2015/12/14

ジウネンイチジツ  
気がつけば、十年。種々のコメントを拝見して、あれから十年が経つのか、早いものだ、と思った。決して自己中のつもりはないのだが、わたくしは拙ブログが十年を超えたことばかりに気を取られて、顕正会の動きを俯瞰的に捉えることを疎かにしていたようだ。

いろいろなことが言えるだろう。

百万達成から早くも十年以上が経過している。今の顕正会は二百万を云々しているけれども、それが達成されるまでにはまだ数年の時間が必要である。この間、三百万だとか六千万だとか、浅井先生の口からはさまざまの言葉が飛び出しては来たものの、しょせんは二百万すら達成できていない状態なのである。

最後に申すべき事から十年。これも思い半ばに過ぎるものがある。最後・最後と言いながら、その後も宗門のことをあれやこれやとあげつらっている。自己矛盾も甚だしい。

日顕上人が退座されて十年。これはまた同時に、日如上人が登座されて十年を迎えるという意味だ。

創価学会も変わりつつある。池田大作氏が姿を見せなくなって久しい。しかし、それが直ちに組織に重大な影響を与えたようには見えない。宗門もそうだが、ようは健全な形で組織の新陳代謝が進んでいるということなのだろう。

ひるがえって顕正会の場合は依然として浅井先生のワンマン体制が続いている。悪い意味での新陳代謝・・・すなわち活動会員が定着せず次から次へと新しい人材を登用していかないと組織が維持できないという、そういう悪しき新陳代謝はあるものの、上層部の一新ということはまったく起こり得ない、それが顕正会の実態である。

いや、書き方を間違えた。

先生のワンマン体制でもいいのだ。それで顕正会が永遠に安泰であるならばである。しかし、人はいつかは死ぬ。ゆえに後継が必要なのだ。先生の後を継ぐ人がである。
宗門にしても創価学会にしても、すでにバトンタッチが行なわれている。わりとスムーズに、さしたる問題も生じずに、である。
ところが顕正会の場合はそうした経験がない。ゆえに、この先どうなるのか、まったくの未知数である。繰り返しになるが、浅井先生が永遠に生き続ければ問題はないだろう。しかし、そんなことはあり得ない。

さて、前置きはこれくらいにして、今日は顕正新聞第1358号の残りをやっつけてしまおう。実は上述の話と少し関連する話題があるのだ。

佐渡会館で伺った「これが最後」の一言・・・

総合婦人部長の記事である。さらに副総合婦人部長の記事にも次のようなくだりがある。

先生の
「これが最後」
 とのお言葉・・・


前後の文章を省略しているので、何のことだかさっぱりわからないだろう。実はわたくしもよくわからないのだ。

というのは、たぶんこれ以外の登壇記事は、ことごとく「それが最後」と書かれているからである。「これ」と「それ」は大した違いではないと思うかもしれない。しかし、同じ発言部分だとすれば、けっこう重要な問題である。総合・副総合という婦人部の大幹部が聴き間違えたとすれば、何をやっておるものかと思う。しかし、問題はそれだけではない。

このことは翌号の佐渡会館での会長講演を読むとわかってくる。

 そこで、私はきょう、新潟大会を決めます。
 三年後、新潟だけの県大会を開きたい。「二万人の新潟大会」を決行しようと思っておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)

 私が新潟に来るのは、それが最後であります。

 その翌々年から、いよいよ二〇年代の広布の決戦場に入るからであります。遅れたら、大聖人様に申しわけない。


総合・副総合は聴き間違えた。同じ発言部分だとすれば、そういうことだろう。それはそうだ。新潟に来るのはこれが最後、と言ってしまえば、今回が最後、もう二度と来ないという意味になる。そうすると三年後には来ないことになるので、それはおかしい。ゆえに文章としては上掲が正しいことになる。

しかし、である。わたくしは「それが最後」に物凄く違和感を持つのだ。文法上、これが正しいのか間違っているのか、それはわからない。しかし、物凄く違和感があるのは事実である。

たぶん、その理由は今日の一連の話題のいわば結論なのだろう。

先生はいつも最後・最後と言いながら、それが最後だった例はないじゃないか、もはや信用できない、ということなのである。

これまで繰り返し言ってきたつもりだが、凡夫には未来のことはわからないのである。明日のことだってどうなるかわからないのだ。いわんや三年後のことなどわかろうはずもないだろう。それをわかったような口を利く、そこがまさに違和感の拭えないところなのである。

前号に戻って、第二十六女子部長の文章を紹介しよう。

 先生の下での戦いには限りがあることを痛感しては・・・

彼女は前掲の先生の発言を耳にして、ご覧のごとく言っているわけだが、ぶっちゃけ言えば、顕正会の活動会員の多くが思っていることだろう。それも違う意味で・・・、すなわち、先生も高齢である、いつどうなっても不思議ではない、と。おそらくは先生自身もそのことが常に頭をよぎるのだと思う。それが意識無意識にかかわらず、最後・最後というセリフになって出てきてしまうのだろう。

甚だ不謹慎とは思いつつも、あえて書かせていただいた。

2015/12/27  23:02

投稿者:唯ちゃん
かつて「かんぎょー書」のミサイルを撃ち込む。と言ってたが意味不明である。

2015/12/23  15:25

投稿者:ユタ
 こんにちは。

「バカたれが!君は御宗門に疑念を抱くのか!謗法者
だ!君の発言は法を下げている!!」

 ……なんてことは私は言いませんよw
 しかし、学会員に対する折伏など、私にとってはどう
でもいいことなんですが、一般の人達に説明ができない
と、ちょっと困りますな。
 沖浦さんみたく、功徳小噺するだけで納得するほ
ど、世間は甘くないですからね。

 既に宗門のお坊さんの中には、生粋の日本人ではない
方もいるようですし、そういった方が猊座に登られ
て、日本の悪しき風習、「事なかれ主義」を打破して頂
く他は無いかと思います。

 ま、その頃まで日蓮正宗にいるかどうかは分かりませ
んがねw

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2015/12/23  7:38

投稿者:マイケル
んっ?さん、おはようございます。

大沢さんやユタさん、そして多くの講中の方と私は見解を異にする
やもしれませんが、個人的な意見を述べさせて頂きます。

戒壇の大御本尊様への疑念を払拭する為にも、御宗門は事実の不存在
というものを立証して頂きたい、そう考えています。

2015/12/23  5:58

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 神主の祝詞と、大聖人の唱題の区別すらつかない人が、何言ってもね〜〜〜????

 朝一から、スタッフと生徒と3人でゲレンデ。

 生徒は上でSLかGSトレーニング。

 私はホットコーティングの持続テスト。

 スタッフは新旧ワックスの比較テスト。

 忙しい事は良いですね。

 暇に任せて他人のあら捜す人も多いのに、新開発の凄きワックスをテストする。

 功徳です。

2015/12/22  21:01

投稿者:んっ?
マイケルさん、こんばんは!

久遠寺は大聖人様時代と位置が
変わった事すら知らないオームは
無視してお話しましょうww
素直に拝するならば、そうなりますよね?

だからこそ、以前学会内では
板曼陀羅の元になった紙幅の御本尊様が
大石寺にあると云われていた時期がありました。

石山側が否定したので、ただの噂話になりましたが。

2015/12/22  19:29

投稿者:マイケル
んっ?さん、今晩は。

紙幅の御本尊という事でしょうか。
解答になっていない場合、申し訳ございません。

2015/12/22  15:53

投稿者:沖浦克治
今晩は

 今回創価学会は、

 戒壇本尊も大聖人御図顕の本尊(真筆、書写の区別によらない)ではあるが、大石寺と言う大謗法後にあるので、今後は受持の対象としない。

 以上の内容を発表致しました。
 これは御書に背きますね。
 何故なら、日本中が大法謗だからこそ大正法が流布すると御書に書かれてあります。

 『大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか、』
 (大悪大善御書)

 ですので、大石寺の謗法であることで戒壇本尊の力用が無くなると言う事はありません。

 更にですが、地頭が謗法ならば大聖人の魂は住まないと言う御書はありません。

 あれは興師の筆になるもので、大石寺側からの勝手な言い分に過ぎません。

 御書には身延を極めて大事だとお書きです。

 『さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。』
 (波木井殿御報)

 『彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、参詣遥かに中絶せり急急に来臨を企つべし、是にて待ち入つて候べし、』
 (南条殿御返事)

 大石寺などは大聖人は名前すらご存じありません。

2015/12/22  13:25

投稿者:ご迷惑かけました
戸田会長の頑張りにより有名になった日蓮正宗は、当時驕った池田会長と共に王仏冥合、時を待つべきのみの金言に背き正本堂建立を行った。
その時に、宗門が腐敗すると同時に戒壇の大御本尊様から法魂は去られたのではないでしょうか。
奉安殿の時と、正本堂の時の戒壇大御本尊は違うとありました。
僧侶や学会幹部はみんな知ってるのに信徒だけが知らないと。

今の戒壇大御本尊様に力がましますならば、結論は聖人は不法の地には住み給わずではないでしょうか。

身延が不法の地なら真筆曼荼羅にはやはり通じないのではないでしょうか。

今の大石寺が正しいなら戒壇の大御本尊には力が宿るとゆう事でしょうか。

正宗系の宗教戦争も大聖人はお頷きにならないと思います。

2015/12/22  10:12

投稿者:んっ?
PS.

「分身散体」に拘ってる内は柔軟な思考が出来ません。

釈迦に説法だとは思いますが,一度其れを否定してみては如何でしょうか?

2015/12/22  9:55

投稿者:んっ?
マイケルさん,お早う御座います!

いえ,以前にも申し上げましたが,
「現在の」戒壇様が後世の偽作である事,即,
出世の本懐とされる御本尊様が存在しなかったではありません。

例えば
「一,本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と爲し,
 日本國乃至一閻浮提の内,山寺等に於て,
 半分は日目嫡子分として管領せしむべし。
 殘るところの半分は自餘の大衆等之を領掌すべし。
 一,日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は,日目に之を相傳す。
 本門寺に懸け奉るべし。
 一,大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し, 修理を加へ勤行致して廣宣流布を待つべきなり」(日興跡條條事)

此れが本当に興尊の仰せか否かは今はおいておきますが
此の中の「懸け奉るべし」をマイケルさんは如何解釈しますか?

畏れ多い事ではありますが,クレーンでも使うのでしょうか?

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