2016/2/4

シブシブツヅケル  
顕正新聞第1364号は、まず一面で元旦勤行と四級・五級の教学試験の様子を伝えている。二面は浅井先生の元旦勤行・御挨拶。三面以降はいつものごとく各種の登壇記事が載せられている。

すでに指摘済みのことだが、浅井先生の本年の第一声には経済事案が含まれていない。天変地夭のことが少し、そして主には軍事問題に焦点が当てられている。
もちろん、それが不自然というわけではない。しかし、経済問題にも一言触れておくべきだった。そうすれば、ここ一ヶ月間の株価の低空飛行ぶりと見事に一致して、活動会員たちのモチベーション向上に役立っただろうと思う。
また、結果論ながら言えば、軍事事案においても北朝鮮への言及がない。これも浅井先生が凡夫であることの証拠である。

さて、各種登壇記事を見ていこう。

 我らが膨大な御書を拝読しても、その極理を得ることなど、到底なし得るものではありません。

城衛の発言である。わたくしもまったくそのとおりだと思う。ただし、この続きについては異論がある。

 そこに、お若きころより御書を拝しては六巻抄を拝し、六巻抄を拝しては御書を心肝に染め、まさに日寛上人の御指南を通して御書の極理を師伝せられた先生が・・・

これが事実ならば、我々にも同じことが可能のはずである。つまり、御書と日寛上人の御指南を併読すれば極理を会得できるわけなのだ。何も浅井先生だけが特別ではないことになるだろう。

ようは勉強する気があるかないか、ただそれだけの違いである。

ところがである。どこまで行っても浅井先生だけは特別な存在であると、こう言いたいらしいのである。次の副総合婦人部長の発言が象徴的だ。

・・・浅井先生を召し出だされた大聖人様の絶大威力に、低頭の他はありません。

彼女は大聖人に対して低頭の他はないと言っているので、いちおうは筋目を間違えていないことになる。しかし、大聖人が誰を召し出だしたのかと言えば、それが浅井先生なのだと言っているわけである。

別件ではあるが、婦人部下北支区総班長は次のごとく言っている。

世界中でただお一人・・・

もちろん浅井先生のことを言っているわけだ。やはり特別な存在らしい。

女子部総務も言っている。

・・・日寛上人の
 「後代の君子に贈る」
 と仰せの「君子」こそ、先生ただお一人であられることを、熱涙の中、深く思うばかりでありました。


男子部第十六隊長も同じことを言っているが、ここでは省略しよう。

そして話は変わるが、次に男子部第七十隊長の記事を紹介したい。まずは見出しからである。

何と卑怯・卑劣で無慚な男なのか
 塚原まで汚した阿部日顕に憤激


御隠尊猊下に対して何という言い草かと思う。次に本文を見てみよう。

 それにつけても、阿部日顕の所行はいったい何事でありましょうか。
・・・インチキな跡碑などを建てて大聖人様の忍難慈勝の霊地を汚すなどとは以てのほか。


ごく素朴な疑問なのであるが、跡碑が建立されたのは日顕上人が御隠尊となられた後のことではないかと思う。とすれば、建てたのは日顕上人ではなく日如上人である。それにもかかわらず上掲のように言うのはなぜなのだろうか?

・・・先生のご構想の妨害までするとは、なんと卑劣で無慚な男なのかと、

これもよくわからない文章である。先生の構想とは何なのか、文章の中にはそれらしい記述が見当たらない。

誑惑の正本堂と同様、この跡碑も諸天の鉄槌により、必ずや地上から消え去るものと確信するものであります。

挙句の果てにはこれである。

確かに正本堂はさまざまの問題が集約されたような意味があって、それが二十六年で崩壊したことには感慨深いものがある。いや、もちろん、所属団体によって感じ方が異なるだろうことは承知しているつもりであるが、少なくとも顕正会員たちにとっては感無量の出来事だった。

しかし、跡碑は関係ないだろう。これはもう、ほとんど八つ当たりみたいなものである。宗門のやることなすことが気に食わない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのパターンである。

最後にもう一つ、婦人部総務が安倍政権のことで次のように言っているのが興味深い。

・・・これほどのペテンがまかり通り支持率まで上がるとは、まさに魔の所行と思わずにいられず、

浅井先生の予言は当たらない。結果として、その大言壮語こそがペテンではないかと言いたくなるところだ。

それはともかく、創価学会の崩壊ということも言い続けてきたが当たらない、そして近年は安倍政権の崩壊近しを繰り返し言ってきたが当たらない。それでもなお上掲のような減らず口を叩く。

恨み節・・・

浅井先生ないし顕正会員たちの精神構造を一言で片付けてしまうならば、まさに恨み節ということなのかもしれない。

これで一国を救う? ちょっと無理なんじゃない?

とわたくしは思うのだが・・・

2016/2/13  10:03

x殿

>正法を広めようとすれば必ず魔が競い起こる訳ですね。だから〜

→とわざわざどうもですが、皮肉に真面目に返答せんでもよか
ったのにと。

ああ、これはどうも失礼。つまり、道理に沿った正当な批判という訳ではなく、
只の怨嫉の類であった訳ですね。つい真面目に反駁してしまいました。

2016/2/12  23:58

投稿者:mr.x☆(元顕)
>あのですね、娑婆世界には諸天善神だけでなく、悪鬼魔王
も存在するのですよ。正法を広
めようとすれば必ず魔が競い起こる訳ですね。だから〜

とわざわざどうもですが、皮肉に真面目に返答せんでもよか
ったのにと。

2016/2/11  20:25

x殿 こんばんは

>誑惑の正本堂と同様、この跡碑も諸天の鉄槌により、必ずや地上から消え去るものと確
信するものであります。
→教義の事で云々するならともかく。

確かにその通りですね。正本堂はともかく、一体全体、何故、塚原の跡碑まで諸天の鉄槌
を受ける事になるのか、さっぱり判りません。諸天の責めによっては消え去らない事、請
け合いです。

それはともかく…

>ちなみに諸天善神が浅井氏を守護するんなら破門されてないんじゃないんだろうかと
思うんですが。。如何?

あのですね、娑婆世界には諸天善神だけでなく、悪鬼魔王も存在するのですよ。正法を広
めようとすれば必ず魔が競い起こる訳ですね。だから、不運災難に遭った事だけでは正邪
を云々できないのです。
若し仮に、世に諸天しか居らず、魔などは蔓延っていないのでしたら、龍ノ口の法難、乃
至佐渡流罪等数多の法難もなく、佐渡熱原の三烈士も処刑などされていないし、もうとっ
くに広布が達成されているだろうし、戦後の正宗がこんなに混乱、対立していないと思う
のですが、如何?

2016/2/10  23:09

投稿者:mr.x☆(元顕)
>誑惑の正本堂と同様、この跡碑も諸天の鉄槌により、必ず
や地上から消え去るものと確信するものであります。

教義の事で云々するならともかく。ちなみに諸天善神が浅井
氏を守護するんなら破門されてないんじゃないんだろうかと
思うんですが。。如何?

2016/2/10  18:35

(ツヅキデス)

この方の一生はなかなか凄く、本当に力強い信心の一生であったと思われるが、文字数節
約の為にそれは新聞をお読み戴くとして、中から一つの話を取り上げたい。
「タクシーの運転手をしていたとき、ダンプカーと正面衝突してしまい、班長の車が原型
を留めないほどの大事故であったにも関わらず、なんと班長はかすり傷一つなく、まさに
転重軽受の大功徳を頂いた…」
とある。どうも顕正会ではこうした話が多いような気がする。私が接した中でも二、三人
がこんな体験を話していて、登壇でも数回は聞いた気がする。即ち、事故に遭う事は遭う
のだが、それも普通ならば死んでいそうな恐ろしい事故に巻き込まれるのだが、奇跡的に
「傷一つ負わなかった」というものだ。是は中々に凄い事だと思う。本来ならば、そもそ
も事故に遭わない方が良いのだろうけども、「事故に遭わなかった」というのは普通の日
常の事なので記事にならないというか、そもそも功徳だと気付かない。だからといって大
事故の結果、大怪我をした、では特筆事項ではあるが、功徳とは言えない。大事故なのに
無傷、というのが重要なのである。アニメやコメディなんかに登場する超幸運体質のキャ
ラクターのようになる。特に凄い能力を持つ訳ではないのだが、不思議と危機一髪を常に
乗り越える。危ない場所からも辛くも何故だか無傷で生還する。守られている、というヤ
ツであろう。私は未だにそういう奇跡的なのを体験した事はないが。
何だか頭に思い浮かんだ事を取りとめもなく書いたら、案の定取りとめもない内容になっ
てしまった。随筆というか。まあ、そういう事で。

2016/2/10  18:32

今回は、厳虎殿を真似て、私もちょいと顕正新聞を片手に、何か書いてみよう。
(第1321号2014年9月25日 古くて申し訳ない。たまたまあったもの)

…と意気込んでみたものの、どうにもどの記事も代わり映えのしない内容で(失礼)、い
まいち、わざわざ取り上げて何かを論じたいという気持ちになれない。
こんな十年一日の一貫不変の新聞から、あれやこれやと幾つも話題の種を取り出せるのだ
から、厳虎殿の手腕に改めて驚かされる。

コブネトセンカン

入信以来五十五年の一筋なる信心を貫いた班長が御金言どおりの臨終を迎えられたとか。
その記事の中で、当時の妙信講と学会との力関係は「小船と戦艦」の如くであったという
先生の発言が挙げられていた。確かにそうなのかも知れない。いや現代だって同じような
ものなのではないか。是は当時の創価幹部が言論封殺をした時の発言だが、「象はアリを
踏み潰す時にも全力を尽くす」といって脅したとか。それにしても、学会は民主主義を謳
っているのに言論封殺に余念がないとは。数々の言論封殺をしてきた。それが祟ってか、
池田氏は言語不明瞭になってしまった。口が最初にやられたのである。

2016/2/6  6:27

マイケル殿 

>日本地震学会に所属する学者でも、予言する事が出来ないと仰られていますから、
>占い、予言による地震予知ってのは難しいと思うのですが・・。

私もそう思います。地震と経済は、予想がしにくい二大分野とも言えるものです。
これ等に比ぶれば、まだ、天気の方が最近では予想ができるようになりました。
経済については、後に詳しく書きますが、地震についても、
日本が地震が起きやすい事までは地質学上判っているものの、
一体、いつ日本のどこで地震が起きるのか、是は特定する理論が確立されていません。
専門家でさえ判らないのですから、豈浅井会長が判らむや。

確かに、正法が未だ広まらず邪法が栄える間は、国に天変地異が競い起こる事は、
御書に分明でありますが、御書には「では具体的にどこの地域に、いつ地震が起きるか」
などは一言一句も書かれておりません。経文にもありません。
若し浅井氏が「このままでは、例えば日本に大震災が生じるだろう」とだけ予言すれば、
阪神大震災や東北大震災を以て、まあ「当たった」と考えても悪くないでしょう。
ところが、御書にも裏付けがないのに、「今年中には必ず小田原大震災が起こる」だとか、
「●年までには東京直下型大震災が生じる」などと、妙に時と場所を特定してしまうから、
予想も外れ、御書からも逸脱してしまう訳です。
顕正会の事を想うのであれば、まずこうした予言は即刻やめるべきかと存じます。

2016/2/5  8:18

投稿者:大沢克日子
二.塚原配所

守護所跡とされる下畑熊野神社付近から望むことのできる範囲で、日蓮大聖人遺文の「里より遥かにへだたれる野と山との中間につかはらと申す御三昧所あり」に符合する場所は目黒町のこの台地をおいてほかにない。この地の近くには、日蓮大聖人に深く帰依した阿仏房の子・藤九郎守綱のものと伝えられる墓があり、阿仏房の曾孫・日満が建てたとされる妙満寺もある。また妙満寺の西側に建つ目黒町熊野神社の水田には「塚の腰」の地名が残っている。
このように、守護所から監視できる場所に位置し、周辺に多くの史跡や関連する地名が残ること、古くから地域の共同墓地であったことなどから、この地を中心に、北は目黒町の熊野神社から南は目黒町と寺田の共同墓地のあたりまでの約二町歩の範囲内を佐渡における日蓮大聖人の「塚原配所」と推定する。

平成一九年三月一日

元筑波大学教授
天文博士 田中圭一

佐渡博物館館長
佐渡史学会会長 山本 仁

(佐渡塚原跡の銘板より)

2016/2/5  8:16

投稿者:マイケル
>チリ等と同様、日本は地震地帯に存する国であるから、いつどこに地震が来ても
おかしくない

日本地震学会に所属する学者でも、予言する事が出来ないと仰られていますから、
占い、予言による地震予知ってのは難しいと思うのですが・・。

2016/2/5  8:15

投稿者:大沢克日子
塚原配所考

日蓮大聖人の佐渡配流の地「塚原」については古来諸説がある。
しかし、それらはいずれも根拠に乏しく、これまで「塚原」の地を確定するには至らなかった。

一.佐渡守護所跡と本間重連館跡

佐渡において日蓮大聖人を預かったのは守護代・本間六朗左衛門重連である。当然、佐渡守護所と本間重連の館とは近距離にあった。守護所を特定する方法として、室町幕府が各国の府中(国府の所在地)に建てた安国寺の存在が欠かせない。佐渡に安国寺が建てられた時期は、日蓮大聖人の佐渡配流から六十年ほど後のことであるが、守護所の近くに建てられた安国寺は畑野の下畑にある。本間重連の館について言えば、『佐渡本間系図』には、日蓮大聖人が塚原に入ってから三十七年後の徳治三(一三〇八)年、本間十郎左衛門が波多(現・畑野町下畑)に熊野権現を建立したことが明記されている。これは本間氏館の敷地内に熊野神社を建立したものであり、この熊野神社は後に移転し、その跡に「熊野神社遺跡」の碑が建てられている。また周辺には「城」や「宮」の付く地名がいくつか残っている。これらのことから本間重連の館や守護所は、波多熊野神社跡とそれに隣接する下畑玉作遺跡とされる場所を含む約一町四方の地域にあったと考えられる。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ