2005/12/26

一切の諸戒の中の第一は不殺生戒  
 不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり。五戒の初めにも不殺生戒、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり。儒家の三千の禁めの中にも大辟こそ第一にて候へ。其の故は「遍満三千界、無有直身命」と申して、三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし。蟻子を殺す者尚地獄に堕つ、況んや魚鳥等をや。青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや死骸を切る者をや。是くの如き重戒なれども、法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き給ふなり、況んや供養を展ぶべきをや。故に仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給ひき。此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王、持戒第一の智者なり。仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁なり。

秋元御書である。
不殺生戒の大事を仰せられる段であるが、注目すべき御指南がたくさんある。

まず、青草を切る者は地獄に堕ちるという、これは驚きである。すると大聖人は肉食どころか草食すらなさらなかったのであろうか? こうなるといったい何を食べればいいのかわからなくなる。
また、いわんや死骸を切る者をや、というのがよくわからない。この御論法では、青草よりも死骸のほうに価値があることになる。一見すると逆のような気がするのであるが、わたくしの理解の仕方が間違っているのだろうか?

さて、不殺生戒とはきわめて重要な戒であるが、法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳、と仰せられる。
これはまさにそのとおりなのだろう。ただし、現代においてはこれをどのように適用すればいいのかが問題になってくる。立正安国論における斬罪の用否の御指南を拝すればおのずと答えは出てくるのだろうが、それにしても「覚徳比丘は無量の謗法者を殺し」云々には驚かざるを得ないところである。
ここは有徳王の誤記であると言えなくもない。しかし、すぐ後ろに「此等の国王・比丘等は」云々とあるごとく、単なる誤記ではないのである。ようするに、大聖人はあえて意識的に、比丘が殺人行為に及んだことを強調あそばしておられると考えられるのである。

実際に覚徳比丘が武器を手にとって相手を殺したとの御意であろうか?
少なくとも現代的に考えて、有徳王に殺人行為を命じた、あるいは教唆というのだろうか、その意味では覚徳比丘も同罪となるのだろう。
もちろんここでいう同罪は一般的な概念であって、大聖人の仰せではまさに第一の功徳ということになる。一般的に殺人は罪であるが、謗法者を殺すことは功徳となる。
これはいわゆるポアの考え方であって、現実に某教団がこれを実行して大事件となった。
さすがに今のわたくしには難しい問題である。よって、今後の課題ということでこのくらいにしたいと思う。

ちなみに秋元御書の文末のほうには次の御文がある。

木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ、秋は果を拾ひて命を支へ候ひつる程に、

これは先の不殺生戒の段にある、

青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや死骸を切る者をや。

これと矛盾しないだろうか?
菓実を拾うということは生っているものを採るのではなく落ちるのを待つのだろうから、これはいいとしよう。しかし、蕨や木の皮はどうだろう。それから鹿の皮にしても、死骸を切る者に相当するようにも考えられる。
まるで大聖人にケチをつけているようなものだが、しかしどうだろう、という素朴な思いがわたくしにはある。

2006/7/8  2:55

投稿者:ログで切り文してどうする
その後段をよく読みなさい。末法適時の修行法が書いてあるでしょう。「謗家・謗身・謗国の失を免れなさいと」。あなたはこの三つともできていませんよ。

2006/7/7  21:23

投稿者:名無し
はじめまして。
御書の全文を読んだことはないので推測に過ぎませんが、
「是くの如き重戒なれども、法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き給ふなり」について、

1. 大聖人様は戒などの五度を制止しておられるのに、なぜ不殺生戒について説かれているのか?

2. ご自身について「説き給ふなり」と仰せなのは不自然ではないか?

以上の2点から、戒律を持つ必要はないことを説かれていると思うのですがいかがでしょう?

2006/5/10  12:17

投稿者:修正です。
補足部分を修正します。此方の方がよさそうです。

●蟻子(害虫)を殺す者尚地獄に堕つ、況んや(害を及ぼさない)魚鳥等をや。
(食を取るために)青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや(食をとるために魚類や鳥類の)死骸を切る者をや。

2006/5/10  9:31

投稿者:仮説ですが、読み方の一助とならんことを。
偽書の疑いのある本書ですので、なんともいえませんが、補足( )をしました。参考にどうぞ。

●蟻子(害虫)を殺す者尚地獄に堕つ、況んや(害を及ぼさない)魚鳥等をや。
(食を取るために)青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや(本来なら弔うべき)死骸を切る者をや。

●(不殺生戒とは)是くの如き重戒なれども、法華経の敵に成れば此を害する(駆除する)は
第一の功徳と(破和合僧が一番重い罪と経典には)説き給ふなり、

<加筆の疑い>
【況んや供養を展ぶべきをや。故に】
<加筆の疑いここまで>
(その理由:@殺生より重い罪について書かれている場面で<供養>が出てくるのが不自然。
A本文の内容が理解できないので、「故に」という接続詞を追加して読みやすくしたように見える。
そのため、この接続詞をつかったがために「害する」と「殺す」という意味の異なる語句を繋げる
不自然な文体になってしまっている。また無くとも意味は通じ、なお当時の文体らしさがのこる。)

●仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、
阿育大王は十万八千の外道を殺し給ひき。

●(しかしながら)此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王、持戒第一の智者(和合僧を護った)なり。
仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁(改心して法華経に帰依した)なり。

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