2015/11/30

チヒツノブロガア  
今日はいよいよ顕正新聞第1357号である。当該号は一面から三面にかけて御大会式講演が掲載されている。これを取り上げたい。

 私は近年、大聖人御予言の「前代未聞の大闘諍」「他国来難」が刻々と近づきつつあるを感じ、昨年より年号を、国難元年・国難二年等と呼んでおります。

さっそくイヤミを書くことになる。この顕正会式年号がいつまで続くかである。浅井先生の常の主張からすれば、国立戒壇建立以外に亡国を逃れる術はないわけだろう。すると、当面は国難年号が続くことになる。もしかしたら国難何十年・何百年ということにもなるかもしれない。しかし、都合が悪くなると引っ込めてしまうのが、浅井先生の常套手段でもある。その意味でもいつまで続くか注目である。

 そして有難いことに、広宣流布を戦うための「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」が、大事な御大会式に間に合い、本日、謹んで御宝前に供え奉ることができました。有難さでいっぱいであります。

拙ブログ始まって以来だろうか、アンダーラインを入れたのは・・・

わたくしは「謹んで」という言葉を目にして、直ちに折伏理論書改訂版の一節を想い起した。あの一千万の誓いである。あれはいったいどうなってしまったのか、大聖人に謹んでお誓いした一千万の大誓願は、いったいどうなってしまったのだろうか?

浅井先生は己の発言に責任を持つべきである。つまりは、謹むのではなく、慎むべきなのだ。

 謹んでこれを案ずるに、文永・建治の御本尊は、仏勅使・上行菩薩のお立場で御図顕し給い、弘安の御本尊こそ、まさしく久遠元初の自受用身・末法下種の本仏として御図顕あそばされたもの――と私は拝し奉っております。

第二面をすっ飛ばして、いきなり第三面に移動した。ちなみに、ここでの謹んでにはイチャモンをつけるつもりはない。ようは浅井先生の教学的見解を開陳している一節なのだ。わたくしの関心はそこにある。少し前後するが、次のようなくだりもある。

(日寛上人は)省略されているが、いま、その省略されている部分を拝推し奉れば、さらにこういうことがわかる。

これは大聖人の御名と御判形の位置について、それから御判形が変貌を遂げることについて、言っているわけだ。その理由について述べたのが前掲である。

日寛上人には甚だ失礼なことを書くが、当時は今のように御本尊を広く閲覧することが出来なかったので、わからないこともたくさんあったのではないかと思う。全国に散在する御本尊を隈なく調べることなど、物理的に不可能である。今だって自分の足で調べろと言われれば、誰も出来ないだろう。先人たちの学術的な蓄積と、さらにはインターネットの普及のお陰で、今は誰もが容易に知ることが出来るのだ。ようは御名・御判形の位置だとかその変貌のことは後の研究によってわかってきたことであって、日寛上人の時代にはまだわかっていなかったのだ。

しかし、日寛上人の御指南は絶対であると言っている手前もあるし、ウッカリして上人を軽んずるような言動をすれば宗門からツッコミが入ることも考えられるので、上掲の言い回しはそれで正解なのだろう。

文永・建治の御本尊は上行菩薩のお立場

弘安年間の御本尊は御本仏のお立場


わたくしの興味は、これが浅井先生独自の見解なのか、あるいは先人の誰かが言っていることなのか、である。先生いわく、謹んでこれを案ずるに・・・と私は拝し奉っております、と。当然、日寛上人はおっしゃっていないわけなのだろう。はたして浅井先生以外に、このような見解を示している人がいるのかどうか、ひじょうに気になるところである。

 日興上人は直ちに急使を立て、法華講衆の振舞を大聖人様にご報告申し上げた。
 大聖人様は深く深く御感あそばされ・・・本門戒壇の大御本尊を建立あそばされたのであります。


煩瑣になるので省略したが、ここでの問題は時系列である。ようは沖浦氏あたりが常々言っている問題だ。これは顕正会員にしたって、マレには疑問に感じる人がいるかもしれない。

あれ? おかしいなあ? 順番が逆だぞ?

何か考えがあってこのように書いたのか、それとも何も考えていないのか、これまたひじょうに気になるところである。

 いいですか。神四郎・弥五郎・弥六郎、この三人は異体同心であるから三人でも一人です。この三人を一人の名前にすれば、まさしく「弥四郎」となる。そして「国重」とは、本門戒壇が建立された日本は、国重きこと盤石のごとくなる。この深意を三人の名に寄せて、お認め下されたものと先師は伝えられている。

実に興味深い。先ほどの案件では、謹んでこれを案ずるに・・・私は拝し奉っております、と言っていた。つまり、日寛上人があらわには御指南あそばさなかった部分について、私見を述べたわけである。しかし、今度の案件は私見ではなく、先師の御指南に基づくものなのだと言っているわけである。当然、日寛上人ではないのだろう。もし日寛上人ならば、わざわざ先師などと表現する必要はない。では、先師とはいったい誰なのだろうか?

以上、今回の御大会式講演はひじょうに興味深いものだった。

2015/12/5  9:56

投稿者:大沢克日子
連投失礼します。

ライブドアニュースを見ていたら、昨日夜に放映されたTBSの番組で、あるものまね芸人兼女優の方が約22年間、「宗教依存症」に陥っていたことを告白したという。

新興宗教の集会に参加したところ、金銭の要求もなく、偶然に奇跡体験もしたことからあっという間にのめり込んでいった氏はそのうち「いいことがあると、全て教祖のおかげと思い込む」ようになり、やがて子宮筋腫を患い全摘出を勧められるも教祖に頼り、治療を拒絶し更にバセドウ病にも罹患。

友人に「インチキ宗教」であると言われ、氏は教祖から「とことん波動を受けよう」と一泊二日の合宿に参加したところ、今度はノロウイルスにやられたことで呪縛から逃れることが出来たという。
(ライブドアニュース、宗教に洗脳された22年間 脱退のきっかけになったのは…
2015年12月4日 20時30分 スポニチアネックスより)

一家離散の上、一千万円以上の金を使って様々な病を抱え破滅寸前で呪縛から逃れた女優氏。
「最初は金銭の要求もなく」「奇跡体験もした」ことでのめり込んだそうですが、日蓮大聖人が三証ということを仰せになったのも、宗教というものには最初は「奇跡体験」のようなものもしばしば現れる、しかし最終的には病、経済苦、一家離散…というような不幸のドン底に追い込まれる。
宗教には正邪があり、どんな宗教でも功徳・奇跡めいたものがあるから何でもよい訳ではないことがよくわかります。

顕正会も「お金はかからない」「一日十五分」が定番のセリフですが、他人事ではないニュースではないでしょうか?

2015/12/5  6:08

投稿者:大沢克日子
>「千が九百九十九人は堕ちて候」
(新尼御前御返事)

実は先日、私も当該御書を拝読して色々考えていました。

「現場」さんとおっしゃるので現役会員さんでいらっしゃると思いますが、顕正会から脱会者が頻発している現状を見てこの御文を頭に思い浮かべているとしたら、いささか違うのではないかと思います。

何故「千が九百九十九人が堕ちて候」に至ったのかをよく拝読すべきと思うのです。

その前段は「日蓮は一閻浮提の内、日本国安房国東条郡に始めて此の正法を弘通し始めたり。随って地頭敵となる。」(御書765頁)とはじまりますが、大聖人様がはじめられた正法弘通、すなわち「邪宗は堕地獄の因、邪宗を捨てて正法を持たなければ国家も人の安泰も期し難いのだ、南無妙法蓮華経と唱えよ」と折伏弘教を進められたことに対し大小数多の法難が競い起こります。
そして「かまくらにも御勘気の時」、すなわち相州龍ノ口法難に至り、大弾圧に遭った一門の「千が九百九十九人は堕ちて候」という事態となるのです。

さて、現在の顕正会は御在世のように正法弘通、弾圧により会員らが堕ちていく状態なのでしょうか?

数集めに終始し、「一回拝むだけ」というような入信者の志(入信の意思)のないような入信の横行、退転者たちの新聞代、広布御供養が蔓延り、身体・精神・経済的に追い込まれる会員、それでも「功徳があるから、退転したら罰で滅びる」と言われてしがみつく会員。本人は功徳でいっぱいと信じているが、実は社会の中での評価は急降下。

顕正会員が置かれている上記の現状は、御書に記された正法弘通に伴う法難によりもたらされたものでしょうか。

折伏による大法難というよりも、顕正会内部に蔓延る諸問題によって会員が辞めていく、外部からの要因ではなく内部崩壊の一種だと思いますが、いかがでしょうか?

「千が九百九十九人は堕ちて候」という状況は一緒であっても、背景は全く違うものですから御書を理由に正当化してはならないと思いますし、「そのうち功徳・辞めたら罰」で誤魔化してはならないと思います。顕正会の活動に公私を投げ打って・寝食を忘れ長年励んでいる会員たちが内部的な要因で苦しみ辞めていっている、しかし浅井先生は無為無策であることを忘れてはなりません。

2015/12/5  1:35

投稿者:現場
「千が九百九十九人は堕ちて候」

新尼御前御返事

2015/12/5  1:16

投稿者:唯ちゃん
私が入会した時は浅井氏は「日目聖人の生まれ変わり」だと指導されましたが そのわりに普通のおじーさんでした。

2015/12/4  23:42

投稿者:通りすがり
宗教団体や事の本質は60年位経つとハッキリするという。

顕正会は何てこと無かった。
大して誰にも相手にされていない内輪で勝手に躍起になっているだけの大きな風船だ。
170万といいながら中身は空っぽ。

世界情勢の不安要素の話だけを集めて、あと数年で一気に広まると会員に植え付けている。
視野を狭くされ夢を見させ続けるだけの団体。

2015/12/4  23:31

投稿者:ん、ですから
人格障害なんですって。
佐渡会館は宗門の悪口罵り。
南東北大会酷いわ、これは支離滅裂。
会場ほんとにスカスカ感が否めない。
どうしちゃったかオジイサンほんとにヨレヨレだよ。

寝癖みたいな頭でくしゃくしゃなジイサン。
んで、内容はいつもの嘘だペテンだって口汚い他人攻撃。
それって、自分のこといってんじゃね?!といいたい。

2015/12/4  22:21

投稿者:ん、ですから
ですから浅井のインチキジジイは、慢心悩乱の上、耄碌した俗人なんですって。
幻さんと樋田テレビと紫苑さんブログを見てほしいです。

2015/12/4  15:59

投稿者:マイケル
そういえば、浅井先生は嘗て原発容認派だったんですね。
それが何故、今になって脱原発に転じたのでしょうか。
それはそれで構いませんが、一宗教団体のトップとして
会員さんに対し理由を説明する必要があると、個人的には思うのですが。

https://www.youtube.com/watch?v=g9ZPapWvivA

2015/12/4  13:49

投稿者:沖浦克治
原子力発電ですが・・・

  我が国の照明器具を全てLEDにかえると、原発13基分の電力が節約出来ます。

 但し、これは2011年のデーターですので、その後既に交換が進んでいるでしょうから、少し現時点では節約の割合は低くなるでしょう。
 ともあれ、原発を一基建造する費用で、国民一人当たり、3000円ほどの補助金が出せます。

 再稼働ですが、現時点で全く必要がありません。
 昨年度、二酸化炭素排出量を日本では3%減少させています。
 昨年度、原発は一基も稼働しておりません。

 温暖化阻止の切り札のように言われた原発がゼロで、二酸化炭素排出量が3%減少しています。
 更に電力不足による不都合は全くございませんでした。

 この面だけを見ても、原発再稼働は不要です。
 それより、今ある照明器具を全て早急にLEDに変更するなら、火力発電もかなり減少可能です。
 水力や、風力、太陽光などからの発電だけで電力が賄える世界を実現すべきです。

 原発13基作るお金があるならですが、既に建造されてしまって支払ったお金は戻りません。
 それだけの無駄を許してきた政府と電力会社。
 この二つは責任を追及されて当然です。

 せめても、ここまでの無駄遣いを強いたこれらの組織やメンバーは、深刻な反省をすべきです。

 ともあれ、原発の不必要であることが結果から証明された現在、原発再稼働すべき理由は皆無となりました。

2015/12/4  10:30

投稿者:マイケル
一般の方でも、伏せ拝に対してどうかな〜という意識を持つ方が多いと思います。
顕正会会員の方にも、いらっしゃるのではないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=1lCRQzZT22s&feature=youtu.be

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