2016/9/6

イカリガバクハツ  
沖浦氏は法門について、ひじょうに自信を持っているらしく、直近のコメントでは創価学会の誤りをハッキリと指摘しているくらいである。

 御書に明確ですので、現在の創価学会教学部の解釈は誤りです。

ここでは具体論に立ち入らないが、まさにご覧のごとくである。

 但し日蓮正宗時代が長かったので、現在改定作業を行っている最中です。
 近い将来必ず是正されると思います。


そして近い将来必ず是正されるとのことだ。当然、その意味するところは、沖浦氏の主張に限りなく近づいていくということなのだろう。

しかし、はたしてそうだろうか?

わたくしには信じ難い話である。ただでさえ、今現在においても過去との整合性が保てなくなっているのだ。それがさらに進めば、もはや支離滅裂にならざるを得ないだろう。ゆえに、そんなバカなことはやらないはずだ、というのがわたくしの予想である。

さて、話は変わる。

 最近では「創価学会って何してるの」とのミニドラマ・茶番劇を見かけますが、このような下卑た宣伝とは比べるのも恐れ多く・・・

今日も顕正新聞第1385号の続きを見ていくわけだが、ご覧の男子部第二十隊支隊長の記事が興味深い。

顕正会では昨年の今くらいに基礎教学書を発刊した。それがどうしたわけか、半年以上も経ってから、盛んに新聞広告を打つようになった。本年の六月七月あたりに盛んに広告を出していたようである。今も継続的に行なわれているのかどうか知らないが、ともかく発刊の時期と広告の時期がずれている点がやや不可解である。あるいはいつものごとく、単なる行き当たりばったりなのかもしれないが・・・

話を戻そう。

支隊長が言っているのは、いわゆる広告・宣伝の意味では同じ土俵であるが、しかし、顕正会の広告と創価学会のそれとはわけが違う、天地雲泥の差があるのだ、ということだろう。
顕正会の肩を持つつもりはサラサラないと断わっておこう。その上で言えることは、確かに顕正会の広告はストレートである。一方の創価学会のそれはかなり婉曲というか、いわゆる摂受的とでも表現すべきところかもしれないと思う。いや、失礼。実はわたくしはまだ「創価学会って何してるの」を視聴していないのだ。ただ、ラジオでも類似の宣伝が流れているので、それと同じと見做した上で感想を書かせてもらった次第である。
しかし、見方を変えれば、顕正会の広告はヘボいのだろう。創価学会のそれはウマいということだ。

上述は顕正会の肩を持つどころか、結論的にはその逆になってしまったようだ。このままではひじょうにマズいので、少し加筆しておこう。

ようするにどれほどウマかろうが摂受的であればダメである。それでは大聖人の仏法を正しく伝えていないからである。一方の顕正会の広告はドヘタである。まるで洗練されていない。しかし、大聖人の仏法をストレートに伝えようとしている意味で、正しいのだ。

しかし、他のブロガーなどの観察によると、基礎教学書はあまり売れていないらしい。もちろん一般向けにはである。新聞広告による宣伝効果がまるでないらしいのだ。当然、本部首脳も最初から過度の期待はしていないだろうけれども、しかし、どうだろう、今現在の売り上げだとか反響などを見て、どのように感じているのだろうか?

半年後に迫った成人式を見つめ・・・

同じ登壇の中の記述だが、これはめずらしいと思った。ようするにこの登壇者自身が成人を迎えるわけなのだろう。わたくしの注目点はまさにここである。

つまり、彼は今どきの若者なのだ。当たり前のようにインターネットを活用している。ゆえにくだんの創価学会の宣伝にも気がついた。そして実際に閲覧もしているのだ。
ということは、彼は宗門の動向にも関心があるに違いない。当然ながら、宗門側がどのような発信を行なっているか、チェックしているはずである。
まさに諸刃の剣である。彼は二十歳を前にしてすでに支隊長という、男子部のホープなのだ。しかし、もし仮に宗門問題に深入りすれば、そこで大きな変化を生ずることになる。どのような変化であるかは詳述するまでもなかろう。顕正会にとってはよからぬ結果を招くかもしれないのだ。

 このような重厚な広告が一部一〇円とは・・・

前後するが、同じ記事の前のほうにご覧の記述がある。これは普通に読んでも意味がわからないだろう。新聞広告は新聞代金の中に含まれているわけで、新聞購読者がそれを別枠で支払うようなシステムはどこにも存在しないはずだ。

つまり、これは顕正会が独自に一枚刷りの広告を作って、一部十円で会員に購入させているという話なのだ。それを折伏の場で活用する。しかし、それだけでは重みがない。そのために、いわば箔を付ける意味で新聞広告を打った。ゆえに、本当ならば広告の載っている新聞をたくさん買って、それを見せたほうがさらに説得力を増すはずなのだが、さすがに不経済である。よって、上述のような手段を取ったわけなのだろう。

折伏の場で活用するという意味のことは、多くの幹部が言っていることである。次の第十二男子部長の発言も、まさにその延長線上に位置するものだろう。

一般紙に掲載されたことが顕正会の好印象につながり・・・

ちなみに同部長の記事は、次のくだりが凄まじい。

諸天善神の怒りが爆発・・・

やや誇張表現が過ぎるような気がする。この先、もっと凄いことが起きたら、いったいどのように表現するのだろうかと心配になる。さしあたっては、諸天善神の怒りが大爆発、と書けばよさそうだが、さらにそれを上回る表現が必要になったら、さて、どうするものだろうか?

2016/9/9  6:08

投稿者:マイケル
>レベルって((´∀`*))ヶラヶラ
教学試験も合格したことないくせに。

え??!!

2016/9/9  5:41

投稿者:沖浦克治
 今日から10日間、白馬を留守に致します。

 ここにもあまり書けません。
 私がいない間、貴方方に御書をプレゼント致します。
 実生活の中に活かしてくださいね。

 『花は開いて果となり月は出でて必ずみち燈は油をさせば光を増し草木は雨ふればさかう人は善根をなせば必ずさかう、』
 (上野殿御返事)

2016/9/9  5:31

投稿者:沖浦克治
 功徳を書きます。

 皆様方も論難に情熱を注いで怨嫉謗法に走るより、実生活の功徳を書けるお人となられなさい。

 7時に岩手に向けて出発です。

 明日明後日と国体チームの監督です。

 ジム開いて10年で、私のジムから長野県初の国体選手が2名出ました。
 嬉しいです。

 功徳です!

2016/9/9  5:29

投稿者:沖浦克治
おはようございます。

 私を皆様方が論難することは不可能です。

 貴方方は世間の道理さえ弁えておられません。

 私を論難だけではなく、世間でも貴方方のご意見に一般的な話題でも、仕事の事でも真剣に耳を傾けるお方は出て来ません。

 その原因が、ここでの怨嫉謗法の書き込みにあることを理解されるべきです。

 

2016/9/8  22:08

投稿者:   
●無敵くん

無敵くんとは、SF作家・山本弘氏の小説「神は沈黙せず」に登場する造語で「ネット上の掲示板等での議論において、結論はすでに明白なのに、負けているのに負けを認めず、相手が諦めるまでつまらない反論を次から次に持ち出してずるずると引き延ばす者」のこと。

概要

人工無脳ソフト「無敵くん」

 入力されたテーマを元に論争を開始し、反論が来ると煽りや詭弁を用いて再反論を自動的に延々と繰り返す単純なプログラムである。
 相手が反論をやめると「勝利宣言」を出す機能もオプションで追加可能。

作中ではこのようにしばしばネット上で(現実でも)見かける人々を揶揄した存在として描かれている。
山本弘氏のwebサイトによると、トンデモ説信奉者との議論と絡めて、以下のように解説がなされている(要約)。

無敵くんの特徴

自分が信じたいものしか信じない。
頑固な存在であり、いくら論破されても間違いを認めない。
議論において絶対に「負け」を認めない。(議論の判断基準を「勝ち負け」とした場合)

彼らとの議論はやたらに手間がかかる割に決着がつかないことが明白で、相手にするだけ時間の無駄。
相手が負けを認めない「無敵くん」と分かった時点で、さっさと撤退すべき。

このような状況に出くわしたら、無駄な「論争」は避けるべきだが、なにより自分が「無敵くん」にならぬよう戒めたいものである。

2016/9/8  22:04

投稿者:沖浦様擁護は実名でどうぞ
>2015/2/18 20:13
>投稿者:沖浦克治
>私は大聖人を御本仏と定めた人生ですのでね。

はぁ????????????アホか!

2016/9/8  21:59

投稿者:沖浦様擁護は実名でどうぞ
>貴方方のレベルで私を破折することは不可能です。

レベルって((´∀`*))ヶラヶラ
教学試験も合格したことないくせに。
妄想教授(* ´艸`)クスクス
ってか、漢字書けるの ?(〃艸〃)ムフッ

2016/9/8  21:57

投稿者:沖浦様擁護は実名でどうぞ
>投稿者:沖浦克治

> ハンネで正体隠して法論を挑む人が、実名で映像も連絡先も明記して受ける人に適う道理が無い。

じゃぁ お前もハンドル使って書けよ。

2016/9/8  21:55

投稿者:沖浦様擁護は実名でどうぞ
>今、創価学会はそれに本気で取り組んでいます。

部外者は気にしなくて結構です。
あんまり適当な事かくと名誉棄損で訴えらえるよ。
仲良し黒川君みたいにお金取られるよ。

2016/9/8  21:51

投稿者:沖浦克治
更に基本です。

 世界広布にあたって、五重の相対などは役に立ちません。
 四箇の格言もダメです。

 唯一今後は内外相対の時代です。
 最も困難で最も弘める人の人格が問われます。
 回教の方に、

 真言亡国!

 ハア〜〜??

 でおしまいです。
 五時八教も意味をなしません。

 今後の布教はこれまでの方法では不可能なのです。
 ですので、本気で世界広布考えるなら、全ての考え方を改めねばなりません。

 今、創価学会はそれに本気で取り組んでいます。

 日蓮正宗は取り残されています。

 法華講員さん方は、それでご満足?

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