒い寒いと御書勉強しています。
 夏は夏で、世間がかき氷食べている時、汗水たらして折伏に走っています。
 寒ければ寒さで福運が積まれ、暑ければ暑さが功徳を出します。
 素晴らしい人生です。
 将来必ずわかります。

 概ねこういう事を話されました。

 本当です。
 以来、私は学会活動ではなく、学会闘争をやりました。
 今、世間で戦い続ける源泉が、この時の勉強会です。

 創価で本当に良かった!

2015/7/31  16:32

投稿者:沖浦克治
 功徳を書きます!!

 明日でジムをオープンして9年になるんです。
 
 2006年8月1日のオープン。
 
 当時は今の5分の1ほどの広さに、まともな器具も無くて、色々工夫しながら始めました。
 
 その時から残っている生徒は2人だけですが、お二人共に全日本の標準記録をお持ちで、お一人は昨年全日本実業団の王者になられました。
 後のお一人は、スノーボードのテク選で全国20位になられました。
 
 今では生徒も、オリンピック選手やワールドカップ選手、それにナショナルレベルの選手がドンドン来ていて、口先だけの生徒は一人としていなくなりました。
 自分が本物になった証拠ですね。
 本物が来ると、偽物は本物になるか辞めるかしかなくなります。
 
 『日出でぬればとほしびせんなし雨のふるに露なにのせんかあるべき、』
 (上野殿御返事)
 
 明日からビジターがやって来ます。
 先日、ビジター用のトレーニングルームを作りましたので、安心して指導が出来ます。
 
 嬉しいですね。
 
 功徳です!!

2015/7/31  6:55

投稿者:大沢克日子
南無日蓮大聖人の巻頭に下記の記載がありました。「定否」という言葉は引用元である霊良閣版御書にあるのかもしれません。

「凡例
一、所引の御書は『日蓮聖人御遺文 霊良閣本に依る、」

本来であれば原文にあたるべきでしょうがさほどの余裕もなく、トンチンカンな事を言っているようであれば御指摘賜れば幸いです。

いずれにしても、浅井会長でなければその加筆を目に留めない、読めないという性質のものではありませんので、「私は今まで触れてきませんでしたが今回」云々と語る浅井会長の姿勢もどうなのかと思います。

連投失礼しました。

2015/7/30  21:12

投稿者:大沢克日子
投稿したら文字化けしていました。
車中であることと、浅識により正しい対応ができませんが、おそらく常用漢字外の利用により文字化けしてしまったものと推測しています。
意図的なものではなく、御寛恕賜れば幸いです。

「大海の一(てい:さんずい+帝)に過ぎず、然れどもこれを以て常住此説法の意に満つ、読者若しこれによって、幸ひに信敬の心を起すあらば、正さに随喜展転の功徳を得ん、若し又たこれによって、誹謗悪口をなすも可なり、乃ち逆縁なればなり、依て永劫に順逆両面の反応多からん事を期す、南無妙法蓮華経、

大正十四年十月
日柱謹識」

2015/7/30  21:00

投稿者:大沢克日子
今日は会社を定時過ぎにあがらせてもらって、都内の大書店で平成校定の御書があれば拝見しようと思いました。
「日蓮大聖人正伝」や英訳御書(もちろん日蓮正宗刊行のもの)はあったものの、平成校定の在庫は無かった。
東京メトロで帰宅する途中、色々検索していたら、「南無日蓮大聖人」(もちろん日蓮正宗版の大正時代に刊行されたもの)のデジタル版が公開されていた。
撰時抄の部分は巌虎さんの引用の通りだが、私は巻頭の諸言に心を打たれた。
地下鉄車内で読んだままに引用して転記しているが、「実否」云々よりも衝撃であった。
「南無日蓮大聖人」はこのように公開されているが、折角公開されているのだから、アンチ日蓮正宗だろうが何だろうが目を通していただければと思う。
もちろん顕正会員も。

「余、行住座臥、仏恩報謝の微心止む事なく、又た微弱ながらも信念胸臆に充つ、其の信念薫発して、乃ち此書を謹述す、其の述ふる所僅かに大海の一C鵬瓩「此∩海譴匹發海譴魄覆鴇鐔産\睨,琉佞頬「帖ト票埃磴靴海譴砲茲辰董キ「劼某オ匹凌瓦魑C垢△蕕弌∪気気某鏨酖古召慮e舛鯑世鵝⊆磴桂瑤燭海譴砲茲辰董ニ韜邂WC鬚覆垢皺弔覆蝓ナ気禅娜錣覆譴个覆蝓ョ佑同聞紊暴腟嬶礁未糧娠タ燭C蕕鷸「魎「后ト醋橘j]_攘弌

2015/7/30  8:24

投稿者:大沢克日子
下記は巌虎さんの過去のブログです。
「実否」云々で検索していたらたまたま出てきました。
ブログ中の「南無日蓮大聖人」は大正時代の刊行で、「定否」ないし「実否」を含めた記述になっていますが、御書編纂に当たりその加筆部分を採用しない理由はやはりそれなりにあるのでしょう。
それにしても過去に話題になっていたことを、「今回先生が初めて…」と持ち上げるのは顕正会の一つの特徴でしょうね。

>某氏によれば、かつて浅井先生は六巻抄講義において、これに言及しているそうである。ようするに実否を入れないとおかしい、入れるべきだ、いずれは宗門でも実否を入れるようになるだろう、という意味のことを言っているのだそうである。
しかし、ずいぶん経つが宗門でそうした動きがあるとは聞かないし、平成新編の表記はご存知のとおりである。
いつものことながら、先生の予言(?)は当たらない。

さて、いちおう参考資料として、以下を紹介しておこう。

南無日蓮大聖人

大正十五年二月十五日印刷納本
大正十五年二月十六日発行

著者  土屋日柱
発行者 松本佐蔵

されば我弟子等心みに法華経のごとく、身命もおしまず修行して、此度佛法の定否を心みよ、

(本ブログ、「稀覯本南無日蓮大聖人」、2007/5/7より)

2015/7/30  6:57

投稿者:沖浦克治
 私の師匠が、私と同じことを言われました。

 嬉しいです。

 新・人間革命 第28巻 勝利島2〜3

「人間として生まれて、最高の幸せとはなにか――人に法を説けることです。

多くの人に仏法を語れる人こそが、果報者なんです。それに勝る幸福の実感はありません。
だから私は、その歓喜を胸に、感謝の心で、命ある限り戦い続けます。どうか皆さんも、その自信と確信をもっていただきたい」

十月五日の全国県長会議で山本伸一は、広宣流布を担う人材の生き方についても言及している。

 「広宣流布の活動の世界、舞台は、あくまでも現実の社会です。

社会を離れて仏法はありません。したがって、私たちは、社会にあって、断固、勝たねばならない。

 そのために、まず皆さん自身が、社会の誰が見ても立派だという、人格の人に育っていただきたいんです。

誰からも慕われ、信頼される人間革命の確たる実証のうえに、広宣流布の確かな前進もある。

時代は人格の時代≠ノ入ったことを銘記していただきたい。

 信心の深化は、人間性となって結実し、豊かな思いやりにあふれた、具体的な言動となって表れます。その人間性こそが、今後の広宣流布の決め手となっていきます」

 仏法の偉大な力は、何によって証明されるか――実証である。

病苦や経済苦、人間関係の悩み等々を克服した功徳の体験も、すばらしい実証である。

同時に、自分自身が人間として、ここまで変わり、向上したという人格革命があってこそ、仏法の真実を証明しきっていくことができる。


2015/7/30  6:41

投稿者:沖浦克治
 功徳を書きます。

 フェイスブックに書きました。

 「トレーニングを、少し観点を変えて考察致します。

 友人に写真家がいて、先日話し合いました。

 沖浦さんのレストレーション・トレーニングは、凄く短時間だと聞きましたが、何故効果があるのですか?

 それで、説明致しました。

 どういうスポーツでも、練習は集中しないとダメです。
 集中心は長時間保てません。
 ですので、ベースとなる身体作りの段階から深い集中心を養わねばなりません。

 短時間の深い集中。
 あらゆる種目の極意です。
 名人達人と言われる方々は、全てがその天才なんです。

 今、デジタル技術が進歩して、動画から切り取っても800万画素程度の画質が得られます。
 でもね、写真を撮るのに、一秒間に30コマの動画を沢山撮ってその中から選んでも良い写真は出来ません。
 写真は動画と異なって、撮り手が風景を切り取らないとダメです。

 コンディショントレーニングも同じなんです。
 多くの種目をやらせて満足していても、いい結果は生まれません。
 どれだけ切り捨てるか?
 ここがレストレーション・トレーニングの極意です。

 そう言うとご納得を頂きました。
 やり過ぎて小さな達成感でいると、アスリートのスケールは小さくなってしまいますからね。」
 〜引用終わり〜

 これは御書から学んだのです。
 生活の上で御書を読める。

 功徳だ〜〜〜〜!!!

2015/7/29  6:15

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 以前、白馬村体協加盟の事を書きました。
 昨日、白馬村パワーリフティング協会の理事長さんとお話ししました。

 私はここでは一理事ですので、全ての手続きなどは理事長さんのお仕事です。

 数年前、加盟申請を出したことも書きましたが、白馬村は加盟申請があると一年間保留にして活動を見極め、次の年もう一度申請があると認める方式です。
 
 今回は2回目の申請ですが、一年保留となりました。
 理由が、
 
 前回申請し数年間間が空いているので、活動がないとの疑義がある。
 来年なら認可致しますし、大会などを開催なら体協の理事を視察派遣します。
そして、26日、本当にお二人で見に来られました。
 
 極めて好意的です。
 最初の申請後、お辞めになられた元のスタッフが、デマ宣伝された話も書きました。
 
 私共の競技では、住所、勤務先、所属ジムの何れかがあればその地域で登録を致します。
 二重登録は当然出来ませんが、そういうシステムなんです。
 それを、

 沖浦は大町市や小谷村の人も名簿に入れていて、詐欺だ。
 
 そういう宣伝を恣意的になさいました。
 今回体協の方々にその旨をお伝えし、本当は50名ほどのメンバーがいることをお伝えしてご了承を頂きました。
 
 体面して対話するなら簡単に理解しあえることでも、間に悪意の人がいてデマ宣伝をするなら誤解のまま進む見本です。
 牧口先生が言われました。

 『人生の大事は、体面による対話しかどうしようもない。』(趣意)
 
 本当にその通りですね。

 時々去って行ったスタッフの事も祈ります。
 もう一緒に何かをすることは絶対にありませんが、何時かは立ち直られて、それぞれがそれぞれの場所で成功していただきたいですね。
 
 船が進めば波が立つ。
 避けることは出来ません。
 
 私は荒波乗り切って生きて行きます。
 創価で教わった人生観です。

2015/7/28  21:04

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、今晩は。

 私には、実否が入っても入らなくとも、大きな変化はないとおもえますね。

 それはただの知識自慢です。
 そういうのは御書読めない証拠です。

 木を見て森を見ず。

 少なからず、愚かですね。
 大騒ぎするほどの事ではございません。
 

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