2016/1/5

カズカズノギマン  
塚原三昧堂の件はなるほどと思った。当然というべきなのか、浅井先生は宗門に依存しているのである。宗門が場所を特定した。ならば安心である。間違いはない。もし万万が一、間違っていたとしても、問題はない。
これが他門であれば、たとえ正しかろうがイチャモンがつく。国立戒壇がそうだ。田中智学のマネをしているだの何だのと、未だに言われ続けている。これが浅井先生としてはツライのである。
ゆえに大抵のことは宗門の主張に逆らわないほうが得策なのである。今回の塚原の件も同じだろう。
だったら全面的に依存すればいいものを、御遺命守護だけは譲れない。それはそうかもしれないが、しかし、今はその他の面でもおかしなことになってきている。
わたくしは戒壇論に限っては顕正会に相当肩入れしているけれども、その他のことは認められない。例えば本尊を勝手に複製しているとすれば、もはや許されないことだと思う。

さて、今日は折伏成果の欺瞞について書く。

二万九千八百七十二名

これが秋の三ヶ月法戦の成果である。あと百二十八名で三万だった。確かにすごい数字である。

しかし、わたくしには信じられない。本当だろうか? ここには何かウソがあるのではないか? すでに末端においては入信偽装が多く行なわれている。いわゆる水増し報告、ようは虚偽の報告である。それが今回の場合、もしかしたら本部そのものが虚偽の発表をしているのではないかと、そう思えて仕方がないのである。

根拠もなく書くのはダメである。そのくらいのことはわかっている。では、根拠は何か?

まずは過去の会長講演を二つ引用する。

 そして迎えた本年の、いよいよ初陣であります。初陣二・三・四月法戦の弘通誓願は、二万といたします。

 さあ、いよいよ国難二年の中盤、六・七月法戦の開始であります。
 弘通の誓願は一万六千といたします。


一月度総幹部会と五月度総幹部会である。今の顕正会は折伏法戦を前半・中盤・後半と大きく三つに分けている。ご覧のごとく、前半戦が二万、中盤戦が一万六千と、目標を掲げている。

ところがである。

八月度総幹部会で発表されるはずの後半戦、すなわち本年の最終法戦の目標がどこにも記されていないのである。これはおかしいだろう。

二万五千三百五十六名

二万一千百三十六名

二万九千八百七十二名


これは三つの法戦の結果を並べたものである。これを見ると、それほどおかしくはない。前半戦は二万が目標だったところをご覧のごとく大きく突破している。中盤戦も一万六千の目標からすると相当である。この勢いからすれば最終法戦の二万九千余は、それほど違和感がない。

だからこそ、不自然なのだ。なぜに八月総幹部会で誓願が発表されなかったのか、それが甚だ疑問なのである。

しかもである。総合女子部長が謎の発言をしているのだ。

 されば、全組織の十月誓願達成、そして十一月、「一万五千」を見つめて大突破を成し・・・

 されば本日より総決起し、この最終法戦、一万五千大折伏を以て・・・


上段が九月度班長会、下段が十月度のそれである。

今になって気がついたことがある。おそらく一万五千は自主誓願と呼ばれるものなのだろう。わたくしは当初、女子部で一万五千は凄いと思った。逆にもしこれが顕正会全体の誓願だとすれば、ずいぶん控えめというかショボイではないかと、以前にも書いたことだった。

自主誓願であることは十一月度班長会での彼女の発言を見れば明らかだ。

 結果、全三十五女子部が誓願突破しての、一万六一九名を以てお応えできましたこと、報恩感謝の念に尽きません。

なるほど、ここまで辿ってみると、今回の二万九千余の折伏成果は強ちウソではないのかもしれないと思えてきた。ウソを暴くつもりで書き始めたものの、結果は思わぬ方向に行ってしまったようだ。

ただし、減らぬ口のようではあるが、言わせてもらおうと思う。それでもおかしいと。

もはや今後は誓願を発表しないのだろうか?

つまり、今回の誓願は不明なのである。女子部も自主誓願が一万五千であることはわかったものの、元々の誓願が不明のままである。上掲から判断すれば、おそらくは一万なのだろうと推測されるわけだが、いずれにしても公には発表されていない。

これでは勝ったのか負けたのかわからない。

いや、もちろん、我々は過去の数字を知っているので、誓願が発表されようがされまいが関係ない。前年比で見ればいいだけの話である。今回、三万になんなんとする結果を出してしまった。となれば、もはや今後は二万を超えたくらいでは誰も驚かなくなる。それどころか、二万を切るような事態になれば、もはやオシマイと言われても仕方がないだろう。誓願の有無は関係ないのだ。

また、あえて言わせてもらえば、自主誓願なるものが大いなる欺瞞なのである。

自主誓願の対義語は何だろうか?

これで話はオシマイである。ぶっちゃけ言えば、ノルマだろう。ようは顕正会はノルマで動いているのだ。崇高なる仏弟子の大集団などと宣伝しても、実態はノルマで動く、ノルマで動かされている、もっと言えば、ノルマで働かされている・・・いわゆるブラック企業のようなものなのだ。ブラック企業ならぬブラック宗教ということである。よく使われている白蓮華云々はブラックぶりを糊塗するための修飾語に他ならない。

以上、今回の折伏成果は予想を上回る大記録である。この記録について、当初は何か裏があるのではないかと勘繰っていたけれども、本部主導で数字の操作が行なわれたということは今のところなさそうである。しかし、末端における水増し報告はもはや常態化しているのではないかと思われるし、本部のほうでもそれを半ばは承知していて黙認してしまっているということも、もはや疑いようのない事実なのだと思う。

こんなテイタラクでは二百万を達成したところで何も変わらないだろう。

2016/1/12  6:45

投稿者:沖浦克治
勝さん(巌虎さんと同じように呼ばせていただきます)戻りました。

 スレが新しくなっていますので、そちらに書かせていただきます。

2016/1/12  2:25

沖浦殿

あ、戻られたのですね。わざわざお礼の言葉、恐縮です。
取り急ぎ、ご挨拶まで

2016/1/11  6:00

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。
 
 会員様、(勝手に)顕正会代表様、義母の逝去に際しお悔みのお言葉を頂きました。

 感謝申し上げます。

2016/1/10  1:53

(続きです)
>もはや今後は誓願を発表しないのだろうか?

私は個人的には誓願などと肩肘張らずに、各々ができる範囲で、自発的に喜びの内
に折伏できるようにするのが良いと思いますが。誰でも趣味は好きでやるもので、
逆に其れが面白いものでも、強制されたら面白くもなくなります。折伏相手も嫌々
ながら折伏されても心惹かれないでしょう。

然るに、それよりも何よりもまず顕正会がやらねばならぬ事は、会の正しさを立証
する事ではないかと思われます。完全に正しいのかどうかも判らぬところに、他人
を勧誘する訳にはいきませんしね。本来、勧誘というより折伏(理証と文証で堂々
と正しさを主張する)でないといけない筈です。「正しさは立証できないけど、ト
ニカク信じれば救われる」で良いのであれば、キリスト教やら天理教やらでも良い
事になります。
即ち、「本尊複製疑惑について完全なる回答をする」、逃走する日顕上人の代わり
に「樋田氏、大草氏、青年僧侶邪儀班と公場法論をする」、「身延、浄土宗、真言
宗、禅宗、キリスト教等と公場法論をする」という事が先ではないかと思われます。


>それどころか、二万を切るような事態になれば、もはやオシマイと言われても仕
方がないだろう。

毎度毎度、誓願数を増やしていかねばならぬとも思いませんし、同水準を保たねば
ならぬとも思いません。事情により数字が落ち込む事もあるでしょう。でも、私は
オシマイだとは思いません。

ところで、新規会員を増やすのも結構な事ですが、底に穴の空いた容器に水を入れ
ても、一向に水はたまりません。増えた分だけ、退転する会員が居る、という意味
です。退会届がない上に死亡者もカウントから除外しないのでは、百万達成しても
其れは百万ではありません。単に顕正会を今迄に通過した人の数です。是では国家
諌暁(国会行進)もいつまでもできないでしょう。
故に私は、今いる会員を大事にして、退転しないようにする工夫こそ重要かと思っ
ています。

2016/1/10  1:50

厳虎 殿

断りも無く、貴ブログを勝手に使わせて戴き申し訳ない。相当書いてしまいまし
た。もし邪魔であれば削除してください。
さて、肝心の本記事へのコメントが未だでしたので、及ばずながら当方の考えを書
かせて戴きます。


>これが他門であれば、たとえ正しかろうがイチャモンがつく。国立戒壇がそうだ
。田中智学のマネをしているだの何だのと、未だに言われ続けている。これが浅井
先生としてはツライのである。

真似をしているも何も、三大秘法抄を真っ直ぐな心で其のまま読めば、田中智學氏
と同じ結論になるかと思うのですが…

「王臣一同=広宣流布」「王仏冥合=政教一致」「勅宣並びに御教書=公布と政令
」…
即ち、広布の後、国会議決と国民投票によって憲法改正、仏法関連法の制定、そし
て内閣の政令、天皇の公布(勅令)御、関係省庁と大石寺の協議の末、戒壇建立と
なります。名付けて「国立戒壇」。
田中智學氏の国立戒壇という言葉も、亦国立戒壇論(戒壇定義)も、正宗の伝統教
義と殆ど同じであり、亦、三大秘法抄を誰が読んでもこの様にしか読解できない故
に、日亨上人等田中氏と同時代の歴代御法主上人も亦、国立戒壇という名を使用さ
れたのであり、戦後になっても尚、日淳上人も国教化や国立戒壇を大目的とされ、
創価学会の牧口、戸田会長も国教化と国立戒壇を目指し立ち上がり、日達上人や池
田会長も亦、途中まではそうした考えを継承されていたのでしょう。

むしろ、信徒数が一千万かそこらになれば建てられる民衆立戒壇、という考えの方
が異端であり奇異であって、極々最近生じてきた新理論に過ぎません。田中氏のマ
ネ等ではなく、列記とした正宗教義でした。田中氏が謗法の身延の人だから、とい
う理由で国立戒壇論や是を掲げる顕正会を宗門や学会の人が謗るのであれば、其れ
は天に唾するようなもので、歴代御法主や初代、二代会長をも謗る事となります。
是が頭破作七分と言わずして何が頭破作七分でしょうか。

2016/1/10  1:49

沖浦 殿

沖浦殿への返信は沖浦殿が戻られて、創価学会の正当性についての法論の継続を許諾
戴けてから、にしようと思っていたのですが、此の点は弊会についての事ですの
で、書かせてください。

>顕正会だって、未だに富士大石寺って冠しています。
 世間様から見たらおかしいですよ。

確かに顕正会(浅井会長)にも自語相違はあります。御開扉、宗門への帰伏、血脈
の三つについてです。とは言え、私はこれ等三つの点について、間違っていた発言
、考え(公式見解)から正しい発言、考え(公式見解)の方に移行したものだと捉
えています。逆にそうは思えない人は顕正会を抜けて宗門へ下るのが良いでしょう。

然るに、顕正会が「富士大石寺」や「日蓮正宗」を名乗っている事には一切自語相
違はありません。むしろ、顕正会が以前はそれらを名乗っていたのに、現在は真言
宗顕正会だとか、福音派顕正会等と名乗るようになれば、其れこそが自語相違かと
存じます。

2016/1/9  11:52

投稿者:会員
宗門の教義問題点の件では、
『日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ』の
yahooブログ版も大変参考になります。

顕正会組織問題点では、
『想学檀林管理者ブログ』
が、創価組織の内容ながら、顕正会組織にも当てはまり過ぎて参考になりますよ。

他団体と争いたくは無いですが、法華講があまりにも大石寺の形式的な教義絶対性を正当主張するのには、少しばかり抵抗が起こります。

堀上人も、昭和期からの世俗化僧侶を『宗門の一時的変体』として、正しいとはおっしゃって無かった様ですし。

極端に教義に偏り過ぎるのは、現実的な視点が乱れると思います。

2016/1/9  3:28

(主に)沖浦殿

>此処までは信受すべきものの根本の話でしたが、逆に遠ざけ、打ち砕くものについて言え
ば、それは謗法の邪教という事になります。是は表裏の関係でして、守るべき中心の四つ
を謗る教えを謗法と謂い、(中略)
結果的に棄てて退転してしまうような宗教を信じるのは愚かな事です。

と私は書きましたが、考えてみれば是は結論先取りの結論であったかと思います。
私が説明できたのは、正宗教義では何を信奉するのが正しいかという事だけで、私は未だ、大御
本尊を初めとする正宗教義の正しさまでは立証していませんでしたし、自語相違を理論的に支え
る「方便論」「戸田氏大聖人論」を破析もしていませんでしたから。

2016/1/9  2:21

沖浦殿

義母上のご冥福をお祈りします。

2016/1/9  0:18

投稿者:瑠璃堂みう
ご無沙汰しております。
昨年末3ヶ月法戦の折伏誓願の件、
同じように疑問を持っていました。

それは11月度総幹部会で、
矢島総務が折伏成果を発表ののち、
「みごと誓願を上回る、空前の折伏が敢行されました。」
と口にされたからです。

やはり水面下では誓願があったのか、と悟りました。
浅井会長講演では、そのような言及はありませんでした。

ご指摘のとおり、もし突っこまれても
幹部の「自主誓願」という形にするつもりでしょうね。
しかし、ある現役幹部によれば、組織や座談会を通じて
三者ごとの誓願が言い渡されていた模様です。

http://nanairoto.exblog.jp/

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