2005/12/29

やっぱり陰弁慶かも?  
邪義破折班の文書は誰が書いたものかわからない、いわゆる文責がはっきり明示されていない、それゆえに怪文書と同一視されても仕方がないのではあるまいか、しかし、今回は宗務院監修となっているので正式文書である、まことに正々堂々としている、という意味をつい先日書いた。

だが、読んでいるうちにそうでもないような気がしてきた。

「砕破す」では、そこらじゅうに「昭衛よ」という呼びかけがなされている。おそらく知らない人がこの文書を読んだら仰天するに違いない、いったいなんなんだこれは・・・と。

論調というか語調がまるで相手を叱りつけているような印象を誰もが受けるだろう。浅井先生はもう七十を越えた老人である。一方の破折班は青年僧侶をうたっている。別に年齢でどうこういうつもりはないが、一般の人がこの文書を読んでどう感じるか、そこまで考えているのだろうか?

法華講員でも良識派というか穏健派の人たちは、この文書の過激さに嫌悪感すら懐いているのではないかと思う。まさかうちの住職じゃあるまいな、この執筆者がうちの住職だったらイヤだなあ、と思わせるものが文章ににじみ出ている。

何を言わんとしているかというと、やっぱり匿名に等しいのである。さすがに書いている本人も、自分の寺の檀徒には自分が書いているのだとは知られたくないのではなかろうか? ようは匿名性を利用して言いたい放題を言っているようなものなのだ。

それはわたくしも同じではある。

ただし、話を戻そう、「昭衛よ」である。
この文書のそちこちに汝浅井昭衛云々という呼びかけがなされている。ところが、その呼びかけている側の人物像がまったく見えてこないのだ。
ここまで「昭衛よ」を連発している側の人間が隠れていて見えてこない。これはやはりおかしいのではないだろうか?

この文書から伝わってくる過激さが本物ならば、この執筆者こそ浅井先生とサシで対決したらどうかと思う。
それができないということは、やはり今日のタイトルどおりである、という結論にならざるを得ないような気がするのであるが、違うのであろうか?

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