2016/1/31

シブシブケイゾク  
十二月度総幹部会の会長講演から、もう一つだけ取り上げておこう。

 そして今の安倍政権を見れば、政権のバックに付いている日本最大の右翼団体「日本会議」に操られて、日本を「神の国」にしようとしている。

世間知らずのわたくしはこの手の話に疎い。ゆえに初耳の話だった。

それにしても不審なのは、なぜに今ごろになって言うのか、である。浅井先生はずっと安倍批判をしてきた。第一次の時から数えれば、それこそ十年近い歳月である。しかし、わたくしの記憶が正しければ、上掲のような話は今回が初めてではないかと思うのだ。そこが不審なのである。

何か計画的に、満を持して、というふうにも勘繰ったりするわけだが、まあ、しかし、浅井先生もけっこう行き当たりばったりのところがあるので、大した意味はないのかもしれない。

さて、次は同じく十二月度総幹部会の登壇であるが、婦人部新横浜支区部長の記事である。

 「基礎教学書」の有難さは、拝読を重ねるたび、日を追うごとに強まり、紬織りの頑丈な装丁には
 「常に肌身離さず持ち歩き拝読し、命に染めよ」との浅井先生のお心を感じ、さらなる眼光紙背に徹せんとの決意が、湧き上がってまいります。


まだ入手していないので当てずっぽうを言わせてもらうことになるが、はっきり言えば重い、携帯には不便である、ということになるだろう。

これは先般の是正協議会の提案に便乗して言うわけだが、ウェブ版の基礎教学書を出すべきである。そうすればスマホなどで自由に閲覧することが出来て、ひじょうに便利のはずである。一昔前の感覚だと著作権の問題で、まさか出版したばかりのものをウェブ上に流通させることは考えられなかったが、しかし、今さらそんなことを言っていること自体がおかしな話であって、ましてや広宣流布をやろうとしている団体が著作権を云々してどうするのか、ということになるはずである。

本当ならば、冨士のバックナンバーや顕正新聞の全記事をすべてデータ化して広く公開してしまえばいいのだが、まあ、それは都合が悪いのでやらないだろう。しかし、基礎教学書はぜひともそうするべきである。

 「御書の肝心・極理が分からなければ、かえって迷う」

これは日目上人会での会長講演なのだそうである。しかし、探し方が悪いのか、顕正新聞掲載の該当記事にそうした記述は見当たらなかった。ちなみに次の記述は存在する。

 「日興上人は日目上人に御書の極理を師伝された」

言いたいことは単純明快だ。ようは創価学会にアテツケて言っているのだ。

・・・学会が「御書、御書」と叫びながらも、日寛上人のご指南を否定して「極限の大謗法」を犯した姿に、今、日興上人が日目上人に師伝された「御書の肝心、極理」を正しく拝されるお方は先生だたお一人であられ・・・

わたくしはこういう記述を見ると、創価学会員からの反発よりもむしろ法華講員からの反発のほうが怖い。ここでの登場人物は、日興上人・日目上人・日寛上人である。その延長線上にいるのが浅井先生であると、こう言っているようなものなのである。これでは日蓮正宗関係者が怒るだろう。御法主上人を無視していることになるからだ。

いつまでこんな状態が続くのだろうか?

「顔が穏やかになり、遺体も白く・・・」
  著名な医師も認めたお題目の力!


婦人部神奈川支区支区長補の活動報告の中に出てくる話である。医師の名前が書かれていないけれども、この著名な医師というのは在宅看取りを日本で最初に立ち上げた人物なのだそうである。彼いわく・・・

ある方が亡くなった時、お仲間が来て『南無妙法蓮華経』と唱えた。すると、顔が穏やかになり、遺体が白くなったんです。

こんなことを講演会で言ったらしい。

それを支区長補ではなく、盛岡在住の班長でもなく、その班員が、ようは平会員なのだろう、名前に役職が冠されていないからだが、つまりは又聞きの又聞きのような話を活動報告で発表しているのだ。

 「凄い、間違いない、顕正会だ」

これも平会員の発言である。

ようするに、それが本当に顕正会の人たちだったのかどうかは、不明なのである。ただし、顕正会員的な思考からすれば、他宗他門の題目では成仏できないわけで、さらに言うならば宗門であろうと創価学会であろうと御遺命に背いているので成仏は覚束ない、というように教わっているわけだから、平会員とは言え彼女が素直に信心しているとすれば、上掲のように思ったとしても不思議はないだろう。

そして登壇者の偉いところは、その報告を聞いて、くだんの医師にわざわざ会いに行ったというのだ。もっとも医師は都内にクリニックを開業しているので、神奈川で戦っているであろう支区長補にとっては物理的にそれほど困難ではないわけなのだが・・・

 医師は、顕正会の存在を認識してはいないようでしたが・・・

さて、わたくしの頭の中はグチャグチャで整理が出来ていないのだが、十一月度総幹部会の体験発表では次のような話があった。あの話はどこに載っていただろうか? すでに拙ブログで取り上げただろうか? それとも取り上げず仕舞いだったか? とブツブツつぶやきながら顕正新聞を探し回ってようやく見つけた。

葬儀担当者が
 「感動した」と入信


葬儀のプロである。宗派によってやり方が違うことも心得ている。遺体も見慣れている。ゆえに、少々のことでは驚かないだろうし、一つの宗派に傾くこともないはずなのだ。

それにもかかわらず、感動して入信したとなると、いよいよ広宣流布の大きな気運が起こり始めたとも考えられるかもしれない。

医師も同様のはずである。

前掲の話題において、くだんの医師は顕正会を認識していなかった。それがである。患者でもないのに、わざわざクリニックに訪ねてくる婦人がいたということで、顕正会の存在を認識することとなった。すると今後は、顕正会が言うところの臨終の相について、少なくとも意識の片隅にそのことを置きつつ、患者さんたちの臨終に立ち会うことになるだろう。

そしてもし彼が入信することにでもなれば、これは葬儀担当者の話と同様であって、いよいよ広宣流布の大波動が起こり始めたということになるだろう。

なお、これらはあくまで顕正会員的思考に基づけば、という前提に立っての話である。客観的にはかなり難しいと思う。

2016/2/6  7:00

現役殿

>国難3年を迎えましてね〜いよいよ世界が急激に〜だって!(あれ?10年前も同じ
こといってたよね?)

その通りですね。
だから、顕正新聞は毎月三度購読する必要はないのですよ。極論すれば。
十年に一度くらい一部購入すれば其れで大体は事足ります。

どれでもお手持ちの新聞(いつのでも良し)を眺めてみてください。
「日本滅亡までカウントダウン」的な事が書かれていますよね?
このニュースは永年のニュースですから、新しい新聞で知る必要はありません。
「前代未聞の大躍進」的な事も書かれてありますよね?
顕正会は永年、未曾有の大躍進であるそうですから、是も一々新聞で得なくても良いニ
ュースです。
「宗門は大不敬、学会は大謗法」といった事も書かれていますよね?
「顕正会に入って、今まで罰の連続であった生活が立ち直った」
といった登壇録も載っているかと思います。
次号の新聞も、次々号の新聞も大意は同じですから、一々毎回買って内容を確認する必
要は無いのです。

2016/2/6  5:58

(臨終相 続き)

…こんな感じの議論の果てに、若し仮に、お互いが「どうだ現証で実証してやった。勝っ
た、勝った」と自陣に戻った後で喧伝するのであれば、其れはもはや盲信の世界であり、
こういう議論を頭破作七分の議論と言う。
だから、日寛上人の上の言葉を認めてしまうならば、我々は数少なく残った現証の決め手
まで失ってしまう、という事になるのだ。ご都合主義の現証論の復活だ。となると、現証
を重視された御金言は空言か、という事になってしまう。

御書には邪法の者も善相で死ぬ事もあって、法華の行者も悪相で死ぬ事もある、等とは説
かれていない。臨終の相を一つの決め手とするように説かれている。
故に、日寛上人の係るご見解は、「極稀に、諸事情によって正法の人でも悪い臨終相が出
る事もあって、悪法の人でも善い臨終相が出る事もある」という話ではないかと思われ
る。こういう話であれば、医師がきちんと検定し、更にちゃんと統計を取って、どちらの
宗派、教団にどういう臨終相が殆どの場合、出ているか」という事を検証すれば、少なく
とも現証論的には正邪の判定ができる事になる。
然るにもし、日寛上人の上の言葉が、「普通に、正法の人でも悪相が出るし、邪法の人で
も善相が出たりするよ」という事なのであれば、断じて承服できない。恐らく己義であろ
う…

2016/2/6  5:57

臨終の相について続き…

尚、日寛上人のこの事を扱った書物に「臨終用心抄」があるが、この書は少々問題がある
と当方では見ている。こういう事を言うと皆さん(沖浦殿以外は)驚かれるかも知れない
が、まあ聞いて欲しい。

「臨終の相に依つて後の生所を知る事」とあって、ここまでは良いのだが、このように言
い切ったその直ぐ後に、なんと臨終の相が何よりの現証である事を論じた部分を覆すかの
ように「他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事」とあるのだ。邪宗でも善
い臨終相が出るという事なのだろうか。是では、成仏の相が出たとしても安心できないで
はないか。そして更に続けて、「法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事」とさ
えある。この二つは対になっていると考えると、「他宗でも善相あり」「当宗でも悪相
(地獄)相あり」となり、是では、臨終の相さえ正邪判定に使えない、という事になって
しまう。こんな話がありならば、例えば宗門と創価とが争っていて、では現証で勝負しよ
うという事になったとして、創価の人が金持ちになっても宗門の人は「それは前世の福運
が残っていたからか、魔の通力のせいだ」と言い、宗門から創価に行った人が交通事故に
遭っても創価の人は「是は魔の働きか、或いは罪障消滅である」と言う訳だから決着が着
かない。其処で臨終の相で比べようという事になっても、創価の人が悪相で亡くなっても
創価の人は日寛上人の「不善相なれども成仏疑ひ無き」を引き、創価の人が善相で亡くな
り、どうだと宗門の人に自慢しても宗門の人は日寛上人の「善相有りとも地獄に堕つ可き
事」と引く、という有様で、結局議論にならない。議論にならないというか真相が結局判
らない。

2016/2/6  5:30

>「顔が穏やかになり、遺体も白く・・・」
  著名な医師も認めたお題目の力!

誰か信心強情な方が居て、死後は私の遺体を医学検証の素材として提供したい、
等と申し出てくれる方はいらっしゃらないだろうか。
私が老年になれば、必ずやそのように言うだろう。
まあ、きちんと検証してくれる医者を見付けられればだけども。

このようにすれば、少なくとも成仏の相は実証される事になる。
と同時に、正宗的に言えば正邪もいよいよ現証論としてはっきりしてくるのであ
る。
法論で一万五費やすのに匹敵する説得力が得られよう。

一般的な正宗系現証論は使い物にならない。即ち、自分達の教えに入信して幸い事
があれば功徳と謂い、災難があれば罪障消滅、乃至、魔障と謂い、敵対組織に入信
しての幸い事は福運がまだ残っていたとか、魔の通力と謂う。非常にご都合主義的
な理論なのである。
然るに、正本堂崩壊だとか他国侵逼のような大きな事であれば、もはや魔は手が出
せないし、建物や国に罪障は無いのだから、現証であると断言できる。
そして、もう一つ現証として使えるのがこの成仏の相である。

顕正会では盛んに死後硬直がなかった、と喧伝しているが、どうやら死後硬直とい
うものは、数時間経っても起こらない事が普通にあるらしい。
だからやはり体の事に詳しい人、つまり医師や学者に検証してもらい、こうした臨
終が普通は起こらない事を示してもらうのが一番だろう。つまり、世間一般の普通
の事例では、このような色や柔らかさにはならない、検証された遺体の中では、初
めてのケースである、と。
このようにして初めて、「現証」が理証や文証と並び称せるようになるのである。
広布の為、是非ともこの検証は行って欲しい。一大ニュースとなるだろう。

2016/2/4  22:48

投稿者:ユタ
 (勝手に)顕正会代表さん、こんばんは。

 私ごときの発言にお付き合い頂き、ありがとうござい
ます。

>そういう二段作戦。

 これはいい考えだと思いました。
 よく、刑事ドラマでもやっているネタですね。
 1人が怒鳴り役の刑事、もう1人がクールな刑事。
 怒鳴り役はとにかく容疑者を怒鳴りつけたり、机をバ
ンバン叩いたりと威嚇しながら尋問する。
 しかしそこをクール役の刑事が制止して、常に穏やか
に容疑者に接する。
 すると容疑者はクール役の刑事に対しては、素直に尋
問に答えるようになるというものですね。

>あんな風に宗門側の人にまくし立てられて顕正会をや
めた口なのですか。

 私は純粋に一顕正会員としてブログをやっていただけ
なんですが、寄ってたかって荒らされましたね。
 終いには顕正会本部にも見つかり、初代ブログはそれ
で潰れました。
 それでも向こうさんは、「救ってやったんだから、そ
れくらいいだろ」的にしか思っていないでしょう。
 因みに2代目ブログは法華講員になってからの立ち上
げにも関わらず、今度は武闘派達に荒らされて潰れまし
た。
 同時に、宗門も辞めました。

 現在のは3代目です。
 一応、“あっつぁブログ”が幽霊船と化したのを機に
復帰しました。
 そして、武闘派達とは一切異体同心をしないと心に誓
いました。

>ユタ殿は後者であるようです。

 お褒めに預かり、ありがとうございます。
 ただ、私はそこまで殊勝な人間ではありません。
 どちらかというと、そのクレーマーを捕まえて晒し者
にしてやろうと考えている方ですよ。
 「同心の徒を謗るは重罪」の観点から、すぐに行うこ
とはありませんが、あまりに腹立たしい輩にあっては
【お察しください】。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2016/2/4  20:09

ユタ殿 (結構長くなってしまいました。すみません最後です)

>いずれにせよ、私も、お近づきにはなりたくない人達です。
>同心の者であったとしても。

そうですね。同じような果敢な折伏ではあっても、樋田氏とはお近づきになっても
、彼女とは…。とはいえ、彼女の動画を見た後だと、今まで憎らしく思っていた樋
田氏が非情に話の分かる、会話しやすい人に思えるから不思議です。彼女の行為も
、そういったプラスの効能を持っているのかも知れません。まず彼女が顕正会に行
く、会員はウンザリする。その直ぐ後に今度は樋田氏が行く。今度の人は話を会話
ができそうだ、ちょっと話を聞いてみようか、となる。そういう二段作戦。

>私も顕正会員時代、彼らに同じことをされたから、というのは理由になりません
でしょうか?

ああ、ユタ殿もあんな風に宗門側の人にまくし立てられて顕正会をやめた口なので
すか。しかし不思議ですね、若しそれが嫌な思い出となっているのでしたら、どう
して宗門に入ろうとしたのでしょうか?
私ならば、例えば「あっつぁ」とかいう人にどれだけ破されても、悔しさと苛立ち
が先に来て、とてもあっつぁの軍門に下ろうとは思えない、意地っ張りですが。

それはさて置き、ユタ殿は立派ですね。世の中には二パターンの人間が居ると思わ
れます。
一つは、自分が世の中でやられた様々な事を、今度は自分が誰かに仕返しのつもり
でやってやろう、というもの。例えば、サービスセンターに勤めている人が、日頃
からお客さんに文句を言われ続けている鬱憤を、今度は自分が客になった時に晴ら
してやろうとモンスター化する感じ。
二つは、自分が世の中でやられた様々な事を、その苦痛が分かっているから、せめ
て自分だけは他人に対してやらないぞ、と心に誓うもの。例えば、姑に散々苛めら
れて来た女性が、自分が姑になった時は、絶対、息子の嫁には同じ想いはさせない
ぞ、と考える感じ。
ユタ殿は後者であるようです。

2016/2/4  20:07

ユタ殿 (更に続きです)

>いくら大御本尊の庇護下にあるとはいえ、ね。
>しかし、武闘派の人達は自分達がピュア・ホワイトだと思っています。
 
そうそう、その通りです。「大御本尊にお目通りしているから」という事を、例え
ば樋田氏とかはよく自慢げに語り、法論相手に「君達は正しい御本尊を拝んでいな
いから、そのように頭破作七分になるんだ」とお説教をしているますが、是は少々
、危険な考え方です。「正しい御本尊に勤行している」というのは必要条件であっ
て十分条件ではないと思われます。

正しい信心、教学で以て勤行しないと、幾ら「正しい御本尊」に向かっていようと
、毎日、お目通りしてようと、近くに住んでいようと「日蓮を用いようとも悪しく
用いれば…」という事になります。大聖人御在世の頃であって尚、大聖人を拝して
いた人でも間違って拝していた人は道を踏み外しました。

宗門や学会から見れば悪人である浅井氏も、宗門や顕正会から見て悪人である池田
氏も、顕正会や学会から見て悪人である日顕師も、常日頃から大御本尊を内拝して
いた訳ですから、御開扉に与っているから魔とは無縁だ、という事はあり得ません
(どの立場から見ても)。戦中に己義を構えた小笠原師も、詐欺弁護士山崎氏も御
内拝を受ける身でした。故に、「大御本尊の庇護下にある」という事で慢心するの
は非常に危険だと私は考えています。

>せっかく脱会しておきながら、やっていることはその破折先と同じであることに
どうして気づけないのか……。
 いや、気づいているけども、わざとやっているのか……。

折伏する事自体は正しくて、自分達は正しい教えの下に居るのだから完全に正義が
ある、と考えているのではないでしょうか。相手を罵倒する事が駄目なのではなく
て、邪教の癖にそれをするのが駄目で、聖教である自分達ならば許される、と。
まあ、幾分分かる理論です。一般人が一般人を捕まえて監禁したら完全な悪ですが
、警察が其れをするのは良い事と見做されてています。其れは、警察の方には民主
主義的に制定された国法の下にやっている、という裏付け、大儀があるからです。
一般人が誰かの体をかっさばいてはいけませんが、医者ならば切開しても良い事に
なっているのも同じ理屈で、行為は同じですが、正しい目的の為に正しい人がやる
分には大丈夫、と。
難しい問題です。

2016/2/4  14:41

投稿者:ユタ
(勝手に)顕正会代表さん、こんにちは。
返信ありがとうございます。

街頭折伏を大聖人の辻説法と一緒に考える向きがありますが、大聖人は出家、我々は在家であることに留意する必要があると思います。
在家は本来、近縁を折伏するだけで十分だと思います。
それすら「肚を決める」のに相当な覚悟がいるでしょう?
それなのに一部の武闘派達は、自分の功徳の為に折伏のハードルを上げてしまっているんですよ。
で、蓋を開けてみたらあの調子でしょう?
ちょっとヒきますよね。

http://blog.goo.ne.jp/localfor

2016/2/4  1:27

ユタ殿 (続きです)

>ただ、元顕の皆さんは大きな間違いを犯しがちだということです。
>もっとも、その間違いを恐れて何もしない私をその人達は笑うと思いますが。

是には顕正会の責任もあるのでしょうね。組織運営というか人材育成がおかしかっ
たから、会長を絶対視する盲信者ばかりを生み出してしまった。そういう人達は今
度は盲信が打ち砕かれた時は、逆に「騙したな」と会長に恨みを持つようになる。
その恨みが原動力となって、今度はそれが現役会員に向けられる…。

まあ、私も一頃は現役会員の盲信を随分攻撃しましたから、気持ちは分かります。
偉そうに絶対性を説く割に質問にまともに答えられないじゃないか、と。顕正会は
絶対じゃなかたのか、と。絶対だと信じていただけに、裏切られた感が強い訳です
。顕正会は、「会長も凡夫、間違える事はある」「皆で知恵を出し合って、正しい
信心ができるように皆で協力しよう」という方向にシフトチェンジすべきだと思い
ます。

>私は顕正会を白蓮華の団体だとは思いません。
>しかし、宗門とてピュア・ホワイトではない。
>当たり前です。
>どちらも凡夫が運営している教団なのですから。
 
そうなんですよね。その視点が大事かと思います。浅井氏であれ池田氏であれ戸田
氏であれ阿部日顕師であれ早瀬日如師であれ、人に帰命するのは危険かと思われま
す。あくまで帰命する対象は御仏だけにして、人師はあくまで自身の信心の先輩、
絶対ではないが現時では頼りになる師匠、という位置付けが良いのではないかと思
われます。法に依って人に依らざれ。

私は浅井会長には、教義的逸脱をしない限りに於いて支持する、といったスタンス
です。現時点までには御書違背は見られませんが、御書違背が見られれば、完全に
離れるつもりです。
末法は荒凡夫しか生まれて来ない時代ですから、先も見通せない凡夫に絶対帰依を
してはいけません。

2016/2/4  0:46

ユタ殿 今晩は。

>うちの信徒がとんだマネをしていて、物凄くお恥ずかしい限りです。

いえいえ、顕正会員もお恥ずかしい感じなので^^;
女性一人が来ただけなのに警察呼びにいっちゃうくらいの情けなさというか。しか
も、何だかずっとニヤニヤしていますし。坂井という人も其の態度に更にヒートア
ップしてしまって、何笑ってるの?と。ニヤニヤ、ギャーギャー、ニヤニヤ、ギャ
ーギャー…。顕正会員ももっと真面目に対応しなきゃ、と思います。

>それでも、こういう人に影響されて退転して宗門に行
ってしまう人っているんだろうなぁ。
→まあ、武闘派さん達はそれが目的ですから。

そうでしょうねぇ…。どんどん切り崩されてゆく顕正会。見ていてオロオロするし
かないですが、まあ、御供養や新聞、折伏ノルマがあったり、本尊複製をしちゃう
ような会ですから、顕正会員なじゃい方が幸せな面もあるのかも知れませんが…

>宗門の書籍なんかでも、街頭折伏を絶賛している内容の物が多々見受けられて、
私のように静かに信心をしたい者には正直ドン退きです。

ああ、静かに信心をした人には迷惑なんですね。確かに、正宗、宗門の名でやって
しまっているので、周囲からも色眼鏡で見られたりする原因になるかも知れません
からねぇ。

折伏弘通をする事は大聖人の御遺命であり、宗是でもあるので、大聖人が辻説法を
やられていたように、街頭折伏も道を外れた行為ではないとは思うのですが、公衆
の目に晒されているだけに、見た目も気にしたいところです。
それともう一つ心配なのは、恐らく息子さんを連れて(撮影係?)折伏に来ている
のだと思いますが、ちょっとあんな感じで他人を罵倒し続ける姿を子供に見せるの
は、教育に悪いのでは、と思ってしまいます。

>「誰かにこの功徳の感激を伝えたい!」>これは顕正会でも同じでしょうが、宗
門でも同じで
す。
 
そうでしょうねぇ。
もう少し感情をその抑えて、相手を尊重してやれば、全然イメージも違うのでしょ
うけどねぇ。「功徳の感謝を伝えたい!」という事でお手本になるのは、沖浦殿で
はないかと思われます。浅井会長の悪い面や偽本尊を絶叫するだけだと、宗門の良
さ、功徳は伝わりにくいのではないかと思われます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ