2016/5/26
幹部の発言から見えてくるもの
顕正新聞第1376号から話題を拾おう。今までウッカリしていたことがある。本当は過去に遡って調べるべきなのだが、とりあえず気がついたことを書いておこう。
最後に浅井総男子部長から気魄こもる指導がなされた。
最後に佐野総合女子部長が情熱こもる指導をした。
最後、湯浅総合婦人部長が情熱こもる指導をした。
たぶん、わたくしが何を言わんとしているのか、まるで見当がつかないだろう。
上掲は一面の報道部分の文章である。編集部が書いているわけだろう。
では、二面以降の見出しはどうか?
「代表決意」
つまり、各部の班長会における最後の登壇者は、代表決意を述べているわけである。ところが一面の説明では、それが指導となっている。この不整合はどうしたことか、ということなのだ。
前にも書いたことがあるが、顕正会の指導者は浅井先生である。浅井先生のみが指導者なのだ。ゆえに総ないし総合部長といえども指導は出来ず、決意を述べるにとどまるわけなのだろう。ところが顕正新聞の報道部分においては、何気に指導と書いてしまっているのである。だったら代表決意をやめて指導にすればいいのだ。それとも顕正新聞の編集部はこうした矛盾に気がついていないのだろうか?
ここが怖いところである。わたくしにしても同じことであって、偉そうにいろいろと書いてはいるものの、まるで見えていないようなこともあるに違いないのだ。
さて、話を進めよう。当該号は四月度班長会の記事を中心に組まれている。
今回、代表決意というタイトルで登壇をしているのは、男子部では総男子部長・副総男子部長・男子部総務である。いつものことながら彼らは直前の総幹部会の会長講演をなぞるだけなので、どれもこれも似たり寄ったりの内容になっている。ゆえに漫然と読んでいると気がつかないかもしれないが、この三人の登壇には興味深い共通項があるのだ。
中盤戦を見つめた先手の折伏を進め・・・
盤石の態勢を、二大綱目推進と先手の折伏の中に急ぎ構築し・・・
大成長をかけ先手の折伏と二大綱目推進に背水の陣の決意で臨み・・・
先手の折伏だ。
これはひじょうに意味のあることであって、ようは本年の初陣戦に全力投球してしまったため余力を失っている状態なのである。野球の投手であれば、ここは肩もしくは肘を休める必要がある。無理して投げれば必ず壊れる。これはもうスポーツ医学の常識であろう。もちろん適度な運動は身体にいいわけで、何もしない休養よりも身体を動かしながらの休養を、という考え方はある。しかし、状況に応じて完全休養も時には必要である。
まさに顕正会の折伏戦は、そうしたトップアスリートの身体の酷使の仕方に似ているわけで、物凄くダメージが大きいのだ。ゆえに完全休養が求められる。
ところが幹部たちはそれを許さない。先手の折伏をせよと。
ここに拡大路線の根本的な問題が潜んでいるわけだ。
本年の初陣は空前の大折伏が敢行された。すると次の六・七月法戦においても、それ相応の成果が求められる。少なくとも前年比でマイナスは許されない。さらには秋の三連戦が待っている。しかし、そこで終わるわけではない。年が明ければ再び初陣戦が待っている。つまり、顕正会の活動会員はそれを永遠に続けるわけである。少なくとも広宣流布が達成されるまでは・・・
それでいて、五月だとか八月だとか、あるいは十二月だとか一月は、いわゆる指導の月であって折伏法戦はない。いちおう、建前上は、である。しかし、上掲のごとく、先手の折伏を進めて行こうと言われてしまうのである。
オイオイ、これじゃあ休むヒマがねえじゃんか、と言いたいところだ。
いや、もちろん、感激を原動力に自主的に折伏を実践するのであれば、大いに結構なことである。誰も文句は言わないだろう。しかし、もはやそんなのはキレイごとであって、ほとんどウソみたいなものである。なぜならば、すでに班長会などの公式の場で、上掲の指導がなされているからだ。つまり、現実的には多くの活動会員が幹部から尻を叩かれて、内心ではかなりウンザリしながらも、そうしたことは一切口にせずにひたすら頑張っているのである。
これじゃあ、退転するわけだよ。
ここでじゃっかんは法華講員に失礼だとは思いながらも、おそらくはこうだろうということを書いておきたい。
顕正会の活動会員は根性がある。俗に言うところの根性だ。そうして幹部にのし上がっていった人は、逆にそれがアシカセとなってやめたくてもやめられなくなるのだ。実際、退転していった人たちに対する、残った人たちからの侮言を聞けば、歯を食いしばっても組織の中にとどまる道を選択することになるだろう。いわく、アイツは折伏法戦の辛さから逃げたのだ、ようは根性がないのだ、あんなヤツはどこに行っても成功しないだろう、と。
一般の退転者、すなわち顕正会から無宗教に転じた人たちは、おおむね上述のような侮言を投げつけられることになる。もともと負け嫌いの人であれば、耐えられないはずだ。いや、負け嫌いだろうがなかろうが、上述のような侮辱は耐えられないのが普通だろう。
わたくしの見るところ、こうしたガンジガラメの状況から卑屈にならずに抜け出す最善の方法は、日蓮正宗に帰伏することである。もちろん、残った会員たちからボロクソに言われることに変わりはない。しかし、意味がまるで違うのだ。なぜならば、正義にめざめたという大義名分が立つからである。
むしろ、ここでは形勢逆転である。
とりわけ法華講員の先輩の中に顕正会破折を得意としている人がいれば、これはもう鬼に金棒である。わたくしの狭い見聞の範囲では、たいていの幹部がビビってしまって法華講員との接触を回避するようになる。つまり、こうして顕正会からきれいさっぱり足を洗うことが出来るのだ。
ぶっちゃけ言えば、日蓮正宗は顕正会から逃れるための駆け込み寺なのだ。
ずいぶん穿った物の見方をしているように感じられるかもしれないが、けっこう核心を捉えているのではないかと自分では思っている。顕正会員がなぜに強気でいられるかと言えば、それは自分たちが唯一正しいとの確信からだろう。しかし、実はそうではないのだ、顕正会はこれこれこのように間違っているのだ、ということを法門の上から理路整然と説明することが可能ならば、そこで立場がひっくり返るのだ。
事実、隊長クラスが日蓮正宗に帰伏したとの情報がある。もしも隊長が単に無宗教に転じたとすれば、これもうボロクソに言われるだけであり、本人も屈辱的であろう。しかし、正宗への帰伏は違うのだ。なぜならば、それは正義にめざめる行為だからである。堂々としていられるだろう。
話を戻そう。先手の折伏の意味が見えてきた。
やはり正宗への帰伏者が後を絶たない。有力な活動会員たちが、あるいは真面目な活動会員たちが、次々と正宗へ移籍していく。つまり、こうした動きに歯止めが掛からない以上、残る選択肢としては新規会員の獲得しかない。それが先手の折伏の意味でもあるわけだ。
当然、女子部も婦人部も同じであるが、今回の場合はとりわけ男子部の代表幹部三人が揃いも揃って先手の折伏を口にしたところからしても、組織の中に何かしらの危機が迫っていることを暗示しているように思うのである。
最後に浅井総男子部長から気魄こもる指導がなされた。
最後に佐野総合女子部長が情熱こもる指導をした。
最後、湯浅総合婦人部長が情熱こもる指導をした。
たぶん、わたくしが何を言わんとしているのか、まるで見当がつかないだろう。
上掲は一面の報道部分の文章である。編集部が書いているわけだろう。
では、二面以降の見出しはどうか?
「代表決意」
つまり、各部の班長会における最後の登壇者は、代表決意を述べているわけである。ところが一面の説明では、それが指導となっている。この不整合はどうしたことか、ということなのだ。
前にも書いたことがあるが、顕正会の指導者は浅井先生である。浅井先生のみが指導者なのだ。ゆえに総ないし総合部長といえども指導は出来ず、決意を述べるにとどまるわけなのだろう。ところが顕正新聞の報道部分においては、何気に指導と書いてしまっているのである。だったら代表決意をやめて指導にすればいいのだ。それとも顕正新聞の編集部はこうした矛盾に気がついていないのだろうか?
ここが怖いところである。わたくしにしても同じことであって、偉そうにいろいろと書いてはいるものの、まるで見えていないようなこともあるに違いないのだ。
さて、話を進めよう。当該号は四月度班長会の記事を中心に組まれている。
今回、代表決意というタイトルで登壇をしているのは、男子部では総男子部長・副総男子部長・男子部総務である。いつものことながら彼らは直前の総幹部会の会長講演をなぞるだけなので、どれもこれも似たり寄ったりの内容になっている。ゆえに漫然と読んでいると気がつかないかもしれないが、この三人の登壇には興味深い共通項があるのだ。
中盤戦を見つめた先手の折伏を進め・・・
盤石の態勢を、二大綱目推進と先手の折伏の中に急ぎ構築し・・・
大成長をかけ先手の折伏と二大綱目推進に背水の陣の決意で臨み・・・
先手の折伏だ。
これはひじょうに意味のあることであって、ようは本年の初陣戦に全力投球してしまったため余力を失っている状態なのである。野球の投手であれば、ここは肩もしくは肘を休める必要がある。無理して投げれば必ず壊れる。これはもうスポーツ医学の常識であろう。もちろん適度な運動は身体にいいわけで、何もしない休養よりも身体を動かしながらの休養を、という考え方はある。しかし、状況に応じて完全休養も時には必要である。
まさに顕正会の折伏戦は、そうしたトップアスリートの身体の酷使の仕方に似ているわけで、物凄くダメージが大きいのだ。ゆえに完全休養が求められる。
ところが幹部たちはそれを許さない。先手の折伏をせよと。
ここに拡大路線の根本的な問題が潜んでいるわけだ。
本年の初陣は空前の大折伏が敢行された。すると次の六・七月法戦においても、それ相応の成果が求められる。少なくとも前年比でマイナスは許されない。さらには秋の三連戦が待っている。しかし、そこで終わるわけではない。年が明ければ再び初陣戦が待っている。つまり、顕正会の活動会員はそれを永遠に続けるわけである。少なくとも広宣流布が達成されるまでは・・・
それでいて、五月だとか八月だとか、あるいは十二月だとか一月は、いわゆる指導の月であって折伏法戦はない。いちおう、建前上は、である。しかし、上掲のごとく、先手の折伏を進めて行こうと言われてしまうのである。
オイオイ、これじゃあ休むヒマがねえじゃんか、と言いたいところだ。
いや、もちろん、感激を原動力に自主的に折伏を実践するのであれば、大いに結構なことである。誰も文句は言わないだろう。しかし、もはやそんなのはキレイごとであって、ほとんどウソみたいなものである。なぜならば、すでに班長会などの公式の場で、上掲の指導がなされているからだ。つまり、現実的には多くの活動会員が幹部から尻を叩かれて、内心ではかなりウンザリしながらも、そうしたことは一切口にせずにひたすら頑張っているのである。
これじゃあ、退転するわけだよ。
ここでじゃっかんは法華講員に失礼だとは思いながらも、おそらくはこうだろうということを書いておきたい。
顕正会の活動会員は根性がある。俗に言うところの根性だ。そうして幹部にのし上がっていった人は、逆にそれがアシカセとなってやめたくてもやめられなくなるのだ。実際、退転していった人たちに対する、残った人たちからの侮言を聞けば、歯を食いしばっても組織の中にとどまる道を選択することになるだろう。いわく、アイツは折伏法戦の辛さから逃げたのだ、ようは根性がないのだ、あんなヤツはどこに行っても成功しないだろう、と。
一般の退転者、すなわち顕正会から無宗教に転じた人たちは、おおむね上述のような侮言を投げつけられることになる。もともと負け嫌いの人であれば、耐えられないはずだ。いや、負け嫌いだろうがなかろうが、上述のような侮辱は耐えられないのが普通だろう。
わたくしの見るところ、こうしたガンジガラメの状況から卑屈にならずに抜け出す最善の方法は、日蓮正宗に帰伏することである。もちろん、残った会員たちからボロクソに言われることに変わりはない。しかし、意味がまるで違うのだ。なぜならば、正義にめざめたという大義名分が立つからである。
むしろ、ここでは形勢逆転である。
とりわけ法華講員の先輩の中に顕正会破折を得意としている人がいれば、これはもう鬼に金棒である。わたくしの狭い見聞の範囲では、たいていの幹部がビビってしまって法華講員との接触を回避するようになる。つまり、こうして顕正会からきれいさっぱり足を洗うことが出来るのだ。
ぶっちゃけ言えば、日蓮正宗は顕正会から逃れるための駆け込み寺なのだ。
ずいぶん穿った物の見方をしているように感じられるかもしれないが、けっこう核心を捉えているのではないかと自分では思っている。顕正会員がなぜに強気でいられるかと言えば、それは自分たちが唯一正しいとの確信からだろう。しかし、実はそうではないのだ、顕正会はこれこれこのように間違っているのだ、ということを法門の上から理路整然と説明することが可能ならば、そこで立場がひっくり返るのだ。
事実、隊長クラスが日蓮正宗に帰伏したとの情報がある。もしも隊長が単に無宗教に転じたとすれば、これもうボロクソに言われるだけであり、本人も屈辱的であろう。しかし、正宗への帰伏は違うのだ。なぜならば、それは正義にめざめる行為だからである。堂々としていられるだろう。
話を戻そう。先手の折伏の意味が見えてきた。
やはり正宗への帰伏者が後を絶たない。有力な活動会員たちが、あるいは真面目な活動会員たちが、次々と正宗へ移籍していく。つまり、こうした動きに歯止めが掛からない以上、残る選択肢としては新規会員の獲得しかない。それが先手の折伏の意味でもあるわけだ。
当然、女子部も婦人部も同じであるが、今回の場合はとりわけ男子部の代表幹部三人が揃いも揃って先手の折伏を口にしたところからしても、組織の中に何かしらの危機が迫っていることを暗示しているように思うのである。
2016/5/27 17:34
投稿者:(勝手に)略
2016/5/27 15:25
投稿者:マイケル
勝さん、こんにちは。
>実名かハンドルネームかで優劣を争う、詮無い論争はやめましょうよ。
仰る通りです。
そのようなみっともない主張を展開する輩がいるとすれば、
掲示板はもとよりブログからもさっさと退出すべきですね(笑)
>実名かハンドルネームかで優劣を争う、詮無い論争はやめましょうよ。
仰る通りです。
そのようなみっともない主張を展開する輩がいるとすれば、
掲示板はもとよりブログからもさっさと退出すべきですね(笑)
2016/5/27 14:58
投稿者:(勝手に)略
実名かハンドルネームかで優劣を争う、詮無い論争はやめましょうよ。
沖浦氏の掲示板のグラスツール氏もハンドルネームです?妙観講の大沢氏も実名です。
ハンネがダメとか実名がダメなんて事はなくて、誰もが良識を守って投稿すればそれで良い事。何より、我々の事は常に大聖人が御照覧です。是を思うに、匿名かどうかはどうでも良い事ではないでしょうか。
まあ私もさすがに名無しは不便なので嫌ですが。
沖浦氏の掲示板のグラスツール氏もハンドルネームです?妙観講の大沢氏も実名です。
ハンネがダメとか実名がダメなんて事はなくて、誰もが良識を守って投稿すればそれで良い事。何より、我々の事は常に大聖人が御照覧です。是を思うに、匿名かどうかはどうでも良い事ではないでしょうか。
まあ私もさすがに名無しは不便なので嫌ですが。
2016/5/27 11:12
投稿者:青年部員
Yahoo!知恵袋
goodboygoodjob20062000さん
よく言う「売名行為」とは、どこがどう悪いのでしょうか?
名を売るために、がんばることの何が悪いのでしょうか?
suitouumeleさん
資本のルールに沿った「売名」はいいと思います。
しかしところかまわず「売名」する。
あまりに過剰なアピールは、むしろ嫌悪を抱かせます。
そうではありませんか?
質問者様の訊かれている「売名行為」というのは、そういうことです。
goodboygoodjob20062000さん
よく言う「売名行為」とは、どこがどう悪いのでしょうか?
名を売るために、がんばることの何が悪いのでしょうか?
suitouumeleさん
資本のルールに沿った「売名」はいいと思います。
しかしところかまわず「売名」する。
あまりに過剰なアピールは、むしろ嫌悪を抱かせます。
そうではありませんか?
質問者様の訊かれている「売名行為」というのは、そういうことです。
2016/5/27 9:16
投稿者:マイケル
>他人からの質問には理路整然と答える。
そうでしょうね。
他人には強要しといて、自分はスルーなんて
みっともない、恥ずかしい真似は出来ませんもん。
そうでしょうね。
他人には強要しといて、自分はスルーなんて
みっともない、恥ずかしい真似は出来ませんもん。
2016/5/27 9:16
投稿者:マイケル
>他人からの質問には理路整然と答える。
そうでしょうね。
他人には強要しといて、自分はスルーなんて
みっともない、恥ずかしい真似は出来ませんもん。
そうでしょうね。
他人には強要しといて、自分はスルーなんて
みっともない、恥ずかしい真似は出来ませんもん。
2016/5/27 8:51
投稿者:露煽り
ところで沖浦さん。
南無妙法蓮華経如来はどの御書にありますか?
南無妙法蓮華経如来はどの御書にありますか?
2016/5/27 8:48
投稿者:露煽り
私がエバさんにそっくり?光栄です!
いつも楽しみに見させて頂いておりますが、沖浦さんはエバさんに全く太刀打ちできませんね。いつも木端微塵ですね。
そのうち悔しくなって口封じのアク禁にするでしょうね。
お決まりのパターンです。
若鷹の掲示板が実名禁止になったのは、あなたが名誉棄損だと騒ぎ立てたからですよ。原因は貴方です。
勇気があるならハンネで書き込みしてみなさい。
みんなでちゃんと貴方のハンネ決めてくれてるじゃないですか。
「沖修羅河童」の愛称で親しまれてますよね。
これでどうぞ。
いつも楽しみに見させて頂いておりますが、沖浦さんはエバさんに全く太刀打ちできませんね。いつも木端微塵ですね。
そのうち悔しくなって口封じのアク禁にするでしょうね。
お決まりのパターンです。
若鷹の掲示板が実名禁止になったのは、あなたが名誉棄損だと騒ぎ立てたからですよ。原因は貴方です。
勇気があるならハンネで書き込みしてみなさい。
みんなでちゃんと貴方のハンネ決めてくれてるじゃないですか。
「沖修羅河童」の愛称で親しまれてますよね。
これでどうぞ。
2016/5/27 7:39
投稿者:沖浦克治
雲羽さん、おはようございます。
>しかし、如何に実名とはいえ、匿名性を求められる一
個人のブログにそれを持ちこむのは、お門違いではないかと思います。
これがお門違いです。
このブログも、私の板も匿名性を求めてはおりません。
匿名(ハンネ)でも構わない。
こういう事です。
実名を拒否する板もございます。
ネットのごみ溜めである若鷹の掲示板などはその代表でしょう。
ルールに明記してございます。
引用しておきましょう。
>誰かさんの謀略により停止された「若鷹の掲示板」を継承した移転掲示板であり、「破邪顕正」を目的とした掲示板です。実名での参加禁止。謀略予防のため、実名をHNとしている人への正当な批判は、愛称やアルファベット、○、伏字等を使用して。 中傷(根拠のないこと)や未公開・非希望の個人情報漏洩、私的メールの公開禁止、揶揄や罵詈雑言は出来る限り控え、真正面から正しき教義論争を。プロキシ使用や多重HNは削除やアク禁対象となりますのでご注意を。ある方の実名の「フルネーム」やその一部はNGですのでご注意下さい。
〜引用終わり〜
愚かなルールですが管理人さんのご意思ですので守らねばなりません。
実名が禁止ですので私は書きません。
ここは匿名性が求められる板ではありませんよ。
以後は認識を正しくしましょうね。
>しかし、如何に実名とはいえ、匿名性を求められる一
個人のブログにそれを持ちこむのは、お門違いではないかと思います。
これがお門違いです。
このブログも、私の板も匿名性を求めてはおりません。
匿名(ハンネ)でも構わない。
こういう事です。
実名を拒否する板もございます。
ネットのごみ溜めである若鷹の掲示板などはその代表でしょう。
ルールに明記してございます。
引用しておきましょう。
>誰かさんの謀略により停止された「若鷹の掲示板」を継承した移転掲示板であり、「破邪顕正」を目的とした掲示板です。実名での参加禁止。謀略予防のため、実名をHNとしている人への正当な批判は、愛称やアルファベット、○、伏字等を使用して。 中傷(根拠のないこと)や未公開・非希望の個人情報漏洩、私的メールの公開禁止、揶揄や罵詈雑言は出来る限り控え、真正面から正しき教義論争を。プロキシ使用や多重HNは削除やアク禁対象となりますのでご注意を。ある方の実名の「フルネーム」やその一部はNGですのでご注意下さい。
〜引用終わり〜
愚かなルールですが管理人さんのご意思ですので守らねばなりません。
実名が禁止ですので私は書きません。
ここは匿名性が求められる板ではありませんよ。
以後は認識を正しくしましょうね。
2016/5/27 7:28
投稿者:沖浦克治
私事ですが・・・・
2004年6月31日、私は自身の不徳故神戸市役所を定年まで2年足らずを残して辞めました。
その件は新聞やテレビでも取り上げられ、極めて苦しい立場に追い込まれたのです。
その時読んだ御書です。
『あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、』
(四条金吾殿御返事)
自分は今あしき名を世間に流した。
然し大聖人はよき名はあしき名に上回るといわれる。
更には、法華経故の名前はすべてを凌駕すると仰せだ。
ならば、祈りに祈り、戦いに戦い、必ずこの苦難を乗り切って変毒為薬して、法華経故の名前を世間に流し、して見せるぞ!
あの最中に決めました。
あの事件は私全ての責任がございます。
ありがたいことには、大聖人仏法は本因妙。
現在から先が勝負。
あれから12年近い月日が流れ、いつの間にか71歳にならんとしています。
気付くと、世界選手権へ4人が出場するジムを持ち、私自身は全日本を5連覇中、世界は2連覇中、生徒の取材で先日テレビカメラがジムへ入りました。
更には、12年前石をもって追われるが如く辞めざるを得なかった、日本パワーリフティング協会の個人正会員に先日復帰致しました。
創価の祈り。
創価の戦い。
創価の信心。
間違いございません!!!
2004年6月31日、私は自身の不徳故神戸市役所を定年まで2年足らずを残して辞めました。
その件は新聞やテレビでも取り上げられ、極めて苦しい立場に追い込まれたのです。
その時読んだ御書です。
『あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、』
(四条金吾殿御返事)
自分は今あしき名を世間に流した。
然し大聖人はよき名はあしき名に上回るといわれる。
更には、法華経故の名前はすべてを凌駕すると仰せだ。
ならば、祈りに祈り、戦いに戦い、必ずこの苦難を乗り切って変毒為薬して、法華経故の名前を世間に流し、して見せるぞ!
あの最中に決めました。
あの事件は私全ての責任がございます。
ありがたいことには、大聖人仏法は本因妙。
現在から先が勝負。
あれから12年近い月日が流れ、いつの間にか71歳にならんとしています。
気付くと、世界選手権へ4人が出場するジムを持ち、私自身は全日本を5連覇中、世界は2連覇中、生徒の取材で先日テレビカメラがジムへ入りました。
更には、12年前石をもって追われるが如く辞めざるを得なかった、日本パワーリフティング協会の個人正会員に先日復帰致しました。
創価の祈り。
創価の戦い。
創価の信心。
間違いございません!!!
どうも携帯からだと書きにくい。
マイケル殿
まあ、退出はともかく、各人あまり言い争いのようにならないように気を配った方が良いと思います。
世間から見ても、大聖人門下っていつも些細な事で他人を攻撃しているのかと思われるのは名折れですし。